ベートーヴェンの第九を超えようとしたマーラー







グスタフ・マーラー作曲:交響曲2番「復活」より第五楽章のエンディング
作曲年:1888~1894年
指揮:サイモン・ラトル

交響曲といえば、今も昔も「運命」「田園」「英雄」「第九」「未完成」「悲愴」「新世界」「ジュピター」等がコンサートの主役を牛耳っているようだ。

しかし、1960年台の後半からグスタフ・マーラーやアントン・ブルックナーの、難解とされる巨大な交響曲もコンサートで演奏される頻度が増して来た。今や、常連に分け入るようにこの二人の交響曲の人気が高まり、定着したようだ。

ちなみに、来る5月に行われる佐渡裕氏の指揮、日本フィル演奏によるマーラーの交響曲6番のチケットなど、あっという間に完売してしまったようだ。

多くの人もそうだと思うが、未知の音楽を初めて聴いて、身体を震わせ涙するほどの感動を受けるケースはめったにあるものではない。ましてや、生演奏ではなく自宅でCDを聴くとなれば、なお稀だろう。私の場合はマーラーの交響曲2番「復活」がその稀なケースに当たる。

西洋ロマン派の音楽家にとって、ベートーヴェンの交響曲の存在は、私達には想像出来ない程に巨大で超えがたいものだったらしい。特に「第九」が高く聳え立っていた。交響曲は作りたい、しかし、ベートーヴェンの「第九」に比べても聴き劣りしないだけのものを作るのはロマン派の天才達にとっても超難題であったらしい。

リヒャルト・ワグナーはベートーヴェンがあまり得手としなかったオペラで「勝負」した。炎が渦巻く巨大な溶鉱炉のようなオペラをモノにした。ブラームスはベートーヴェンの古典的で整然とした佇まいに魅了され、いわゆる新古典的な交響曲を作った。最初の交響曲を完成するのに21年もの歳月をかけた。

ブルックナーは「第九」の第一楽章の冒頭、宇宙的カオスから主題が形成されて行く音楽に大きく影響を受けた。彼はベートーヴェンを越える壮大で宇宙空間を思わせるような交響曲で「勝負」した。

こうしたロマン派の先輩達の奮闘を見てきたマーラーは「第九」に真っ向勝負を挑んだ。すなわち、声楽付きの巨大な交響曲を作ったのである。オーケストラの編成も大掛かりにして。それが交響曲2番「復活」である。

ベートーヴェンが兄弟愛、人類愛を歌ったのに対し、マーラーは神の栄光と愛。人間の魂の清浄と復活を歌った。

マーラーの大胆な挑戦は成功したか?たぶん、YESであろう。交響曲2番「復活」はこれから益々人気が高まって行くと思う。いつの時代でも、生と死の彼岸を求める人間の精神は変わらないだろうから。

「復活」は90分に及ぼうとする巨大な交響曲だ(ちなみに第九は70分程)。最後の第五楽章の崇高な合唱に至るまでには長い長い道のりがある。時には退屈するくらいに。しかし、それがあってこそ、動画のエンディングは感動的なのである。

演劇でも映画でもオペラでもミュージカルでも、そのおよそ半分は「退屈」なものだ。しかしこの「退屈」な時間は芸術にはどうも必要らしいのだ。そのことが段々分かって来たような気がする。

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グスタフ・マーラー(1860~1911)
ボヘミヤ(当時はオートリア帝国領。現在のチェコ共和国内)生まれ。

※巨大な交響曲を作曲した人間とは思えないような小柄で神経質な風貌だ。
一説によると身長は160Cm程度だったらしい。

※それにしても、この交響曲を指揮するのは老人指揮者には辛いでしょうね。

参考文献
「マーラーの交響曲」金聖響+玉木正之(講談社現代新書)
「現代音楽への道・グスタフ・マーラー」柴田南雄(岩波現代文庫)

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2012.05.01 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 音楽



コメント

なるほど

>演劇でも映画でもオペラでもミュージカルでも、そのおよそ半分は「退屈」なものだ。しかしこの「退屈」な時間は芸術にはどうも必要らしいのだ。そのことが段々分かって来たような気がする。<


そういう見方もあったんだ。
だから、小さいときはクラシックは途中で眠くなったんだ。(笑)

ただ導入部は映画でもミュージカルでも小説でも音楽でも「この先の展開はどうなるのだろう?」

というインパクトがないとひきつけられないとは思う。

絵画や彫刻が瞬間の凝縮された美とするならば(その良さがわかるまで退屈になるほど見続けたりしないと思う)、音楽や映画やミュージカルや小説は構成の妙味から来る蓄積の美とでもいえるのかもしれない。

まるで川の流れのようなものに思える。
最初は細々としたものが、右に左に曲がりながら次第次第に太くなり、最後には感動と言う大海へとなだれ込む。

とはいえ、飽きられないための起承転結の中での起伏が無ければ、ただ「退屈な時間」だけが多いと人を引きつけることは出来ないだろう。

そうして考えるとアニメの交響組曲は、その退屈な時間をテレビ放映が補っていると思える。
だからこそファンの間では、音楽の流れがイメージできて感動を与えられるのかもしれない。

アニメのストーリーを知らない人には、何の変哲も無いものが、映像を見ているものには頭の中でフラッシュバックされて、より深い興奮を呼び込む。

交響組曲「宇宙戦艦ヤマト」や「宇宙海賊ハーロック」や「クラッシャージョー」はその意味において、いかなるクラシックの名曲よりも私には感動を与える音楽でもある。

ケビン・レイノルズ選手など最近の若い選手の中でアニメやゲーム音楽を使用する人も増えてきているが、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストを使用する選手が出てきてほしいものだ。

RPGもおよそ、その半分は退屈な作業の繰り返しでもある。けれどもそれは達成感というゲームエンドを見るために必要不可欠な時間であり、だからこそ難解なゲームほどエンディングロールを見たときの感動は言葉に言い表せない喜びが生まれる。

マーラーの音楽もそういう類のものだと、たとえられるのかもしれない。

2012/05/02 (水) 07:19:17 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re: なるほど

>クラシックは途中で眠くなったんだ。(笑)

いや、私は今でも眠くなることが少なくないです(^<^)

ワグナーのオペラは公演が4時間にも及びます。
実際にクークー寝てしまったこともありますよ(^。^;)

>導入部は映画でもミュージカルでも小説でも音楽でも「この先の展開はどうなるのだろう?」
というインパクトがないとひきつけられないとは思う。

おっしゃる通りです。例えば、マーラーの交響曲3番では第一楽章の冒頭でいきなり8本!のホルンがフォルティシモで、ひとつのメロディーを吹き鳴らします。この効果は抜群です。

小説でもバルタン様が引用した「草枕」の冒頭のように、非常に印象的な導入部を夏目漱石は工夫していますね。この小説も結構、退屈?な箇所がありますね。私にとってですけども。

アニメの組曲やゲーム音楽はさっぱり不案内でありんす(^。^;)

しかしながら、

>RPGもおよそ、その半分は退屈な作業の繰り返しでもある。けれどもそれは達成感というゲームエンドを見るために必要不可欠な時間であり、だからこそ難解なゲームほどエンディングロールを見たときの感動は言葉に言い表せない喜びが生まれる。

この件は良く分かるような気がします。

テレビドラマ「101回目のプロポーズ」ではショパンの「別れの曲」と主題歌が上手く噛み合わされ、次々と変容されて、ドラマと溶け合っていました。あれは印象的だったなあ。

2012/05/02 (水) 22:15:10 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

現代音楽の悲哀

テレビの普及前は、頭の中でイメージを膨らませて、音楽を聴いたり小説を読んだりした。

特に小説の場合はそれが映画化されたときに、自分の形成したイメージとの違いが無いものと、「え~~、こんなんじゃない!!!」と言うものでその映画に対する評価が大きく変わったものだ。

そういう点では現在の音楽家にとっての交響曲と言うのは、さらに作りにくくなっている気がする。

音楽から映像を創造するのではなく、映像から音楽を想像するという形へと一般的な聞き手のスタイルが変わってきていると思えるからだ。

その点で、過去のテレビの無い時代の作曲者に比べて、イメージの貧困さから(というよりも目で見るイメージが優先される思考に慣れてしまっていると思える)過去の名曲を超えるものは生み出せないような気がする。

ちなみに私が小説と映像とがかなり近いと絶賛したものには、デューン「砂の惑星」がある。

話はずれるが、いまだ映画化はされていないが、今は亡きA・バートラム・チャンドラー氏の銀河辺境シリーズをいつの日か映像で見たいと思っている。

2012/05/03 (木) 09:02:56 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re: 現代音楽の悲哀

バルタン様、こんばんは。

>映像から音楽を想像するという形へと一般的な聞き手のスタイルが変わってきていると思えるからだ

これはまさに、ロマン派音楽の流れを汲むものでしょうね。

モーツァルトの交響曲は何かの映像とは無関係ですし、ストーリーや哲学や描写があるわけでもないですね。
だからと言って、無味乾燥な抽象音楽が鳴っているわけでもないです。

現代音楽はある意味、モーツァルトのようにひたすら純粋な音楽だけでオリジナルな芸術を創造しようとするので、専門的世界に閉じ込もってしまいがちです。

「砂の惑星」は見たことがないのですが面白いですか?

宇宙もの&SFものの映画であれば「エイリアン2」が好きです。シガニー・ウィーバーのような大柄な女性戦士がヒロインとなって暴れる物語は、やはり、西洋の伝統であって、日本には見られないものですね。それだけに非常に惹かれます。
ギリシア神話の女軍団、アマゾンに始まり、ジャンヌ・ダルクやフランス革命の女戦士、テロワーニュ・ド・メリクールの流れに通じるような。

日本は卑弥呼からの伝統でシャーマン的な能力を持つ巫女のような女性がヒロインですね。

2012/05/04 (金) 00:16:29 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

砂の惑星

原作を読んでいないと、詳細部分の表現が理解できないと思いますが、原作が惑星の環境設定や政治背景などが細かく描かれていて、そういう細かい部分まで期待を裏切らないつくりになっています。

映画版とTVドラマ版とあるのですが、より忠実なのは時間の長いTV版ですね。

ハヤカワSF文庫にて出版。廃版にはなっていないと思います。

高校時代の多感な時期に読んだので読めたのだと思うけど、今だと多分めんどくさくて途中で放り投げそう。

小学校時代から布団の中で懐中電灯で本を読み漁った頃に比べて、今は知識欲が減退したぁ~~。

それから映像と言うよりも情景の方が言葉としてはただしいかったですね。

2012/05/04 (金) 12:59:19 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re: 砂の惑星

バルタン様、レスありがとうございます。

「砂の惑星」見てみるか。テレビ版がツタヤにあればそちらも。

やはり、ブルーレイ、買わないとダメかな(^。^;)


2012/05/05 (土) 00:47:23 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

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Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
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