もう一歩踏み込んで
昨季の「バラード」や今季の「ジュピター」もそうだが、真央選手の演技は古典派のギャラント様式、又はロココ様式の美しさを思わせる。
見る度に癒される。
ゴテゴテした装飾を取り除き、流麗にして風雅、簡素にして明朗。音楽で言えばモーツァルトがパリ滞在時に作曲した一群のピアノ・ソナタやセレナードのような楽想が、まるで通奏低音として真央選手の足下から聞こえてくるようだ。
モンタージュ動画でも準えられたように、西洋絵画で言えばモネの風景画やドガの踊り子画から飛び出てきたような真央選手の演技。
彼女の演技は一種の風景画になっていて、生の人間臭さ、女性臭さがあまり伝わって来ないのが不思議だ。
それは彼女の体型や表情が原因ではない。演技のスタイルにあると思う。
エンヤのようなヒーリング音楽的なものを私は好きだが、ちあきなおみの演歌やシャンソンを聴いた後では物足りなくて仕方ない。
マネの生き生きとした線で描かれた人物画を見た後では、モネの風景画に何か足りなさを感じる。
真央選手の演技にも何かが足りないように感じることがある。とても美しいのだが、そこからもう一歩踏み込んで欲しいと思うことある。演技が真面目で大人し過ぎるとも感じる。
私は5月に豊橋市で行われたチャリティー演技会に行った。
真央選手は高橋大輔選手が「マンボ」を演じた直後に「バラード」を演じました。美しかった。ウットリしました。テレビで見たあの美しい舞です。
しかし、高橋選手のあの演技の熱に当てられたのか、私には真央選手の演技から放射して来るものに、どこか飽き足らないものを感じてしまった。
では、オマエは上から目線で真央選手にこれ以上何をしろと要求するのか?どのようにしてもう一歩踏み込めと言うのか?
そう言われると、上手く表現出来ないが。。。
モロゾフコーチの振付けでバージョンアップしたレオノワ選手の持つエネルギッシュな動き、激情が真央選手にも欲しいと思う。
それは下記の和歌のような心である。
君が行く道の長てを繰りたたね 焼きほろぼさむ天の火もがも 狭野茅上娘子
2011.11.28 | | コメント(0) | 浅田真央