「学者」に騙されまい:愚見を少々




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●私は、数学者であり山岳小説家・新田次郎の次男でもある藤原正彦氏のエッセーの大ファンです。新潮文庫版「若き数学者のアメリカ」「遥かなるケンブリッジ」等、イギリスやインドの優れた数学者たちの様々なエピソードや、自身の失敗談等を独特のユーモアをまじえ楽しく描いています。

ところが、その後、藤原氏は政治・社会問題や歴史問題を中心としたエッセーを書くようになりました。

その中から、「日本人の誇り」(文春新書)を読みました。目次からして、「すばらしき日本文明」とか「日本を取り戻すために」とか、どこぞの国の某首相が喜びそうなテーマが並んでいます。それはそれで一概に否定はしませんが。

しかし、現代の日本人のモラルの低下を嘆くの良いのですが、江戸時代の治安を例に挙げて、あたかも江戸時代の方がモラルが高かったような記述を目にした時、私は驚きました。

藤原氏が言うには、江戸にはおよそ100万の人々が住んでいたが、それを与力、同心、目明しなど、わずか数百人で治安が保たれていたと主張するのだ。

私が調べたところ、現在の東京には江戸の頃の10倍、およそ1000万弱の人々が住んでいます。それに対し、警視庁の職員の数はおよそ4万6000人のようです。

なるほど、江戸の頃の方が人口に対し遥かに小さい「警察官」の比率でした。

では、藤原氏の主張は正しいでしょうか?藤原氏と同じような事を言う人が少なからずいるようです。


●正しいと思う人は、残念ながら判断力・論理性に問題ありです。インチキに騙されやすい人です。

ここに、都道府県別の病院数と県民10万人当たりの比率のデータがあります。
ここです

10万人当たりの病院数の比が最も大きいのは高知県であり、最も小さいのは神奈川県です。

これを藤原氏の論理に当てはめますと、「神奈川県は最も少ない病院数で多くの神奈川県民を診ているのだから、神奈川県民の健康状態も最も良いと言える」「病院が少ないのは、県民がみな健康な証拠」

となります。

そんなことは有り得ないと誰でも分かります。神奈川県民は都道府県の中で最も平均寿命が長いのでしょうか?もちろん、病院数と寿命とは何ら相関関係はありません。ネット上で調べてもすぐ分かります。

これだけで藤原氏の、「江戸はモラルが高かった」との主張は崩壊です。

これ以外にも、
①町民には町役人がいて、江戸の町には300ヶ所の「自身番」があったこと。つまり、町内の治安の多くが町内の自治で管理され、町奉行所にいちいち犯罪事件を報告しなかったこと。

②同様に、農民にも村役人がいて、治安は村の自治に任されていた。幕府直轄領の各代官所で働く武士はそれぞれ20人~30人くらいだったそうですから、広い農村の治安など守れるはずもありません。また、農民も出来るだけ代官所には伏せて、事件を解決していた。これは、以前に記事に取り上げた、「百姓たちの幕末維新」(渡辺 尚志著・草思社)にも書かれています。

町奉行所の与力も同心も、事実上は世襲制になっていたので、彼等のモットーは江戸の人々の治安を守ることよりも、いかに、無難に、何事も無く、お上からお咎めの無いようにいられるかどうかでした。

それゆえ、彼等が複数殺人や放火のような事件には対応するにせよ、ちょっとした強盗、空き巣、暴行などは見て見ぬふり?をし、「余計な揉め事を町奉行所に持ち込むな」であったとしても不思議はありません。

③大名や武士の犯罪はどう処理されたのでしょうか?もちろん、藩やお家の名誉のため、関係者の間でもみ消された。お金ですね。幕府の大目付や目付に知られたら藩やお家の一大事です。しかも、町奉行所の管轄外です。

「わずか数百人で100万の江戸住民の治安を」が成立する背景には、上記の理由があります。町や村や藩や武士の犯罪が全て奉行所に届くのではなく、ほとんどが「報告されず」「もみ消され」ていた実態」があったと見るべきでしょう。

●以上は、江戸時代についての少しの知識と常識を働かせれば、誰でも分かることです。

藤原正彦氏は数学者です。それゆえ、私達より論理的思考力には優れていると思うのですが、どうも、専門の数学を外れると、その論理性がどこかに飛んで行ってしまうのでしょうか?

いったい、どういう根拠で江戸は(今の東京よりも)モラルが高かったと信じ込んでいるのでしょうか?

むしろ、江戸の方がモラルは悲惨だったかもしれないのです。

しかし、モラルの高さ低さは、時代別に比較が出来るものでしょうか?

そもそも、モラルの定義って、何でしょうね?


●国際政治学者・三浦瑠麗氏の驚くべき主張
ここです

読んでいて、目が点になったのは以下の箇所です。

(引用開始)…大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)~四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています…(引用終わり)。

①経済的に比較的恵まれ?
日本が政治も社会も経済もどん底のボロボロの戦争末期と比べ、「恵まれ」なんて、何の意味があるのか?

②今よりも世界的な広い視野を持った人を生みだせ?
どうなんでしょうか?私には分かりません。具体例も根拠も何も無い。
いや、むしろ、広い視野を持たなかったから、ナチスドイツと組み、無謀な戦争を始めた、とも言えるのです。

③ある種の豊かな国家?
そうですね。戦争成金はいたでしょうし、中国人や朝鮮人を半強制的に凄まじい労働環境でタダ同然で働かせた企業経営者や、小作農を搾取していた大地主達には「ある種の豊かさ」があったでしょう。

政治的には既に民主主義は無く、女性の参政権も無かったのに、「ある種の豊かな国家」とは?


これで学者が勤まるのかなあ。。。

問題は、そのような「学者」を頻繁に起用するメディアにこそあると言えましょう。

東京新聞の読者は三浦氏の主張を読み、「偉い学者さんが言っているのだから正しいのだろう」と思うのかしら?


歴史なら、地道に歴史を研究している専門家がたくさんいます。

考えてみれば、藤原氏も三浦氏も、歴史の専門家ではありません。

もちろん、専門家でなくても歴史を語り、説明し、主張を述べてもいい。

しかし、メディア、特にテレビ局はその道の専門家をもっと招くべきではないでしょうか?

自然科学の世界ではさすがに、専門家を招きますが、

歴史となると、なぜか、専門外の人がテレビに登場するケースが目につきます。

例えば、慰安婦問題であれば、ライフワークとして取り組んでいる吉見義明氏が、南京大虐殺であれば笠原十九司氏がいるにも拘らず、彼等を招く主要テレビ局を寡聞にして知りません。専門では無いタカ派のオバサンやチンピラ極右作家を登場させ、怪しげな主張を語らせています。




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2018.02.07 | | コメント(14) | トラックバック(0) | 歴史・文化



時代劇・大河ドラマ・戦争ドキュメントなど:愚見を少々

●BSフジと時代劇専門チャンネルが制作した藤沢周平作品「三屋清左衛門残日録」。
昨年にBSフジにて放送された作品の再放送を日曜日に2週連続で見ました。

主演は北大路欣也。元側用人で隠居した清左衛門の役。
やっぱり、素晴らしいと思いました!
今、時代劇を演じて絵になる俳優と言えば、北大路さんでしょう。
言葉ではなく、表情や仕草で演じられる数少ない俳優の一人ですね。
北大路さんは若い頃、東野英治郎(水戸黄門で有名)に時代劇の演技について厳しい指導を受けたことがあるそうですが、そうした基盤があるからこそ今の演技があるのかもしれませんね。

松平健や里見浩太朗も悪くないけど、ちょっと、私の好みとは違うんだなあ。。。
何か、こう、立派過ぎるといいいましょうか。。。

脇を固める伊東四朗、中村敦夫、麻生祐未、優香も良かったです。
特に、奉行役の伊東四朗さんは「アクの強い俳優」ですが、不思議とそれが嫌味にはなりません。わざとらしさが全く無く、ごく自然に演じているように見えるからかもしれません。

やはり、原作が良い。藤沢周平の世界、つまり、「人への暖かい眼差し」がこのドラマの中にしっかりと息づいています。北大路さんだらこそ演じられる暖か味と思います。

藩主の側用人はエリートと言えましょう。その清左衛門のもとに幼友達が数十年ぶりに訪ねて来る。役職は彼よりも遥かに軽かった友。そこにはどうしてもある種のわだかまりが生ずる。清左衛門の好意は素直には受け取られない。しかし、北大路欣也が演じる清左衛門には嫌味もエリート臭も感じられません。

清々しい気持ちになれるドラマでした。


●NHK新大河ドラマ「西郷どん」
昨年の「女城主 直虎」を私は割と楽しんで見ることが出来ました。小領主の苦労が滲み出ていたし、ことさら、「英雄」扱いされてもいなかったので、自然に見ることが出来ました。私の好きな女優の柴咲コウさんは熱演はしましたが、思ったほど上手くは無いと分かりましたが。

また薩摩ものか。また西郷隆盛か。薩摩もの&隆盛なら「翔ぶが如く」や「篤姫」などで十分ですが、好きだねえ。もっとも、坂本竜馬もそうですが。

原作が林真理子と知ってドン引きしましたが、他に見たい連続ドラマは無いので、一応見ています。

西郷役の鈴木亮平は活舌が良いので素直に見ることが出来ますし、島津斉彬役の渡辺謙はさすがの貫禄です。史実と明らかに違う設定があちらこちらに見られますが、まあ、ドラマだからウルサイことは言うまい。

ただしね。主役の西郷隆盛が美化されるのはやむを得ないとして、島津斉彬をやたらと美化、神格化して、弟の島津久光を斉彬よりも遥かに劣った人物として描くのは止めて欲しいです。

なるほど、久光は斉彬と比べ保守的な人間だったようですが、決して愚かでは無かったと思います。倒幕派ではなく公武合体派であれば、「新たな時代の流れと逆行する愚かな人間」と言うのであれば、会津藩も新選組も東北諸藩も全て、「愚か」ということになります。

こうした歴史上の人物や藩の単純な「区分け」は、幕末維新の歴史認識を誤らせ、かえって分かり難くすることになりましょう。もちろん、あまり複雑にするとドラマとしては楽しめなくなる危険はあります。

それと、西郷隆盛には、「暗黒面」も少なからずあったこともしっかり描いて欲しいですね。大業を成す人間には誰でも冷酷な一面を持つものです。また、司馬遼太郎によると隆盛は必ずしも大らかで寛大な人間ではなく、好き嫌いの非常に激しい人間だったと語っています。久光との確執は有名ですが、同じ薩摩の下級武士でも、嫌いとなると隆盛は徹底して排除したそうです。情が深い、というこは好き嫌いも激しい、につながりますよね。


●それにしても、NHKは視聴者から受信料を強制徴収出来る身分なのですから、スポンサーだの視聴率だのを気にせずにドラマを制作出来るでしょう。いい加減に、「幕末維新もの」や「戦国もの」から卒業して、もっと他の時代のドラマを制作して欲しいものです。例外として、平清盛や足利尊氏、日野富子等がありましたが。

今は「日本って凄いんだ。日本人って素晴らしいんだ」番組や本が大流行ですから、古代の「聖徳太子」「推古天皇」や「天武天皇」あたりはどうか。当時の天皇(大王)や日本文化の開花を描いたら如何?

また、「女性の活躍促進」を唱える安倍政権に忖度して、平安期から「清少納言~紫式部」のドラマ。明治~昭和の女性解放家の平塚らいてうと、彼女にある程度は共感しつつも一定の距離を保った与謝野晶子も面白いですけどね。

あるいは、お寺&仏像ブームに相応しく、「最澄と空海」も良いと思います。

宗教ものは微妙な点があるので、二の足を踏むのでしょうけど、平安初期の歴史上の人物であるし、天台宗も真言宗も、日本仏教の源泉みたいなものですから、これくらいは、やる気があれば出来るでしょう。

さらには、NHKが勇気を奮い起して、「東條英機」を是非!東條英機の一生はそのまま戦前の日本史を描くことにもなりましょう。もちろん、「日本は中国や韓国に多大な苦しみを与えましたが、当時の国際情勢を鑑みれば、日本にもそれなりの正当な理由もあったのです。東條英機だって色々と悩んだのです」式に、中立的?に描けば、何とかなるのではないか。


●NHKには「アジア・太平洋戦争」について、かなり勇気ある特集番組を制作しています。先日放映された「戦慄の記録 インパール」も、素晴らしい内容でした。

特に、
「…牟田口軍司令官から作戦参謀に『どのくらいの損害が出るか』と質問があり、『ハイ、5,000人殺せばとれると思います』と返事。最初は敵を5,000人殺すのかと思った。それは、味方の師団で5,000人の損害が出るということだった。まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現する。参謀部の将校から『何千人殺せば、どこがとれる』という言葉をよく耳にした…。」

は衝撃的でした。

それと、
作戦中に第15軍牟田口司令官の命令に反したとして師団長を解任された佐藤中将が、陸軍の無責任、無能体質を皮肉って残した言葉。
「大本営、総軍(南方軍)、方面軍、第15軍という『馬鹿の4乗』が、インパールの悲劇を招来したのである」

も印象的でした。

インパール作戦で多くの日本兵士を無駄死にさせ、失敗させた軍の上層部は誰も責任を取らなかった。この体質は現在の官僚制度にそのまま生きていますね。






2018.01.16 | | コメント(28) | トラックバック(0) | 歴史・文化



「立憲民主党」の設立と、「小池劇場」の失速:愚見を少々・追記あり




●民進党の枝野幸男代表代行は10月2日、東京都内で記者会見し、新党「立憲民主党」設立を表明。

自由は死せず!リベラル※は死せず!

良かった!

これで有権者にも選択肢が増えました。

「立憲民主党」の党名も手堅いもので私は良いと思います。

「希望の党」のごとき、聞いていて気恥ずかしくなるネーミングは小池代表のセンスの無さを如実に示す。

私は「立憲民主党」に投票するつもりです(^o^)/

私の予想ですが、国会を私する安倍政権への批判と小池代表のあざといマキャヴェリズムへの批判により、案外と「立憲民主党」は健闘するのではないかと。同情票も集めるでしょう。

右も左も、「右翼&保守」にうんざりした中道的な人達からの共感を得る可能性もある。

甘いかなあ。。。


●「希望の党」は野党にあらず。反安倍でも反自民にもあらず。自民党の補完政党であり、さらには、小池代表の個人商店に過ぎないことが日々明らかになりつつある。

私の予想よりも早く、「小池劇場」は失速しつつある。

そりゃそうだ。

ゲンナリだ。

「排除」「さらさらない」

不快でおぞましい文言だ。何が「寛容な保守」だ!
しかし、ここに小池百合子という政治家の独裁的本性が露呈しています。

ポスター用のツーショット写真代に3万円払えだと!

セ、セコイ!!

セコイ金勘定。。。いかにも、悪い意味で「女の発想法」と思います。

こんな人間が仮にも「総理」など、世界に恥をさらすようなもの!

小池代表のやり方に反発した都民ファーストの都議会議員から2名が離党する模様。

「都民ファースト」の本質は、「小池ファースト」に過ぎぬ。これに気がつく人間が出て来た。



●改めて痛感するテレビを中心とするマスコミの低レベルさ!

大阪維新の「橋下劇場」も、希望の党の「小池劇場」も、テレビが作った「幻想」に過ぎぬ。

つい最近までは連日のように北朝鮮のミサイル発射シーンを飽きずに放映し、どんちゃん騒ぎしていたテレビ。それが今は、「小池劇場」でどんちゃん騒ぎ。

おやッ?「北朝鮮の脅威ガ~ッ!」はどうしたのかしら?

つまり、北朝鮮の脅威の半分以上は、安倍政権とテレビによって煽られ、誇大化したものに過ぎぬ。

そういうことでしょう。

およそ、「何でコイツが偉そうに政治を語るのか?」と呆れるような顔ぶれがニュース番組やらワイド番組に登場する。つまり、おバカタレントの連中だ。

もちろん、この連中は何やらガヤガヤ言うが、実は内容は空虚なことしか言わないし、それしか言えないのだ。そりゃそうだ。真に政治問題の本質を語り、安倍政権の問題を語るようなタレントは芸能事務所やテレビ局が出演させるハズも無いのだ。

これが、テレビの本性です。

もちろん、こんなこと、私が今さら言わずとも皆さん、ご存知かと。

しかし、改めて、マスコミの低レベルを感じた。



リベラルの定義は難しい。

戦前にジャーナリストとして活躍した石橋湛山や清沢洌がリベラルの例です。

考え方の基本は自由主義であり、反・皇国史観、反・唯物史観です。

また、経済システムに関しては、反・資本主義、反・社会・共産主義です。

つまり、なるべく特定のイデオロギーにとらわれない自由な精神を土台とする価値観です。


安倍自民党には日本会議系の復古主義的なイデオロギーがみえみえですし、

共産党にはもちろん共産主義というイデオロギーがあります。


☆追記

あれッ?
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当初、小池代表が主張していた「原発ゼロ」はどこへ行った?

おそらく小池代表は、「原発ゼロ」は得票数を伸ばす有力な「エサ」にならないと判断したのでしょう。

権謀術数をめぐらすマキャヴェリストらしい小細工ですね。

私の言った通り、かねてからの核武装論者であり、原発再稼働に反対もして来なかった小池代表が、本気で「原発ゼロ」に取り組むハズは無いのです。

偉そうに言わせてもらいますが、

女性有権者の皆さん、どうか小池代表に騙されないように!




2017.10.03 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 歴史・文化



歴史:「変化」と「不変」について愚見を少々




<古文書>本能寺の変、仏教界は喝采「信長は清盛の再来」:毎日新聞 2/4(土)

◇愛知・豊橋の寺で発見 悪感情読み取れる

(引用開始)…愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的に評した詩文が引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授(日本近世文学)や高崎俊幸住職が発表した。島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取れるとしている。

文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。

その冒頭に、近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。

詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家をないがしろにして万民を悩まし、苛政や暴虐は数え切れない」「(本能寺の変で)死亡して人々は拍手し、天下が定まった」といった意味の記述があった。さらに信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、光秀を「勇士」と表現したとみられる記載も見えた。

信長が1579年に築いた安土城に触れ「天守は(高さ)百尺(約30メートル)」「苦役で民が汗を流し、ぜいたくな城を築いた」と解釈できる部分もあった。信長の比叡山焼き打ちにも言及していた。

島田教授は2014年に高崎住職から依頼を受け調査を進めていた。島田教授は「信長が仏教界から尋常ではないほど恨まれていたことが伝わってくる」と話した…(引用終わり)。


織田信長は非常に合理的な考え方の持ち主だったようで、神仏の存在など信じていなかったフシもある。信長の合理的思考を示す良く知られたエピソードがある。宣教師が連れて来た「奴隷」としての黒人を初めて見た信長は、配下の者に黒人の肌をゴシゴシと拭かせてみたという。肌に垢がついているとでも思ったか。


ところで、当時の仏教界による信長非難だが、これは私が信長に対して抱く感想とほとんど同じなのに驚いた。当時の戦国大名は程度の差こそあれ人殺しや焼き討ちをたくさん行った。その中でも信長は「根ぎり」と称して一向一揆衆を虐殺しまくった。比叡山焼き討ちでは僧侶・僧兵等、数千に及ぶ人間を殺戮したという。

こうした信長の行為に対する悪感情なり非難は、当時の人も現代人の私も変わらぬ。


●「現代人の価値観で過去の歴史の善悪を言うのナンセンス」は正論か?

一見、ごもっともな論に思える。
専門の歴史学者や考古学者にはかなり当てはまるかもしれない。当時の史実を客観的に検証し再現する為には、現代の歴史学者個人の価値観や思想に歪められてはならないからだろう。しかし、その歴史学者が無数の史実なり断片的な資料を吟味し、整理し、取捨選択し、因果関係を追求し、歴史を再現する過程に置いて現代の価値観から無縁ではいられまい。長大な年表を作成することが歴史ではないのだから。

私達が聖徳太子による憲法十七条を称賛する時、経営者や管理職の人達が織田信長や豊臣秀吉の「経営術」「部下把握術」を学ぼうとする時、「万葉集」や「源氏物語」等の古典を読んで感動する時、それらは明らかに現代人の価値観を基に判断しているのである。

そして、ここが肝心なのだが、「現代人の価値観で過去の歴史の善悪を言うのナンセンス」を強調するのは、「新しい歴史教科書」を制作した新自由史観の人達だということ。その意図は何か?つまり、アジア・太平洋戦争における大日本帝国とその旧日本軍による中国・朝鮮・東南アジアへの侵略・植民化という史実を認めると、「それは自虐史観だ」と非難したり、「日本の正当防衛だった」と異論を唱えるする人達だ。

そこで、「現代人の云々。。。」は、まことに好都合な主張なのである。

もっとも、彼等は、「東京裁判はアメリカによる茶番劇」「太平洋戦争はアメリカに仕組まれた陰謀」と、「現代人の価値観」から当時のアメリカを「悪玉」に仕立てるという自己矛盾を犯している。

さらに、そもそも「昭和」は「過去という額縁」に収められるだろうか、という疑問もある。


●歴史に見る「変化」と「不変」について。

私達が歴史を学んだり楽しんだりする時、「昔は今とはこんなに違うのか!」と思う時と、「昔も今も変わらないな!」と思う時とがある。どちらの方に発見や感動があるか、人により場合により様々だ。

今から千年以上前に書かれた清少納言の「枕草子」は、「変化」と「不変」の宝庫だ。
「変化」の例…第二百二十六段。
和歌では優雅に詠われるホトトギス。ところが、農民達が田植えをしながらホトトギスをののしる歌を歌うのを見た清少納言がひどく憤慨する。作者の好みが強烈に出ている箇所だが、現代人はまず憤慨などしない。むしろ、「田植えは大変だろうなあ」と思ったり、「お疲れ様です」と感謝の気持ちを持つ。

それにしても、清少納言の好奇心が貴重な証言となった箇所だ。
当時の農民たちが、「ホトトギスよ、おまえ、コイツめ!オマエが鳴くから、わしは田植えをするんだぞ」と歌っていたとは…他に資料があるだろうか?

ちなみに、当時の貴族に詠われたホトトギス。

郭公(ほととぎす)なくや五月のあやめ草
                あやめもしらぬ恋もするかな(古今和歌集)


こうした優雅な和歌の世界に育った中級貴族の清少納言が、農民たちの「ホトトギスよ、おまえ、コイツめ!」に憤慨する気持ちを現代人はほぼ理解出来る。それは何故?


「不変」の例…第七十五段。
姑に可愛がられる嫁はめったにいない。主人の悪口を言わない召使はめったにいない、と清少納言は言う。これは現代とほとんど変わらない。読んでいて私は思わず笑ってしまう。


私は「不変」の方に歴史を読む喜びを感じる方だ。「嗚呼、結局、人間って昔も今も、考えること、思うこと、悩むこと、悲しむこと、喜ぶこと、怒ることは一緒なんだなあ」と。

家も服装も食生活も身分も自然環境も働く環境も異なれど、ひと皮むけばそこは同じ人間。

昨年の大河ドラマ「真田丸」を見て改めて思ったのは、晩年の豊臣秀吉は身内であろうが茶道の師匠であろうが、気に入らなければ皆殺してしまう酷いヤツだったと。こんな人間が関白で世を支配していたのかと、少々情けなくなった。しかし、現代だって世界中のあちこちで、権力者が気に入らない人間を殺す例はたくさんある。




2017.03.11 | | コメント(12) | トラックバック(0) | 歴史・文化



一枚の写真;幕末




kenousisetuikedacc.jpg

写真の武士たちが何者であるかは、下記のサイトを参照して下さい。
ここです

●クイズです。(回答は記事の最後の方に)
問1.スフィンクスのことを当時の日本語では何と言ったか?
問2.同じく、ピラミッドは?

ヒント。漢字で表します。


●1864年(元治元年)2月28日に撮影されたこの写真、興味が尽きません。
私が最初にこの写真を見た時、言葉に出来ない程に興奮し、感動したのを覚えています。スフィンクスとピラミッドを背景に佇むサムライたちの姿…雄大にして凄い迫力です!

1866年(慶応2年)、坂本竜馬とおりょうが九州霧島の温泉に行ったのは「日本人による最初の新婚旅行」とする説があります。それならば、この写真は「日本人による最初の団体ツアー記念集合写真」と言えるでしょう。

この当時のスフィンクスは首から下が砂に埋まった状態だったと分かりますね。胴体や足が見えません。エジプトの文化遺産を前に、陣笠に帯刀姿の武士達の姿。その巨大なミスマッチとコントラストぶりは感動的です。スフィンクスの前を通った人間は無数にいたでしょうけど、サムライたちが通ったのは空前絶後です。

意外に思うことがあります。武士と言えば形式や上下の秩序にうるさいもの、との先入観が私にあります。ところが、写真を見ますと、整然と並んではおらず、一人はスフィンクスの首下に寄りかかり、一人は首横の中腹に座っています。まるで子供みたい。また、正面の武士達の中には「ポーズ?」を決めているように見える者もいれば、横を向いたり、一人だけ離れて立っていたりと、ポーズはまちまちです。陣笠を脱いで丁髷を見せている者もいます。重大な使命を帯びた池田使節団でしたが、この時はリラックスしていたのでしょうね。

この写真は、歴史の偶然が一瞬に凝結した傑作と思います。


●この後、池田使節団はフランスのマルセイユに着きます。使節団の一人が残した日記によれば、彼等はマルセイユの街の美麗広壮な様に感激し、呆れ、感極まって泣いていた者もいたそうです。中には、「どうしてこの国の有り様と我日本とではかくまで違うのであろうかと、慷慨非憤して居る」者もいたそうです。

当時の武士たちはまだ西洋の美とか芸術に影響されていなかったはずです。江戸時代までの知識人は中国を先進国として尊敬し、言葉や文化を学んでいたはずです。

それにもかかわらず、武士達が初めて西洋文明を目の当たりにして、「美麗」と形容し、感激したことに私は驚きます。美的感覚というものは国により民族により様々であり、普遍的なものではない、と思えるのですが、逆に、もしかすると日本人には西洋の文明や文化に共感出来る何かを既に持ち合わせていたのかもしれません。脱亜入欧は単なる政策によるものだけに由来するものではなく、日本人の資質に関わる何かがあったのかもしれません。



☆クイズの答え
①スフィンクス→首石、石首。巨人首。
②ピラミッド→三角山。錐形塔。

表現が単純というか即物的ですね。
池田使節が詩人を連れていたら違った表現をしたかもしれません。




2017.01.18 | | コメント(11) | トラックバック(0) | 歴史・文化



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プロフィール

片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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