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浅田真央さんの祈り、「ジュピター」:愚見を少々






●浅田真央さんが現役時代に演じたEX用プログラムの中では、激しい動きを特色とするタラソワさん振り付けによるものが好きです。ポル・ウナ・カベサやバラード1番等がそうですね。

しかし、私が最も印象に残っているのはローリー・ニコルさんが振り付けたジュピターです。祈りがテーマですので、ゆったりとした動きが特徴的です。

しっとりとした演技の中で真央さんが得意としていたスパイラルや滑らかなスケーティングが良く映えます。

この頃は真央さんにとってはある意味、「底」の時代でした。ジャンプの見直し・矯正をしていたとて、本番の試合でなかなかジャンプが安定せず、成績も不本意なものでした。看板のトリプルアクセルもほとんど成功しませんでした。こうした時代にあったからこそ、ジュピターの演技が特に印象深かったのかもしれません。

イギリスの少年合唱団「リベラ」の歌う、「ジュピター」の宗教的で清らな響きも良かったです。

お借りした上の動画ではアンコールでフリープログラムの「愛の夢」のステップシークエンスから最後のスパイラルシークエンスが演じられていますが、こちらも素敵です。「底」の時代に演じられたプログラムなので、ファンの間では特に人気が高いとは言えないのですが、私は真央さんの透明感ある個性に合った良いプログラムと思っています。


●私は平原綾香さんの歌う、「ジュピター」は嫌いです。彼女の歌い方そのものが好きになれないです。

平原さんは音楽大学で専門的訓練を受けた歌手にもかかわらず、「息継ぎ」の呼吸音を聞かせるという…プロ歌手としては邪道…やり方を意図的に行っているんです。
こちらです

つまり、歌声と同じかそれ以上にブレスの音をさせているのです。マイクを口の直ぐ前に持って歌い、そのまま息継ぎをするので吸気音がモロに聞えます。

彼女はこれも一つの「表現」として意図的にやっているのです。もちろん、表現については色々な考え方や感覚があって良いです。が、こういう歌い方を人によっては「珍重」するかもしれませんが、普遍性は無いだろうと私は思います。

歌だけではなく朗読やスピーチにおいても、吸気音はなるべく聞かせない、息継ぎをする時に頭や肩が動いてはいけない、というのは基本です。

やはり、邪道と思います。呼吸音はしょせんノイズでしかないからです。

聴いていて鬱陶しくなります。

そうえいば、ビートルズの「ガール」では、「ガ~~ル♪」と歌った直後に、「スーだかズー」の吸気音をわざと聞かせている箇所がありますね。これはこれで面白い方法かもしれませんが、やはり、品がありません。
こちらです


また、リベラが歌うジュピターの歌詞には格調の高さがありますが、平原さんが歌う方の歌詞はベタです。これは平原さんの作詞ではありませんが。

Every day I listen to my heart ひとりじゃない深い胸の奥で つながってる果てしない時を越えて 輝く星が出会えた奇跡 教えてくれる~。。

なんか、こう、歯が浮いて来るような。。。

平原綾香さんはもちろん上手いと思いますし、「ジュピター」のヒットでホルストの原作、「惑星」を聴く人が増えたのであれば、これはこれで彼女の功績と言えるでしょう。また、こういう彼女の歌い方が好きだ、こちらの歌詞に感動したというファンもいるでしょう。それは否定しません。好みの違いと言ってしまえばそれまでです。


真央さんがリベラが歌う「ジュピター」を選択してくれて良かったです。




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2019.08.12 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 浅田真央



渋野日向子選手の衝撃




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うだるような暑さの中、二十歳のルーキー、渋野日向子選手が爽やかな風を送ってくれました。

いや、衝撃的でしたね。

全英女子オープンゴルフ最終日:渋野選手の終盤のプレー
こちらです

ゴルフのメジャータイトルは日本人男子はまだ誰も獲得しておらず、女子では樋口久子さんが初めて全米女子プロのメジャータイトルを獲得して以来、42年ぶりの快挙だそうですね。

ゴルフファンならともかく、一般的にはまだ無名に近かった女子選手がアレヨアレヨという間に優勝してしまいました。偉業というのは、案外とこんな実現のされ方をする場合もありますね。

これまでもメジャー大会で日本人選手が、「あともう一歩」というところまで健闘しても、最後は力尽きてしまう場合が多かったのですが、渋野選手は最後まで技も体力も気力も充実したまま笑顔で快走しました。

こういう言い方は誤解を招くかもしれませんが、日本人女子ゴルファーの中には、「渋野選手ががメジャーで勝てるなら、私だって!」と奮起している人もいるのではないでしょうか?

日本のゴルフ界はまだまだ世界のトップレベルではない。国内のコースは易しいのでアメリカやイギリスの難コースに対応出来ない、などと言われて来ました。特に、女子の場合は韓国の強さが圧倒的で日本人女子はとても敵わないと言われていましたし、私もそう思っていました。

しかし、渋野選手が勝ったことで、こうした「汚名?」を雪げる流れが来るかもしれません。


●人から愛される渋野選手のキャラクター。

笑顔が爽やか。アスリートらしい健康さ。茶目っ気があり可愛い。世間ずれしていないオボコサが良い。年齢から来る美しさ・輝きがある。取り澄ました美女でないのも大変によろしい。それでいて強気で攻撃的なプレーをする。

私はシドニー五輪のマラソンで優勝した高橋尚子選手と似ていると思いました。

笑顔が爽やかで人から愛される、という点では宮里藍さんとも似ていますが、少しタイプが異なるように思います。宮里さんは年齢の割には良い意味で落ち着いていて、大人びていました。

大坂なおみ選手や浅田真央さんともちょっと違うかな。

渋野選手の特長…どんな時でも人前で笑顔を忘れない、って凄いことですよね。

それもあの屈託の無い、天真爛漫の笑顔となれば、これだけでも逸材ですよ。

これ自体がなかなか出来ることではありません。

仏頂面の私なんか、どう逆立ちしても敵いません。

ビジネスでもきっと成功するわよ。


渋野選手、大フィーバーが起きて大変でしょうけど、これからの活躍が楽しみです。



2019.08.07 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



フィギュアスケート4題・愚見を少々




●元全米女王ワグナー、性的被害告白に米アスリート称賛の輪「あなたの勇気素晴らしい」
記事はここです

日本でもアメリカでもスポーツ界におけるセクハラやパワハラが深刻ですが、残念ながら、やはり、フィギュアスケート界も例外ではなかったようです。

特にフィギュアの場合、他のスポーツのように「代表チーム」に「代表監督・強化本部長」といった組織が本格的に組まれることはなく、個別のコーチによる個別の体制ですから、選手同士の連絡や団結がとりにくく、問題がなかなか表面化しにくいという事情もあろうかと推測出来ます。

ワグナーさんのように自己主張が強い?ヤンキー娘でもこうなのですから、大人しい日本の女子選手については推して知るべき、かもしれませんね。

私もワグナーさんの告白を称賛します。10年間悩んだ末の決断だったのでしょう。


●宇野昌磨選手の新たな出発に賛同します。

長年指導を受けて来た、「山田・樋口」コーチと決別※し、新たなコーチを探すことになった宇野選手。私も以前に書きましたように、宇野選手は平昌五輪後、明らかに壁にぶつかっていたと思います。

なるべくならロシアか北米のコーチの指導を仰ぐのが良いのではないかと希望します。お金もかかれば精神的負担も増すかもしれませんが、何かしらの変化・脱皮を図る為にも是非とも良き新しいコーチと契約出来ますように。

ともあれ、今季の宇野選手も注目です!


最近、「卒業した」という言い回しが流行っていますが、わたし、この表現、嫌いですね。幼稚で、しかも、どこか綺麗事で嘘が入っているように感じます。

こういう場合、昔から、「決別」という立派な大人の言葉があるのです。「決別」にはネガティブな意味はありません。相手に感謝しつつ別れるという意味です。


●トリプルアクセルや4回転ジャンプに取り組むシニア女子選手たち

こちらです
②こちらです

私が以前から何度も強調していたように、これからは女子も4回転・トリプルアクセルが「常備」されないと世界のトップには立てない時代が来ました。

今回の映像を見る限りですが、紀平選手以外では、24才の細田選手の4回転トゥループが一番実践に近いように思います。高い!他は、う~ん。なかなか。。まだ、実践にはかなり時間がかかりそうです。

この中から、果たして今季、本番で成功させる選手が出るかどうか…楽しみです。24才の細田選手が本番で4回転トゥループを成功させたら、これはもう、快挙中の快挙でしょう!!女子の常識が変わります。


●ISUが審判の倫理規定に大鉈!北京冬季五輪のフィギュアにも影響。
記事はここです

ISUが重い腰をようやく上げた模様です。遅いよ!

新しい倫理規定については当然のところでしょう。とにかく、コーチや選手、ファンに「疑問を抱かせる」ような要素はどんどん無くし、改善して欲しいものです。

私は審判については基本的には信頼しています。中には不心得な審判がいることも事実ですが、それは例外でしょう。ただ、不備なシステムは改善しなくてはいけませんよ。

審判を国籍だけでなく、民族でも区分けするのは少し困難もあるかとは思いますが、世界には「中国系」の人達がたくさんいるのですから、審判席に中国籍と中国系と二人いるのはやはり不公平です。

中国男子シングルのボーヤン・ジン選手にべらぼうな高得点を出した中国人審判には「前科」があります。



ジュニアの女子選手ですが、河辺愛菜選手は練習でトリプルアクセルが5本中3本決められるレベルにあり、吉田陽菜選手は国内選手権で既にトリプルアクセルを鮮やかに決めています。加点が1.80もあった。

映像がアップされていないのが残念!

二人は共に13才です。楽しみですね。



2019.08.04 | | コメント(16) | トラックバック(0) | フィギュアスケート・ネタ関連



日本と韓国と愛国心と:愚見を少々




文在寅大統領って、思っていた以上にノータリンですね。

これまでの一連の日本への対応を見る限り、ちょっとヒドイんじゃねえか?「徴用工問題」についても半年以上に渡って、日本政府を完全無視ですものね。貿易管理に関する協議にも応じず3年間も無視。

題して、文大統領の「日本シカト外交」。これじゃあ、取り立てて韓国嫌いでもない日本人だって、「なめたマネしやがって!」と憤慨するかもしれません。

もとより日本の安倍晋三首相はオタンコナスではある。

日韓関係は両国首脳の、オタンコナスとノータリンの馬鹿度数を競うものとなっている。

その独善性、視野狭窄、裸の王様ぶり等、良く似ていると思う。

ただし、狡賢さではオタンコナス首相が上回り、ペテン性ではノータリン大統領が上回るようだ。

いっそのこと、日本村のオタンコナス村長と韓国村のノータリン村長のプロレス60分3本勝負で決めたらどうか?

ともかく、私が以前に述べたように、「トコトンヤレ、トンヤレナ」と、宮さん宮さんの歌詞のごとく、徹底的にやり合えば良い。雨降って地固まるか、泥沼のままになるかは分からないが。


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イモが集まってド下手なラインダンスやっているみたいで笑える。

●愛国心と民族主義が高じた人間の姿はどこか滑稽に見える。

私は過去に3回、「愛国心」について、「深遠なる論文?」を書いた。

「愛国心と舌」
ここです

幸徳秋水「帝国主義」と「愛国心」
ここです

「愛国心」について思うこと
ここです


日本製品を壊したり、破いたり、叩き割ったり、日の丸を焼いたり、不買運動やら、日本旅行や文化交流は全てキャンセルやら、とにかく「日本」に由来するものは全てダメ!ダメ!のオンパレードである。

当人たちは大まじめなんだろうね。しかし、その姿を見て私は憤慨するよりも、笑いがこみ上げて来るのをどうすることも出来ない。どうして笑えるのか?

どこか、漫画チックに見えるのだ。

頭に血が上り、逆上し、気勢を上げ、思考停止状態に近くなり、浮ついた正義だけが独り歩きする。。。

やはり、滑稽だ。

韓国の政治家には、鉄血宰相ビスマルクのように、敵国フランスのワインを飲み、「陛下、愛国心と舌は別物でございます」と、トボケて見せるだけのユーモアは無いのかなあ。。。

これに比べれば、日本人の方は大人しいね。

せいぜい、中国製の椅子に座りながら、中国産のピーナッツをポリポリ食べながら、「私は中国が嫌いよ!」と叫ぶ程度だ。可愛いもんだよ。

でもね、日本人だって、何かのきっかけで同じように発狂する可能性があるのだ。

過去に、そんな時代があったのだから。他人事ではないのだ。


韓国の姿を見て、反面教師にするのが良さそうである。




2019.08.03 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 政治・社会



ショパンの「小犬のワルツ」には捨てがたい味がある







このワルツを聴いたことが無いと言う人はいないでしょう。

演奏時間は2分足らず。曲想が明るく軽やかなので、それこそ軽く聞き流されてしまうような曲です。

明るく、華やかで、快い音楽。

しかし、耳を傾けて聴くと…特に曲の中間部で…そこに陰影を感じないでしょうか?

シュトラウスのウィンナワルツ(美しく青きドナウ等)もそうですが、ワルツには明るさの中に哀愁があります。

そもそも、ショパンの音楽にはそういうものが珍しくありません。

ただ、私は最近、この曲に感傷的な哀愁とは違う、寂寥感が漂っているのを聴き取るのです。

人生には悦びもあれば寂しさもあります。それは両輪です。

小犬のワルツには、単に明るく快い曲として聞き流すにはもったいない何かがある。

A-B-Aの単純な形式の曲ですが、Bの所を良く聴いて欲しいです。

私はショパンを特に好きな音楽とは思っていませんが、

小犬のワルツには何か、捨てがたい不思議な味わいがあると思います。

もしかすると、ショパンはこのワルツを必ずしも「楽しい気持ち」で作曲していなかったのかもしれません。

楽しそうにみえて、実は悦びが無い、というような。


ブーニンの演奏のように、少し遅めのテンポが私には丁度良いです。

あまりに速いスピードで演奏されるとこの曲の持つ「寂寥感」が聴き取れなくなります。



最近知ったことなのですが、

小犬のワルツはショパンの若い頃の作曲と思いこんでいました。

曲が曲ですから。

ところが、これはショパンの晩年、37歳頃に作曲されたと知り、驚きました。

ショパンは晩年近くになると、ちょっと手の込んだ複雑な曲が目立つようになっていたからです。

晩年に作曲されたことが、私が感じ取る「寂寥感」と関係があるかどうかは何とも言えませんが。




2019.08.02 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 音楽



「れいわ新選組」について:愚見を少々




●「れいわ新選組」をどう思うか?

以前にも書きましたが、私はいわゆるタレント議員というものを評価しません。また、タレント議員に投票する有権者についても批判的です。たとえ、偏見と言われようとも。

山本太郎議員についても同様です。パフォーマンスよろしく天皇に直訴してみたり、「国会議員に出される弁当はべクレてる(放射能汚染されている)だろうな」のような、無用な風評被害を招く軽薄な言動には呆れます。

そもそも、党名からしてアウトです。

元号を使う悪趣味。維新の会よろしく幕末の新選組を名称に使うベタなアイデア。

私は幕末史については薩長が嫌いで会津と新撰組を贔屓していますが、これはあくまで判官びいきの類です。新撰組は幕府認定とはいえ、プロの暗殺・テロリスト集団でしたし、陰惨な内紛もおぞましい。取り立てて京都の民衆の為に戦ったわけでもありません。武士として認められ、出世したかったから必死に活動したのでしょう。土方歳三や近藤勇個人の人間的魅力がどうのこうのというテーマとは別次元の事柄です。

このような新撰組(党名では撰ではなく選としているが)を党名にするとはどういう神経なのでしょう。

反安倍政権を唱える人達の間で山本太郎&れいわ新選組の評価が高いようですが、私は余り評価はしません。この人気も一過性のものと見ています。

人は、面白そうなもの、目新しそうなものに飛びつきますからね。「N国」も同様です。


●当事者による当事者の為の政治は重要。

私がれいわ新選組を評価するとすれば、重度障害者を比例特別枠に指定し当選させたことです。これは大きな意義があると思います。山本太郎さんの優れた着眼点と思います。どの野党も考えなかった。

身障者に必要な政策とは何かは、身障者が誰よりも知っています。

女性が深く関わる政策(子育て・家庭問題・女性差別・セクハラ等)では、女性議員の存在が欠かせません。

過去に、アイヌ出身の萱野茂さんが始めて国会議員になり、国会ではアイヌ語を交えて質問を行い、1997年には、「北海道旧土人保護法」の撤廃と「アイヌ新法(アイヌ文化振興法)」の制定に貢献しました。少数民族としてほとんど無視されていたアイヌの人権に光を当てる上で萱野茂さんの存在は大きかったようです。

アイヌもそうですが身障者に対する無知と偏見・差別※は今も日本に根強く残っていますので、新しく参議院議員になった二人の重度身障者の活躍に注目したいです。

少数派や弱者の側の当事者が国会議員になることには極めて重要な意義があると思います。



ヤフーニュースのコメント欄に見る、二人の重度身障者の議員に対する冷ややかなコメントに寒々とする

「二人はまともに仕事出来るんですかね?」「国会議事堂のあちこちを改造させるのか。余計な金がかかるな。税金だぞ」「身障者だからと言って特別扱いするな」「分かってるよね?身障者も健常者も平等だよ」等々。

二人の当選の意義を理解し、応援するコメントがほとんど無いのには驚かされます。

日本はこんな国なんでしょうか?




2019.07.22 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 政治・社会



良くある女の3つの形態:愚見を少々




●「権力に尻尾を振る女」

記事内容はこちらのサイトで

私が林真理子を胡散臭く感じ、彼女の小説を良いと思わない理由が上のインタビュー内容からも明瞭です。

例えば、

「…若い男性がチェーン店で牛丼を食べている姿を見ます。おなかがすいて食べている風でも、おいしそうに食べている風でもない。つまらなそうで生気がない…。」

若者に直接尋ねることもせず、単なる印象だけで決め付けることも問題ですが、何と言う薄っぺらな人間観察だろうと思います。若い男性が会社でどんな安月給で暮らしているか知らないのかな?また、何らかの目的で苦しい中で倹約しながらお金を貯めているのかもしれません。

私の住まいの近くの牛丼店では高校生の男女が元気にぺちゃくちゃおしゃべりしながら食べていますよ。

牛丼店をちょっと覗いただけで若者の何たるかについて、知ったかぶりをしない方がよろしいでしょう。


「…飛行機で初めてビジネスクラスに乗ると『広いなあ、このうえにファーストクラスまであるんだ』と知る。でもエコノミークラスしか知らなければそれが全世界です…」

林真理子の「俗物根性」が如実に現れています。この論理で行くと、自家用の飛行機を持ち、何十億もするダイアモンドが買える人間にはいっそう豊かな世界が広がる、ということになるでしょう。

林真理子は小泉政権の頃から権力側に尻尾を振る様子がありましたが、今は安倍政権ですか。そういう矮小な小説家が言いそうな「説教」でしょうね。

私の愛読する中山可穂や藤堂志津子や江國香織だったら、こんなことは決して言わないでしょう。彼女達の小説からは、たとえその内容が大胆であっても、人間的な暖か味がありますが、林真理子の小説には冷たさしか感じなかったのも、分かるような気がします。

「私は世間を知らないのだ。この大テーゼの前に、私はいつもひれ伏している」と書く藤堂志津子さんが好きだ。


●「啖呵を切る女」

記事はこちらのサイトで

我らが「君民一体」「八紘一宇」の三原じゅん子議員が、やってくれましたね!

さ~すが、ズン子さんです。

「野党の皆さん!恥を知りなさい!」…カッコよかったなあ~♫

悔しかったら、野党の女性議員も「自民党・公明党のみなさん!恥を知りなさい!」とやればいいんですよ。野党の女性議員には啖呵を切って、それが絵になるような「人罪」、おっと、「人材」はいないようですが。

ズン子さん、もう一度女優業に戻り、「極道の妻たち」に主演すれば大ヒット間違いなし!

しかし、同じ啖呵でも浅丘ルリ子が寅さんに放ったセリフの方が私は好きですけどね。

「甘ったれんのもいい加減にしやがれってんだ!」
動画はこちらです

ズン子さんだけど、わたし、嫌いじゃないですよ。男に負けまい、舐められまい、と肩肘張って、突っ張っている姿からは、政治家としての涙ぐましいまでの「努力」があると感じるからです。

稲田朋美議員にせよ三原じゅん子議員にせよ、頑張っているけど、どこか隙だらけでおバカに見える女性って、私は嫌いになれないんですよね。私もおバカでマヌケな方だから共鳴するのでしょう。


●「地雷を踏む女」

はい。わたしのことです(^_^;)

協調性の欠如、空気が読めない、自己チュー、皮肉を言って相手を怒らせてしまう等々。。。

いや、「相手に地雷を踏ませて面白がる女」、なのかもしれない。

悪い性格だ。

これで友人を失ったこともあります。

ただし、相手が傷つくであろう言葉を意図的に吐き、溜飲を下げる意地の悪さはありません。




2019.07.20 | | コメント(9) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



私の好きな歌;シューマン作曲「静かな涙」




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東京の奥多摩、御岳山に自生するイワウチワの花々(小さな花です)

何年か前、5月に山好き(と言っても低山歩き程度)な知人と二人で御岳山(みたけさん)を歩いた。ただし、ケーブルカーがあるので高尾山と同じ程度のハイキングです。標高も1000メートル未満の山です。

お昼にしようと山道から少し逸れた所に入ったら、偶然、小ぶりで薄いピンク色の美しい花々に出会いました。感激でした。こんな素敵な花があったのか!と。

色と形態が実に可憐で上品で、心が癒されます。

残念ながら、二人ともこの花の名前が分かりませんでした。

後で調べたところ、イワウチワという花と分かりました。イワカガミと少し似ていますね。

イワウチワを知っている人って、あまりいないでしょう?

未知の花との出会い、発見は実に感動的です。公園や緑地でガイドブックに書いてある通りに花があったとしても、それほど感銘は受けませんが、こうした思わぬ出会いには、生きてて良かった、と思わせる感激があります。

絵画や文学、芸能・音楽の世界でもそれと同じような出会い・発見があります。


●シューマンの歌曲「静かな涙」もその一つです。



歌詞はこちらのサイトで


三節からなる詩で、音楽はA-B-A´+結び、という構成です。

厳かに始まり、徐々に歌が高揚して高らかに歌う様はいかにもドイツの歌という感じです。後にワーグナーやリヒャルト・シュトラウスによって大規模に扱われるようになりますが、シューマンの持つ親密さは無くなりました。

注目はピアノの伴奏です。いや、伴奏というのは完全に正しくはありません。シューマンは歌曲について、歌とピアノによる二重奏ということをはっきりと意識して作曲した人なのではないでしょうか。これに比べれはシューベルトはまだ「ピアノ伴奏」という意識があったのではないでしょうか。

「静かな涙」は厳かに低音の和音を刻むピアノで始まります。で、ピアノはずっと和音を刻み続け、旋律を奏でることも、分散和音を鳴らすこともありません。しかし、この和音の柱列がこの歌曲の背骨、柱廊になっているのです。

歌が三節目のA´を終えると、初めてピアノが旋律を奏で、動画の2分15秒に低音でトリルが鳴り、2分20秒には中音でトリルが鳴ります。

ピアノ演奏法のトリルが単なる装飾音ではなく、深い情感を表現するものだと知ったのもシューマンのお陰です。

その後、三節目の最後の一行がリフレインされると、そこから40秒以上もピアノの独奏が続き、高揚した雰囲気を静めるかのような働きをしています。この辺りにも、ピアノと歌の両輪によって歌曲が成立する、とのシューマンの考え方が出ているように思います。


●シューベルトに比べ不遇なシューマンの歌曲

クラシック音楽には興味が無い、という人でもシューベルトの歌曲、「野ばら」「ます」「アヴェ・マリア」「セレナード」等は知っているハズだ。また、口ずさむことも出来るでしょう。

シューベルトは誰でも一度聴いただけで忘れられない美しい旋律をたくさん書いた人です。

それに比べ、シューマンの音楽を知っている人がどれくらいいるでしょうか。せいぜい、トロイメライ、くらいではないか。つまり、シューマンはメロディ・メイカーとは言えない作曲家だったのです。

シューマンの音楽は、「スルメ音楽」なのです。一度や二度聴いただけでは分かり難いです。その代わり、十回聴けば音楽の美しさ、豊かさが分かって来ます。

シューマンの代表的な歌曲集は「リーダークライス」「詩人の恋」「女の愛と生涯」です。「静かな涙」はあまり知られていない「ケルナーの12の詩による歌曲集」の中の一曲です。

こうした歌集の中に、思わぬ素晴らしい歌を発見した時の喜びはたとえようもありません。

素晴らしい歌は自分だけではなく、人にも教えたくなります。

「こんな素晴らしい音楽との新しい出会いが待っているなんて、あなたは幸せですよ」

とか何とか言って、ちょっと大げさかもしれませんが、そんなふうに思うのです。


とにかく、「静かな涙」は素晴らしい歌です。


☆歌だけだったら、美声のバリトン歌手、トーマス・ハンプソンがお勧めです。
こちらです






2019.07.16 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 音楽



モーツアルト版「千の風になって」:歌曲「夕べの想い」






この歌の題名ですが、動画の中の和訳は、「夕暮れの情ちょ」としていますが普通は、「夕べの想い」です。ドイツ語は不案内ですが、こちらの方が私は良いと思います。

原詩と日本語訳はこちら

以前にも書いたことがありますが、モーツアルトは交響曲やピアノ協奏曲よりも、オペラや宗教音楽のような声楽曲の方が素晴らしいと思います。そして、リート(ドイツ歌曲)にも素晴らしいものがあります。

ドイツ歌曲はシューベルトやシューマンのロマン派によって大輪の花を咲かせます。モーツアルトの歌曲は向日葵や薔薇ではなくとも、菫や桔梗のような美しさがあり捨てがたい味があると思います。

モーツアルトが1787年、31才の時に作曲した「夕べの想い」は、皮肉やユーモアが好きで、優雅で軽やかな音楽を書いたモーツアルトが珍しく?シリアスな歌詞に音楽を付けたもので、極めて個人的感情に満ちており、ロマン派の音楽を先取りしていると言えるでしょう。1787年というのは彼にとっては特別な年で、父や親友を亡くしています。死という問題を強く意識した年でもありました。そうした影のようなものがこの頃の作曲に感じられます。


原曲はヘ長調。冒頭でピアノの分散和音が鳴った時から、ただならぬ気配を感じます。

この歌で特に素晴らしい箇所は、歌詞の「私たちの芝居もこれでお終い~(動画の1:10秒から)」でヘ長調から短調に転調し、さらに、「私はこの世の巡礼の旅を終え~(1:47秒)」でまた転調し、「そのとき、あなた方がわたしの墓に涙し~(2:08秒)」で短調から長調に転調する場面です。モーツアルトの手による最も美しい音楽の一つかもしれません。

この歌曲でのモーツアルトは彼特有の流麗さをあえて犠牲にし、時々音楽が途切れ、歌うというよりも語りかけるような作りをしています。流麗さは損われますが、その代わりに、切実さが生まれます。

静寂さと真情。真実は声高ではなく、静かに語ってこそ。。。
「夕べの想い」はそんな歌です。


「夕べの想い」とちょっと似た雰囲気の歌に、ご存知、「千の風になって」があります。歌詞の内容で、亡き人が第一人称でお墓参りに来た人に語りかけるという想定では全く同じです。

ところで、「千の風になって」ですが、私はあまり好きになれません。音楽そのものは悪くはありませんが歌詞にどうしても違和感を覚えてしまうのです。

まあ、野暮を承知でイチャモンをつけておきましょう(^_^;)

「私のお墓の前で泣かないで下さい」…そうかなあ。。私だったら泣いてくれた方が嬉しいけどなあ。
「そこに私はいません」…普通遺骨が埋葬されているのですから「私はいる」でしょう?「墓を開けたらからっぽであった」との、イエス・キリストの復活からヒントを得たのかな?

私は「夕べの想い」の歌詞の方に共鳴します。こちらの方が亡き人に立つ内容に思えるのです。

「墓の前で泣かないで」よりも、「涙をひとしずく私に捧げておくれ」の方に真実味を感じます。

音楽そのものも、果たしてそんなに良いものかどうか。
3節の有節歌曲で同じ旋律が単に3回繰り返されるだけで変化が無い。

「月さんよ、あんたねえ。。。モーツアルトと比べては気の毒ですよ」ってことかな?

「千の風になって」をカラオケで皆で歌うというのも…なんか…私の考えとは違うわ。

こういう歌は一人で歌うか、一人で静かに観賞するものですよ。仮にドイツ語歌詞を覚えても、「夕べの想い」をカラオケで皆と歌うなんて、全く考えられません。そのような歌ではありません。


歌詞の和訳が流れるので便宜上、上の動画をお借りしましたが、歌の美しさでしたらバリトン歌手が歌っているこちらの方が良いと思います。
こちらです

さらに、同じ女性ソプラノでもこちらの方が声が美しいです。
ライブ録画とスタジオ録音の違いもあるでしょう。
こちらです

●おまけ
歌曲「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時」
こちらです
歌詞はこちらです

「これはベートーヴェンが作曲した歌曲です」、と言われたら私は信じるでしょうね。
それくらい激しい感情の爆発があります。
原曲はハ短調。交響曲「運命」等、ベートーヴェンがしばしば用いた調性です。

モーツアルトも時々、古典的形式や抑制的な情感から逸脱するドラマティックな曲を作っていますね。
この歌曲もやはり、1787年に作られています。
ベートーヴェンを先取りしたような音楽です。
1分30秒程度の短い曲ですが、密度は濃い。
やはり、モーツアルトって天才なんだ、と思わせる曲です。


●おまけ
「千の風になって」ですが、ピアノ伴奏による森麻季さんの歌は素敵です。
こちらです

こういう歌は大袈裟なオーケストラではなくピアノ伴奏の方がずっと良いです。
森さんの歌で聴くと、心に沁みて来ます。

オーケストラをバックに声を張り上げて歌う方が「効果」は上がりますが、その代りに、「親密さ」は失われます。「千の風になって」も、「夕べの想い」も、本来はごく親しい人達の間で静かに歌う曲と思います。




☆追記
更新を怠り、失礼しましたm(__)m
皆様から頂戴したコメントはすべて拝読いたしました。
レスを省略したことをお詫びします。


2019.07.13 | | コメント(9) | トラックバック(0) | 音楽



「言葉」「表現」のアレコレ:愚見を少々




「見た目は女性だが、心は男性」 女性職員に不適切発言 兵庫県教育長が謝罪(5/21読売テレビ)

兵庫県の教育長が女性職員について、「心は男性」などと不適切な発言をし、謝罪していたことがわかった。

(引用開始)…兵庫県教育委員会によると、西上三鶴教育長は先週、尼崎市で開かれた小学校長会総会で来賓のあいさつに立った際、教育委員会の課長職に就いた女性職員について、「見た目は女性だが、心は男性」という趣旨の発言をした。

その後、出席者から「セクハラではないか」などと批判する声が上がり、西上教育長は後日、女性職員と校長会の幹部に謝罪したという。西上教育長は「能力や魅力を伝える意図だったが、表現が不適切だった。真摯※に反省している」などと話しているという(引用終わり)。


私はセクハラではないと思います。性的いじめ、嫌がらせ、暴言とは違います。西上教育長は、「誉め言葉」のつもりで言ったのだと思うからです。

今回のケースは男女の性差を強調し、固定化する発言として問題なのです。

これがプライベートな場で気軽に言ったくらいなら大目に見られるかもしれませんが、公的な場では問題になります。それにしても、仮にも教育長という立場にある人が、こんな程度の認識で務まるのでしょうか?


悪気は無かった、善意だった、誉めたつもりだった…差別や偏見の恐ろしさは、本人にそのつもりが無くても、いつのまにか口に出してしまう点にあります。意識下にある価値観が露呈してしまうのでしょう。


■男女の性差を強調し、固定化させる言葉の例。

男勝り、女だてらに、紅一点、良妻賢母、未亡人、男のくせに、女のくせに。。。

これらは差別語なのか、不適切語なのか、問題無いのか、言葉狩りなのか、人により意見は様々あるでしょう。しかし、男女の性差を強調し、固定化する表現は公の場では避けられるようになりつつあります。少なくとも、責任の重い立場にある人や、社会的に影響力の大きい立場にある人は避けるべきでしょうね。

私も職場で、ウジウジした男性社員に対し、「女々しい奴」と言い出しかねません(^_^;)


●「めんどくさい世の中になったなあ」と嘆く、男性のボヤキをどう思う?

その気持ち、分からなくも無いです。やれ差別だ不適切だとウルサク言われることもなく、言いたい放題言えた、「古き良き時代?」を懐かしむ気持ちもあるんでしょう。

たまに古いテレビドラマを動画で見ますと、「このキチガイめ!」「オマエはツンボか!」等の、相手を罵倒する言葉で出て来ます。しかし、現在ではドラマだけでなく、私達の日常においても、こうした罵倒は言わないし、言えなくて「めんどくさい世の中だ」とも思わないでしょう。

最初はめんどうと思っても、慣れれば水や空気みたいになるものです。


「真摯に」という表現は、安倍首相や問題を追求された政治家や官僚がやたらと、「真摯に受け止め」「真摯に取り組む」などと言うものですから、随分と安っぽい言葉に下落しました。今や、「真摯に」は、「いい加減に」「おざなりに」という意味に転化してしまったかのようです。「粛々と」も同様です。


■同じく、古い邦画やテレビドラマで使われた言葉使い、表現から面白い例を。

「頼まれちまったのよ」…これは裕福な東京の成城地区に住む女性医師のセリフ。下町ではありません。1970年代の東京の女性で、「頼まれちまった」という言い方をする女性がいたんですね。私は聞いたことがありません。くだけた言い方では、「頼まれちゃった」が普通でしょう。「ちまった」は私の耳には「ちゃった」よりも伝法に聞えます。

「お上んなさいまし」…丁寧な言い方としては現在では、「お上り下さい」「お上り下さいませ」かな。

「およしなさい」「お上んなさい」という言い方は素敵だと思いますが、死語になりつつまります。

丁寧の助動詞「ます」の命令形の「ませ」と「まし」…子供の頃、「まし」という言い方をする女性がいたのを覚えていますが、今では死語になりつつありますね。

確か、映画「男はつらいよ」のおばちゃんが、店先で「寄ってらっしゃいまし」と言っていたと記憶しています。「ませ」ほどにはヨソヨソしさがなく、親しみを感じる言葉に感じます。接客用語としては、「いらっしゃいませ」が全国制覇をなし、「いらっしゃいまし」は絶滅しました。


■誤った語法を垂れ流すメディア。

例えば、…「文大統領が責任持ち対応すべき」 徴用工問題で河野外相…とあります。この「〇〇すべき」という見出しがよく目につきます。

「べき」は「義務」を意味する助動詞「べし」の連体形ですので、正しくは「対応すべし」とするか、「対応すべきだ」としなければなりません。「べし」は如何にも古臭いので「べきだ」の方が妥当でしょう。メディアはたった一文字の字数を省いていますが、その結果、誤った言い方を垂れ流すことになるのは問題です。

もう一つの例…「改憲ありき」…のように、「〇〇ありき」の表記もよく目につきます。

これも明らかに誤りです。「き」は過去を表す助動詞ですので、「改憲ありき」は「改憲があった」という意味になります。ここでは、「初めに改憲ありき」とするのが正しいですね。

これは旧約聖書の、「初めに言葉ありき」の応用から、「初めに結論ありき」の言い方が定着し、それが、「改憲ありき」のように安易で誤った例が流行り出したものと思います。これも「初めに」の三文字を省略したのでしょう。

大した問題ではないかもしれませんが、毎回毎回見せられると目障りになって来ます。

三つ目の例…「佐藤さんの料理への思いが伝わって来ます」…のように、「〇〇さんの思いが伝わる」「思いがこもっている」とか、やたらと「思いが」「思いが」が頻出します。以前は、「〇〇さんの料理へのこだわり」のように、「こだわり」がやたらと使われましたが、こちらがやや衰退するの反比例して「思い」が大流行しています。

「料理への思い」という表現には、何にも内容がありません。意味不明なのです。ただ曖昧で情緒的な雰囲気だけの言葉です。「より美味しい料理をできるだけ安く、という思い」と言えばわかります。

日本語の「思う」「思い」は、「すみません」と同じくらい便利で使いやすい言葉です。日常で頻繁に使われる言葉です。しかし、情報を正確に具体的に伝える役割を持つメディアがこんな安易でいい加減な言い方を何の反省も無く垂れ流すことに、私は少々腹が立って来ます。

ビジネスの場でも、「思い」などと言えば、「何?具体的に言え!」と叱られます。


国会の答弁で、麻生副総理がかつて首相の時、「踏襲」をフシュウと読み、安倍首相が、「云々」をデンデンと読んだことをメディアには笑う資格があるのでしょうか?




2019.05.24 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



フィギュアスケート2題:愚見を少々




回転不足の基礎点引き上げ=フィギュアスケート(5/22 時事通信)

(引用開始)…国際スケート連盟(ISU)は21日、フィギュアスケートで回転不足の範囲が4分の1以上、2分の1未満のジャンプについて、2019~20年シーズンから基礎点の80%を与えると発表した。これまでの75%から引き上げる。

回転不足の判定は18~19年シーズンにそれまでより厳しくなり、ちょうど4分の1回転足りない場合も回転不足となって基礎点が75%になっていた。ISUによると、判定を厳しくしたことで選手が難度の高いジャンプへの挑戦に足踏みするのを防ぐため、回転不足の基礎点を5%引き上げた。

羽生結弦(ANA)が挑むクワッドアクセル(4回転半)は基礎点が12.5点で、回転不足になるとこれまでは9.38点だったが10点に引き上げられる。紀平梨花(関大ク)が得意とするトリプルアクセル(3回転半)も、回転不足になった場合の基礎点が0.4点増える…(引用終わり)。 


ISUは腰が定まらずヨタヨタしていますね。

「判定を厳しくしたことで選手が難度の高いジャンプへの挑戦に足踏みする」と言うけど、昨シーズン、高難度ジャンプの基礎点を大幅に下げ、ジャンプ転倒の減点を大きくしたことも「足踏み」の要因ではありませんか?

しかし、これは想定内のことだったのではありませんか?

回転不足で美しくない高難度ジャンプでも、「跳んだ者勝ち」になる傾向を抑制し、よりジャンプの完成度やプログラム全体の完成度を高め、これを評価する方針があったからではありませんか?

回転不足ジャンプを「救済」することは、この方針とは反対のことではありませんか?

採点結果では、わずか5%の違いであっても順位に影響することは珍しく無いのです。

そもそも、10年くらい前までは回転不足ジャンプはダウングレード評価され、4回転ジャンプは3回転ジャンプとみなされ、3回転は2回転とみなされ、なおかつ、減点評価を受けるという二重減点でした。

これはちょっと選手達に酷で、高難度ジャンプへのモチベーションを著しく下げるというので、アンダーローテーション(回転不足)というシステムを新たに導入しました。これ自体が一種の「救済」でした。

そこへ更に、減点幅を小さくするというのは二重の救済ではありませんか?

回転が足りず正しく降りないジャンプをする選手達を救済するとなれば、きちんと回転し美しいジャンプを跳んでいる選手達がバカを見ることになりませんか?

私はむしろ、回転不足ジャンプはもっと減点した方が良いとさえ思っています。基礎点の65%くらいで良い。

もう一つ言えば、ルールの大幅改正による不慣れもあり、昨シーズンでは試合毎の回転不足の判定やGOE(出来映えによる加点・減点)の採点に関し、審査員によるバラツキが目立ったと思いますので、ISUにおかれましてはこちらの方をより厳正に統一されるようお願いいたしますm(__)m。


●紀平梨花選手新フリースケーティングか
こちらです

冒頭に4回転サルコウとトリプルアクセル+ダブルトゥループを跳んでいます。

さらに、上半身を大きく使ったダイナミックなステップシークエンス。カメラが近いので、一つ一つ踏むステップ・ターンがいかに伸びやかで、(恐らく)正確であるかが良く見てとれます。

動画の2分17秒から、上半身を左右にクネクネさせるユーモラスな動きがありますが、これも振り付け?

来季にはロシアから4回転ジャンプを跳ぶ女子選手がシニアに参戦する予定とか。女子もいよいよ4回転ジャンプ・トリプルアクセル無しではトップに立てない時代に突入することになりそうですね。※

来季は17才のスケーターとして戦う紀平選手。そう、浅田真央さんが世界選手権で初優勝したのも17才でした。安藤美姫さんが初優勝したのは18才でしたか。前回の世界選手権でメダルに届かなかったのは残念でしたが、むしろ戦いのバネとなって紀平選手のモチベーションが高まっているものと信じます。

もちろん、紀平選手は2022年の北京五輪での優勝を目指しています。その時の年齢は20才か。女子は長野五輪以来、金メダルは十代の選手が圧倒的に有利?なのですが、果たして紀平選手が久しぶりに二十代の金メダリストになるかどうか。彼女なら可能性はありそうです。


女子トップ選手の低年齢化とアクロバットな大技が増える代わりに、「女性らしい優雅な演技が影をひそめてしまう」との懸念や批判は当然起きます。これはかつて女子体操でも言われたことです。つまり、モントリオール五輪で十四才のコマネチ選手が圧勝して以来、この流れは止まらず定着しました。

フィギュアスケートの場合は体操とはちょっと異なり、「スポーツ性と芸術性の融合」みたいなことが謳われて来たので、より懸念と批判は大きくなるかもしれません。




2019.05.23 | | コメント(5) | トラックバック(0) | フィギュアスケート・ネタ関連



メディアの欺瞞性と批判精神の喪失:愚見を少々




「東京都少年サッカー、夏の公式戦禁止 異例の熱中症対策」(朝日新聞:2019年05月19日)

8月末までのほぼ全試合にあたる500試合以上を9月以降に延期。気温などの条件を満たす場合だけ特別に許可した。

(引用開始)…夏の猛暑に備え、東京都少年サッカー連盟が今年から7、8月の公式戦を全面的に禁止する。昨年までは小学5、6年生の全国大会までつながる約600試合が組まれていた。同連盟の吉実雄二委員長は「試合をこなすことよりも子供の命、安全が大切だ」と話し、区や市の大会も7、8月の開催を避けるように要請している。

熱中症対策で一律に公式戦の開催を禁じるのは、サッカー界に限らず異例の取り組み。日本サッカー協会ではかねて選手の年代を問わず、体調面を考慮して夏の公式戦の在り方が議論されており、今回の都少年連盟の決定は先駆的な事例となる。大学サッカー関係者も関心を示しているという。

都少年連盟には小学1~6生の約3万6千人、803チームが登録。都道府県別で全国最大規模となる。昨年は各チームに熱中症への注意を促した上で7月に公式戦を実施したが、同月中旬に小学6年生が熱中症を起こし、管理責任を問う苦情が寄せられた。その後、「注意喚起をしても事故が起きては意味がない」(吉実委員長)との問題意識から、8月末までのほぼ全試合にあたる500試合以上を9月以降に延期。気温などの条件を満たす場合だけ特別に許可した…(引用終わり)。


●東京都少年サッカー連盟による当たり前の取り組みを、「異例」と書く朝日新聞の異常さ!

少年サッカー界がようやく重い腰を上げたと言えるでしょう。これはサッカーに限らず、野球等、野外で行われる団体競技にも広げるべきだと思います。そして、小学生に限らず、中学高校にまで広げるべきと思います。

そう、夏の甲子園を主催する朝日新聞にとっては、今回の都少年連盟の取り組みは「痛い」お話でしょう。もちろん、朝日は夏の甲子園を秋にずらすなど夢想も出来ぬことであろうし、来年の夏の東京五輪についても、「稼ぎ時」とばかりに大はしゃぎしているのだから。

それゆえ、記事全体がどこか他人事のようであり、「異例の取り組み」という、ややもすればネガティブにも受け取れるような言い回しになったのでしょう。ただし、「先駆的な事例」と書いた箇所に、朝日の最小限の「良心」が辛うじて込められていると見えなくもないですが。

「試合をこなすことよりも子供の命、安全が大切だ」は大いに賛成ですが、中学高校生だって子供でしょう?いや、大人だって命の価値に変わりはありません。本当は、大学生であれ社会人であれ、オリンピックであれ、大人も子供も選手達の命の価値は同じはずです。

朝日新聞はそこまで踏み込んだ記事は書かない。いや、書きたくないし、書けないのでしょう。

これもまた、メディアの欺瞞性と危うさを示すサンプルと思います。


●もう一つ、メディアの危うさを示す例。

大阪府にある古墳群、いわゆる、百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)が世界遺産に登録される見通しになったとのニュースが流れました。

たまたま日本テレビのニュースを見たら、アナウンサーが繰り返し繰り返し、「仁徳天皇稜」と、無条件で連呼していたのには唖然とさせられ、怒りすら覚えました。

ご存知のように現在は、「仁徳天皇稜」を「伝仁徳天皇稜」もしくは、「大山古墳」と呼ぶのが「常識」です。なぜなら、「大山古墳」に限らず、日本の古墳は一部の例外を除き、そのほとんどは誰が埋葬されているか不明だからです。仮に、「仁徳天皇稜」と呼ぶにしても、宮内庁で比定した名称とは別に、実際には誰が埋葬されているかは不明とされている、くらいの補足は絶対に必要です。さもないと、視聴者の中に本気で、「仁徳天皇が埋葬されているのだ」と信じる人がいるかもしれません。テレビの権威というものは根強いですから。

しかも、「仁徳天皇」が実在したかどうかは100%定かとは言えないのです。

日本テレビ以外では、共同通信が「仁徳天皇稜」と書いていたらしい。

教科書でも「大山古墳」の名称が用いられているというのに、メディアがいまだに、「仁徳天皇稜」と呼び続ける…メディアが宮内庁の比定した名称を無批判に垂れ流すことに、私は非常な危惧を覚えます。

さらには、連日のように垂れ流される天皇称賛の報道や記事。

ことほどさように、日本のメディアが「権威」に対し批判的精神を失いつつあります。

これは極めて危険な兆候です。


地元の大阪堺市の人が、「仁徳天皇稜」と呼ぶくらいは構わないと思います。




2019.05.21 | | コメント(7) | トラックバック(0) | 政治・社会



天皇制・韓国・丸山議員のこと:極少数意見です






新時代新時代って、ウルセエよ。

■天皇制は自然消滅の道を歩む。これで良い。

●安倍政権とそれを支持する右翼論者の主張する、「天皇は男系の男性のみ。女性天皇も女系天皇も女性宮家もダメ」の通りで行けば最短で天皇制は消滅する。「旧皇族の復帰案」は現実には絵空事※に過ぎないし、国民の多数が認めやしない。つまり、男系男性の天皇制度はいずれ自然消滅するしかない。

そう。自然に任せてしまう、というのは、いかにも日本的特性ではないだろうか?


長い間、一般国民としての自由と権利を知った旧皇族が今さら不自由極まりない天皇になりたいと思うだろうか?大昔ならともかく、現代において天皇の地位は「うま味」のあるものでは決してなかろう。しかも、本人だけでなく家族までも巻き込むことになるのだ。万が一、天皇候補として皇室に復帰する人が出たとしても、一般国民として過ごした時代に関わった組織と多くの人間がいて、週刊誌の格好のネタ元になるであろうことは火を見るより明らかだ。天皇にスキャンダルは致命的だ。過去の天皇は最初から密室の皇室で育ったからこそスキャンダルから逃れているのだ。

日本は西洋式の「革命」も、中国式の「革命」も過去一度も無かった国だ。国民が蜂起して国をひっくり返すことも無かったし、天皇を廃止にするか、自らが天皇になろうとした例も無かった。

※ 
明治維新は「日本流の革命」と無理矢理に唱えることは出来るが、「王政復古」の革命って、如何にも変だ。


織田信長や足利義満が天皇になろうとしたとの仮説は歴史界で認められていないようだ。


●「女性天皇や女系天皇を認めないのは女性差別だ」は、問題を履き違えた論理だ。

そもそも天皇制が道理に反する身分制度なのだ。国民の税金で飼われた「籠の中の鳥」が天皇制・皇室制度だ。女性天皇を認めるということは、元々女性差別が根強く残る日本において、その女性に二重・三重の苦しみを与えることになる。トンデモ無いことである。

女性天皇になることは、結婚は諦めなさい、との最後通告を受けるようなものだ。これもまた不幸だ。過去に、内親王から天皇になった女性は全て独身のまま生涯を終えている。古代の元正天皇しかり、称徳天皇しかり、江戸時代の明正天皇・後桜町天皇しかり。それはそうだろう。ましてや、現代において女性天皇又は天皇になるかもしれない内親王とあえて結婚しようとする男性をあなたは想像出来るか?

伴侶もなしで、一人で女性天皇の役割を担おうとすれば、超人的な精神力が必要ではないだろうか?過去には鈍感でノー天気で低能な「バカ殿」ならぬ「バカ天皇」もいたかもしれないが、現代ではおバカは天皇にはなれないだろう。さりとて、普通の神経ではとても耐えがたいと思う。もちろん、私は新天皇の長女を思い浮かべている。

現在、国民の多数が女性天皇を認めてるらしいが、考え直した方がよい。


●思えば、第一次世界大戦、第二次世界大戦で敗戦した「君主制の国」はことごとく君主制が廃止になった。ドイツ、オーストリア、トルコ、ロシア、少し事情は異なるがイタリアも。

この点、日本はアメリカのお陰?で天皇制は辛うじて廃止にならずにすんだ。これは日本にとって本当に良かったのか悪かったのか、私は良く分からない。

本来は敗戦直後に天皇制が廃止になるところを助かったとしても、天は、「猶予は十分に与えた。もう、そろそろこの辺りで終わりにしてよかろう」と決めたのかもしれない。天の定めかな。


■韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はこのまま対日本強硬路線を貫くべし。おバカ日本政治家とおバカ知識人とおバカ日本国民をどんどん怒らせ、逆上させるが良いと思う。

ガチで大喧嘩をし、大騒ぎし、スッタモンダし、発狂するくらい徹底してやれば、そこから何かが得られるかもしれない。もちろん、戦争はいけませんよ。ま、やりたくても出来ないと思うけど。

私は文大統領を支持する。国内政策では色々と問題もあるようだが、対日本、という点では支持する。過去の日本の「大罪」を直視せず、うやむやにしたり、正当化しようとする動きが強い日本には良い劇薬になる。

慰安婦問題にせよ、徴用工問題にせよ、植民化の問題にせよ、そもそもの原因は日本側にあったのだ。

北朝鮮について、日本は文大統領(とトランプ大統領)のお陰を被っている。一つは北朝鮮が長距離弾道ミサイルの実験や核実験を中止したこと、もう一つは日本の拉致問題の話し合いへの可能性が出たこと。

この2つについて、安倍政権は何も出来ず、ひたすら、「対話の為の対話は無意味」と叫ぶ以外に何の能もなかった。それが今になって安倍首相は、「金正恩委員長と無条件で会う用意がある」と、コロッと考えを変えた。

かかる情勢の変化には文大統領のお陰を被っているとは、日本のメディアも知識人も一切言わず、ひたすら文大統領を非難している。まあ、口が裂けても「文大統領のお陰で」などとは言えないのだろう。

「韓国人はすぐに頭に血が上る民族だ、ヒステリックな民族だ」と日本人はみなすのかもしれないが、私に言わせれば、「それは日本人の方ではないか?」と言いたくなる。

韓国を非難するのは自由だが、一部の外国人に「日本は素晴らしい」などと言われてノボセテいる暇があれば、少しは自国の問題を自省的に見た方がよろしかろう。

「夜郎自大」という言葉は、日本人にこそ当てはまりそうだ。


■丸山穂高議員は、「(島を取り戻すには)戦争しないとどうしようもなくないですか」発言を撤回すべきではなかった。断固、主張を貫くべきだった。

彼は真実を語ったのである。つまり、北方領土問題をロシアとの話し合いの綺麗事だけで解決出来るハズがない、と言いたかったのだ。これは間違ってはいない。外交とは、力関係なのだから。

ただ、丸山議員には自らの信念を貫く覚悟も勇気もなかった。だったら、最初からそんな発言をするな!となる。こうなれば、何を言ってもムダだ。「戦争を知らぬボンボン育ちの若造が大言壮語しやがって!」「どうせ、戦争になれば丸山議員は真っ先に安全地帯に逃げるんだろうね」等々、非難轟々となるのは当然である。



●丸山議員の辞職勧告決議案を出す野党のマヌケぶり。丸山議員の発言よりも深刻。

不正や犯罪を犯したならともかく、戦争発言の一発で辞職か?これは政治家の発言の自由度を著しく狭くする害が大きい。野党は自分で自分の首を絞めることになりかねない。本音はどうであれ、この点については自民党の慎重意見の方が正しい。他の国ではどうなのだろうか?

ある国会議員が何かの会合で、「日本は核武装した方が良いと思う」と言ったら辞職か?「竹島を取り戻すには自衛隊の力が必要だ」と言ったら辞職か?


いずれにせよ、こんなことを言う私は超少数派なんだろうね。



2019.05.18 | | コメント(28) | トラックバック(0) | 政治・社会



人の顔がマヌケに見える時・3題




●新天皇の即位を祝う一般参賀で、4時間も並んで待っている人達の顔がマヌケに見える。

わずか5分程度の新天皇・皇后の顔見せの為に4時間もボーっと待ち続ける人達の顔が映し出されていました。私にはこの人達の顔がどうしてもマヌケに見えて仕方有りません。

もちろん、個別には立派な人もいるのでしょう。真面目にコツコツと働いている人もいるのでしょう。人生の荒波を乗り越えて来た人もいるのでしょう。それが不思議なことに、ここではマヌケに見えるのです。

そんなにまでして新天皇・皇后のお顔を拝みたいですか?何がそんなに有りがたいのか、喜ばしいのか、感激出来るのか、私には全く理解の出来ぬことです。例えてみれば、自分の好きな芸能人やスポーツ選手を一瞬でも見たいと、わざわざ遠くの空港まで出かけて待ち続けるファンと同じ心理でしょうか。


●団体旅行で旗持ちのガイドを先頭にゾロゾロと歩いている旅行者の顔がマヌケに見える。

そもそも、旅とは自分で時刻表や地図や案内書を見、調べ、計画し、宿を選び予約し、必要な電車の切符を買い、飛行機の搭乗手続きをし、あくまで自分の意志で歩くものでしょう?全ておんぶに抱っこで、団体で操り人形の如く歩いている姿は見ている方も恥ずかしくなります。ただし、旅慣れぬ老人には良いとは思います。


●街中でテレビのインタビューに応えている人達の顔がマヌケに見える。

別に可笑しい話題でもないのに、なんで、ケラケラ笑いながら応える人が多いんでしょうね?しかも、応え方がまた幼児的というか、かん高い声で舞いあがったような話し方をする。老若男女を問わず。結果、酷く低レベルな人間に見えてしまいます。普通の表情と声で普通の話し方で応えればいいでしょうに。これって、日本人の特徴なんでしょうか。

特に、元号が「令和」に変わり、その関連でのインタビューが目につきましたが、これに応える人達の顔は特にマヌケに見えましたね。なにか、こう、エラク軽薄な人間の顔に見えました。その中には、「新元号が令和と決まり、絆を感じます」と応えていた人がいまて、私はげェッ!と、吐き気すら覚えました。

「流れに乗り遅れまい」とする人間の姿というよりも、「流れのままに流されたい」とする人間の醜悪な姿を見る思いがしたからかもしれません。

世の中、色々な人がいて、色々な意見があって良いのだけど、私は、上の3つの例のような人間にはなりたくないですね。親しい友人でも上のような行為の瞬間は嫌いだわ。

いや、そういう私も、他人の目には、ずいぶんとマヌケ顔に見えている時があるんだろうな(-_-;)




2019.05.12 | | コメント(13) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



テレビ…クズ、カス、ムダ、バカの見本市だ




●テレビを見るとバカになるのではない。テレビそのものがバカの見本市なのだ。

おそらく、少なからぬ視聴者はこのような認識を持ってテレビを見ていると思うのだが…どうだろう?

朝の8時から夕方まで放映されるニュース&バラエティの番組の低劣さ、愚劣さ。登場するコメンテイター達の下らぬコメントの数々。テレビ局がいつまでも果てしなく貴乃花を取り上げる例に象徴される低レベルな内容。夜の報道番組もまた、毒にも薬にもならぬコメントしか言えない司会者がいて、その隣にデク人形の如くアシスタント女性が座っている。

コメンテイターがバカでも通用する証拠に、芸能人※が偉そうに政治・経済・歴史等について知ったような能書きを並べて平気な顔をしている。もちろん、問題は芸能人よりも彼等・彼女等を報道番組で使うテレビ局の方にある。

テレビドラマは例によって十年一日のごとく、バカバカしいものばかりが並び、バラエティは「日本って凄い系」の自慰番組※を垂れ流す破廉恥ぶり。日本に来た外国人の中から、日本を誉める例だけを紹介すれば、視聴者が「そうか!日本って凄いんだ!」と思うのか?

逆に、日本を貶す外国人の例だけを紹介する、「日本って、酷いね系」番組を企画したらさぞかし面白いだろうと私なんかは思う。街並みの雑然とした汚らしさや、騒音の酷さや、見苦しい看板の乱立を紹介したり、企業内では一般社員や女性社員が如何に時代遅れな扱いを未だに受けているか、その一方で、日本人女性のレベルの低さ等、日本に来て、日本で生活をしている外国人にばんばん批判させたら面白いだろう。

※皮肉なことに、「日本って凄い」番組を見ると実は、日本が素晴らしいのではなく、日本の文化や慣習を真剣に学ぶ外国人の素晴らしさが浮き彫りになっている。もちろん、それだけの優秀な外国人を選りすぐって取り上げるからでもあろうが。


●これまで皇太子であった時にはどちらかと言えば皇太子夫妻に批判的で秋篠宮夫妻には好意的だったメディアが手のひらを返したように新天皇夫妻を持ち上げ出す。なんたる破廉恥さ。そして、「令和」「令和」と、バカの狂騒曲の騒音を垂れ流す。バカが狂うのだから始末に負えない。

●テレビ局が憲法国民投票のCM規制案に対し、表現の自由をタテに反対した。本音は金欲しさに報道の「公平性」を無視し、安倍自民党政権の「改憲CM」をじゃんじゃん放送するんだよ。

これこそまさに、テレビの欺瞞性・偽善性を如実に表わしていると思う。

前にも書いたが、テレビ局の一つや二つ倒産しても国民はちっとも困らない。むしろ、テレビ局に真の反省を迫る為にも倒産した方が良い。一般企業の中には経営者が真剣に顧客第一主義を打ち出したり、社内環境の改善に取り組んでいる例も少なくない。その背景には、アクドイ商売や劣悪な社内環境を続けていれば企業は倒産すると知っているからだ。倒産を知らないテレビ会社は反省が無い。私としては、欺瞞性・偽善性という点で最悪なテレビ朝日はつぶれたら良いと思う。安倍政権はテレ朝が嫌いみたいだから、何のかんのと「因縁?」をつけて営業停止に追い込んだらどうか?


●以上の「極論?」に対しては、「テレビにも良い点はある」「良い番組もある」「それでも利用価値はある」との反論もあろう。しかし、そのような「常識?」を言ってみても、虚しくないか?


●「NHKから国民を守る党」の候補者が統一地方選で何人も当選したそうだ。

私はまだこの党のことは良く知らないが、ある意味、国民の本音を知っている集団かもしれない。NHKだけでなく、民放からも国民を守る党にしたらどうか?


☆私はNHKの衛星放送で1時間毎に10分放映される「BSニュース」を見ている。
ニュースはこれで十分だ。後は新聞とネットで間に合う。1時間以上の報道番組での司会者やコメンテイターの愚にも付かぬ能書きや長々としたおしゃべりは不要だ。私は能書きやおしゃべりよりも、事実と事実に基づく見通しだけを知りたいのだ。能書きを並べる時間があればもっと様々なニュースを知らせて欲しいのだ。

☆BSフジで夜8時から放映される「プライムニュース」は時々見る。
右翼系の番組で事実、そちら系の知識人や論者が良く登場する。私とはかなり違う認識・人生観・歴史観の人達の意見やその欠陥を知る上で参考になるので、時々見る。

先日も櫻井よしこ刀自が登場し、韓国を蹴っ飛ばせ!と、例によって勇ましい意見を述べていた。よしこ刀自は年齢はおいくつになったのかな?とにかく意気軒昂で若い。この点は「尊敬?」に値するか。あの声と話し方はジンマシンが出そうになるが、どうにか私も免疫?が出来たようだ。

※もちろん、芸能人に対する私の「偏見」もあるかもしれない。
私の経験上では、「尊敬出来るまともな芸能人」は少ないと思っている。逆に言うと、まともな人は芸能人にはならない。芸能人と堅気の人間とは別世界の人間である…これ自体が私の偏見かもしれない。



2019.05.12 | | コメント(11) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



スマホは学力を破壊する?:愚見を少々




「スマホが学力を破壊する"これだけの根拠:3時間触ると2時間の勉強がムダに」
記事はこちら

う~ん。。。それはどうかなあ。。。

例えば、電車の中で多くの人が、老若男女を問わず、じっとスマホをやっているのを見ると、何やら異様な感じを受けることはあります。依存症になっている人もいるでしょうね。スマホに使われている状態。

では、携帯電話の時はどうだったの?と聞きたくなります。携帯に3時間触ると2時間の勉強がムダになる、との科学的データがあり、通説となっているのでしょうか?


●学力の低下といえば、依存症になりがちな項目として、

①テレビを見ていると学力が低下する。(ラジオもあった?)

②漫画を読むと学力が低下する。

③ファミコン(テレビゲーム)に夢中になると学力が低下する。

等々、

過去にも同じような「学力低下の犯人」を槍玉にあげて来た歴史があります。


しかし、

これらのいずれについても、学力低下との「因果関係」が立証されたとの「学説」を寡聞にして知りません。


●そういえば、テレビゲーム流行の時代には、「ゲーム脳」になると学力が低下するとの「学説?」があったように記憶していますが、あれはその後、どうなりましたっけ?

私の学生時代にもテレビゲームに夢中になっているクラスメートはいましたが、それが原因で学力の低下があったとは限りませんでしたね。人によってマチマチだったと思います。



●音楽好きや文学好きは学力低下をもたらすのでは?

ロック・ポップス・クラシック等の音楽に夢中になり、学力が低下した例は見たように思うなあ。レコードやラジオで聴いているとあっという間に時間が経ってしまいます。

私も音楽は良く聴くし、なおかつ、中学校時代には早くも活字中毒の傾向が現れ、赤川次郎や「赤毛のアンシリーズ」とか読みだすと止まらず、確かに成績が落ちた記憶があります(^_^;)


もう一つ、スマホも携帯も無かった時代に、女の子特有の「友達との長電話」がありました。私もありましたが、1時間~2時間も延々とおしゃべりをするのです。「電話依存症」か(^o^)

これも、学力低下の原因になっていたのでしょうか?


●結論:つまりは、学力低下との因果関係は証明できない。


①勉強時間がどれくらいあるのか。

②学校・家庭における学習環境がどうなのか。

③そもそも、勉強嫌いなのか、勉強が好きか。

④頭の良い人はテレビゲームやスマホに夢中になろうが、学力は低下しないのか。

⑤睡眠時間はどうなのか。

学生の学力といっても、こうした様々な要因が絡み合っているものですから、これが原因だ!と決められるものは無いのではないでしょうか?

それに、学力とは、そもそも偏差値だけで全て測定出来るものでしょうか?

平凡な結論ですが、

自宅(学習塾も含む)での勉強時間が極めて少なくなってしまえば、そりゃあ、成績は落ちる可能性が高くなるでしょう。言えることはこれくらいではないでしょうか。

スマホでもテレビでも音楽でも、要は、「依存症」の程度にもよるでしょう。

極端な例を以て、「学力低下の原因」とみなしても、社会的価値があるのか疑問です。





2019.04.24 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



日本人観光客減る:私も京都に行かなくなったくらいだから




「4年連続で減少、日本人の「京都離れ」が始まった根本原因」
記事はこちら

そりゃそうでしょうよ。
下の写真を見てよ。これで祇園の花見小路に行く気分になれますか?

6.jpg


私は10年以上に渡って毎年京都市内(比叡山も必ずお参りした)を中心とした旅行に行ってきましたが、5年前くらいからピタッと行くのを止めました。四条河原町の先斗町を歩いていたら、私の前も後ろも外国人観光客だらけ。日本人はわたしだけか?って感じ。しかも、彼等は大声でしゃべりまくり、煩いのなんのって。

街中はまだ良い。しかし、寺院の境内に入っても大声でしゃべりまくるのには心底、閉口しました。

あれは10年前の5月だったかしら。特別公開されていた東寺の塔頭にお参りした。そこに小さな庭があり、静寂さに包まれていました。観光客はほぼゼロ。そして、いわゆる鹿威しの「コーン」という音が快く響き、わたしは思わず座禅して瞑想をしたくなりました。忘れられない思い出です。

おそらく、少なからぬ日本人観光客の期待するものは、このような静かさの中での寺院のお参りではないでしょうか。金閣寺や銀閣寺をお参りして失望するのは喧騒とした混雑にウンザリするからです。金閣寺など私には商業施設にしか感じなかった。実際、大して見応えも無い所だけどね。日本庭園であれば、他にいくらでもあります。

少し話は脱線しますが、以前に京の寺院の悪口を書いたことがあります。
こちらです

宿の予約が取れない程混むようになれば業者は宿代を値上げする。ったく商人というのは悪い奴等だ。しかも、たいていの宿の食事はお世辞にも美味しいとは言えない。

観光地にある食堂・レストランの酷さは思い出すだに腹が立つ。嵐山近くの食堂で「天重」を頼んだら、驚くなかれ!びちゃびちゃに濡れた天ぷらにびちゃびちゃに汁が溜まっているご飯。もう、不味くて私は半分残しました。これで1000円とはふざけんじゃねえぞ!お客をバカにしやがって!と思いましたね。

南禅寺近くの「湯豆腐料理」だって、別に、大した味ではありません。気どっているだけ。これで2000円と来た。たかが豆腐ですよ!従業員は和服を着ていかにも雰囲気を出していますが、アホくさ。

京都市に行ったら、街中か駅ビル内の普通のレストランに入った方がよほどマシです。もちろん、美味しい京都料理を提供する店もあるでしょう。それは、何万円も払っての話。

こうして京都に行く度に、京都に対する印象は悪くなりました。そこへ外国人観光客が押し寄せて来れば、もう京都はいいや、となります。その代わり、奈良(東大寺や興福寺は除く)や特に飛鳥にはまた行きたい。

分かってる。私の偏見や誤解がかなりあるであろうことも。


飛鳥の廃墟のような寺院跡や古墳などは古代史を知らない外国人には面白くも何ともないでしょうから、今もおそらく比較的静かでしょう。山の辺の道をもう一度歩いてみたい。貸自転車で飛鳥を回りたい。

しかし、本当は、わたしは京都にも行きたいのです。
寺院ではなく、寺町通りや他の裏道のように生活感のある所を歩き、お店をひやかしたり、小さなお寺や神社にお参りし、喫茶店で珈琲を飲みながら読書したり、店長を質問攻めにする。これがいい!

もっと贅沢をするなら、個人タクシーを呼んで観光化していない見所を案内してもらう。なんせ、商売とは言え、京都のタクシー運転手の知識は相当なものです。「ここだけの話」と、本音も聞かせてくれます。

舞妓さんを呼んで遊ぶとどれくらい費用がかかるか、とか、観光寺院の坊主達の悪さとか、葵祭の「斎王代」の女性候補がどのようにして決められ、どれだけお金が動いているかも、運転手が教えてくれました。


●外国人観光客が増えて儲けているのは宿とコンビニと京都バスとラーメン店か。

賞味期限のある和菓子は買わないでしょう。ばら売りを一個食べる程度。八ッ橋など美味しいと思わないだろうし。もちろん、料理屋には行かず、ラーメン店が主流。それよりもコンビニの安い菓子やサンドウィッチにペットボトルで済ますでしょう。この辺りの「節約」ぶりは見事。もちろん、タクシーは決して使わない。すべて、バスです。さもなくばひたすら歩く。日本人よりも体力がありますからね。御土産屋だって、せいぜい彼等が買うのは安い小物類でしょう。


●ギリシアでは「観光客の横暴さ」に観光地の地元住人が迷惑しているらしい。

京都でも同じでしょう。バスが満員で乗れないとか、普通の住宅地では観光客が煩いと思うでしょうし。また、祇園の舞妓さんが外国人観光客に着物を触られたり、追っかけ回されたりと迷惑しているらしい。※また、置屋とか暖簾があっても門が開いていると平気で侵入して来るらしい。

これは、マナーの問題もあるでしょうけど、認識の違いや行動習慣の違いも大きいのではないでしょうか?例えば、相手に触れることは、日本人よりも普通にすることでしょう。握手したりハグしたりが普通な人達には。

私も含め、「観光に来られる側の迷惑」というのを、心に留めておかなければいけませんよね。

問題は京都自治体の無為無策にあるのではないでしょうか。



はるばる外国から京都に来て、祇園でじっと舞妓が現れるまで待ち続け、ようやく現れた舞妓を見たら、ハシャギたくなる気持ちも分かりますね。日本人観光客にも、そういう人がいますから。

外国人観光客の間でも、芸妓より舞妓の方に人気が集まるようですね。だらりの帯に飾りを多く見に付けた愛らしい姿に目が止まり易いということでしょうか。

「幼いジャパニーズゲイシャ」に不可思議さや神秘さも感じているのでしょうか。

私が清水寺への坂を歩いている時、いわゆる、コスプレ舞妓、なんちゃって舞妓が現れ、外国人がワッと集まり盛んに写真を撮っていたのを思い出します。



2019.04.22 | | コメント(12) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



現代ものを書く女性小説家:中山可穂は面白い!




私は活字中毒な本好きですが、現代ものを書く女性小説家で私の好みに合うのは少ないです。

つまり、時代ものでもなく、ミステリーでもなく、SFでもなく、いわゆる、現代ものです。

山田詠美、藤堂志津子、江國香織くらいか。桜木紫乃はミステリー系もあるけど挙げておきます。

最近、ブログ友のはぴらき様から、村山由佳と宮下奈都を紹介され、村山由佳の「ダブルファンタジー」や宮下奈都の「羊と鋼の森」が面白かった。


●女性小説家の描く「現代もの」の小説と言えば、

①人妻の不倫の恋
…なんたって、「よろめきドラマ」の中心ですから。昔も今も女性は「よろめきもの」が好物。
大岡昇平の「武蔵野夫人」や三島由紀夫の「美徳のよろめき」はまさしく「よろめきドラマ」の名作。が、男性小説家ゆえ、女性の描き方があまり上手くない。これはもう、女性小説家の得意とする所ではないでしょうか。ラファイエット夫人の「クレーヴの奥方」は女性小説家による古典ですね。

女性の「離婚願望」と「不倫願望」は現実はともかく、深層心理的には間違っていないと思います。

②家庭内の問題を扱うもの
…幸せそうに見える家族にも、一つや二つ、他人には決して言えない「傷」や「恥」や「苦悩」というものがあります。結婚問題もその一つ。中流~上流階級の家庭では、「苦労」は無くとも「苦悩」はあります。例えば、オースティンの「自負と偏見」「エマ」等は古典の名作ですね。

③女性の成長を描く。ビルディングスロマン。
…ロマン・ロランの名作「魅せられたる魂」はその典型。ロランは当時の男性小説家としては女性を上手く描いている方だと思います。女性の成長物語はNHKの朝の連続テレビ小説の定番になっていますね。シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」は名作。最近では、上で挙げた宮下奈都の「羊と鋼の森」が良かった。
それと、私は藤堂志津子の小説が好きなのですが、最近も「プライド」「ひとりぐらし」を読み、一人、たくましく成長して行く女性の姿に感銘を受けました。

④純愛もの
…どこか少女漫画の延長線上にある感じもありますが、やはり、「純愛」という言葉の響きに女性は弱い。女性は何歳になっても、ピュアなものに惹かれます。江國香織の「きらきら光る」とか山田詠美の「放課後の音符」とか。

⑤官能系
…ポルノ小説ではありません。「愛」と「セックス」の問題は立派に今も文学的テーマです。
村山由佳の「ダブルファンタジー」は、いわゆる「ニンフォマニア」のヒロインが登場するのですが、内容的には真摯でして、女性の自立の在り方を必死に問う物語です。

⑥ホモセクシャルやバイセクシャルもの
…同性愛や両刀使い・二刀流の女性や男性を描く。これはもう、中山可穂(中山美穂と間違えやすいの注意)にとどめを刺す。他に松浦理英子も個性豊かな小説家。長編の「親指Pの修業時代」(河出文庫)は、⑥と③の複合した内容。突然ペニスと化してしまった足の親指を持つ一人の不器用な女性が主人公。一見、SFのぶっ飛び物語に思えますが、中味はひたすら真剣も真剣。「性愛」「同性愛」について、ここまで突き詰めて書かれた小説が過去にあっただろうか。

三島由紀夫の「仮面の告白」もこの類に入るかもしれません。

中山可穂さんは自ら同性愛者と公に明かしています。

そもそも自らLGBTと世間に明かすこと自体が大変なことでしょう。同性愛だからこそ、純愛も生まれれば、深刻な三角関係も生まれますし、子供をどうするか?という問題も生じます。

これらは立派に文学的テーマとなり得ますね。

ちなみに、中山可穂の「サグラダ・ファミリア」はこのテーマを真剣に追求した傑作と思います。読者の劣情を満たすようなキワモノ本とは全く違います。

①~⑥に無理矢理分類しましたが、実際は、これら複数の要素が重なっているのが普通ですね。

日本の文壇?ではこの世界の文学に対する評価が低いのではないでしょうか。偏見もあるのでしょうか。松浦理英子も中山可穂も「芥川賞」にも「直木賞」にも選ばれないというのは疑問です。私から見て、彼女達よりもずっと平凡で退屈な小説を書いている人が何人も受賞しているというのに。


いわゆるLGBT…正直に言いますと、私も偏見が全く無いとは言えないと思います。頭では理解したつもりも現実にビアンの人と自然にお付き合い出来るのか。


日本ではLGBTの割合は7.6%とのデータがあるそうです。明かせない人もいるでしょうから実際はそれ以上かもしれません。従業員100人の企業であれば7~8人となります。もしかしたら、あの女子社員はビアンか…と思った人はいましたが、分かりません。相手も私を、もしかしたら…と思っていたかもしれないからです。


nakayama.jpg

●中山可穂の世界

私がこれまで読んだのは、主人公、王寺ミチルの三部作、「猫背の王子」「天使の骨」「愛の国」。長編の「感情教育」、中編の「サグラダ・ファミリア」。宝塚三部作の中の「娘役」。短編集の「弱法師」「悲歌」「花伽藍」です。次に読む予定にしているのが、中山可穂の最長の小説、「ケッヘル」(講談社文庫・上下2巻)です。

王寺ミチルがその典型なのですが、少年的・中性的な風貌でありながら麗しき女性であり、ビアンであり、女たらしであり、演劇オタクであり、少し触れただけで血が吹き出そうな破滅志向人間…ともなれば、それだけで美しい世界。私なんかは読んで身体がカッカと熱くなります。

上の「猫背の王子」の表紙の絵ですが、知る人ぞ知る有名な絵とか。

中山可穂は女性小説家にしては硬質な文体※で、内容は激しくとも語り口は冷静と思います。むしろ、それだからこそ彼女のストーリーがリアリティを持ち、グワーッと噴き上がる情念の熱さを生むのでしょう。どこからか狂気の風が吹き込んで来るような趣きすらあります。

文章と内容のアンバランス…これがたまらない!

で、私、アッと思ったのは、私が語った彼女の小説の特長はノワール小説・ハードボイルド小説にも繋がるものなのだと。不条理な暗黒と絶望から崩壊へと突き進む情念。血の熱さ。それをどうすることも出来ない人間の姿です。大藪春彦、北方謙三、志水辰夫、大沢有昌、花村萬月の系列です。

最近、中山可穂がハードボイルドを書くようになったのも分かるような気がします。

「感情教育」から、印象的な言葉を一つ。中山可穂の信条でしょう。

「愛とはお互いの血を吸って生きることだ。魂は肉体の中にあるのだ」


中山可穂は寡作ですね。硬質な文体との関連がありそうです。


最近では、「レズ」とは言わず、「ビアン」と言う。
「レズ」という言葉は余りに手垢にまみれたので、同性愛者の間では厭われているとか。


松浦理英子も中山可穂も決して、メジャーな女性小説家ではないでしょう。その代り、熱烈なファンもいるらしい。よく探せば素晴らしい小説を書いている例は他にもいくらでもあるのでしょう。

例えば、村田喜代子も気になります。
私の世代ではあまり聞かない名前だし、書店でも目にとまったことがないのです。
しかし、芥川賞を受賞しているのです。どうなんでしょうね。



2019.04.19 | | コメント(14) | トラックバック(0) | 文学



白鵬バッシングもいい加減にしたらどうか:愚見を少々




横綱白鵬の実績は凄い。幕内最高優勝数は42回で歴代最高で第二位の大鵬の32回を大きく上回っています。その他、ウィキを見れば分かりますように、多くの記録で「一位」のオンパレードです。

まさしく大横綱としての実績です。

以前、白鵬が立ち合いで変化をする場面が何度もありました。そこで、相撲関係者は、「立ち合いで変わる注文相撲をとるのは、横綱のすべきことではない。品格にかかわる」との批判がありました。

これには、私も概ね同感でした。「横綱は正面から堂々と受けて立つもの」と思うからです。ただし、「品格」や「品性」のような文言にはひっかかるものがありました。

その後、今度は、立ち合いで「張り差し」をするのは横綱として問題だとの批判が出た。

更には、立ち合いで「かちあげ」をするのも横綱として問題だと言い出した。

最近では、立ち合いで「 白鵬は相手と呼吸を合わせず、常に自分本位の立ち合いを強要し、絶対的優位に立つから勝つ。ずるい。」と言い出した。

いやはや、よくもまあ、次から次へと、白鵬の粗を見つけて来るものです。

これらの批判が正しいのか否か、私には良く分かりません。しかし、ここまで来ると、やたら粗探しをして鬼の首でも取ったような顔して白鵬を叩く人達の大人気無さを私は感じます。

批判の根底にあるのは、
①横綱は「勝てば良い」というものではない。横綱らしいフェアで品格のある戦い方、勝ち方がある。
②卑怯でズルイやり方で勝っていくら実績を積んでも、大横綱とは認めない。

ということらしい。

しかし、相撲関係者がここまで白鵬の立ち合いをいちいち批判する背景には、
①モンゴル出身の横綱が強過ぎるのが、面白くない。
②日本人横綱が長く現れず、ようやく稀勢の里が横綱になった。が、早くも引退。

つまり、モンゴル出身の横綱に対するやっかみ、ねたみがあり、次から次へと粗探しをして白鵬を叩くのではないか。これはもう、一種のイジメというかバッシングではあるまいか?

「品格」なる抽象的・精神的なものを持ち出して白鵬を批判するのも如何なものか。一部の人は、「日本人と違ってモンゴル人は品格の意味も精神も分からないのだろう」、みたいなことを言い出す。※

「モンゴル人の横綱白鵬の優勝42回はズルイやり方で勝っただけ」として、過去の「偉大な日本人横綱」と比較して評価を下げることで、溜飲を下げているのでしょうか。

こういうのを、負け惜しみ、と言うのではないでしょうか。

なんか、みっともない。白鵬ではなく、

彼を叩く側の相撲関係者の方が。それに「便乗する」メディアも。



なお、私は白鵬のファンでもなんでもありません。それどころか、相撲は滅多に見ません。たまたま、スポーツ番組で相撲も出て来ますので、それで知る程度です。

しかし、同じ横綱としては、あの貴乃花よりはずっと「大横綱」と思います。


柔道を見ても分かるように、外国人選手は「勝てば良い」式の柔道がしばしば目につくことがありました。苦し紛れにタックルしたり、一つでも「指導ポイント」で優位に立つと、急に逃げまくって時間オーバーで勝利に持って行く等。

これは戦い方の良し悪しというよりも、勝負に対する考え方の違いがあるのではないでしょうか?

だからと言って、「真の柔道精神とは」を外国人選手に教えてどうなるものでもないでしょう。その代り、柔道のルールは頻繁に変わりますね。足を取りに行くのは禁止されましたし、審判から受けた指導の数で直接勝敗をつけることもなくなりました。しっかりと組んで競う方向に変わりました。

海外の相撲取りが増えつつある現在、「精神教育」みたいなことを言うよりも、相撲も立ち合いのルールを変えればいいと思います。それが出来ないのであれば、海外の人間を断れば良いのです。「日本人」だけでやればいい。

私はそんなことよりも相撲界で絶えない暴力や時代遅れな体質の方がよほど問題かと思います。



最近の「日本って凄い!」の流行の一つなのか、白鵬の問題に関連して、「日本人は戦い方に品格を求める」「武士道の精神」とかを持ち出す人がいるようですが、これについて反論をします。

日本人は「騙し討ち」「闇討ち」のような「卑怯」なやり方を得意として来た歴史がある。しかも、騙し討ちした側は非難されず、騙された側に対する同情もない。

有名な例は、ヤマトタケルによるクマソタケルの騙し討ちですね。しかも、ヤマトタケルは女装して騙し討ちをするという卑劣極まる方法で討った。それでもヤマトタケルは「英雄」扱いです。なんと、討たれたクマソタケルの弟はヤマトタケルを強者として称えながら死んで行くのです。

ここでポイントとなるのは、これが史実かどうかではなく、このような価値観が日本書紀・古事記に記されているという事実なのです。

今流行の室町時代でも、6代将軍の義教が祝宴の席で赤松満祐・教康父子によって騙し討ちにあっています。ところが不思議なことに、赤松父子は不問とされたのです。

個人対個人では、巌流島での宮本武蔵と佐々木小次郎の対決が有名ですね。武蔵はわざと約束の時間に遅れて着き、いらつく小次郎に、「小次郎、敗れたり!」と言葉で嘲笑い、小次郎を討ちました。これも、「武士にあるまじき卑劣なやり方だ」と、武蔵が非難されることはあまりなく、心を乱した小次郎の方の未熟さが非難されるのです。

「勝負は勝てば良い」、さらには、「騙す方より騙される方が悪い」は、日本人の歴史にも脈打っているとも言えます。現代でも、特にビジネスの場では「騙される方がバカ」「嘘を見抜けなかった方が愚か」との価値観が生きている例はいくらでもあります。「信じて騙された私がバカだったのネ」というわけです。

もちろん、これは一面的な見方でしょう。「罠をかける」ことの卑劣さを言うよりも、「罠にハマらない用心」の方が、人生訓として日本人の心にしっくりと来るのかもしれません。

しかし、白鵬をダシにして日本人の素晴らしさを言う連中にはこんなことを言いたくもなります。


仮に、白鵬の立ち合いに問題があるとしても、彼の術中にハマる相手の関取に対する非難は無いんですね。これは、過去の歴史に見る価値観やビジネスの世界の価値観とはかなり違うようです(笑)。




2019.04.19 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



嗚呼ッ、ノートルダム寺院が火災に!




9.jpg

衝撃的でした。テロか!?と思いました。

世界文化遺産のノートルダム寺院はゴシック様式の石造建築だから火事とは無縁と思っていました。しかし、実際には建物の屋根部分の構造には木材が多く使われていたそうですね。

不幸中の幸いで、全焼ではなく再建は…長い時間と多額の費用を要する…可能とか。

しかし、ノートルダム寺院が燃えている映像に多くのフランス人がショックを受け、涙したことでしょう。パリは第二次世界大戦のナチスドイツに占領されたけど、パリの文化遺産は無事に生き延びたという歴史もあります。※

私はテレビや本でしかこの寺院の荘重さや美しさを知り得ませんが、実際に見たらさぞかし圧倒されることでしょうね。フランスのキリスト教の歴史においても、建築文化においても、またここが発祥の地でもあった中世~ルネサンスの音楽の発展の上でも大きな存在ですしね。

私が飛行機に乗れたら、エッフェル塔や凱旋門よりも、真っ先にお参りしたい寺院です。

もしも、これが日本で伊勢神宮や法隆寺が燃えたらショックですよね。木造建築だから火事になったらあっという間に全焼するでしょう。世界文化遺産や国宝の多くが木造社寺ですから防災対策は大変だ。

悪い事を想像するだけでゾッとします。

法隆寺だって壁画が燃えたし、金閣寺の火事は有名。


ノートルダム寺院はパリの象徴でもあるそうですが、我らが東京の象徴は?

残念ながらノートルダム寺院に匹敵するようなものはないですね。歴史的建造物は地震や火災や空襲でほとんど廃墟となって消えましたから。

浅草寺?ちょっと、苦しいな。。。

東日本大震災の時には、ノートルダム寺院は日本語で祈りを捧げてくれたとか。
日本側も支援をしなければいけませんね。



ドイツ軍のパリ市防衛司令官はディートリヒ・フォン・コルティッツだった。
戦況が悪化する中、ヒトラーはパリ死守にこだわった。
そして、
「パリは敵に渡してはならん。さもなくば廃墟とすべきである」
とのヒトラーの指令がコルティッツに下りた。
さっそく、コルティッツはパリ破壊の準備を始めた。
セーヌにかかる橋やノートルダム寺院、ルーヴル美術館、
エッフェル塔といった主要な建物も爆破の対象になる。
爆薬の準備は完了し、あとはゴーサインを待つだけの状態だった。

しかし、結局、爆破が実行されずに終わった理由は諸説あるそうですね。
コルティッツが命令を拒否したとか、
スウェーデンのパリ駐在大使が爆破を止めるようコルティッツを説得したとか。


2019.04.17 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 歴史・文化



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プロフィール

片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、神仏を尊び、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者熟女(四十路半ばを過ぎた)ですが、よろしくお願いします。

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