日本神話におけるヰタセクスアリス(vita sexualis)
私は元々「古代史ガール」「寺社ガール」なので、日本神話も好きだ。子どもの頃、小学生向きに易しくアレンジされた「古事記」が面白くて、夢中になって読んだのを今も覚えている。
現在、手元には岩波文庫版「日本書記全5巻」と角川文庫版「古事記」と講談社学術文庫版「出雲風土記」、そして集英社文庫版「万葉集全20巻」の4点セットがあり、折に触れては読む。
現代の価値観で過去の歴史を判断するのは問題であるとの指摘が良くある。そうかもしれない。しかし、私たちが歴史を読む時は…たとえそれが趣味であっても…現代に生きる自分や自分の属する国や社会の価値観や課題と向き合っているのだと思う。過去の歴史が現代を逆照射するのを感じる。
私は、過去と現代との違いを受け止めるよりも、「昔も今も人間の考えることや価値観はあまり変わらないな」の方に関心が向くし、そこに感銘を受ける場合が多い。
例えば、日本書記の「敏達天皇記」の中にこういう話がある。敏達天皇が亡くなった葬儀の最中、「穴穂部皇子、炊屋姫皇妃(後の推古天皇)を奸さんむとして…」とある。奸すとは、レイプのことだ。穴穂部皇子を悪人に描いているのである。つまり、大昔から女性を「奸す」のは悪、との価値観はあったのだろう。
ところで、性犯罪関係にはレイプ、買春、痴漢、セクハラ、下着泥棒、盗撮等があるが、一番罪が軽いのは「覗き見」であろう。男は次のように思うらしい。「見られたからって、別に減るもんじゃないだろうが」と。
もちろん、これとて現行犯で捕まれば「軽犯罪」ではある。が、昔、校舎が木造だった頃は女子更衣室を覗き見する男子生徒がよくいたようだし、マンションで着替え中の女性を双眼鏡で覗き見する男性もいるとか。まあ、一度くらいならお説教で済まされるかもしれない。が、繰り返せば悪質になる。
では、大昔はどうだったか?
【覗き見:男は、見るな、と言われると見たくなる。】
これは有名な神話だからご存知でしょう。イザナキノミコトが、亡妻イザナミノミコトに、いとしい妻よ、現世に戻って来てと言う。そこで、イザナミは黄泉の国の神と相談するが、その間の私の姿を見ないでくださいと言う。しかし、イザナキは覗いてしまう。「覗き見」を日本書記や古事記では「窃かに伺い」と表現している。
「覗き見」は、海幸・山幸の物語にも出て来る。豊玉姫がお産の際に夫の山幸に「私がお産をする時は、どうか見ないでください」と言うが、山幸は覗き見をしてしまう。ここでも「覗き見」は「窃かに伺う」とある。日本書記が書かれた時代には、「覗き見」という語彙は無かったのかもしれない。
覗き見をしたイザナキも山幸も、その後はヒドイ目にあう。罰である。つまり、そんな大昔から「覗き見」は良く無い行為とされていたのではあるまいか。
もちろん、これらのケースでは単に「覗き見」だけを女が怒っているのではなく、「どうか見ないでくれ」とお願いしたにもかかわらず、それを守らなかった男の約束違反をも咎めているのではあるが。
ところが、平安時代になると少し事情が変わるようだ。
貴公子が深窓の麗人を垣間見する
若い男性の貴族、つまり貴公子が若い女性を「垣間見」するシーンが「伊勢物語」や「源氏物語」に描かれている。「伊勢物語」の第一段「初冠」では、貴公子が狩りに行った際、近くに住む若く美しい姉妹をものの透き間から覗き見をする。
「覗き見」は「垣間見」と表現する。しかも、これが「良く無い行為」どころか、むしろ、「みやび」な振る舞い、風流なものとして描かれているのだ。ただし、貴公子は覗き見をした直後に、この美しい姉妹を「若紫」に喩えた優雅な和歌を詠んで贈ったのである。これら一連の行為が「みやび」だと言うのだ。
この場合、姉妹の方にも「暗黙の了解」があるのだ。貴族の女性は滅多に男性に顔を見せなかった。扇子で隠したり、奥の帳の陰にいて顔を見せない。従って、男性が「垣間見」をする以外にはなかなか女性の顔を拝むことは出来ないと知っていたのだ。見知らぬ貴公子から和歌を贈られて、「まあ!覗き見してイヤラシイ!」とは言わないのである。むしろ、贈られた和歌の出来映えが悪いと、それが軽蔑されるのである。
もっとも、上記は貴族だけの特権であろう。平安時代の人口の9割を占めていた百姓が覗き見をしていたのか、どんな実体であったのか知りたいところだが、文書が全く無いから分からないのだ。
鎌倉時代~江戸時代はどうだったのだろうか?寡聞にして知らない。
ところが、巷説によれば明治時代に出っ歯の亀五郎が、女風呂を覗き見する常習犯だったことから、覗き見を「出歯亀」と言うようになったらしい。こうなると、風流もみやびもヘチマも無い。出歯亀という言葉は人のプライバシーを覗き見するような記事を書くメディアに対し、「出歯亀報道」と揶揄する場合に使われるようだ。
昭和の前期までは、女性が庭で行水をするケースがあったとか。で、板塀の透き間や節穴から覗き見する男性がいたらしい。思えば、長閑な光景だ。当時は軽犯罪にも該当しなかったのか。
昔も今も、女性が男性を「覗き見」する話は聞かない。
私が全く理解出来ない行為は、下着泥棒である。だいぶ前だったか、女性の下着を500着以上も「集めていた」男が逮捕されたというニュースを見た記憶がある。そんなに集めてどうすんの?(^-^;。
【女性は驚くと何故かホト(女性の秘所)を衝いて死ぬ】
古事記の有名な「天の岩屋」のシーンでは、スサノヲノミコトが暴れまくり、機織姫が驚いて機織り器具にホトを突いて死ぬシーンがある(日本書記には見当たらない)。また、日本書記の「崇神天皇記」では、ヤマトトトビモモソヒメは夫が蛇の姿をしているの見て驚き、箸でホトを突いて死ぬ(こちらは古事記には無い)。
何とも悲惨な死に様ですが、神話の世界ゆえか、どことなくユーモラスでマンガチックだ。それにしても、どうしてホトなのか不思議だ。記紀を書いた人が変態だったわでもあるまい。
日本書記では、ヤマトトトビモモソヒメは奈良県にある箸墓古墳(卑弥呼の墓との説もある)に葬られたとしている。が、箸で突いたから箸墓なのではなく、箸墓だから箸で突く話になったと考えるのが合理的だ。何故なら、古墳時代には日本人は箸を使う習慣はまだ無く、7世紀後半くらいに古代中国から伝わったとされているからだ。
☆天の岩屋でアメノウズメノミコトが乳房をあらわにし取り出し、下衣の紐を陰部まで垂らして踊りまくったという話は有名ですが、私はこれが「ストリップショー」の起源ではないかと愚考します。こんな昔からこの種の商売があったのではないかと想像させる。遊女は人類最古の職業ってか(^O^)。
【磐之媛の嫉妬】
磐之媛は仁徳天皇の皇后だ。王侯貴族が一夫多妻制は常識だった。ところが、磐之媛は夫と他の后達の様子を知ると、「足もあがかに妬みたまひき(古事記)」。つまり、足ずりしたり、足を跳ね上げたり、足をバタつかせて嫉妬したというのだから、凄まじい限りだ。しかし、可愛いものよ。
これが平安朝では「かげろふ日記」の女作者が、やはり、凄まじい嫉妬ぶりを示し、夫の藤原兼家もたいそう持て余したようだ。昔も今も、こうした妻の嫉妬は本質的に変わりはなさそうだ。しかし、可愛いではないか。それよりも、妻が嫉妬すると知りつつも、ずっと一夫多妻制を続け、あるいは、愛人をこしらえる男性の本性の方がよほど恐ろしい。
番外の話。
中学生対象の扶桑社版「新しい歴史教科書」(2001年)には、神武天皇の東征伝承に1ページ、日本武尊に2ページ、日本神話として4ページを割いている。で、多くの歴史学者や識者から批判が沸き起こったことはご存知でしょう。
つまり、この教科書は他の教科書と比べ、神話の量数が多いだけではなく、真偽不明な神話をあたかも歴史的事実であるかのように誤解させる書き方がされており問題である。非科学的な皇国史観のニオイがプンプンするというのだ。
私は日本神話を多めに載せることには賛成だ。ここには日本人の心の源泉があると思うから。古事記や日本書記には虚実が混ざっているのは確かだが、そこは教師が注意深く指導すれば済む。
歴史の教科書にはマズイというのなら、国語の教科書でも良い。
それと、他の国の歴史教科書には自国の神話がどれだけの量が割かれているか、比較検討すれば良い。果たして、新しい歴史教科書が異常なのか普通なのか、それによって分かると思うからだ。
また、この教科書で教えたからといって、子供達が皇国史観に染まったり、神武天皇は実在したと信じ込んだりはしないと思う。科学も含め、教育が行き届いた日本ではそんな単純な影響は受けないと思うから。
事実、子どもの頃から神話を愛読して来た私だって、天皇中心の皇国史観に染まったりはしてないよ(-^〇^-)。
2014.10.29 | | コメント(39) | トラックバック(0) | 歴史・文化