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「立憲民主党」の設立と、「小池劇場」の失速:愚見を少々・追記あり




●民進党の枝野幸男代表代行は10月2日、東京都内で記者会見し、新党「立憲民主党」設立を表明。

自由は死せず!リベラル※は死せず!

良かった!

これで有権者にも選択肢が増えました。

「立憲民主党」の党名も手堅いもので私は良いと思います。

「希望の党」のごとき、聞いていて気恥ずかしくなるネーミングは小池代表のセンスの無さを如実に示す。

私は「立憲民主党」に投票するつもりです(^o^)/

私の予想ですが、国会を私する安倍政権への批判と小池代表のあざといマキャヴェリズムへの批判により、案外と「立憲民主党」は健闘するのではないかと。同情票も集めるでしょう。

右も左も、「右翼&保守」にうんざりした中道的な人達からの共感を得る可能性もある。

甘いかなあ。。。


●「希望の党」は野党にあらず。反安倍でも反自民にもあらず。自民党の補完政党であり、さらには、小池代表の個人商店に過ぎないことが日々明らかになりつつある。

私の予想よりも早く、「小池劇場」は失速しつつある。

そりゃそうだ。

ゲンナリだ。

「排除」「さらさらない」

不快でおぞましい文言だ。何が「寛容な保守」だ!
しかし、ここに小池百合子という政治家の独裁的本性が露呈しています。

ポスター用のツーショット写真代に3万円払えだと!

セ、セコイ!!

セコイ金勘定。。。いかにも、悪い意味で「女の発想法」と思います。

こんな人間が仮にも「総理」など、世界に恥をさらすようなもの!

小池代表のやり方に反発した都民ファーストの都議会議員から2名が離党する模様。

「都民ファースト」の本質は、「小池ファースト」に過ぎぬ。これに気がつく人間が出て来た。



●改めて痛感するテレビを中心とするマスコミの低レベルさ!

大阪維新の「橋下劇場」も、希望の党の「小池劇場」も、テレビが作った「幻想」に過ぎぬ。

つい最近までは連日のように北朝鮮のミサイル発射シーンを飽きずに放映し、どんちゃん騒ぎしていたテレビ。それが今は、「小池劇場」でどんちゃん騒ぎ。

おやッ?「北朝鮮の脅威ガ~ッ!」はどうしたのかしら?

つまり、北朝鮮の脅威の半分以上は、安倍政権とテレビによって煽られ、誇大化したものに過ぎぬ。

そういうことでしょう。

およそ、「何でコイツが偉そうに政治を語るのか?」と呆れるような顔ぶれがニュース番組やらワイド番組に登場する。つまり、おバカタレントの連中だ。

もちろん、この連中は何やらガヤガヤ言うが、実は内容は空虚なことしか言わないし、それしか言えないのだ。そりゃそうだ。真に政治問題の本質を語り、安倍政権の問題を語るようなタレントは芸能事務所やテレビ局が出演させるハズも無いのだ。

これが、テレビの本性です。

もちろん、こんなこと、私が今さら言わずとも皆さん、ご存知かと。

しかし、改めて、マスコミの低レベルを感じた。



リベラルの定義は難しい。

戦前にジャーナリストとして活躍した石橋湛山や清沢洌がリベラルの例です。

考え方の基本は自由主義であり、反・皇国史観、反・唯物史観です。

また、経済システムに関しては、反・資本主義、反・社会・共産主義です。

つまり、なるべく特定のイデオロギーにとらわれない自由な精神を土台とする価値観です。


安倍自民党には日本会議系の復古主義的なイデオロギーがみえみえですし、

共産党にはもちろん共産主義というイデオロギーがあります。


☆追記

あれッ?
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当初、小池代表が主張していた「原発ゼロ」はどこへ行った?

おそらく小池代表は、「原発ゼロ」は得票数を伸ばす有力な「エサ」にならないと判断したのでしょう。

権謀術数をめぐらすマキャヴェリストらしい小細工ですね。

私の言った通り、かねてからの核武装論者であり、原発再稼働に反対もして来なかった小池代表が、本気で「原発ゼロ」に取り組むハズは無いのです。

偉そうに言わせてもらいますが、

女性有権者の皆さん、どうか小池代表に騙されないように!




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2017.10.03 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 歴史・文化



歴史:「変化」と「不変」について愚見を少々




<古文書>本能寺の変、仏教界は喝采「信長は清盛の再来」:毎日新聞 2/4(土)

◇愛知・豊橋の寺で発見 悪感情読み取れる

(引用開始)…愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的に評した詩文が引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授(日本近世文学)や高崎俊幸住職が発表した。島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取れるとしている。

文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。

その冒頭に、近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。

詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家をないがしろにして万民を悩まし、苛政や暴虐は数え切れない」「(本能寺の変で)死亡して人々は拍手し、天下が定まった」といった意味の記述があった。さらに信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、光秀を「勇士」と表現したとみられる記載も見えた。

信長が1579年に築いた安土城に触れ「天守は(高さ)百尺(約30メートル)」「苦役で民が汗を流し、ぜいたくな城を築いた」と解釈できる部分もあった。信長の比叡山焼き打ちにも言及していた。

島田教授は2014年に高崎住職から依頼を受け調査を進めていた。島田教授は「信長が仏教界から尋常ではないほど恨まれていたことが伝わってくる」と話した…(引用終わり)。


織田信長は非常に合理的な考え方の持ち主だったようで、神仏の存在など信じていなかったフシもある。信長の合理的思考を示す良く知られたエピソードがある。宣教師が連れて来た「奴隷」としての黒人を初めて見た信長は、配下の者に黒人の肌をゴシゴシと拭かせてみたという。肌に垢がついているとでも思ったか。


ところで、当時の仏教界による信長非難だが、これは私が信長に対して抱く感想とほとんど同じなのに驚いた。当時の戦国大名は程度の差こそあれ人殺しや焼き討ちをたくさん行った。その中でも信長は「根ぎり」と称して一向一揆衆を虐殺しまくった。比叡山焼き討ちでは僧侶・僧兵等、数千に及ぶ人間を殺戮したという。

こうした信長の行為に対する悪感情なり非難は、当時の人も現代人の私も変わらぬ。


●「現代人の価値観で過去の歴史の善悪を言うのナンセンス」は正論か?

一見、ごもっともな論に思える。
専門の歴史学者や考古学者にはかなり当てはまるかもしれない。当時の史実を客観的に検証し再現する為には、現代の歴史学者個人の価値観や思想に歪められてはならないからだろう。しかし、その歴史学者が無数の史実なり断片的な資料を吟味し、整理し、取捨選択し、因果関係を追求し、歴史を再現する過程に置いて現代の価値観から無縁ではいられまい。長大な年表を作成することが歴史ではないのだから。

私達が聖徳太子による憲法十七条を称賛する時、経営者や管理職の人達が織田信長や豊臣秀吉の「経営術」「部下把握術」を学ぼうとする時、「万葉集」や「源氏物語」等の古典を読んで感動する時、それらは明らかに現代人の価値観を基に判断しているのである。

そして、ここが肝心なのだが、「現代人の価値観で過去の歴史の善悪を言うのナンセンス」を強調するのは、「新しい歴史教科書」を制作した新自由史観の人達だということ。その意図は何か?つまり、アジア・太平洋戦争における大日本帝国とその旧日本軍による中国・朝鮮・東南アジアへの侵略・植民化という史実を認めると、「それは自虐史観だ」と非難したり、「日本の正当防衛だった」と異論を唱えるする人達だ。

そこで、「現代人の云々。。。」は、まことに好都合な主張なのである。

もっとも、彼等は、「東京裁判はアメリカによる茶番劇」「太平洋戦争はアメリカに仕組まれた陰謀」と、「現代人の価値観」から当時のアメリカを「悪玉」に仕立てるという自己矛盾を犯している。

さらに、そもそも「昭和」は「過去という額縁」に収められるだろうか、という疑問もある。


●歴史に見る「変化」と「不変」について。

私達が歴史を学んだり楽しんだりする時、「昔は今とはこんなに違うのか!」と思う時と、「昔も今も変わらないな!」と思う時とがある。どちらの方に発見や感動があるか、人により場合により様々だ。

今から千年以上前に書かれた清少納言の「枕草子」は、「変化」と「不変」の宝庫だ。
「変化」の例…第二百二十六段。
和歌では優雅に詠われるホトトギス。ところが、農民達が田植えをしながらホトトギスをののしる歌を歌うのを見た清少納言がひどく憤慨する。作者の好みが強烈に出ている箇所だが、現代人はまず憤慨などしない。むしろ、「田植えは大変だろうなあ」と思ったり、「お疲れ様です」と感謝の気持ちを持つ。

それにしても、清少納言の好奇心が貴重な証言となった箇所だ。
当時の農民たちが、「ホトトギスよ、おまえ、コイツめ!オマエが鳴くから、わしは田植えをするんだぞ」と歌っていたとは…他に資料があるだろうか?

ちなみに、当時の貴族に詠われたホトトギス。

郭公(ほととぎす)なくや五月のあやめ草
                あやめもしらぬ恋もするかな(古今和歌集)


こうした優雅な和歌の世界に育った中級貴族の清少納言が、農民たちの「ホトトギスよ、おまえ、コイツめ!」に憤慨する気持ちを現代人はほぼ理解出来る。それは何故?


「不変」の例…第七十五段。
姑に可愛がられる嫁はめったにいない。主人の悪口を言わない召使はめったにいない、と清少納言は言う。これは現代とほとんど変わらない。読んでいて私は思わず笑ってしまう。


私は「不変」の方に歴史を読む喜びを感じる方だ。「嗚呼、結局、人間って昔も今も、考えること、思うこと、悩むこと、悲しむこと、喜ぶこと、怒ることは一緒なんだなあ」と。

家も服装も食生活も身分も自然環境も働く環境も異なれど、ひと皮むけばそこは同じ人間。

昨年の大河ドラマ「真田丸」を見て改めて思ったのは、晩年の豊臣秀吉は身内であろうが茶道の師匠であろうが、気に入らなければ皆殺してしまう酷いヤツだったと。こんな人間が関白で世を支配していたのかと、少々情けなくなった。しかし、現代だって世界中のあちこちで、権力者が気に入らない人間を殺す例はたくさんある。




2017.03.11 | | コメント(12) | トラックバック(0) | 歴史・文化



一枚の写真;幕末




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写真の武士たちが何者であるかは、下記のサイトを参照して下さい。
ここです

●クイズです。(回答は記事の最後の方に)
問1.スフィンクスのことを当時の日本語では何と言ったか?
問2.同じく、ピラミッドは?

ヒント。漢字で表します。


●1864年(元治元年)2月28日に撮影されたこの写真、興味が尽きません。
私が最初にこの写真を見た時、言葉に出来ない程に興奮し、感動したのを覚えています。スフィンクスとピラミッドを背景に佇むサムライたちの姿…雄大にして凄い迫力です!

1866年(慶応2年)、坂本竜馬とおりょうが九州霧島の温泉に行ったのは「日本人による最初の新婚旅行」とする説があります。それならば、この写真は「日本人による最初の団体ツアー記念集合写真」と言えるでしょう。

この当時のスフィンクスは首から下が砂に埋まった状態だったと分かりますね。胴体や足が見えません。エジプトの文化遺産を前に、陣笠に帯刀姿の武士達の姿。その巨大なミスマッチとコントラストぶりは感動的です。スフィンクスの前を通った人間は無数にいたでしょうけど、サムライたちが通ったのは空前絶後です。

意外に思うことがあります。武士と言えば形式や上下の秩序にうるさいもの、との先入観が私にあります。ところが、写真を見ますと、整然と並んではおらず、一人はスフィンクスの首下に寄りかかり、一人は首横の中腹に座っています。まるで子供みたい。また、正面の武士達の中には「ポーズ?」を決めているように見える者もいれば、横を向いたり、一人だけ離れて立っていたりと、ポーズはまちまちです。陣笠を脱いで丁髷を見せている者もいます。重大な使命を帯びた池田使節団でしたが、この時はリラックスしていたのでしょうね。

この写真は、歴史の偶然が一瞬に凝結した傑作と思います。


●この後、池田使節団はフランスのマルセイユに着きます。使節団の一人が残した日記によれば、彼等はマルセイユの街の美麗広壮な様に感激し、呆れ、感極まって泣いていた者もいたそうです。中には、「どうしてこの国の有り様と我日本とではかくまで違うのであろうかと、慷慨非憤して居る」者もいたそうです。

当時の武士たちはまだ西洋の美とか芸術に影響されていなかったはずです。江戸時代までの知識人は中国を先進国として尊敬し、言葉や文化を学んでいたはずです。

それにもかかわらず、武士達が初めて西洋文明を目の当たりにして、「美麗」と形容し、感激したことに私は驚きます。美的感覚というものは国により民族により様々であり、普遍的なものではない、と思えるのですが、逆に、もしかすると日本人には西洋の文明や文化に共感出来る何かを既に持ち合わせていたのかもしれません。脱亜入欧は単なる政策によるものだけに由来するものではなく、日本人の資質に関わる何かがあったのかもしれません。



☆クイズの答え
①スフィンクス→首石、石首。巨人首。
②ピラミッド→三角山。錐形塔。

表現が単純というか即物的ですね。
池田使節が詩人を連れていたら違った表現をしたかもしれません。




2017.01.18 | | コメント(11) | トラックバック(0) | 歴史・文化



多民族国家日本を小説から学ぶ:偏見と差別




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●李恢成(り・かいせい)著「百年の旅人たち」(新潮文庫)
朝鮮人である彼等がどうして「日本人として樺太に住み」、どうして「命からがら樺太から逃げ」、どうして「長崎の収容所に向かうのか?」、どうして「38度線の存在を知って戸惑い、悩むのか?」、「どうして不法入国者として故国へ強制送還されようとしているのか?」…この歴史を知る日本人は少ないでしょう。私もそうです。700ページに及ぶ長編であり、重い内容です。読んで感動するというよりも、忘れられようとしている又は故意に無視されようとしている歴史を知る上で貴重な大作と思います。


●船戸与一著「蝦夷地別件」(新潮文庫)
アイヌ民族の和人との4回の戦い…コシャマインの戦い(1457年)、ヘナウケの戦い(1643年)、シャクシャインの戦い(1669年)、クナシリ・メナシの戦い(1789年)とありますが、この大作は最後の「クナシリ・メナシの戦い」を描いています。これもまた「忘れられようとしている又は故意に無視されようとしている歴史」の一つと言えましょう。

アイヌの歴史は北米原住民(アメリカインディアン)とよく比較されます。すなわち、広大な土地に部族毎に分散して住み、国家を持たず、部族間の戦いもしばしばあった。文字を持たぬ民族の悲しさ…法とか契約等の手口にまんまと騙され、大和民族、イギリス系アメリカ人の侵略に脆くも敗れた弱小民族の悲劇です。

そうした中でも、勇気あるリーダーのもとで侵略者に立ち向かう者もいれば、相手側に寝返る者もいました。あるいは一匹狼的な天邪鬼?もいました。船戸与一の小説は巨編が持ち味ですが、ここでもアイヌの悲劇が淡々と抑制された筆致で、しかし雄大に描かれていて感動的です。私にとっては初めて知る戦いであり、発見が多い小説でした。読んで良かった!と心底から思えました。船戸与一の小説は巨編なので相当の覚悟が必要ですが、他にも読んでみたい作品が目白押しです。

アイヌの人々に関わる本と言えば、石森延男の「コタンの口笛」は有名であり、小中学校時代に読まれた人は少なくないでしょう。少年を主人公としつつも、「偏見と差別」の存在を少し意識させられる児童文学。

人類学者の尾本恵一氏によると、2013年の調査では北海道に住むアイヌ人は6880世帯、16786人だそうです。日本政府は長年アイヌの人々を北海道の先住民族(正確には千島列島や樺太も含む)と認めて来ませんでしたが、2008年には前年の国連宣言に賛成したことを受けて認めるに至りました。

日本には主に、大和民族、アイヌ民族、そして琉球民族がいます。

なお、山川出版社「アイヌ民族の歴史」(2015年)は、アイヌ民族の歴史や文化、そして現在における問題を知る上で私にはとても勉強になりました。

☆古代史で有名な東北の「蝦夷」については、アイヌ民族と同じなのか否かについてはハッキリはしていないらしい。平安時代初期の蝦夷の軍事指導者であり、坂上田村麻呂に敗れて処刑されたアテルイは、史料には「阿弖流爲」「阿弖利爲」とあり、アテルイ、アテリイと読まれるが、現在はアテルイで統一。この名前の響きは大和民族系のものではなく、アイヌ系を思わせます。

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●陳舜臣著「琉球の風」(講談社文庫)
琉球は1429年「第一尚氏王朝」による琉球王国の時代を迎えた。ここがアイヌ民族との大きな違いですね。しかし、1609年、薩摩の島津氏が侵攻し首里城を占領。以降、琉球王国は薩摩への貢納義務を負わされ中国(清)へも朝貢を強いられるようになった。戦国時代において、これを題材とした小説を書くのは如何にも陳舜臣らしいですね。

●大城立裕著「琉球処分」(講談社文庫)
1871年、廃藩置県制度によって琉球は鹿児島県の管轄とされ、清国との通交を断絶、明治の元号の使用等、様々な圧力を受けます。1879年「琉球処分」により首里城の明け渡しが実施され、ここに琉球王国は終焉を迎えました。これ以降、琉球民族は大和民族を中心とする日本国に従属させられ、アジア・太平洋戦争の悲劇の犠牲者となりました。

やはりアイヌの人々の例と似ていて、島津氏や明治政府の圧力に対し、①武力をもって戦おう、②潔く従おう、③ノラリクラリと時間を稼ぎながら様子をうかがおう、の三竦み状態になります。負けはしましたが明治政府を相手に8年間に及ぶ琉球の人々の「粘り腰」には感服させられます。

陳舜臣も大城立裕も静かな筆致でことさら悲劇性を強調しません。これが良い。

高良倉吉著「琉球王国(岩波新書)が参考になります。「按司」とか「聞得大君」とかの琉球独特のシステムがあり、大よその概況を把握すると歴史・小説の観賞の手助けにもなります。

日本政府は琉球民族を先住民族とは認めていません。国連の人種差別撤廃委員会は何度も日本政府に琉球・沖縄の民族を先住民族と認めるよう勧告していますが日本政府は拒否しています。それどころか、「国連の勧告は日本を分断しようとするものだ」と批判もしています。また、地元沖縄では国連の勧告に対し賛否両論あります。反対の主な理由は、「我々沖縄県民は日本人であることが先決」ということのようです。なかなか複雑なようです。

松島泰泰勝著「琉球独立宣言」(講談社文庫)はなかなか痛快です。沖縄の独立論は一つの選択肢かもしれませんが、上で触れたように「県民は日本人であることが先決」とする見解が多いようですので実現は難しいかもしれません。

☆かつて中曽根元首相の「日本は単一民族だから教育が行き届いている」(1986年)発言は内外から差別的発言との激しい批判を受けました。一部の極右を除き、今時の日本人の多くはそうは思わないまでも「偏見と差別」から完全に逃れているとは言えまい。それこそ「教育が行き届かない限り」は減ることはないでしょう。

芸能人を主に、自分が在日韓国・朝鮮人であること公表する例は珍しくないですが、何故かアイヌ人との公表をする芸能人は寡聞にして知りません。いても不思議ではないのですが。アイヌといえば…毛深くて縄文人っぽい風貌で未開人的な雰囲気…との偏見が根強いからであろうか?

【偏見と差別の定義は?愚見を少々】
私達個人の身近な生活の中では、「私は納豆は嫌い」というのも一種の偏見でしょう。何故なら大抵は食べず嫌いだからです。無知と偏見は隣同士です。しかし、あくまで個人の好き嫌いですので「偏見」は大げさに聞えましょう。しかしです。もしも私が、「日本の料理は一番美味しい」と言ったら、これは少し問題があります。明らかに偏見です。しかし、最近の日本では…特に極右の安倍政権発足から…こうした風潮が強まっていると言えましょう。
例えば下記の広告。

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最近、この手の「日本スゴイ!日本は世界一〇〇!」的な文言をあちらこちらで見かけるようになりました。これを喜ぶ日本人も少なくないのでしょう。単細胞的ですが。

「日本人の味覚は世界一繊細だと思う」…世界中の何ヶ国の人々の味覚を調べた上でこのような主張をしているのでしょうか?恐らく無いでしょう。ただ広告主の「主観・好み」を言っているに過ぎません。が、これは社会的に不適切な文言と言えましょう。これこそ「偏見」を助長する危険があります。単なる好き嫌いじゃないか、とも言っていられなくなります。

私はこのような文言を見ただけで恥ずかしくなります。

しかし問題はもっと厳しく、「偏見」だけには留まらずに容易に「差別」へと深刻化します。すなわち、「韓国人の味覚は日本人の味覚に比べ劣る」というように。

「差別」とは、国や民族や文化等の差異に価値判断を持ち込むことです。これを個人が持ち込むのも問題ですが、集団社会や国が持ち込めば国際的問題に発展します。

偏見や差別を除去するには、子供の頃からの教育が大切です。何故なら無知こそが偏見や差別の源だからです。知らない、ということ自体が罪に値する…大人の社会では珍しいことではありませんね。ビジネスの世界でも、「私が無知でした」では通用しないことが多いですね。

☆さらには、「愛国心」も容易に「差別」に繋がる観念です。
「私は日本人に生まれて良かった」→「日本人であることに誇りを感じる」
→「日本ってスゴイ!」→「日本は世界一〇〇だ」→「××国は日本より遅れ劣っている」
という非論理的な図式へと容易に飛躍するからです。

「愛国心」の功罪は一概には言えないが、私は「罪」の方が大きいと思います。



2017.01.12 | | コメント(17) | トラックバック(0) | 歴史・文化



新春・日の春:西暦と和暦についての愚見を少々




2017年(平成29年)。明けましておめでとうございます。


          日の春をさすがに鶴の歩みかな   其角


正月は何でもめでたく思えることだが、大らかで気品のある鶴の歩みはさすがであり、正月にふさわしい。

トリ年が鶏なのは酉という漢字に由来するそうですが、私は残念に思っています。コッココッコと忙しく落ち着きの無い鶏ではなく、鶴こそがトリ年に相応しい。


【和暦(元号)を公文書の世界から追放して欲しい】
江戸時代の時刻を表す明け六ツとか五ツ等を現代の時刻に換算する方程式があります。
(9-〇ツ)×2=現代の時刻
例えば、明け六ツ=(9-6)×2=6時です(必ずしも正確ではないが、おおよその目安)
これを知っていると実に便利です。時代小説やドラマでのセリフ、「では五ツに増上寺山門にてお会いしましょう」は現代の10時頃と思えば良いのです。

10時頃は8時頃の誤りでした。簡単な計算を…アホですね(^_^;)

ところが、西暦を和暦に換算するのは面倒です。

古代史好きなら平城遷都は710年、平安遷都は794年とスラスラ言えるでしょう。しかし、794年の和暦(元号)を言えますか?元号は延暦と知っていても、延暦の何年かまで知っている人は少ないでしょう。

関ヶ原の合戦は1600年と簡単に覚えられますが和暦は?いや、ごく最近の2004年を平成何年かすぐに言える人がどれくらいいるでしょう?

横山秀夫の小説「ロクヨン」ではないが、1989年は昭和64年→平成元年に変わる。年度の途中で元号が変わるのも西暦から和暦への換算を面倒にしている理由の一つです。

和暦から西暦への換算はさらに面倒です。時代小説・歴史小説を読んでいて、「寛永3年」「文政元年」等の表記を見る度に、私はイライラしなければなりません。頭は即座に西暦に換算すべく働くのですが、答えを導く術がありません。年数を通算で積み上げることの無い和暦は不便です。※1

小説は趣味の世界ですからまだしも、公文書類は全て西暦で統一し、元号で書かせるのは廃止して欲しいものです。何?「元号は日本独自の文化だから大事にせよ」だと?そこまで言うなら長さや重さも日本独自の尺貫法で書かせれば良いでしょう。「日本の文化ガ~!」と声高に言う人間に限って、ご都合主義が鼻につく。

私たちの生活において数字や計測の類は最も便利で分かりやすい方法がベストです。世界の多くで西暦やメートル法が用いられているのは、便利性という点で最も優れているからでしょう。※2

和暦(元号)も尺貫法も、それらが好きな人間は使えば良い。しかし、一般の生活手段や公文書の類にそれらを使うのは廃止してもらいたいものです。いちいち西暦⇔和暦に換算する面倒があっては疲れます。

※1
最近の時代小説・歴史小説では「建久3年(1192年)」のように和暦と西暦を併記する例が増えた。これは出版社か原作者か、どちらの意向かは知りませんが歓迎すべき傾向です。

※2
もちろん、西洋式が広く用いられる背景には、「力の関係」もあったでしょう。世界共通語が英語なのは、英語が決して世界で優れた言語だからではありません。

しかし、西洋が創造・発明した文明・文化には普遍性という点で優れたものが多いのもまた事実です。




2017.01.04 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 歴史・文化



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プロフィール

片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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