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「言葉」「表現」のアレコレ:愚見を少々




「見た目は女性だが、心は男性」 女性職員に不適切発言 兵庫県教育長が謝罪(5/21読売テレビ)

兵庫県の教育長が女性職員について、「心は男性」などと不適切な発言をし、謝罪していたことがわかった。

(引用開始)…兵庫県教育委員会によると、西上三鶴教育長は先週、尼崎市で開かれた小学校長会総会で来賓のあいさつに立った際、教育委員会の課長職に就いた女性職員について、「見た目は女性だが、心は男性」という趣旨の発言をした。

その後、出席者から「セクハラではないか」などと批判する声が上がり、西上教育長は後日、女性職員と校長会の幹部に謝罪したという。西上教育長は「能力や魅力を伝える意図だったが、表現が不適切だった。真摯※に反省している」などと話しているという(引用終わり)。


私はセクハラではないと思います。性的いじめ、嫌がらせ、暴言とは違います。西上教育長は、「誉め言葉」のつもりで言ったのだと思うからです。

今回のケースは男女の性差を強調し、固定化する発言として問題なのです。

これがプライベートな場で気軽に言ったくらいなら大目に見られるかもしれませんが、公的な場では問題になります。それにしても、仮にも教育長という立場にある人が、こんな程度の認識で務まるのでしょうか?


悪気は無かった、善意だった、誉めたつもりだった…差別や偏見の恐ろしさは、本人にそのつもりが無くても、いつのまにか口に出してしまう点にあります。意識下にある価値観が露呈してしまうのでしょう。


■男女の性差を強調し、固定化させる言葉の例。

男勝り、女だてらに、紅一点、良妻賢母、未亡人、男のくせに、女のくせに。。。

これらは差別語なのか、不適切語なのか、問題無いのか、言葉狩りなのか、人により意見は様々あるでしょう。しかし、男女の性差を強調し、固定化する表現は公の場では避けられるようになりつつあります。少なくとも、責任の重い立場にある人や、社会的に影響力の大きい立場にある人は避けるべきでしょうね。

私も職場で、ウジウジした男性社員に対し、「女々しい奴」と言い出しかねません(^_^;)


●「めんどくさい世の中になったなあ」と嘆く、男性のボヤキをどう思う?

その気持ち、分からなくも無いです。やれ差別だ不適切だとウルサク言われることもなく、言いたい放題言えた、「古き良き時代?」を懐かしむ気持ちもあるんでしょう。

たまに古いテレビドラマを動画で見ますと、「このキチガイめ!」「オマエはツンボか!」等の、相手を罵倒する言葉で出て来ます。しかし、現在ではドラマだけでなく、私達の日常においても、こうした罵倒は言わないし、言えなくて「めんどくさい世の中だ」とも思わないでしょう。

最初はめんどうと思っても、慣れれば水や空気みたいになるものです。


「真摯に」という表現は、安倍首相や問題を追求された政治家や官僚がやたらと、「真摯に受け止め」「真摯に取り組む」などと言うものですから、随分と安っぽい言葉に下落しました。今や、「真摯に」は、「いい加減に」「おざなりに」という意味に転化してしまったかのようです。「粛々と」も同様です。


■同じく、古い邦画やテレビドラマで使われた言葉使い、表現から面白い例を。

「頼まれちまったのよ」…これは裕福な東京の成城地区に住む女性医師のセリフ。下町ではありません。1970年代の東京の女性で、「頼まれちまった」という言い方をする女性がいたんですね。私は聞いたことがありません。くだけた言い方では、「頼まれちゃった」が普通でしょう。「ちまった」は私の耳には「ちゃった」よりも伝法に聞えます。

「お上んなさいまし」…丁寧な言い方としては現在では、「お上り下さい」「お上り下さいませ」かな。

「およしなさい」「お上んなさい」という言い方は素敵だと思いますが、死語になりつつまります。

丁寧の助動詞「ます」の命令形の「ませ」と「まし」…子供の頃、「まし」という言い方をする女性がいたのを覚えていますが、今では死語になりつつありますね。

確か、映画「男はつらいよ」のおばちゃんが、店先で「寄ってらっしゃいまし」と言っていたと記憶しています。「ませ」ほどにはヨソヨソしさがなく、親しみを感じる言葉に感じます。接客用語としては、「いらっしゃいませ」が全国制覇をなし、「いらっしゃいまし」は絶滅しました。


■誤った語法を垂れ流すメディア。

例えば、…「文大統領が責任持ち対応すべき」 徴用工問題で河野外相…とあります。この「〇〇すべき」という見出しがよく目につきます。

「べき」は「義務」を意味する助動詞「べし」の連体形ですので、正しくは「対応すべし」とするか、「対応すべきだ」としなければなりません。「べし」は如何にも古臭いので「べきだ」の方が妥当でしょう。メディアはたった一文字の字数を省いていますが、その結果、誤った言い方を垂れ流すことになるのは問題です。

もう一つの例…「改憲ありき」…のように、「〇〇ありき」の表記もよく目につきます。

これも明らかに誤りです。「き」は過去を表す助動詞ですので、「改憲ありき」は「改憲があった」という意味になります。ここでは、「初めに改憲ありき」とするのが正しいですね。

これは旧約聖書の、「初めに言葉ありき」の応用から、「初めに結論ありき」の言い方が定着し、それが、「改憲ありき」のように安易で誤った例が流行り出したものと思います。これも「初めに」の三文字を省略したのでしょう。

大した問題ではないかもしれませんが、毎回毎回見せられると目障りになって来ます。

三つ目の例…「佐藤さんの料理への思いが伝わって来ます」…のように、「〇〇さんの思いが伝わる」「思いがこもっている」とか、やたらと「思いが」「思いが」が頻出します。以前は、「〇〇さんの料理へのこだわり」のように、「こだわり」がやたらと使われましたが、こちらがやや衰退するの反比例して「思い」が大流行しています。

「料理への思い」という表現には、何にも内容がありません。意味不明なのです。ただ曖昧で情緒的な雰囲気だけの言葉です。「より美味しい料理をできるだけ安く、という思い」と言えばわかります。

日本語の「思う」「思い」は、「すみません」と同じくらい便利で使いやすい言葉です。日常で頻繁に使われる言葉です。しかし、情報を正確に具体的に伝える役割を持つメディアがこんな安易でいい加減な言い方を何の反省も無く垂れ流すことに、私は少々腹が立って来ます。

ビジネスの場でも、「思い」などと言えば、「何?具体的に言え!」と叱られます。


国会の答弁で、麻生副総理がかつて首相の時、「踏襲」をフシュウと読み、安倍首相が、「云々」をデンデンと読んだことをメディアには笑う資格があるのでしょうか?




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2019.05.24 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



フィギュアスケート2題:愚見を少々




回転不足の基礎点引き上げ=フィギュアスケート(5/22 時事通信)

(引用開始)…国際スケート連盟(ISU)は21日、フィギュアスケートで回転不足の範囲が4分の1以上、2分の1未満のジャンプについて、2019~20年シーズンから基礎点の80%を与えると発表した。これまでの75%から引き上げる。

回転不足の判定は18~19年シーズンにそれまでより厳しくなり、ちょうど4分の1回転足りない場合も回転不足となって基礎点が75%になっていた。ISUによると、判定を厳しくしたことで選手が難度の高いジャンプへの挑戦に足踏みするのを防ぐため、回転不足の基礎点を5%引き上げた。

羽生結弦(ANA)が挑むクワッドアクセル(4回転半)は基礎点が12.5点で、回転不足になるとこれまでは9.38点だったが10点に引き上げられる。紀平梨花(関大ク)が得意とするトリプルアクセル(3回転半)も、回転不足になった場合の基礎点が0.4点増える…(引用終わり)。 


ISUは腰が定まらずヨタヨタしていますね。

「判定を厳しくしたことで選手が難度の高いジャンプへの挑戦に足踏みする」と言うけど、昨シーズン、高難度ジャンプの基礎点を大幅に下げ、ジャンプ転倒の減点を大きくしたことも「足踏み」の要因ではありませんか?

しかし、これは想定内のことだったのではありませんか?

回転不足で美しくない高難度ジャンプでも、「跳んだ者勝ち」になる傾向を抑制し、よりジャンプの完成度やプログラム全体の完成度を高め、これを評価する方針があったからではありませんか?

回転不足ジャンプを「救済」することは、この方針とは反対のことではありませんか?

採点結果では、わずか5%の違いであっても順位に影響することは珍しく無いのです。

そもそも、10年くらい前までは回転不足ジャンプはダウングレード評価され、4回転ジャンプは3回転ジャンプとみなされ、3回転は2回転とみなされ、なおかつ、減点評価を受けるという二重減点でした。

これはちょっと選手達に酷で、高難度ジャンプへのモチベーションを著しく下げるというので、アンダーローテーション(回転不足)というシステムを新たに導入しました。これ自体が一種の「救済」でした。

そこへ更に、減点幅を小さくするというのは二重の救済ではありませんか?

回転が足りず正しく降りないジャンプをする選手達を救済するとなれば、きちんと回転し美しいジャンプを跳んでいる選手達がバカを見ることになりませんか?

私はむしろ、回転不足ジャンプはもっと減点した方が良いとさえ思っています。基礎点の65%くらいで良い。

もう一つ言えば、ルールの大幅改正による不慣れもあり、昨シーズンでは試合毎の回転不足の判定やGOE(出来映えによる加点・減点)の採点に関し、審査員によるバラツキが目立ったと思いますので、ISUにおかれましてはこちらの方をより厳正に統一されるようお願いいたしますm(__)m。


●紀平梨花選手新フリースケーティングか
こちらです

冒頭に4回転サルコウとトリプルアクセル+ダブルトゥループを跳んでいます。

さらに、上半身を大きく使ったダイナミックなステップシークエンス。カメラが近いので、一つ一つ踏むステップ・ターンがいかに伸びやかで、(恐らく)正確であるかが良く見てとれます。

動画の2分17秒から、上半身を左右にクネクネさせるユーモラスな動きがありますが、これも振り付け?

来季にはロシアから4回転ジャンプを跳ぶ女子選手がシニアに参戦する予定とか。女子もいよいよ4回転ジャンプ・トリプルアクセル無しではトップに立てない時代に突入することになりそうですね。※

来季は17才のスケーターとして戦う紀平選手。そう、浅田真央さんが世界選手権で初優勝したのも17才でした。安藤美姫さんが初優勝したのは18才でしたか。前回の世界選手権でメダルに届かなかったのは残念でしたが、むしろ戦いのバネとなって紀平選手のモチベーションが高まっているものと信じます。

もちろん、紀平選手は2022年の北京五輪での優勝を目指しています。その時の年齢は20才か。女子は長野五輪以来、金メダルは十代の選手が圧倒的に有利?なのですが、果たして紀平選手が久しぶりに二十代の金メダリストになるかどうか。彼女なら可能性はありそうです。


女子トップ選手の低年齢化とアクロバットな大技が増える代わりに、「女性らしい優雅な演技が影をひそめてしまう」との懸念や批判は当然起きます。これはかつて女子体操でも言われたことです。つまり、モントリオール五輪で十四才のコマネチ選手が圧勝して以来、この流れは止まらず定着しました。

フィギュアスケートの場合は体操とはちょっと異なり、「スポーツ性と芸術性の融合」みたいなことが謳われて来たので、より懸念と批判は大きくなるかもしれません。




2019.05.23 | | コメント(5) | トラックバック(0) | フィギュアスケート・ネタ関連



メディアの欺瞞性と批判精神の喪失:愚見を少々




「東京都少年サッカー、夏の公式戦禁止 異例の熱中症対策」(朝日新聞:2019年05月19日)

8月末までのほぼ全試合にあたる500試合以上を9月以降に延期。気温などの条件を満たす場合だけ特別に許可した。

(引用開始)…夏の猛暑に備え、東京都少年サッカー連盟が今年から7、8月の公式戦を全面的に禁止する。昨年までは小学5、6年生の全国大会までつながる約600試合が組まれていた。同連盟の吉実雄二委員長は「試合をこなすことよりも子供の命、安全が大切だ」と話し、区や市の大会も7、8月の開催を避けるように要請している。

熱中症対策で一律に公式戦の開催を禁じるのは、サッカー界に限らず異例の取り組み。日本サッカー協会ではかねて選手の年代を問わず、体調面を考慮して夏の公式戦の在り方が議論されており、今回の都少年連盟の決定は先駆的な事例となる。大学サッカー関係者も関心を示しているという。

都少年連盟には小学1~6生の約3万6千人、803チームが登録。都道府県別で全国最大規模となる。昨年は各チームに熱中症への注意を促した上で7月に公式戦を実施したが、同月中旬に小学6年生が熱中症を起こし、管理責任を問う苦情が寄せられた。その後、「注意喚起をしても事故が起きては意味がない」(吉実委員長)との問題意識から、8月末までのほぼ全試合にあたる500試合以上を9月以降に延期。気温などの条件を満たす場合だけ特別に許可した…(引用終わり)。


●東京都少年サッカー連盟による当たり前の取り組みを、「異例」と書く朝日新聞の異常さ!

少年サッカー界がようやく重い腰を上げたと言えるでしょう。これはサッカーに限らず、野球等、野外で行われる団体競技にも広げるべきだと思います。そして、小学生に限らず、中学高校にまで広げるべきと思います。

そう、夏の甲子園を主催する朝日新聞にとっては、今回の都少年連盟の取り組みは「痛い」お話でしょう。もちろん、朝日は夏の甲子園を秋にずらすなど夢想も出来ぬことであろうし、来年の夏の東京五輪についても、「稼ぎ時」とばかりに大はしゃぎしているのだから。

それゆえ、記事全体がどこか他人事のようであり、「異例の取り組み」という、ややもすればネガティブにも受け取れるような言い回しになったのでしょう。ただし、「先駆的な事例」と書いた箇所に、朝日の最小限の「良心」が辛うじて込められていると見えなくもないですが。

「試合をこなすことよりも子供の命、安全が大切だ」は大いに賛成ですが、中学高校生だって子供でしょう?いや、大人だって命の価値に変わりはありません。本当は、大学生であれ社会人であれ、オリンピックであれ、大人も子供も選手達の命の価値は同じはずです。

朝日新聞はそこまで踏み込んだ記事は書かない。いや、書きたくないし、書けないのでしょう。

これもまた、メディアの欺瞞性と危うさを示すサンプルと思います。


●もう一つ、メディアの危うさを示す例。

大阪府にある古墳群、いわゆる、百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)が世界遺産に登録される見通しになったとのニュースが流れました。

たまたま日本テレビのニュースを見たら、アナウンサーが繰り返し繰り返し、「仁徳天皇稜」と、無条件で連呼していたのには唖然とさせられ、怒りすら覚えました。

ご存知のように現在は、「仁徳天皇稜」を「伝仁徳天皇稜」もしくは、「大山古墳」と呼ぶのが「常識」です。なぜなら、「大山古墳」に限らず、日本の古墳は一部の例外を除き、そのほとんどは誰が埋葬されているか不明だからです。仮に、「仁徳天皇稜」と呼ぶにしても、宮内庁で比定した名称とは別に、実際には誰が埋葬されているかは不明とされている、くらいの補足は絶対に必要です。さもないと、視聴者の中に本気で、「仁徳天皇が埋葬されているのだ」と信じる人がいるかもしれません。テレビの権威というものは根強いですから。

しかも、「仁徳天皇」が実在したかどうかは100%定かとは言えないのです。

日本テレビ以外では、共同通信が「仁徳天皇稜」と書いていたらしい。

教科書でも「大山古墳」の名称が用いられているというのに、メディアがいまだに、「仁徳天皇稜」と呼び続ける…メディアが宮内庁の比定した名称を無批判に垂れ流すことに、私は非常な危惧を覚えます。

さらには、連日のように垂れ流される天皇称賛の報道や記事。

ことほどさように、日本のメディアが「権威」に対し批判的精神を失いつつあります。

これは極めて危険な兆候です。


地元の大阪堺市の人が、「仁徳天皇稜」と呼ぶくらいは構わないと思います。




2019.05.21 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 政治・社会



天皇制・韓国・丸山議員のこと:極少数意見です






新時代新時代って、ウルセエよ。

■天皇制は自然消滅の道を歩む。これで良い。

●安倍政権とそれを支持する右翼論者の主張する、「天皇は男系の男性のみ。女性天皇も女系天皇も女性宮家もダメ」の通りで行けば最短で天皇制は消滅する。「旧皇族の復帰案」は現実には絵空事※に過ぎないし、国民の多数が認めやしない。つまり、男系男性の天皇制度はいずれ自然消滅するしかない。

そう。自然に任せてしまう、というのは、いかにも日本的特性ではないだろうか?


長い間、一般国民としての自由と権利を知った旧皇族が今さら不自由極まりない天皇になりたいと思うだろうか?大昔ならともかく、現代において天皇の地位は「うま味」のあるものでは決してなかろう。しかも、本人だけでなく家族までも巻き込むことになるのだ。万が一、天皇候補として皇室に復帰する人が出たとしても、一般国民として過ごした時代に関わった組織と多くの人間がいて、週刊誌の格好のネタ元になるであろうことは火を見るより明らかだ。天皇にスキャンダルは致命的だ。過去の天皇は最初から密室の皇室で育ったからこそスキャンダルから逃れているのだ。

日本は西洋式の「革命」も、中国式の「革命」も過去一度も無かった国だ。国民が蜂起して国をひっくり返すことも無かったし、天皇を廃止にするか、自らが天皇になろうとした例も無かった。

※ 
明治維新は「日本流の革命」と無理矢理に唱えることは出来るが、「王政復古」の革命って、如何にも変だ。


織田信長や足利義満が天皇になろうとしたとの仮説は歴史界で認められていないようだ。


●「女性天皇や女系天皇を認めないのは女性差別だ」は、問題を履き違えた論理だ。

そもそも天皇制が道理に反する身分制度なのだ。国民の税金で飼われた「籠の中の鳥」が天皇制・皇室制度だ。女性天皇を認めるということは、元々女性差別が根強く残る日本において、その女性に二重・三重の苦しみを与えることになる。トンデモ無いことである。

女性天皇になることは、結婚は諦めなさい、との最後通告を受けるようなものだ。これもまた不幸だ。過去に、内親王から天皇になった女性は全て独身のまま生涯を終えている。古代の元正天皇しかり、称徳天皇しかり、江戸時代の明正天皇・後桜町天皇しかり。それはそうだろう。ましてや、現代において女性天皇又は天皇になるかもしれない内親王とあえて結婚しようとする男性をあなたは想像出来るか?

伴侶もなしで、一人で女性天皇の役割を担おうとすれば、超人的な精神力が必要ではないだろうか?過去には鈍感でノー天気で低能な「バカ殿」ならぬ「バカ天皇」もいたかもしれないが、現代ではおバカは天皇にはなれないだろう。さりとて、普通の神経ではとても耐えがたいと思う。もちろん、私は新天皇の長女を思い浮かべている。

現在、国民の多数が女性天皇を認めてるらしいが、考え直した方がよい。


●思えば、第一次世界大戦、第二次世界大戦で敗戦した「君主制の国」はことごとく君主制が廃止になった。ドイツ、オーストリア、トルコ、ロシア、少し事情は異なるがイタリアも。

この点、日本はアメリカのお陰?で天皇制は辛うじて廃止にならずにすんだ。これは日本にとって本当に良かったのか悪かったのか、私は良く分からない。

本来は敗戦直後に天皇制が廃止になるところを助かったとしても、天は、「猶予は十分に与えた。もう、そろそろこの辺りで終わりにしてよかろう」と決めたのかもしれない。天の定めかな。


■韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はこのまま対日本強硬路線を貫くべし。おバカ日本政治家とおバカ知識人とおバカ日本国民をどんどん怒らせ、逆上させるが良いと思う。

ガチで大喧嘩をし、大騒ぎし、スッタモンダし、発狂するくらい徹底してやれば、そこから何かが得られるかもしれない。もちろん、戦争はいけませんよ。ま、やりたくても出来ないと思うけど。

私は文大統領を支持する。国内政策では色々と問題もあるようだが、対日本、という点では支持する。過去の日本の「大罪」を直視せず、うやむやにしたり、正当化しようとする動きが強い日本には良い劇薬になる。

慰安婦問題にせよ、徴用工問題にせよ、植民化の問題にせよ、そもそもの原因は日本側にあったのだ。

北朝鮮について、日本は文大統領(とトランプ大統領)のお陰を被っている。一つは北朝鮮が長距離弾道ミサイルの実験や核実験を中止したこと、もう一つは日本の拉致問題の話し合いへの可能性が出たこと。

この2つについて、安倍政権は何も出来ず、ひたすら、「対話の為の対話は無意味」と叫ぶ以外に何の能もなかった。それが今になって安倍首相は、「金正恩委員長と無条件で会う用意がある」と、コロッと考えを変えた。

かかる情勢の変化には文大統領のお陰を被っているとは、日本のメディアも知識人も一切言わず、ひたすら文大統領を非難している。まあ、口が裂けても「文大統領のお陰で」などとは言えないのだろう。

「韓国人はすぐに頭に血が上る民族だ、ヒステリックな民族だ」と日本人はみなすのかもしれないが、私に言わせれば、「それは日本人の方ではないか?」と言いたくなる。

韓国を非難するのは自由だが、一部の外国人に「日本は素晴らしい」などと言われてノボセテいる暇があれば、少しは自国の問題を自省的に見た方がよろしかろう。

「夜郎自大」という言葉は、日本人にこそ当てはまりそうだ。


■丸山穂高議員は、「(島を取り戻すには)戦争しないとどうしようもなくないですか」発言を撤回すべきではなかった。断固、主張を貫くべきだった。

彼は真実を語ったのである。つまり、北方領土問題をロシアとの話し合いの綺麗事だけで解決出来るハズがない、と言いたかったのだ。これは間違ってはいない。外交とは、力関係なのだから。

ただ、丸山議員には自らの信念を貫く覚悟も勇気もなかった。だったら、最初からそんな発言をするな!となる。こうなれば、何を言ってもムダだ。「戦争を知らぬボンボン育ちの若造が大言壮語しやがって!」「どうせ、戦争になれば丸山議員は真っ先に安全地帯に逃げるんだろうね」等々、非難轟々となるのは当然である。



●丸山議員の辞職勧告決議案を出す野党のマヌケぶり。丸山議員の発言よりも深刻。

不正や犯罪を犯したならともかく、戦争発言の一発で辞職か?これは政治家の発言の自由度を著しく狭くする害が大きい。野党は自分で自分の首を絞めることになりかねない。本音はどうであれ、この点については自民党の慎重意見の方が正しい。他の国ではどうなのだろうか?

ある国会議員が何かの会合で、「日本は核武装した方が良いと思う」と言ったら辞職か?「竹島を取り戻すには自衛隊の力が必要だ」と言ったら辞職か?


いずれにせよ、こんなことを言う私は超少数派なんだろうね。



2019.05.18 | | コメント(23) | トラックバック(0) | 政治・社会



人の顔がマヌケに見える時・3題




●新天皇の即位を祝う一般参賀で、4時間も並んで待っている人達の顔がマヌケに見える。

わずか5分程度の新天皇・皇后の顔見せの為に4時間もボーっと待ち続ける人達の顔が映し出されていました。私にはこの人達の顔がどうしてもマヌケに見えて仕方有りません。

もちろん、個別には立派な人もいるのでしょう。真面目にコツコツと働いている人もいるのでしょう。人生の荒波を乗り越えて来た人もいるのでしょう。それが不思議なことに、ここではマヌケに見えるのです。

そんなにまでして新天皇・皇后のお顔を拝みたいですか?何がそんなに有りがたいのか、喜ばしいのか、感激出来るのか、私には全く理解の出来ぬことです。例えてみれば、自分の好きな芸能人やスポーツ選手を一瞬でも見たいと、わざわざ遠くの空港まで出かけて待ち続けるファンと同じ心理でしょうか。


●団体旅行で旗持ちのガイドを先頭にゾロゾロと歩いている旅行者の顔がマヌケに見える。

そもそも、旅とは自分で時刻表や地図や案内書を見、調べ、計画し、宿を選び予約し、必要な電車の切符を買い、飛行機の搭乗手続きをし、あくまで自分の意志で歩くものでしょう?全ておんぶに抱っこで、団体で操り人形の如く歩いている姿は見ている方も恥ずかしくなります。ただし、旅慣れぬ老人には良いとは思います。


●街中でテレビのインタビューに応えている人達の顔がマヌケに見える。

別に可笑しい話題でもないのに、なんで、ケラケラ笑いながら応える人が多いんでしょうね?しかも、応え方がまた幼児的というか、かん高い声で舞いあがったような話し方をする。老若男女を問わず。結果、酷く低レベルな人間に見えてしまいます。普通の表情と声で普通の話し方で応えればいいでしょうに。これって、日本人の特徴なんでしょうか。

特に、元号が「令和」に変わり、その関連でのインタビューが目につきましたが、これに応える人達の顔は特にマヌケに見えましたね。なにか、こう、エラク軽薄な人間の顔に見えました。その中には、「新元号が令和と決まり、絆を感じます」と応えていた人がいまて、私はげェッ!と、吐き気すら覚えました。

「流れに乗り遅れまい」とする人間の姿というよりも、「流れのままに流されたい」とする人間の醜悪な姿を見る思いがしたからかもしれません。

世の中、色々な人がいて、色々な意見があって良いのだけど、私は、上の3つの例のような人間にはなりたくないですね。親しい友人でも上のような行為の瞬間は嫌いだわ。

いや、そういう私も、他人の目には、ずいぶんとマヌケ顔に見えている時があるんだろうな(-_-;)




2019.05.12 | | コメント(12) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



テレビ…クズ、カス、ムダ、バカの見本市だ




●テレビを見るとバカになるのではない。テレビそのものがバカの見本市なのだ。

おそらく、少なからぬ視聴者はこのような認識を持ってテレビを見ていると思うのだが…どうだろう?

朝の8時から夕方まで放映されるニュース&バラエティの番組の低劣さ、愚劣さ。登場するコメンテイター達の下らぬコメントの数々。テレビ局がいつまでも果てしなく貴乃花を取り上げる例に象徴される低レベルな内容。夜の報道番組もまた、毒にも薬にもならぬコメントしか言えない司会者がいて、その隣にデク人形の如くアシスタント女性が座っている。

コメンテイターがバカでも通用する証拠に、芸能人※が偉そうに政治・経済・歴史等について知ったような能書きを並べて平気な顔をしている。もちろん、問題は芸能人よりも彼等・彼女等を報道番組で使うテレビ局の方にある。

テレビドラマは例によって十年一日のごとく、バカバカしいものばかりが並び、バラエティは「日本って凄い系」の自慰番組※を垂れ流す破廉恥ぶり。日本に来た外国人の中から、日本を誉める例だけを紹介すれば、視聴者が「そうか!日本って凄いんだ!」と思うのか?

逆に、日本を貶す外国人の例だけを紹介する、「日本って、酷いね系」番組を企画したらさぞかし面白いだろうと私なんかは思う。街並みの雑然とした汚らしさや、騒音の酷さや、見苦しい看板の乱立を紹介したり、企業内では一般社員や女性社員が如何に時代遅れな扱いを未だに受けているか、その一方で、日本人女性のレベルの低さ等、日本に来て、日本で生活をしている外国人にばんばん批判させたら面白いだろう。

※皮肉なことに、「日本って凄い」番組を見ると実は、日本が素晴らしいのではなく、日本の文化や慣習を真剣に学ぶ外国人の素晴らしさが浮き彫りになっている。もちろん、それだけの優秀な外国人を選りすぐって取り上げるからでもあろうが。


●これまで皇太子であった時にはどちらかと言えば皇太子夫妻に批判的で秋篠宮夫妻には好意的だったメディアが手のひらを返したように新天皇夫妻を持ち上げ出す。なんたる破廉恥さ。そして、「令和」「令和」と、バカの狂騒曲の騒音を垂れ流す。バカが狂うのだから始末に負えない。

●テレビ局が憲法国民投票のCM規制案に対し、表現の自由をタテに反対した。本音は金欲しさに報道の「公平性」を無視し、安倍自民党政権の「改憲CM」をじゃんじゃん放送するんだよ。

これこそまさに、テレビの欺瞞性・偽善性を如実に表わしていると思う。

前にも書いたが、テレビ局の一つや二つ倒産しても国民はちっとも困らない。むしろ、テレビ局に真の反省を迫る為にも倒産した方が良い。一般企業の中には経営者が真剣に顧客第一主義を打ち出したり、社内環境の改善に取り組んでいる例も少なくない。その背景には、アクドイ商売や劣悪な社内環境を続けていれば企業は倒産すると知っているからだ。倒産を知らないテレビ会社は反省が無い。私としては、欺瞞性・偽善性という点で最悪なテレビ朝日はつぶれたら良いと思う。安倍政権はテレ朝が嫌いみたいだから、何のかんのと「因縁?」をつけて営業停止に追い込んだらどうか?


●以上の「極論?」に対しては、「テレビにも良い点はある」「良い番組もある」「それでも利用価値はある」との反論もあろう。しかし、そのような「常識?」を言ってみても、虚しくないか?


●「NHKから国民を守る党」の候補者が統一地方選で何人も当選したそうだ。

私はまだこの党のことは良く知らないが、ある意味、国民の本音を知っている集団かもしれない。NHKだけでなく、民放からも国民を守る党にしたらどうか?


☆私はNHKの衛星放送で1時間毎に10分放映される「BSニュース」を見ている。
ニュースはこれで十分だ。後は新聞とネットで間に合う。1時間以上の報道番組での司会者やコメンテイターの愚にも付かぬ能書きや長々としたおしゃべりは不要だ。私は能書きやおしゃべりよりも、事実と事実に基づく見通しだけを知りたいのだ。能書きを並べる時間があればもっと様々なニュースを知らせて欲しいのだ。

☆BSフジで夜8時から放映される「プライムニュース」は時々見る。
右翼系の番組で事実、そちら系の知識人や論者が良く登場する。私とはかなり違う認識・人生観・歴史観の人達の意見やその欠陥を知る上で参考になるので、時々見る。

先日も櫻井よしこ刀自が登場し、韓国を蹴っ飛ばせ!と、例によって勇ましい意見を述べていた。よしこ刀自は年齢はおいくつになったのかな?とにかく意気軒昂で若い。この点は「尊敬?」に値するか。あの声と話し方はジンマシンが出そうになるが、どうにか私も免疫?が出来たようだ。

※もちろん、芸能人に対する私の「偏見」もあるかもしれない。
私の経験上では、「尊敬出来るまともな芸能人」は少ないと思っている。逆に言うと、まともな人は芸能人にはならない。芸能人と堅気の人間とは別世界の人間である…これ自体が私の偏見かもしれない。



2019.05.12 | | コメント(11) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



スマホは学力を破壊する?:愚見を少々




「スマホが学力を破壊する"これだけの根拠:3時間触ると2時間の勉強がムダに」
記事はこちら

う~ん。。。それはどうかなあ。。。

例えば、電車の中で多くの人が、老若男女を問わず、じっとスマホをやっているのを見ると、何やら異様な感じを受けることはあります。依存症になっている人もいるでしょうね。スマホに使われている状態。

では、携帯電話の時はどうだったの?と聞きたくなります。携帯に3時間触ると2時間の勉強がムダになる、との科学的データがあり、通説となっているのでしょうか?


●学力の低下といえば、依存症になりがちな項目として、

①テレビを見ていると学力が低下する。(ラジオもあった?)

②漫画を読むと学力が低下する。

③ファミコン(テレビゲーム)に夢中になると学力が低下する。

等々、

過去にも同じような「学力低下の犯人」を槍玉にあげて来た歴史があります。


しかし、

これらのいずれについても、学力低下との「因果関係」が立証されたとの「学説」を寡聞にして知りません。


●そういえば、テレビゲーム流行の時代には、「ゲーム脳」になると学力が低下するとの「学説?」があったように記憶していますが、あれはその後、どうなりましたっけ?

私の学生時代にもテレビゲームに夢中になっているクラスメートはいましたが、それが原因で学力の低下があったとは限りませんでしたね。人によってマチマチだったと思います。



●音楽好きや文学好きは学力低下をもたらすのでは?

ロック・ポップス・クラシック等の音楽に夢中になり、学力が低下した例は見たように思うなあ。レコードやラジオで聴いているとあっという間に時間が経ってしまいます。

私も音楽は良く聴くし、なおかつ、中学校時代には早くも活字中毒の傾向が現れ、赤川次郎や「赤毛のアンシリーズ」とか読みだすと止まらず、確かに成績が落ちた記憶があります(^_^;)


もう一つ、スマホも携帯も無かった時代に、女の子特有の「友達との長電話」がありました。私もありましたが、1時間~2時間も延々とおしゃべりをするのです。「電話依存症」か(^o^)

これも、学力低下の原因になっていたのでしょうか?


●結論:つまりは、学力低下との因果関係は証明できない。


①勉強時間がどれくらいあるのか。

②学校・家庭における学習環境がどうなのか。

③そもそも、勉強嫌いなのか、勉強が好きか。

④頭の良い人はテレビゲームやスマホに夢中になろうが、学力は低下しないのか。

⑤睡眠時間はどうなのか。

学生の学力といっても、こうした様々な要因が絡み合っているものですから、これが原因だ!と決められるものは無いのではないでしょうか?

それに、学力とは、そもそも偏差値だけで全て測定出来るものでしょうか?

平凡な結論ですが、

自宅(学習塾も含む)での勉強時間が極めて少なくなってしまえば、そりゃあ、成績は落ちる可能性が高くなるでしょう。言えることはこれくらいではないでしょうか。

スマホでもテレビでも音楽でも、要は、「依存症」の程度にもよるでしょう。

極端な例を以て、「学力低下の原因」とみなしても、社会的価値があるのか疑問です。





2019.04.24 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



日本人観光客減る:私も京都に行かなくなったくらいだから




「4年連続で減少、日本人の「京都離れ」が始まった根本原因」
記事はこちら

そりゃそうでしょうよ。
下の写真を見てよ。これで祇園の花見小路に行く気分になれますか?

6.jpg


私は10年以上に渡って毎年京都市内(比叡山も必ずお参りした)を中心とした旅行に行ってきましたが、5年前くらいからピタッと行くのを止めました。四条河原町の先斗町を歩いていたら、私の前も後ろも外国人観光客だらけ。日本人はわたしだけか?って感じ。しかも、彼等は大声でしゃべりまくり、煩いのなんのって。

街中はまだ良い。しかし、寺院の境内に入っても大声でしゃべりまくるのには心底、閉口しました。

あれは10年前の5月だったかしら。特別公開されていた東寺の塔頭にお参りした。そこに小さな庭があり、静寂さに包まれていました。観光客はほぼゼロ。そして、いわゆる鹿威しの「コーン」という音が快く響き、わたしは思わず座禅して瞑想をしたくなりました。忘れられない思い出です。

おそらく、少なからぬ日本人観光客の期待するものは、このような静かさの中での寺院のお参りではないでしょうか。金閣寺や銀閣寺をお参りして失望するのは喧騒とした混雑にウンザリするからです。金閣寺など私には商業施設にしか感じなかった。実際、大して見応えも無い所だけどね。日本庭園であれば、他にいくらでもあります。

少し話は脱線しますが、以前に京の寺院の悪口を書いたことがあります。
こちらです

宿の予約が取れない程混むようになれば業者は宿代を値上げする。ったく商人というのは悪い奴等だ。しかも、たいていの宿の食事はお世辞にも美味しいとは言えない。

観光地にある食堂・レストランの酷さは思い出すだに腹が立つ。嵐山近くの食堂で「天重」を頼んだら、驚くなかれ!びちゃびちゃに濡れた天ぷらにびちゃびちゃに汁が溜まっているご飯。もう、不味くて私は半分残しました。これで1000円とはふざけんじゃねえぞ!お客をバカにしやがって!と思いましたね。

南禅寺近くの「湯豆腐料理」だって、別に、大した味ではありません。気どっているだけ。これで2000円と来た。たかが豆腐ですよ!従業員は和服を着ていかにも雰囲気を出していますが、アホくさ。

京都市に行ったら、街中か駅ビル内の普通のレストランに入った方がよほどマシです。もちろん、美味しい京都料理を提供する店もあるでしょう。それは、何万円も払っての話。

こうして京都に行く度に、京都に対する印象は悪くなりました。そこへ外国人観光客が押し寄せて来れば、もう京都はいいや、となります。その代わり、奈良(東大寺や興福寺は除く)や特に飛鳥にはまた行きたい。

分かってる。私の偏見や誤解がかなりあるであろうことも。


飛鳥の廃墟のような寺院跡や古墳などは古代史を知らない外国人には面白くも何ともないでしょうから、今もおそらく比較的静かでしょう。山の辺の道をもう一度歩いてみたい。貸自転車で飛鳥を回りたい。

しかし、本当は、わたしは京都にも行きたいのです。
寺院ではなく、寺町通りや他の裏道のように生活感のある所を歩き、お店をひやかしたり、小さなお寺や神社にお参りし、喫茶店で珈琲を飲みながら読書したり、店長を質問攻めにする。これがいい!

もっと贅沢をするなら、個人タクシーを呼んで観光化していない見所を案内してもらう。なんせ、商売とは言え、京都のタクシー運転手の知識は相当なものです。「ここだけの話」と、本音も聞かせてくれます。

舞妓さんを呼んで遊ぶとどれくらい費用がかかるか、とか、観光寺院の坊主達の悪さとか、葵祭の「斎王代」の女性候補がどのようにして決められ、どれだけお金が動いているかも、運転手が教えてくれました。


●外国人観光客が増えて儲けているのは宿とコンビニと京都バスとラーメン店か。

賞味期限のある和菓子は買わないでしょう。ばら売りを一個食べる程度。八ッ橋など美味しいと思わないだろうし。もちろん、料理屋には行かず、ラーメン店が主流。それよりもコンビニの安い菓子やサンドウィッチにペットボトルで済ますでしょう。この辺りの「節約」ぶりは見事。もちろん、タクシーは決して使わない。すべて、バスです。さもなくばひたすら歩く。日本人よりも体力がありますからね。御土産屋だって、せいぜい彼等が買うのは安い小物類でしょう。


●ギリシアでは「観光客の横暴さ」に観光地の地元住人が迷惑しているらしい。

京都でも同じでしょう。バスが満員で乗れないとか、普通の住宅地では観光客が煩いと思うでしょうし。また、祇園の舞妓さんが外国人観光客に着物を触られたり、追っかけ回されたりと迷惑しているらしい。※また、置屋とか暖簾があっても門が開いていると平気で侵入して来るらしい。

これは、マナーの問題もあるでしょうけど、認識の違いや行動習慣の違いも大きいのではないでしょうか?例えば、相手に触れることは、日本人よりも普通にすることでしょう。握手したりハグしたりが普通な人達には。

私も含め、「観光に来られる側の迷惑」というのを、心に留めておかなければいけませんよね。

問題は京都自治体の無為無策にあるのではないでしょうか。



はるばる外国から京都に来て、祇園でじっと舞妓が現れるまで待ち続け、ようやく現れた舞妓を見たら、ハシャギたくなる気持ちも分かりますね。日本人観光客にも、そういう人がいますから。

外国人観光客の間でも、芸妓より舞妓の方に人気が集まるようですね。だらりの帯に飾りを多く見に付けた愛らしい姿に目が止まり易いということでしょうか。

「幼いジャパニーズゲイシャ」に不可思議さや神秘さも感じているのでしょうか。

私が清水寺への坂を歩いている時、いわゆる、コスプレ舞妓、なんちゃって舞妓が現れ、外国人がワッと集まり盛んに写真を撮っていたのを思い出します。



2019.04.22 | | コメント(12) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



現代ものを書く女性小説家:中山可穂は面白い!




私は活字中毒な本好きですが、現代ものを書く女性小説家で私の好みに合うのは少ないです。

つまり、時代ものでもなく、ミステリーでもなく、SFでもなく、いわゆる、現代ものです。

山田詠美、藤堂志津子、江國香織くらいか。桜木紫乃はミステリー系もあるけど挙げておきます。

最近、ブログ友のはぴらき様から、村山由佳と宮下奈都を紹介され、村山由佳の「ダブルファンタジー」や宮下奈都の「羊と鋼の森」が面白かった。


●女性小説家の描く「現代もの」の小説と言えば、

①人妻の不倫の恋
…なんたって、「よろめきドラマ」の中心ですから。昔も今も女性は「よろめきもの」が好物。
大岡昇平の「武蔵野夫人」や三島由紀夫の「美徳のよろめき」はまさしく「よろめきドラマ」の名作。が、男性小説家ゆえ、女性の描き方があまり上手くない。これはもう、女性小説家の得意とする所ではないでしょうか。ラファイエット夫人の「クレーヴの奥方」は女性小説家による古典ですね。

女性の「離婚願望」と「不倫願望」は現実はともかく、深層心理的には間違っていないと思います。

②家庭内の問題を扱うもの
…幸せそうに見える家族にも、一つや二つ、他人には決して言えない「傷」や「恥」や「苦悩」というものがあります。結婚問題もその一つ。中流~上流階級の家庭では、「苦労」は無くとも「苦悩」はあります。例えば、オースティンの「自負と偏見」「エマ」等は古典の名作ですね。

③女性の成長を描く。ビルディングスロマン。
…ロマン・ロランの名作「魅せられたる魂」はその典型。ロランは当時の男性小説家としては女性を上手く描いている方だと思います。女性の成長物語はNHKの朝の連続テレビ小説の定番になっていますね。シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」は名作。最近では、上で挙げた宮下奈都の「羊と鋼の森」が良かった。
それと、私は藤堂志津子の小説が好きなのですが、最近も「プライド」「ひとりぐらし」を読み、一人、たくましく成長して行く女性の姿に感銘を受けました。

④純愛もの
…どこか少女漫画の延長線上にある感じもありますが、やはり、「純愛」という言葉の響きに女性は弱い。女性は何歳になっても、ピュアなものに惹かれます。江國香織の「きらきら光る」とか山田詠美の「放課後の音符」とか。

⑤官能系
…ポルノ小説ではありません。「愛」と「セックス」の問題は立派に今も文学的テーマです。
村山由佳の「ダブルファンタジー」は、いわゆる「ニンフォマニア」のヒロインが登場するのですが、内容的には真摯でして、女性の自立の在り方を必死に問う物語です。

⑥ホモセクシャルやバイセクシャルもの
…同性愛や両刀使い・二刀流の女性や男性を描く。これはもう、中山可穂(中山美穂と間違えやすいの注意)にとどめを刺す。他に松浦理英子も個性豊かな小説家。長編の「親指Pの修業時代」(河出文庫)は、⑥と③の複合した内容。突然ペニスと化してしまった足の親指を持つ一人の不器用な女性が主人公。一見、SFのぶっ飛び物語に思えますが、中味はひたすら真剣も真剣。「性愛」「同性愛」について、ここまで突き詰めて書かれた小説が過去にあっただろうか。

三島由紀夫の「仮面の告白」もこの類に入るかもしれません。

中山可穂さんは自ら同性愛者と公に明かしています。

そもそも自らLGBTと世間に明かすこと自体が大変なことでしょう。同性愛だからこそ、純愛も生まれれば、深刻な三角関係も生まれますし、子供をどうするか?という問題も生じます。

これらは立派に文学的テーマとなり得ますね。

ちなみに、中山可穂の「サグラダ・ファミリア」はこのテーマを真剣に追求した傑作と思います。読者の劣情を満たすようなキワモノ本とは全く違います。

①~⑥に無理矢理分類しましたが、実際は、これら複数の要素が重なっているのが普通ですね。

日本の文壇?ではこの世界の文学に対する評価が低いのではないでしょうか。偏見もあるのでしょうか。松浦理英子も中山可穂も「芥川賞」にも「直木賞」にも選ばれないというのは疑問です。私から見て、彼女達よりもずっと平凡で退屈な小説を書いている人が何人も受賞しているというのに。


いわゆるLGBT…正直に言いますと、私も偏見が全く無いとは言えないと思います。頭では理解したつもりも現実にビアンの人と自然にお付き合い出来るのか。


日本ではLGBTの割合は7.6%とのデータがあるそうです。明かせない人もいるでしょうから実際はそれ以上かもしれません。従業員100人の企業であれば7~8人となります。もしかしたら、あの女子社員はビアンか…と思った人はいましたが、分かりません。相手も私を、もしかしたら…と思っていたかもしれないからです。


nakayama.jpg

●中山可穂の世界

私がこれまで読んだのは、主人公、王寺ミチルの三部作、「猫背の王子」「天使の骨」「愛の国」。長編の「感情教育」、中編の「サグラダ・ファミリア」。宝塚三部作の中の「娘役」。短編集の「弱法師」「悲歌」「花伽藍」です。次に読む予定にしているのが、中山可穂の最長の小説、「ケッヘル」(講談社文庫・上下2巻)です。

王寺ミチルがその典型なのですが、少年的・中性的な風貌でありながら麗しき女性であり、ビアンであり、女たらしであり、演劇オタクであり、少し触れただけで血が吹き出そうな破滅志向人間…ともなれば、それだけで美しい世界。私なんかは読んで身体がカッカと熱くなります。

上の「猫背の王子」の表紙の絵ですが、知る人ぞ知る有名な絵とか。

中山可穂は女性小説家にしては硬質な文体※で、内容は激しくとも語り口は冷静と思います。むしろ、それだからこそ彼女のストーリーがリアリティを持ち、グワーッと噴き上がる情念の熱さを生むのでしょう。どこからか狂気の風が吹き込んで来るような趣きすらあります。

文章と内容のアンバランス…これがたまらない!

で、私、アッと思ったのは、私が語った彼女の小説の特長はノワール小説・ハードボイルド小説にも繋がるものなのだと。不条理な暗黒と絶望から崩壊へと突き進む情念。血の熱さ。それをどうすることも出来ない人間の姿です。大藪春彦、北方謙三、志水辰夫、大沢有昌、花村萬月の系列です。

最近、中山可穂がハードボイルドを書くようになったのも分かるような気がします。

「感情教育」から、印象的な言葉を一つ。中山可穂の信条でしょう。

「愛とはお互いの血を吸って生きることだ。魂は肉体の中にあるのだ」


中山可穂は寡作ですね。硬質な文体との関連がありそうです。


最近では、「レズ」とは言わず、「ビアン」と言う。
「レズ」という言葉は余りに手垢にまみれたので、同性愛者の間では厭われているとか。


松浦理英子も中山可穂も決して、メジャーな女性小説家ではないでしょう。その代り、熱烈なファンもいるらしい。よく探せば素晴らしい小説を書いている例は他にもいくらでもあるのでしょう。

例えば、村田喜代子も気になります。
私の世代ではあまり聞かない名前だし、書店でも目にとまったことがないのです。
しかし、芥川賞を受賞しているのです。どうなんでしょうね。



2019.04.19 | | コメント(14) | トラックバック(0) | 文学



白鵬バッシングもいい加減にしたらどうか:愚見を少々




横綱白鵬の実績は凄い。幕内最高優勝数は42回で歴代最高で第二位の大鵬の32回を大きく上回っています。その他、ウィキを見れば分かりますように、多くの記録で「一位」のオンパレードです。

まさしく大横綱としての実績です。

以前、白鵬が立ち合いで変化をする場面が何度もありました。そこで、相撲関係者は、「立ち合いで変わる注文相撲をとるのは、横綱のすべきことではない。品格にかかわる」との批判がありました。

これには、私も概ね同感でした。「横綱は正面から堂々と受けて立つもの」と思うからです。ただし、「品格」や「品性」のような文言にはひっかかるものがありました。

その後、今度は、立ち合いで「張り差し」をするのは横綱として問題だとの批判が出た。

更には、立ち合いで「かちあげ」をするのも横綱として問題だと言い出した。

最近では、立ち合いで「 白鵬は相手と呼吸を合わせず、常に自分本位の立ち合いを強要し、絶対的優位に立つから勝つ。ずるい。」と言い出した。

いやはや、よくもまあ、次から次へと、白鵬の粗を見つけて来るものです。

これらの批判が正しいのか否か、私には良く分かりません。しかし、ここまで来ると、やたら粗探しをして鬼の首でも取ったような顔して白鵬を叩く人達の大人気無さを私は感じます。

批判の根底にあるのは、
①横綱は「勝てば良い」というものではない。横綱らしいフェアで品格のある戦い方、勝ち方がある。
②卑怯でズルイやり方で勝っていくら実績を積んでも、大横綱とは認めない。

ということらしい。

しかし、相撲関係者がここまで白鵬の立ち合いをいちいち批判する背景には、
①モンゴル出身の横綱が強過ぎるのが、面白くない。
②日本人横綱が長く現れず、ようやく稀勢の里が横綱になった。が、早くも引退。

つまり、モンゴル出身の横綱に対するやっかみ、ねたみがあり、次から次へと粗探しをして白鵬を叩くのではないか。これはもう、一種のイジメというかバッシングではあるまいか?

「品格」なる抽象的・精神的なものを持ち出して白鵬を批判するのも如何なものか。一部の人は、「日本人と違ってモンゴル人は品格の意味も精神も分からないのだろう」、みたいなことを言い出す。※

「モンゴル人の横綱白鵬の優勝42回はズルイやり方で勝っただけ」として、過去の「偉大な日本人横綱」と比較して評価を下げることで、溜飲を下げているのでしょうか。

こういうのを、負け惜しみ、と言うのではないでしょうか。

なんか、みっともない。白鵬ではなく、

彼を叩く側の相撲関係者の方が。それに「便乗する」メディアも。



なお、私は白鵬のファンでもなんでもありません。それどころか、相撲は滅多に見ません。たまたま、スポーツ番組で相撲も出て来ますので、それで知る程度です。

しかし、同じ横綱としては、あの貴乃花よりはずっと「大横綱」と思います。


柔道を見ても分かるように、外国人選手は「勝てば良い」式の柔道がしばしば目につくことがありました。苦し紛れにタックルしたり、一つでも「指導ポイント」で優位に立つと、急に逃げまくって時間オーバーで勝利に持って行く等。

これは戦い方の良し悪しというよりも、勝負に対する考え方の違いがあるのではないでしょうか?

だからと言って、「真の柔道精神とは」を外国人選手に教えてどうなるものでもないでしょう。その代り、柔道のルールは頻繁に変わりますね。足を取りに行くのは禁止されましたし、審判から受けた指導の数で直接勝敗をつけることもなくなりました。しっかりと組んで競う方向に変わりました。

海外の相撲取りが増えつつある現在、「精神教育」みたいなことを言うよりも、相撲も立ち合いのルールを変えればいいと思います。それが出来ないのであれば、海外の人間を断れば良いのです。「日本人」だけでやればいい。

私はそんなことよりも相撲界で絶えない暴力や時代遅れな体質の方がよほど問題かと思います。



最近の「日本って凄い!」の流行の一つなのか、白鵬の問題に関連して、「日本人は戦い方に品格を求める」「武士道の精神」とかを持ち出す人がいるようですが、これについて反論をします。

日本人は「騙し討ち」「闇討ち」のような「卑怯」なやり方を得意として来た歴史がある。しかも、騙し討ちした側は非難されず、騙された側に対する同情もない。

有名な例は、ヤマトタケルによるクマソタケルの騙し討ちですね。しかも、ヤマトタケルは女装して騙し討ちをするという卑劣極まる方法で討った。それでもヤマトタケルは「英雄」扱いです。なんと、討たれたクマソタケルの弟はヤマトタケルを強者として称えながら死んで行くのです。

ここでポイントとなるのは、これが史実かどうかではなく、このような価値観が日本書紀・古事記に記されているという事実なのです。

今流行の室町時代でも、6代将軍の義教が祝宴の席で赤松満祐・教康父子によって騙し討ちにあっています。ところが不思議なことに、赤松父子は不問とされたのです。

個人対個人では、巌流島での宮本武蔵と佐々木小次郎の対決が有名ですね。武蔵はわざと約束の時間に遅れて着き、いらつく小次郎に、「小次郎、敗れたり!」と言葉で嘲笑い、小次郎を討ちました。これも、「武士にあるまじき卑劣なやり方だ」と、武蔵が非難されることはあまりなく、心を乱した小次郎の方の未熟さが非難されるのです。

「勝負は勝てば良い」、さらには、「騙す方より騙される方が悪い」は、日本人の歴史にも脈打っているとも言えます。現代でも、特にビジネスの場では「騙される方がバカ」「嘘を見抜けなかった方が愚か」との価値観が生きている例はいくらでもあります。「信じて騙された私がバカだったのネ」というわけです。

もちろん、これは一面的な見方でしょう。「罠をかける」ことの卑劣さを言うよりも、「罠にハマらない用心」の方が、人生訓として日本人の心にしっくりと来るのかもしれません。

しかし、白鵬をダシにして日本人の素晴らしさを言う連中にはこんなことを言いたくもなります。


仮に、白鵬の立ち合いに問題があるとしても、彼の術中にハマる相手の関取に対する非難は無いんですね。これは、過去の歴史に見る価値観やビジネスの世界の価値観とはかなり違うようです(笑)。




2019.04.19 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



嗚呼ッ、ノートルダム寺院が火災に!




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衝撃的でした。テロか!?と思いました。

世界文化遺産のノートルダム寺院はゴシック様式の石造建築だから火事とは無縁と思っていました。しかし、実際には建物の屋根部分の構造には木材が多く使われていたそうですね。

不幸中の幸いで、全焼ではなく再建は…長い時間と多額の費用を要する…可能とか。

しかし、ノートルダム寺院が燃えている映像に多くのフランス人がショックを受け、涙したことでしょう。パリは第二次世界大戦のナチスドイツに占領されたけど、パリの文化遺産は無事に生き延びたという歴史もあります。※

私はテレビや本でしかこの寺院の荘重さや美しさを知り得ませんが、実際に見たらさぞかし圧倒されることでしょうね。フランスのキリスト教の歴史においても、建築文化においても、またここが発祥の地でもあった中世~ルネサンスの音楽の発展の上でも大きな存在ですしね。

私が飛行機に乗れたら、エッフェル塔や凱旋門よりも、真っ先にお参りしたい寺院です。

もしも、これが日本で伊勢神宮や法隆寺が燃えたらショックですよね。木造建築だから火事になったらあっという間に全焼するでしょう。世界文化遺産や国宝の多くが木造社寺ですから防災対策は大変だ。

悪い事を想像するだけでゾッとします。

法隆寺だって壁画が燃えたし、金閣寺の火事は有名。


ノートルダム寺院はパリの象徴でもあるそうですが、我らが東京の象徴は?

残念ながらノートルダム寺院に匹敵するようなものはないですね。歴史的建造物は地震や火災や空襲でほとんど廃墟となって消えましたから。

浅草寺?ちょっと、苦しいな。。。

東日本大震災の時には、ノートルダム寺院は日本語で祈りを捧げてくれたとか。
日本側も支援をしなければいけませんね。



ドイツ軍のパリ市防衛司令官はディートリヒ・フォン・コルティッツだった。
戦況が悪化する中、ヒトラーはパリ死守にこだわった。
そして、
「パリは敵に渡してはならん。さもなくば廃墟とすべきである」
とのヒトラーの指令がコルティッツに下りた。
さっそく、コルティッツはパリ破壊の準備を始めた。
セーヌにかかる橋やノートルダム寺院、ルーヴル美術館、
エッフェル塔といった主要な建物も爆破の対象になる。
爆薬の準備は完了し、あとはゴーサインを待つだけの状態だった。

しかし、結局、爆破が実行されずに終わった理由は諸説あるそうですね。
コルティッツが命令を拒否したとか、
スウェーデンのパリ駐在大使が爆破を止めるようコルティッツを説得したとか。


2019.04.17 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 歴史・文化



新聞社や出版社は大活字を使え!:愚見を少々




……「大活字本」読みやすい、高まるニーズ…高齢者から好評、難点は「少ない」「高い」……
記事はこちら

どこぞのコマーシャルではないけど、「字が小さ過ぎて読めない」と悩む高年・老年の人が多い。

新聞も書籍も読みたくても、拡大鏡の助けが無いと読めない。拡大鏡もなかなか目に合わない。目が疲れて途中で読むのをあきらめる。やがて本や新聞を読まなくなり、仕方なくテレビを見る。こういう人達が増えていると思います。

私のような中年でも、古い文庫本…1ページ当たり19行もある…は字が小さく、ぎっしり詰まっていると読書意欲がいささか減退します。事実、目が疲れます。

●新聞社や出版社は新聞、単行本、新書、文庫本と、全て大活字使用へと踏み出すべきと思います。

高齢化が進むにつれ、字が読めない為に新聞や本を読まなくなる人口が増えます。

しかし、本を読む時間とお金のゆとりがあるのは高年・老人層なのです。その証拠に、新聞の読者層は年齢が上がるにつれて増えることがデータでも明らかです。一般の書籍については年齢による差は今の所は明瞭ではないようですが、高齢化と共に実質的に読書年齢も上がります。

ところで、教科書のように目に問題の無い中学生が読む教科書の文字は大きい。それが、目の老化の進む高年齢者が読む新聞や書籍の文字が小さいというのは、奇妙な現象です。

要するに、字を大きくするとページ数が増えるので本の価格が上がる…すると本を買う人が減る・だから出来ない・それでなくても出版業界は万年不況だ…ということなのでしょう。

バカだなあ。どこか大手の出版社が勇気を持って大活字本に切り替えたらどうか。少々値段が高くなるのと、本が読みたくても読めず読者を失うのと、どちらの方がマイナスが大きいのか考えて見よう。

もっと大きな文字で楽に本を読みたいという高年・老年層の強いニーズがあるんですよ。

☆最近、拡大鏡のテレビCMがやたらと増え、ウルサイ。
私の知っている人で拡大鏡を買って試したところ、目に合わず頭に来たという例を複数知っています。

だいたい、メガネの上から拡大鏡をつけて気持ち良く本が読めますか?
読める人もいるでしょう。が、合わない人も多いのです。

出版社や新聞社は本や新聞が売れなくなったと愚痴を言うより、積極策を講じろ。

旧態依然とした発想ではダメよ。



2019.04.16 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



2019年フィギュアスケート国別対抗戦:完




宇野昌磨選手が新たな取り組みとして、3A-4Tや、4T&3Aを練習しているそうですね。

何だか、心配だなあ。。。大丈夫か?

ううむ。。。また、モノ申したくなって来たわ。

そりゃあ、宇野選手がどんな取り組みをするも宇野選手とコーチの自由選択よ。

わたし如きがアレコレ言う筋合いは無いことは百も承知です。

ひたすら見守り、応援していればいいのでしょうけども。

しかし、何だかなあ。。。

そもそも、宇野選手は4回転ジャンプが昨シーズンからずっと安定していませんよね?

そんな状況の中で、新たな取り組みでしょうか?

優先順位が少し違うような気がする。

羽生選手は全ての4回転ジャンプを跳べるよう猛練習するとか。

宇野選手も羽生選手も、4回転ジャンプの鬼とでも言うべきネイサン・チェン選手の凄さに当てられちゃった??

チェン選手の4回転ジャンプ…あれは、彼の特殊能力ですよ。

4回転ジャンプ合戦になったら、チェン選手には誰も敵わないと思います。

宇野選手は一つひとつのジャンプの質を高める方向で取り組むのが最優先ではないかと。

スピンやステップも音楽表現も同様に。まだ伸びしろがありそうだし。

怪我も多いようだし、何か、怖い方向に彷徨い始めたのかと心配になって来ました。

失礼な言い方ですが、いくら大風呂敷を広げても、内実が伴わなければ。。。


☆実は、私は世界フィギュアを見ることが出来ませんでした。理由はテレビアンテナと配線の故障の為だったのと、これを私がしばらく放置していたからです。テレビを見なくても意外と痛痒を感じなかったわ。

☆国別対抗戦は採点が甘くなる傾向(加点や演技構成点)があるので、パーソナルベストとか世界最高得点とかは「参考」程度にしておく方が無難です。コーチや選手もたぶん、分かっていると思います。

●選手について、一人のファンの身勝手な「イチャモン?」も書かせて頂きますm(__)m


■ショートプログラム

●紀平選手、3Aを決めましたね。良かった!彼女が定位置でポーズをとった時の笑顔を見て、「あ、これはイケル!」と感じたファンは多かったのではないでしょうか?表情がソフトだったのです。

【紀平選手の課題:準備能力に弱点か】

スケート靴がユルユルになって調整に苦労しているとか、ブレードについて非常に細かく手を入れているとか、筋肉の細部の調子について非常に気にしているとか、これらについてメディアは好意的に報道しています。「さすが、一流の選手はこういう細部にまで目を配っている」とか、「完璧主義」とかですね。

なるほど、それらは美点かもしれません。

が、視点を変えれば弱点にも繋がるかもしれません。弱点とは、事前の用意や準備に何かが欠けているのではないか?そして、過剰なまでの完璧主義というのは、むしろ、精神的な弱さの現れではないか。3Aですっぽ抜けという最悪のミスを繰り返す原因には色々あるにせよ、その背景にかかる弱点が深く関わっているのではないかと思います。メンタル、あるいは、心構えの問題かもしれません。

もちろん、紀平選手はまだ16才です。

しかし、過去の一流選手達の16才の頃に、紀平選手のように細部に対する過剰に神経質なまでの反応を示したり、試合直前まで、ああでもないこうでもないとバタバタしていただろうか?

年齢から来る弱点もあるにせよ、紀平選手特有の弱点ではないでしょうか?

「彼女の演技には弱点が無い」とは、ロシアフィギュア界も認めています。が、演技以外の所に弱点がありそうです。もちろん、紀平選手は克服してくれるものと期待しています。

紀平選手は来季からは4回転ジャンプを取り入れる予定ですし、たぶん、本番で決めると思います。私には非常な楽しみになりますし、それと同時に、彼女の弱点との戦いにもなるかもしれません。

●トゥクタミシェワ選手、素晴らしかった!女子選手は3Aを跳ぶ際、どうしても「ヨイショッ」って感じがありますが、トゥクタミシェワ選手はサクッと跳んでしまいます。あまり腕を振り上げたりしないで、長い助走のカーブからのタイミングと足腰のバネで高さを出している感じです。その代り、助走が長いのが弱点にはなりますが。

坂本選手とトゥクタミシェワ選手は足腰のバネが凄い。まさに、ゴム毬のようにピョーンと跳びますね。

☆松岡修造さん。私は松岡さんを特に好きでも嫌いでもありません。が、坂本選手に対し、「自信になりましたか!?」と強く迫り、坂本選手に無理矢理っぽく「自信になりました」と言わせ、「ご本人から『自信になった』との言葉がありました!」なんて…もうそろそろ、この手のインタビューは止めましょうよ。

●ブレイディ・テネル選手。この選手は技術系の職人みたい。スピンが上手いですよね。日本人女子選手で全てのスピンが見せ場になる例は、あんまりいないなあ。中野友加里さんのドーナッツスピンくらいか。もちろん、宮原選手のレイバック~ビールマンも素敵ですけども。

ただ、テネル選手は惜しい事に、エモーショナルな雰囲気に乏しいわね。妖艶さ、セクシーさ、可憐さ、華麗さ、どれもが乏しいというかほとんど無いくらい。無色透明ではなく、無色中性。なまじエレメンツ系が非常に優れているだけに余計それが目立ちます。

●宇野選手。やはり、私が懸念した通りの展開でした。フリーもこのような感じであれば、事態はちょっと深刻かもしれません。何かが行き詰まっているように思います。

宇野選手は4回転ジャンプのランディングに変なクセみたいなものがあり、これが3回転ジャンプとのコンビネーションを難しくしていますね。セカンドジャンプが3回転に出来ず、2回転になる場合がしばしばあります。やはり、ジャンプ一つひとつの質を磨くことが先決ではないでしょうか。4回転ジャンプはサルコウを封印し、フリップとトゥループの二つに絞り、場合によっては、今回のネイサン・チェン選手のようにショートでは4回転は1本にする手もあると思います。

●ネイサン・チェン選手。ショートで4回転トゥループ1本とは、「余裕をかまして」くれたわ(^o^)。
また、今回の演技を見て、彼が決してジャンプだけのスケーターではないこと、踊れるスケーターであることを証明しました。ステップで見せる軽快な足さばきとフリーレッグの使い方の美しさったら!!

●ヴィンセント・ゾウ選手※。4回転ルッツで両手を上げるタノをやるって、君ィ~、あのなあ(^_^;)。3回転ルッツでも両手のタノはメチャクチャ難しいんだゾウ。いったい、ゾウなっちゃってるの?

●アイスダンス:パパダキス/シゼロン組。凄過ぎ。。。
もう、冒頭の滑り出しからセット・オブ・ツイズルを見るだけで私は酩酊状態。美し過ぎる!特に男性のシゼロン選手は上手いわねえ~。あのスケートの名手、パトリック・チャンさんも真っ青ってレベルでは?

解説者が、「音楽を聴きながらツイズルが出来る…」とか言っていました。いや、そう思えるような素晴らし出来でした。男性が少しだけバランスを乱したようにも見えましたが。スピンで高速回転している時も選手は音楽を聴きながら、それに合わせてポジションを変えたり、上手く終えたりしているのかしら?

アイスダンスでは、しばらくはパパダキス/シゼロン組の時代が続くでしょうね。

※名前の発音はゾウなのか、ジョーなのか。今のところ、ゾウとしておきます。

※Lai様から頂戴した情報より、

…平凡社がメディア向けのガイドラインを発表していますが、これによると「Zhou」は「ジョウ」となっています。

とのことです。また、「ジョウ」の方が原音に近いそうです。



■フリースケーティング

テレビ観戦が出来ませんでした(;O;)。動画で宇野選手の演技を見ただけです。

●宇野選手。

演技後半の3A-4Tは「ナイスチャレンジ」なのでしょうか?そういうことにしておきましょう。

羽生選手の4T&3Aのシークエンスジャンプへの対抗意欲を示したかのな?

確かに、決まれば巨大な得点源にはなります。

4F-3T、単独の4Fを決めたのは、さすが!、と思います。

しかし、他がいけない。乱れたジャンプがいくつもありましたし、ステップではレベル2(たぶん、転倒等で体力を消耗していたのでしょう)でした。

動画ではハッキリとはしませんが、ベートーヴェンの「月光」の情感にも乏しかったように見えました。ジャンプに気が行って、しかも、余裕が無いので音楽表現の方がやや「御留守」になったのでしょうか?

本来ならもっと情熱的な演技が出来ると思うのに。

ネイサン・チェン選手がジャンプの難度を下げて演技し、その分の余裕を音楽表現に注いで成功していました。これは宇野選手にも参考になるのではないでしょうか。

気になることがあります。演技構成点の評価がゾウ選手やメッシング選手の評価とほとんど差が無くなっていることです。ジャンプでミスが複数あり評価が伸びなかったのでしょうが、理由はそれだけでしょうか?

5回転トゥループに挑戦する?

本気で言っているのでしょうか?

羽生選手、チェン選手、ゾウ選手に負けられない、何としても!との強い意欲の現れでしょうか。


競技用プログラムの振り付けですが、今は樋口美穂子さんの振り付けオンリーですね。ショートプログラムだけでも他の振り付け師に頼む手はないでしょうか? ジャンプだけがチャンレジではありませんし。何か突破口を見出すきっかけになればいいかなあと。もちろん、音楽表現の更なる進化の為にも。

●ブレイディ・テネル選手。いや、凄かった!恐れ入りましたm(__)m。やはり、スピンが上手いというのは良いですね。演技の最後に2本のスピンを連ねて盛り上げてエンディングをばっちり決める!お見事!手足が長いとスピンの見栄えも良くて、やはり得だなあと思います。

●トゥクタミシェワ選手も素晴らしかったです。少し、体重が落ちスラリとしましたか。顔も少しほっそりした感じ。身体が絞れていますね。これも好調の原因ではないでしょうか。この調子が持続出来ればフリーにトリプルアクセル2本入れることも可能じゃないかしら?これなれば、ロシア女子のトップスリーに入れるよ。

お二人のように二十歳を超えたスケーター達が頑張ると嬉しくなります。

●坂本選手。頑張りましたね。ほんと、頑張ったって感じです。スケーティングが良く伸びること伸びること!見ていてこちらまで爽快な気持ちになります。

●紀平選手も頑張りましたよ。かなり緊張していましたか?出だしの動きがどこかギクシャクしている感じがして、「大丈夫かな?」と気になっていましたが…冒頭のトリプルアクセルで派手な転倒がありましたが、すっぽ抜けるより遥かに良いと思います。もちろん、転倒は身体に衝撃があり疲労の原因になるので避けたいでしょうけど。

「身体がガチガチで動かなかった」とはどういう意味?。筋肉疲労?いや、他の選手達より若いのですから、意味合いが違うのではないかと想像します。疲れ、という点では他の選手達も条件は同じですから。ショートプログラムで気合いが入り過ぎるとフリーに響く、というのは他の選手からも聞いた記憶があるので、それかな。


☆フィギュアスケートを取材している3人の対談記事が連載されており、興味深いです。
記事はこちら

トリプルアクセルの伝統のことは私がずっと以前から強調して来たこと<(`^´)>。

この3人の方々、中野友加里さんに触れていないのが残念です。成功率は低かったかもしれませんが、中野さんだってトリプルアクセルを何度も跳んでいたのに。

それと、忘れてはいけないことがあります。安藤美姫さんが4回転サルコウを跳んだことは?この後の連載で触れるのかどうか。わずか一度成功しただけ?だったかもしれませんが、今から10年以上も前に日本の女子選手で一人だけ4回転ジャンプに挑んでいたこと自体、破天荒なことでした。

紀平選手がその後継者にもなったら凄いことですね。紀平選手なら出来る!!


●今季の採点ルール改正の問題について。

今季は大幅なルール改正がありました。3Aや4回転ジャンプの基礎点がグッと下げられ、GOEの加点・減点の幅が7段階→11段階に広がり、演技後半で基礎点が1.1倍されるジャンプの数が制限される、転倒による減点が大きくなる等です。これらは、演技がジャンプ競争気味でジャンプに偏りがちだったものを抑制し、歯止めをかけるする狙いがあったと思います。しかし、今季を見る限りルール改正の効果が出たのか疑問です。

たぶん、少なからぬファンが感じているのは、GOEの加点が「甘くなったのではないか?」という疑問です。ジャンプがほぼ綺麗に決まれば、旧ルールの時よりも加点が多く出るようになりました。もちろん、ミスをすれば減点も大きくはなりましたが。それゆえ、男女共、昨シーズン以上に高得点が続出する結果になっています。

高難度ジャンプ偏重の流れに歯止めをかけるどころか、むしろ、掉さす結果になっています。4T&3Aや3A-4T、さらには5回転ジャンプも目指すという選手が出て来る等、エスカレートするばかり。

男子は4回転ジャンプは3種で計4回跳ばなくては勝負にならず、女子でも3Aを跳ぶ選手が増えだし、4回転ジャンプを跳ぶ選手が複数で始めました。この流れは止まらないでしょう。

私はGOEの加点が甘くなったことも改善点と思いますが、もう一つ大事なのは、演技構成点も甘くなっていることです。甘いと言うよりも、差別化が不十分なのではないかと思います。

つまり、ノーミス演技をすると、表現技術やスケーティング能力が非常に傑出しているとは思えない選手でも非常に高い演技構成点が出るのです。これで良いのでしょうか?

ジャッジも今季の結果を踏まえ、採点傾向の見直しが検討されるものと思います。それなくば、採点のインフレ傾向と、トップ選手の年齢の下降傾向に歯止めがかからなくなる恐れがあると思います。

国際スケート連盟は演技構成点のルール改正についてはほとんど手を触れません。基準の見直しが急務と思うのですが、何故かなかなか改正をしませんね。

フィギュアスケートが女子体操のように最盛期が15才~19才くらいになり、演技のアクロバット化が進みます。いや、既になりつつあると言えましょう。体操競技はまだそれも有りかもしれませんが、フィギュアスケートでは「スポーツと芸術性」を謳っている以上、女子体操のようになるのは疑問です。




2019.04.11 | | コメント(16) | トラックバック(0) | フィギュアスケート・大会



豊かな音楽:ハイドンのラルゴ






作曲:ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)
曲名:弦楽四重奏曲第79番ニ長調より第2楽章「ラルゴ」
作曲時期:1797年 ハイドン65才の作品

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ラルゴ(largo):幅広くゆるやかに
速度記号の一つで、イタリア語で「広い」という意味。英語のlargeと同じ語源。演奏の際、次の音に移動するまでが「幅広い」と時間がかかる。つまり、速度は自然と遅くなる。アダージョと同じかそれよりも少し遅いくらい。


●せかせか、そわそわ、あくせく、じたばた…これが東京に住み、お勤めをしている私の日常です。朝、耳障りな音を鳴らす目覚まし時計に菅原道真の怨霊の如く恨みの目を向け、「ア~ア」と大きく伸びをして起きあがる。私はいわゆる、「フクロウ型」※なので、朝に弱い。起きてから30分くらいは頭がモ~ロ~としています。

お湯を沸かしながら、顔を洗い、そそくさと朝食(トーストにハムエッグに刻みキャベツにコーヒー)を済ませ、歯を磨き、身だしなみは最小限にとどめ、テレビ画面に表示されている時刻の進みの速さに平将門の怨霊の如く恨みの目を向け、舌打ちしてテレビを消す。火の元や戸締りに注意しつつ出かける。

それだったら、あと15分早く起きればいいのにと分かっていても、ダメなのです。

ドアの閉まる寸前の電車に飛び乗り、満員電車の中で今日の仕事を思い浮かべ、最寄りの新宿駅で降り、会社まで400メートル程の道のりを歩く。途中、赤信号にぶつかる度に、チェッ!と舌打ちし、青に変わる寸前にはせかせかと歩き出す。

それだったら、あと15分早く起きればいいのにと分かっていても、ダメなのです。

仕事が始まれば上司から、「この仕事急ぐから」と指示され、「お~い、まだ終わらないか?」「遅い!」と催促され、「はいはい、ただ今」と答えるやいなや、電話で他部門から「昨日頼んだ件、まだそっちから回答がないんだけど、どうなってる?」と責められる。ウルセーナ!と思いつつ、「申し訳ありません。もう、まもなく折り返せると思います」と答え、ホッと一息つくと再び上司から「それと、この仕事も頼むよ。」と別の仕事を与えられる。ふたたび、上司から、「まだか、まだ終わらないか?」の催促。社員の一人と打ち合わせをしている上司の横顔に対し、崇徳上皇の怨霊の如く恨みの目を向ける。

外に出ても、ケータイやスマホで上司から、「今、どこにいる?1時間に1回は報告を入れろ」と催促され、「はいはい、かしこまりました」と答え切ると、スマホに向かって「バカッ」と叫ぶ。

…………

●ハイドンのラルゴを聴く度に思う。
なんと豊かで健全な音楽なんだろう!と。
ハイドンの肖像画のように顔に軽い笑みを浮かべながらゆったりと、しかし、確かな足取りで歩く老人の姿。充足した人生を歩んで来たであろう老人を彷彿とさせる音楽。私もこの音楽のような充実した人生を歩み、65才を迎えられたらどんなに良いだろう、と思う。

この音楽を聴く度に、「もっと、ゆったりと、おおらかに生きてごらん」「落ち着いて。ゆっくりとやれば、むしろ早く終わりますよ」と、アドバイされているように聞こえます。

私のような「セカセカ病」の都会っ子には、ハイドンのラルゴは最良の妙薬です。


●ベートーヴェン以降の音楽と比べると、バッハやモーツァルトやハイドンの音楽は物足りなく感じます。平明で綺麗な音楽なのですが、山も谷も無く、淡々と進むので少々退屈してしまうのです。モーツァルトの方は日本でも人気が出ていますが、ハイドンは不人気です。「私はハイドンのファンです」という人は聞いたことがありません。

しかし、ベートーヴェン以降の音楽は文学と結び付き、喜怒哀楽の表現が過剰になっているとも言えます。しまいには、ヒステリーやノイローゼや分裂症のような音楽にまで深刻化します。マーラーの交響曲のように。

その点、ハイドンの音楽はそうした「ビョーキ」から逃れていて、清明で健康的な音楽に聞えることがあります。聴き手の気分や年齢によって、ハイドンやバッハの音楽が素晴らしく聞えるというのは事実です。

ハイドンのラルゴは、落ち着いてゆったりとした心持で耳を傾ければ、これが素晴らしい音楽と分かります。



ドイツだかイギリスの心理学者による本で読んだ記憶があるのですが、人間には朝の目覚めにより、「フクロウ型」と「ヒバリ型」に分けられるそうです。

寝起きがわるく、アクビやため息をし、機嫌がわるいのが「フクロウ型」。逆に、起きるなりほがらかで、歌を口ずさみながら顔を洗い、笑顔で朝食をとるのが「ヒバリ型」。

この両者は心理学的にはノーマルで、時間の経過とともに違いは次第に無くなるらしい。

そうかなあ?

血圧の高い低いによる影響か、単なる生活習慣の違いではないかと私は思うのですが。




2019.04.10 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 音楽



フィギュアスケート:3人の日本選手に、あえて、モノ申します(^_^;)




私はフィギュアスケートの選手達の演技や言動について批判めいたことを書くのはずっと控えて来ました。

①必死に努力している選手達に私が偉そうにモノ申すのも、ちょっと。中傷・誹謗と受け取られるのも業腹。
②一部の政治家や知識人や商売人への批判だけで精一杯だった。


【羽生結弦選手の「負けは死も同然」発言について】

きっと、羽生選手の本心であり、そのくらい必死に戦っている証拠なのでしょう。悔しさもあった。
自ら逃げ道を塞ぐ覚悟をハッキリと示したのかもしれません。
なかなか言えない言葉です。

しかし、世に日本代表になれないレベルの選手はゴマンといます。彼等・彼女等とて人生の多くをフィギュアスケートにささげ、一生懸命に戦っているのだと思います。才能の差か練習環境の差か、何かしらの理由でトップにまでは至らないレベルで頑張っている選手達のことを考えますと、羽生選手のこの言葉はどうなるのでしょうか。

私が最も気になったのは、
①羽生選手がこの言葉を発したのは、聞かれて咄嗟に自然に出たものではなく、「用意していた言葉」「計算された言葉」に聞こえることです。これが私が違和感を覚える理由の一つです。少なくとも、羽生選手は口から出まかせの軽口や冗談でこの言葉が出たのでは決してありますまい。

②そして、羽生選手が誇張したとは言いませんが、この言葉がどんな影響を人に与えるか彼は良く知っていたと思います。つまり、「五輪を2連覇した羽生結弦は、さすが、他の人とは言うセリフが違うだろ?別次元だろ?」みたいな雰囲気。これが私が違和感を覚える第二の理由です。

③観客もファンも、羽生選手が2位に終わったからと言って、勝てなかったからと言って…残念には思えど…誰も批判はしませんし、それどころか彼の演技に味わいが増していることを称賛するでしょう。特に、あの気迫に満ちたフリーの演技には私も感動しましたし、羽生ファンの多くが涙したと思います。

負け惜しみではなく、フィギュアスケートの演技には…それが点数に反映されなくとも…選手個々の魅力というものがあります。滑りだすだけで放射されて来るオーラや色気や輝きや優美さ等。羽生選手にはそれがあります。少なくとも、優勝した選手よりもずっとそうした魅力を感じます。もちろん、年齢から来る熟成度もあります。ある意味、それは勝った負けたよりも大切なものかもしれません。特にフィギュアスケートでは。私と同じように思うフィギュアファンは多いのではないでしょうか?

マスコミは優勝を盛んに煽りますが、ファンは必ずしもそうではないでしょう。
それよりも、羽生選手自身が納得出来る演技、全ての力を出し切った演技を期待しているのではないでしょうか。結果、優勝したらそれにこしたことはありませんが。ネイサン・チェン選手が完璧に演技をしたら、たぶん、羽生選手を上回る得点と順位になるでしょう。これは仕方のないことです。負けが死も同然なんてことは全くありません。

ソチ五輪では期待された浅田真央選手は表彰台に上がれませんでしたが、あれは「負けは死も同然」でしょうか?とんでもない。多くの観客を感動させたではありませんか。確かに、試合には負けました。しかし、一人のフィギュアスケーターとしては「大勝利」だったのではないでしょうか。

それゆえ、羽生選手の口から、「負けは死も同然」というセリフは聞きたくなかったです。


【宮原知子選手がトリプルアクセルを習得すると宣言したそうですが】

遅いですよ。今頃になって。
私は4年も前から宮原選手は4回転かトリプルアクセルを見に付けないとロシア選手には勝てない!と強調して参りました。が、宮原陣営にはそのような気配はありませんでした。事実、平昌五輪では宮原選手は最高の演技をしましたが、表彰台にも届きませんでした。日本のエース宮原選手にとっては辛い結果だったでしょうね。

で、紀平選手が3Aを、ロシアのジュニア女子選手が4回転ジャンプを決めているのを見て、大いに刺激されたのでしょう。宮原選手もアスリートである以上、優勝したいという気持ちは強い。

しかし、宮原選手は21才です。長洲未来選手の例がありますので3A習得は不可能ではないかもしれませんが、かなり厳しいんじゃないですかね。何故なら、豪快なジャンプを持つ樋口新葉選手ですら、18才の今もなかなか3Aが試合に使えるレベルになっていないのです。

年齢的には、同じく3Aの習得の宣言をした坂本花織選手の19才が限度じゃないでしょうか。彼女の大きなジャンプを見る限り、十分に可能でしょう。

宮原選手の弱点はジャンプに向かう際に「思い切りが足りない」ことでしょう。いつも本人自らが「思い切りが足りなかった。慎重になり過ぎた」と言っています。これで難しい3Aを試合で決められるでしょうか。

宮原選手はここまで来たら、ミスを頻発させているトリプルルッツやトリプルサルコウの改善と、今取り組んでいるジャンプの全面的な改良(もっと高さと美しさを目指す)に専念した方が良いと思います。彼女の長所である音楽表現もまだまだ進化出来ると思います。あえて言わせてもらいますと、優勝よりも宮原選手の個性を伸ばす方向が良いと思います。私は3Aよりも、宮原選手の個性がより発揮された美しい演技が見たいです。


【紀平梨花選手が同じミスを繰り返すのが気がかり】

ショートプログラムの冒頭の3Aのミス。何回同じ場面を見たことでしょうか。「ああん、もう、しっかりしてくれッ!」と叫びたくもなります。もちろん、嘗ての浅田真央さんやトゥクタミシェワ選手も苦労しているのを見れば分かりますように、女子選手にとって3Aは非常に難しいジャンプなのでしょう。素人が想像するよりずっと難しいのでしょう。

しかし、紀平選手の場合は公式練習でも6分間練習でも3Aをバンバン決めているのです。それも、「何とか降りた」「やっと決めた」レベルではなく、高い確率で完璧に決めているです。

つまり、3Aのミスは技術的問題ではなく明らかにメンタルの問題でしょう。

昔から、「(海外の選手と比べ)日本人選手は本番に弱い。プレッシャーに弱い。萎縮する。緊張し過ぎて失敗する」とよく聞かされて来ました。これがどこまで科学的根拠があるのか怪しいですが、結果としては当たっているケースが少なくないようです。すると、紀平選手にも同じ弱点があるということでしょうか。

トラウマにならなければ良いのですが。。。

まだ16才だから、そこまで大袈裟に考えなくても良いのかもしれませんが。

さて、来る国別対抗戦での紀平選手のショートプログラムに注目ですね。この大会は割とお祭り気分で行われる雰囲気もありますのでプレッシャーは少ないのではないでしょうか?

ここでまたしても3Aで同じミスを繰り返すようであれば、事態は深刻です。

現行のルールでは、ショートプログラムでのジャンプの規定違反は0点になります。3Aは綺麗に決まれば基礎点と加点の合計で10点は稼げますので、成功と失敗では天と地の差になります。

素人考えですが、深刻な場合の対策としては、

①専門家の指導によるメンタルトレーニング・イメージトレーニングの実施
②ショートでは3Aをしばらく封印する。

③3Aを冒頭に跳ばず、2番目に跳ぶ。
紀平選手の完成度でしたらほとんど問題無く跳べると思うのです。むしろ、最初に単独の3ルッツか、3F-3Tのコンボを持って来て、身体が暖まり始めた所で3Aを跳ぶ方が決まり易いのではないかと。

どうでしょうか。。。ダメかなあ。。。


以上、3人の選手について偉そうに言いたい事を書きましたが、あくまで応援したい気持ちで言わせてもらいました。そもそも、応援する気の無い選手であれば私は何もコメントは致しません。




2019.04.09 | | コメント(22) | トラックバック(0) | 日本人選手達



書籍に見る「元号 vs 西暦」の傾向




>出版社は日本文化や伝統の一翼を担う存在です。
そこで、出版社が元号と西暦、どちらを用いているか調べてみました。

●歴史・時代小説における元号vs西暦
昔は単に、天保元年、とだけ表記する小説によく出会い、その度にいちいち西暦を調べなければならず、私はイライラさせられました。最近では、天保元年(1931年)と両方を併記するのが当たり前になって来ました。

また、元号だけの表記だと、実在した歴史上の登場人物の年齢を知る上でも非常に不便でした。


●本の巻末に見る元号vs西暦
どの本にも、
①発行日:初版第一刷の年月日など。
②この作品が雑誌や新聞紙上で連載された又は単行本として発刊された年月日など。

が元号または西暦で記されています。

①を元号で表記している出版社
新潮、角川の2社のみ。
まあ、新潮はあのヘイト本雑誌を発行しているように、極めて保守的ですから。

①を西暦で表記
文春、小学館、講談社、岩波、中公、集英社、徳間、光文社、筑摩、河出、平凡社、ハルキ、全て西暦表記。

②を元号で表記
新潮、角川の2社のみ。
ところが、新潮文庫には西暦表記も散見されます。
社内で「元号派」と「西暦派」の派閥争いがあるのか?

②を西暦で表記
①と同様、12社は全て西暦。

つまり、西暦派の圧勝です。
出版社の本音としては、不便な元号は避けたいのでしょうか?しかし、「日本の誇る、元号」、この伝統文化を出版社の大多数が用いないというのは、どうなんでしょうか?

ここは、新潮と角川の「踏ん張り」に期待しましょう(^o^)


●皆さん、そこでお立ち会い!
「我らが保守&右翼の希望の星」、産経新聞社と扶桑社はどうなっているでしょうか。

この両出版社による本が各一冊、私の手元にあります。

㋑産経新聞社版「絶対に誤りを認めない政党・日本共産党の研究」

①については、「平成28年6月1日 第1版発行」

ちゃ~んと、元号で記してあります。西暦は使わない。さすがは産経新聞社!(^_^)/

…と思いきや、

②を見たら、「本書は、2015年8月から産経新聞紙上で不定期に掲載された…」

とあるではありませんか!

嗚呼!、思わず私は天を仰ぎました。

日本の国の形と日本文化の柱である元号を使わず、「毛唐」の発明した西暦で記すとは、

産経新聞ともあろうものが、何たる醜態!


㋺もう一冊は、扶桑社版「市販本・新しい歴史教科書」

執筆関係者は、
西尾幹二、高橋史朗、田久保忠衛、田中英道、藤岡信勝と、
愛国心に満ち満ちた頼もしい先生方の顔ぶれです。

さらには、帝友会会長の高花豊先生によるありがたき推薦のお言葉が一枚挟まれています。

驚くなかれ!巻末を見ると、

「2001年6月10日 初版発行」

とあった。

嗚呼!、またしても私は天を仰いだのでありました。

扶桑社よ!オマエもか!

日本の文化と伝統の担い手となるべき両出版社のこの情けない有り様。

美しい日本を取り戻し、西暦の侵略と戦わなくてはならぬ産経と扶桑社が、

西暦に手を貸しているのです!

何という破廉恥!

これでは両出版社が戦っている相手の、朝日や岩波と五十歩百歩ではないか!

新潮と角川を見習え!

出版物での元号使用は、今や風前の灯火。絶滅の危機。。。(;゜0゜)



今頃気がついたのですが、元号というのは未来には使い難いという欠陥があります。

つまり、「今から20年後の2039年頃には」とは言えても、「今から20年後の令和20年頃には」とは言い難い。元号が変わる可能性があるからです。

しかも、「令和20年頃には」という響きは、時間感覚としてピンと来ません。
「2039年」という響きの方が、時間の流れを容易に感得出来るのです。
これは理屈ではないと感じます。



2019.04.06 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 歴史・文化



「作品に罪は無い」をどう思うか?・愚見を少々




>麻薬使用で逮捕されたタレントのピエール瀧被告に関連して、彼の音楽CDや出演ドラマ・映画等につて、販売停止、撮影撮り直し、放映中止等の自粛が行われていることを受け、

彼が出演した映画の監督が、「作品に罪は無い」と発言したようだ。また、他にもおなじような主張をする芸能関係者や自称「リベラル派」もいるようだ。

私はこの監督の主張には反対である。

まず、芸能界の当事者が主張しても全く説得力が無い。

次に、自分がせっかく監督した映画がボツにされるのは嫌だから当然そう言うだろう。つまり、自分の利益の為という本音を隠し、映画公開を正当化しようとしているとしか思えない。

第三に、仮に、出演者が殺人、少女強姦、放火等の犯罪者だとしても、やはり、「作品に罪は無い」と言い張るのであろうか?私は芸能界の本音として、「麻薬ぐらいのことで」という認識があるのではないかと疑う。

麻薬なら「作品に罪は無い」が、殺人なら「作品に罪あり」とでも言うのか?あるいは、断固、「たとえ殺人であれ少女強姦であれ、作品に罪は無い」と言い張るのであろうか?

仮に、出演者の役柄が刑事役だとしたら、あるいは犯人役だとしたら、まったく洒落にならない。


作品にも「罪」はある。

①ドイツではヒトラーの「我が闘争」は戦後ずっと発禁処分になっていた。数年前にやっと解禁になった。

②そのヒトラーに利用されたリヒャルト・ワーグナーの音楽・オペラは、イスラエルでは公開演奏は禁じられているか、そうした申し合わせになっている。

その証拠に、2001年ごろ、名指揮者のダニエル・バレンボイム氏がイスラエルでのコンサートの演目終了直後にアンコールを演奏することになった。この時、彼は聴衆に「ワーグナーの曲を演奏したいが良いか」と了解を求め、その上で演奏したのだが、後日、激しい非難を浴びたという。

ヒトラーはまだしも、ワーグナーは1883年に亡くなっているので、ナチスとはまったく関係ない。それが、ナチスに利用されたこと、ワーグナー自身が「音楽におけるユダヤ性」という反ユダヤ的論文を発表していたことが問題にされ、かかる扱いが続いているのである。

ちなみに、ワーグナーのオペラには反ユダヤの内容は無い。

また、具体例を失念したが、アメリカでも罪を犯したミュージシャンの作品が自粛扱いされたと聞いている。

以上の例は、言論・表現の自由に対する挑戦である、と言えるのだろうか?

私は違うと思う。

仮に、彼等の作品が未来永劫、禁じられるとしたら問題ではある。

しかし、発禁・自粛について、日本には昔から人間の知恵というか、上手い対応がある。

「ほとぼりが冷めるまで待て」

この言葉だが、ドラマの中で、罪を犯したヤクザに対し親分が、「ほとぼりが冷めるまでしばらく外国に行ってろ」という例を良く見る。この為、あまり良いイメージが無いが、これは知恵だと思う。

つまり、未来永劫に禁じるのではなく、「ほとぼりが冷めたら」許す、ということなのだ。

「作品の罪」が解かれるのには、時間が必要なのだ。

時間を要する長さは罪の重さに比例する。

ピエール瀧被告の場合は、せいぜい、2年くらいのことはないか?



2019.04.05 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 戯けたライフ



時代区分のバカバカしさ




>(時代区分が)明治維新までは幕府単位なのに、それ以後がなぜ元号単位なのか理解出来ないのは私だけだろうか。安政年間とは言っても安政時代とは言わない。

某ブログで元号にからめて、このようにコメントされた方がおられ、私は興味をそそられました。


①大枠の時代区分としての、原始、古代、中世、近世、近代。

そもそも、日本史における古代というのが、概ね、6世紀末の飛鳥時代~12世紀末の平安時代までというのがバカげています。お隣の中国では宋の時代あたりから近世に区分されるという説もあるというのに。

「源氏物語」や「枕草子」が生まれた時代が古代なんてことあるはずがない!

12世紀末といえば、ヨーロッパでは中世が終わり、近代への序曲・ルネサンスの時代に入っているのです。

☆もっとも、今のヨーロッパを代表する国々、フランス・ドイツ等はそもそも古代が無いという説あり。ロシアにも古代は無いとの説あり。ヨーロッパにおける古代とは、ギリシア・ローマのことらしい。

私に言わせれば、日本の古代は藤原京で終わり、平城京の610年から中世ですよ。つまり、律令国家としての明確な形が出来上がり、土地制度も整備され、飛鳥の地から離れ奈良に都を移したという点から鑑みて。

まあ、妥協して、せめて794年の平安京から中世でしょ。

で、室町時代から近世でしょう。武士による支配や村落の形、身分制度が定着し始め、文化・生活面でも現代に通じるものは室町時代に始まるという説が有力だからです。

学者の間では、荘園制が整備された白河上皇による院政の頃から中世としようかとの動きがあるらしい。これでも、せいぜい、11世紀末くらいでしょう。


②中枠の時代区分としての、都の場所単位、幕府単位。

一応、飛鳥時代からしょうか。邪馬台国の頃は何時代なの?弥生時代?古墳時代?わからん。

それと、例外的に、白鳳時代があるのですが良くわからん。続日本紀に「白鳳」との元号があるのとか。

で、幕府単位というのは歴史の理解上、弊害が大きいですよね。

鎌倉幕府だから鎌倉時代としたのでしょうが、これだとまるで幕府が日本全国を支配していて、天皇・貴族はどこかに消えてしまったような誤解を招きます。

実際は、関東以北は主に幕府が、近畿以西は主に朝廷が支配していたとの説が有力です。事実、天皇も貴族もしっかり政治・経済活動をしており、武士に脅かされ世の隅っこで身を縮めていたのではありません。

つまり、鎌倉&京時代なのです。

学者にしても、こうした時代区分に無理があり過ぎることは承知しているのでしょう。ただ、教科書で歴史を教えて行く点で、何と言いましょうか、便宜上、手っ取り早く、という意味合いで名称をつけたんでしょうね。

室町時代に至っては、前半と後半ではかなり様相が異なっていますし、室町だか戦国だかの区分も学者によりまちまちで一定していませんよね。室町にあった花の御所にしても、実質は三代義満から八代義政くらいまでで、それ以降は将軍があちこちに避難したり、御所も焼けてしまったりで、もう、グシャグシャ状態。とても、室町、という言葉では括れませんね。


③小さな単位としての元号。

このように考えて来ると、元号で時代区分などナンセンスに近いです。

ご存知のように、昭和時代だって前半と後半ではエライ違いです。大正時代末期と昭和初期、昭和後期と平成とでどれだけ違いがあるのか?皆さんは説明出来ますか?

さらに、元号で時代を括ることで歴史の流れをやたら遮断してしまい、歴史をステレオタイプに見てしまいがちです。誤解と偏見を生む元にもなります。

まあ、それでも、元号で大正時代、昭和の時代、と言うだけで、日本人の心にある種のポエジーやノスタルジーを醸しだす作用があるようですし、情報処理上、ある程度のステレオタイプ化は仕方ないという妥協もありますね。

それに、人間は必ずしも真実を求め、正確な事実を求める生き物とは言えません。そんなん、適当でいいよ、そこそこで間に合っている、自分の受け止め方で良いのだ、という人も少なくありません。

我々は、時代区分には無理があり過ぎるし非常に不正確である、と弁えた上で、「〇〇時代は…」と語れば良いと。こういう平凡な結論になるということですね。


時代区分、他の国ではどうなんでしょうね?


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※お勧め歴史本

井上章一著「日本に古代はあったのか」(角川選書)

氏は、日本には古代は無かったんじゃねえの?との問いを発し、時代区分に対するの疑問や、鎌倉時代、江戸時代における、「関東中心史観」に対する疑問を提起しています。

いささか乱暴な主張もありますが、なかなか知的刺激に満ちています。

氏の専門は風俗史と意匠論だそうで、なかなかユニークな学者さんです。



2019.04.04 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 歴史・文化



シューベルトの名曲・ピアノ三重奏曲1番変ロ長調:狂おしい程の情熱







この曲は、「未完成交響曲」や、歌曲の「野ばら」「ます」「菩提樹」「セレナード」等と比べると、あまりポピュラーではありませんが、シューベルトの指折りの名曲です。

シューベルトが死の1年前、1827年に作曲したものです。

ここでお借りした動画は、第二楽章のアンダンテです。

身も世もない程の切なさ。狂おしさ。

ただ一途に何かを求めずにはいられない切迫した心。

単にメロディーが美しい、というのではなく、恐ろしいまでの情感がうねっています。

恐ろしいまでの情熱だからといって、大音量で大袈裟な音楽が流れるわけでありません。

反対に、わずか3つの楽器で、静かな、抑制の効いた音楽だからこそ聴き手の心に強く迫って来るのです。

わたしなど、このアンダンテを聴くのが辛くなり、途中で止めてしまうこともあります。

あまりに感情が昂って。。。

これこそがシューベルトの特長の一つでしょう。


実は、私が最近ハマっている中山可穂さんの小説、「弱法師」の中の3番目の短編、「浮舟」で、このアンダンテが、ある種のモチーフにもなっているのです。

「弱法師」「卒塔婆小町」「浮舟」の3つの短編集です。

御覧のように、有名な謡曲をモチーフに、現代にアレンジした小説です。

もっとも、原作からはちょっと遠いものになってはいますが。

それぞれが素敵なのですが、特に、「浮舟」が素晴らしい作品です。

中山可穂さんの小説については、近々、記事に取り上げるつもりです。



2019.04.03 | | コメント(20) | トラックバック(0) | 音楽



令和の令は、令月の令 だとさ




新元号は令和か。

ケッ!

万葉集から選んだといっても、つまりは外国語の漢語じゃねえか。

ベラボウメ。オタンコナス。スットコドッコイ。アベのフニャチン野郎が。スカタンの蛸助!


いっそ、この機会に、「令嬢」たる私の源氏名を「片割月」から「令月」に変えようかしらん?(^_^;)


しかし、日本人の中には今でも、

元号や天皇をありがたく思い、感涙する人達が少なく無いんですね。

私はちっともありがたく思わないんだけどね。

何が何でも廃止せよ、と言い張るつもりはない。

しかし、面倒で煩雑なだけの元号を強要される。こちとらは迷惑でありんす。


外務省が煩雑さやミスを避ける為に、原則、和暦ではなく西暦を用いる方向で検討中とのことですが、

それは全ての官庁や地方自治体で進めて欲しいものです。

私達がお役所等に提出する公式文書等に関して、

少なくとも、西暦、和暦、人により好きな方を選べるようにして欲しいものです。





2019.04.02 | | コメント(14) | トラックバック(0) | 歴史・文化



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プロフィール

片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、神仏を尊び、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者熟女(四十路半ばを過ぎた)ですが、よろしくお願いします。

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