白鵬バッシングもいい加減にしたらどうか:愚見を少々
横綱白鵬の実績は凄い。幕内最高優勝数は42回で歴代最高で第二位の大鵬の32回を大きく上回っています。その他、ウィキを見れば分かりますように、多くの記録で「一位」のオンパレードです。
まさしく大横綱としての実績です。
以前、白鵬が立ち合いで変化をする場面が何度もありました。そこで、相撲関係者は、「立ち合いで変わる注文相撲をとるのは、横綱のすべきことではない。品格にかかわる」との批判がありました。
これには、私も概ね同感でした。「横綱は正面から堂々と受けて立つもの」と思うからです。ただし、「品格」や「品性」のような文言にはひっかかるものがありました。
その後、今度は、立ち合いで「張り差し」をするのは横綱として問題だとの批判が出た。
更には、立ち合いで「かちあげ」をするのも横綱として問題だと言い出した。
最近では、立ち合いで「 白鵬は相手と呼吸を合わせず、常に自分本位の立ち合いを強要し、絶対的優位に立つから勝つ。ずるい。」と言い出した。
いやはや、よくもまあ、次から次へと、白鵬の粗を見つけて来るものです。
これらの批判が正しいのか否か、私には良く分かりません。しかし、ここまで来ると、やたら粗探しをして鬼の首でも取ったような顔して白鵬を叩く人達の大人気無さを私は感じます。
批判の根底にあるのは、
①横綱は「勝てば良い」というものではない。横綱らしいフェアで品格のある戦い方、勝ち方がある。
②卑怯でズルイやり方で勝っていくら実績を積んでも、大横綱とは認めない。
ということらしい。
しかし、相撲関係者がここまで白鵬の立ち合いをいちいち批判する背景には、
①モンゴル出身の横綱が強過ぎるのが、面白くない。
②日本人横綱が長く現れず、ようやく稀勢の里が横綱になった。が、早くも引退。
つまり、モンゴル出身の横綱に対するやっかみ、ねたみがあり、次から次へと粗探しをして白鵬を叩くのではないか。これはもう、一種のイジメというかバッシングではあるまいか?
「品格」なる抽象的・精神的なものを持ち出して白鵬を批判するのも如何なものか。一部の人は、「日本人と違ってモンゴル人は品格の意味も精神も分からないのだろう」、みたいなことを言い出す。※
「モンゴル人の横綱白鵬の優勝42回はズルイやり方で勝っただけ」として、過去の「偉大な日本人横綱」と比較して評価を下げることで、溜飲を下げているのでしょうか。
こういうのを、負け惜しみ、と言うのではないでしょうか。
なんか、みっともない。白鵬ではなく、
彼を叩く側の相撲関係者の方が。それに「便乗する」メディアも。
なお、私は白鵬のファンでもなんでもありません。それどころか、相撲は滅多に見ません。たまたま、スポーツ番組で相撲も出て来ますので、それで知る程度です。
しかし、同じ横綱としては、あの貴乃花よりはずっと「大横綱」と思います。
柔道を見ても分かるように、外国人選手は「勝てば良い」式の柔道がしばしば目につくことがありました。苦し紛れにタックルしたり、一つでも「指導ポイント」で優位に立つと、急に逃げまくって時間オーバーで勝利に持って行く等。
これは戦い方の良し悪しというよりも、勝負に対する考え方の違いがあるのではないでしょうか?
だからと言って、「真の柔道精神とは」を外国人選手に教えてどうなるものでもないでしょう。その代り、柔道のルールは頻繁に変わりますね。足を取りに行くのは禁止されましたし、審判から受けた指導の数で直接勝敗をつけることもなくなりました。しっかりと組んで競う方向に変わりました。
海外の相撲取りが増えつつある現在、「精神教育」みたいなことを言うよりも、相撲も立ち合いのルールを変えればいいと思います。それが出来ないのであれば、海外の人間を断れば良いのです。「日本人」だけでやればいい。
私はそんなことよりも相撲界で絶えない暴力や時代遅れな体質の方がよほど問題かと思います。
※
最近の「日本って凄い!」の流行の一つなのか、白鵬の問題に関連して、「日本人は戦い方に品格を求める」「武士道の精神」とかを持ち出す人がいるようですが、これについて反論をします。
日本人は「騙し討ち」「闇討ち」のような「卑怯」なやり方を得意として来た歴史がある。しかも、騙し討ちした側は非難されず、騙された側に対する同情もない。
有名な例は、ヤマトタケルによるクマソタケルの騙し討ちですね。しかも、ヤマトタケルは女装して騙し討ちをするという卑劣極まる方法で討った。それでもヤマトタケルは「英雄」扱いです。なんと、討たれたクマソタケルの弟はヤマトタケルを強者として称えながら死んで行くのです。
ここでポイントとなるのは、これが史実かどうかではなく、このような価値観が日本書紀・古事記に記されているという事実なのです。
今流行の室町時代でも、6代将軍の義教が祝宴の席で赤松満祐・教康父子によって騙し討ちにあっています。ところが不思議なことに、赤松父子は不問とされたのです。
個人対個人では、巌流島での宮本武蔵と佐々木小次郎の対決が有名ですね。武蔵はわざと約束の時間に遅れて着き、いらつく小次郎に、「小次郎、敗れたり!」と言葉で嘲笑い、小次郎を討ちました。これも、「武士にあるまじき卑劣なやり方だ」と、武蔵が非難されることはあまりなく、心を乱した小次郎の方の未熟さが非難されるのです。
「勝負は勝てば良い」、さらには、「騙す方より騙される方が悪い」は、日本人の歴史にも脈打っているとも言えます。現代でも、特にビジネスの場では「騙される方がバカ」「嘘を見抜けなかった方が愚か」との価値観が生きている例はいくらでもあります。「信じて騙された私がバカだったのネ」というわけです。
もちろん、これは一面的な見方でしょう。「罠をかける」ことの卑劣さを言うよりも、「罠にハマらない用心」の方が、人生訓として日本人の心にしっくりと来るのかもしれません。
しかし、白鵬をダシにして日本人の素晴らしさを言う連中にはこんなことを言いたくもなります。
☆
仮に、白鵬の立ち合いに問題があるとしても、彼の術中にハマる相手の関取に対する非難は無いんですね。これは、過去の歴史に見る価値観やビジネスの世界の価値観とはかなり違うようです(笑)。
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2019.04.19 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 戯けたライフ