学生時代に戻ったつもりで芸術や美を語る②




1.

うしろすがたのしぐれてゆくか

しぐるるや道は一すぢ

分け入っても分け入っても青い山

落葉ふかく水汲めば水の澄みやう


2.

日ざかりの千人針の一針づつ

月のあかるさはどこを爆撃してゐることか

凧の日の丸二つ二人も出してゐる

勝たねばならない大地いつせいに芽吹かうとする


上の句はいずれも、漂泊の詩人と言われた山頭火の自由律の句である。

1.の4つの句と、2.の4つの句と、どちらに「詩」を感じるだろうか?

和歌や俳句にあまり馴染みの無い人でも、「普通の感性と知性」を持つ大人が、上記の一群の句を何度も読めば、1.の方に詩を感じるであろう。これらの句には余情があり、寂寥感、孤独、瑞々しさ等が伝わってこよう。

2.の方はいずれも銃後句、事変句に過ぎず、時勢に迎合した平凡な句と分かるのではないだろうか?

1.の句からは「時雨」や「雨」「水」に愛着を感じていた山頭火の鋭い感性が発揮されている。五・七・五、という因習的な俳句から斬新的な自由律句の開拓に大きな寄与をもたらした山頭火の心が漲っているようだ。

そして、子供や幼児はこのことを理解しないだろうし、格別の感動も受けないであろう。何故か?
「美的感覚」や「芸術的感覚」もまた「成長」するからである。もう一つは、美や芸術というのは感性だけで全てを受け取るものではないからである。

また、芸術には、一定の教養とその素晴らしさを味わうだけの訓練がある程度、求められるのだと思う。絵画を沢山見る、音楽を沢山聴く、文学や詩、和歌を沢山読み、音読する、…こうしたことにより、芸術や美の何たるかが、何が優れているかそうでないか、おぼろげに見えてくるのだと思う。

こうしたこともまた、「芸術」や「美」の存在と定義、芸術性の条件となる普遍性、洗練性、斬新性(又は前衛性)を探るヒントになるのではないか。


これと似たことはフィギュアスケートにも言えるのではないか。ジャッジが選手達の演技を適切に評価、採点するには、フィギュアの深い知識と訓練が無ければ不可能であるのと同じと言えまいか?

もちろん、そんなこ難しい話しなど関係なく、フィギュアを楽しめばそれでいいじゃないか、というファンのスタンスもある。それも真実だ。しかし、フィギュアについてファンなりにもっと深く味わう道があることもまた真実なのである。

自ら滑らなくても、フィギュアのルールや技術をある程度は勉強し、ノービス、ジュニアからトップクラスのスケーターの演技を(なるべくは生観戦で)沢山見ることで「鑑賞眼」は鍛えられ、「今まで見えなかったものが見えて来る」し、「新しくて深い感動を受ける」のも事実であろう。

それは芸術や美を鑑賞する事でも同じことが言えると思う。


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2012.05.18 | | コメント(7) | トラックバック(0) | 歴史・文化



コメント

果てしなき探究心

片割月さん おはようございます

>自ら滑らなくても、フィギュアのルールや技術をある程度は勉強し、ノービス、ジュニアからトップクラスのスケーターの演技を(なるべくは生観戦で)沢山見ることで「鑑賞眼」は鍛えられ、「今まで見えなかったものが見えて来る」し、「新しくて深い感動を受ける」のも事実であろう。
御意!これはまさに私がいまやってる作業(ステップシークエンスの読み取り)で実感している喜びなんですね。

それから、芸術や美の普遍性についてあれこれ思いを巡らす事も、自分の世界を拡げたい、新しい地平を見てみたいという希求なんだと思います。もちろんそんなことをしなくても楽しいことはいっぱいあるし、今のままで十分という人もいるでしょう。何を求めるかは人それぞれ、自分の欲望を他人にお勧めすることも強要することもしません。なぜなら、記事学生時代に戻ったつもりで芸術や美を語る①のコメントで、ベリアさんが、おっしゃった「自由で 答えのないもの、あるいは全てが答えで正解」だと思うからです。

といいつつ(お勧めしないならば、ここに書かなければ、良いと思うのですが)、ここに、自分の考えを、わざわざ書くのは、

記事学生時代に戻ったつもりで芸術や美を語る①のコメントで、ベリアさんに、共感されたghotiさんの仰る’目から鱗’にも’束縛されたくない、でも共感したい’、といった思いにも納得です。(ありがとうございます)思いがあるからです。

自分の考えを「強要するつもりはないけれど、でも、聞いて(出来れば共感して欲しい)」という心の叫びなのであります。

自分が良い/酷い/凄いなどさまざまな感動/情を(自覚の有無に関わらず)他人と共有したいという心の叫びが芸術心なのかな!?出力されたものが芸術足りうるかはともかく、芸術心は誰の心にもあると思った次第(笑)。

追記2012.05.18/08:50
芸術心と書きましたが、探究心(納得への希求)に改めます。出力されたものの種別により、(真)科学・宗教であったり(善)道徳・倫理であったり(美)芸術(絵画、彫刻、文学、詩、音楽、舞踊、身体運動、スポーツ・・・)であったりと、もともと渾然一体としてあったものを、人の心が成長(人類ベースでは歴史)とともに分別して来たと思われます。

そういう意味で、記事学生時代に戻ったつもりで芸術や美を語る①のベリアさんのコメント「芸術」は私にとり永遠のテーマともいえて、想いは’流動的’であり、勉強を続けていきたいと思います。 には、共感を覚えます。

2012/05/18 (金) 07:18:19 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

個性が普遍に通じる

「人間の建設」(小林秀雄と岡潔の対談)P25に含蓄のある対話が交わされていたので貼って置きます。最近の数学は個性を失っているという話(笑)。

どういうことなのか、私はまだ理解できてないのですが、なにか、気になります。まあ、要するに、抽象的であっても内容のある話は、抽象的と感じない。(たぶん具体的なイメージが浮かぶのだと思う)そういうものは個性をとことん追求したところに見えてくる何かを抽象化(普遍化)したものなのかなーと、思ったりしてみた(笑)

小林:このごろ数学は抽象的になったとお書きになったでしょう。私ども素人から見ますと、数学というものはもともと抽象的な世界だと思います。そのなかで、数学はこのごろ抽象的になったとおっしゃる。不思議なこともあるものだ、抽象的な数学の中で抽象的ということは、どういうことかわからないのですよね。

岡:観念的といったらおわかりになりますか。

小林:わかりません。

岡:それは内容がなくなって、単なる観念になるということなのです。どうせ数学は抽象的な観念しかありませんが、内容のない抽象的な観念になりつつあるということです。内容のある抽象的な観念は、抽象的と感じない。ポアンカレの先生のエルミートという数学者がいましたが、ポアンカレは、エルミートの語るや、いかなる抽象的な観念と言えども、なお生けるがごとくであったと言っておりまますが、そういうときには、抽象的という気がしない。つまり、対象の内容が超自然界の実在であるあいだはよいのです。それを越えますと内容が空疎になります。中身のない観念になるのですね。それを抽象的と感じるのです。

小林:そうすると、やはり個性というものがあるのですか。

岡:個性しかないでしょうね。

小林:岡さんがどういう数学を研究していらっしゃるか、私はわかりませんが、岡さんの数学の世界というものがありましょう。それは岡さん独特の世界で、真似することはできないのですか。

岡:私の数学の世界ですね。結局それしかないのです。数学の世界で書かれた他人の論文に共感することはできます。しかし、各人各様の個性のもとに書いてある。一人一人みな別だと思います。ですから、ほんとうの意味の個人とは何かというのが、不思議になるのです。ほんとうの詩の世界は、個性の発揮以外にございませんでしょう。各人一人一人、個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する。それが個人の本質だと思いますが、そういう不思議な事実は厳然としてある。それがほんとうの意味の個人の尊厳と思うのですけれども、個人のものを正しく出そうと思ったら、そっくりそのままでないと、出しようがないと思います。一人一人みな違うから、不思議だと思います。漱石は何を読んでも漱石の個になる。芥川の書く人間は、やはり芥川の個をはなれていない。それがいわゆる個性というもので、全く似たところがない。そういういろいろな個性に共感がもてるというのは、不思議ですが、そうなっていると思います。個性的なものを出してくればくるほど、共感がもちやすいのです。

2012/05/18 (金) 18:39:33 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: 果てしなき探究心

実は、話の筋道をある程度明快にするため、芸術について一応「定義」を引っ張り出しましたが、

本当のことを言えば、芸術に定義はヤボというものです。

定義した瞬間から「自由」は損なわれるからです。

論議は何事も定義から始めるのが定石ですが、定石を覆すこともまた芸術ですからね(#^.^#)

しかし、これは言えると思います。

「芸術」は確かに現実に存在するものだと。

2012/05/18 (金) 21:49:29 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 個性が普遍に通じる

ghoti様のブログで、この件、拝見していましたよ(#^.^#)

>ほんとうのの世界は、個性の発揮以外にございませんでしょう。各人一人一人、個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する

「詩」は「芸術」「美」に置き換えることが出来るでしょうね。

定義が困難なのに「芸術」は確かに存在することの傍証になるでしょう。

それにしても、ghoti様はこういう分野にも博識でいらっしゃいますね。凄いわ。

2012/05/18 (金) 21:54:15 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

片割月さんへ

>本当のことを言えば、芸術に定義はヤボというものです。
>定義した瞬間から「自由」は損なわれるからです。
>「芸術」は確かに現実に存在するものだと。


確かに、存在はするけれど、定義できない、説明できないもの、ってありますね。

万有引力であったり
http://inbook.jp/serif?serif_id=27519
ニュートンの天才はプラグマティズムにあると言える。彼は万有引力を説明しようとはしなかった。万有引力を事実として捉えた。同様に、科学のどの分野も、出発点として、説明抜きの中心的事実を何か持たざるを得ない。 (P67)

時間であったり、
http://inbook.jp/serif?serif_id=116026
「時間とは、それが何かを問わなければわかるが、問うとわからなくなる」というアウグスティヌスの有名な言葉にあるように、時間の正体は古来、哲学者を悩ましつづけた難問であった。 (P36)

>それにしても、ghoti様はこういう分野にも博識でいらっしゃいますね。凄いわ。
ありがとうございます\(^o^)/
キャバクラ通いの成果がこんなところで発揮されるとは思っても見なかったわ(笑)(^_-)-☆

>ghoti様のブログで、この件、拝見していましたよ(#^.^#)
わおっ、自分で書いていてすっかり忘れてた。読んでくださってありがとうございます!
だから、引用の一部はウェブからのコピペですが、前半部分は、打ち込みです(笑)。

2012/05/18 (金) 22:39:00 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

ご参考

片割月さん こんにちは

目から鱗だったので、とりあえず通報しておきます。情報厨(=ghoti)より(^_-)-☆

芸術は生き延びるための技術(坂口恭平)カフカ萌え。【坂口恭平②:田村淳のNews CLUB 12年7月9日】 http://www.youtube.com/watch?v=l7lG3ptc4RU#t=13m00s  Art・アート/芸術・美術( 意味と語源 )http://ow.ly/c9Si3
11分前 Tabtterから

2012/07/11 (水) 18:09:58 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: ご参考

ghoti様、こんばんは。

情報部からのお知らせ、ありがとうございます(^<^)

なるほど、これも芸術の本質の一つを言い当てていると思います。

結局、芸術の定義は定義の一歩前、寸止めにして置くのが良いのかもしれませんね。

定義が明確でないから学問的で無いとは限らないし、

定義付けること自体が芸術の生命を失わせるような気もするからです。

芸術とは何か?と問い続けることは、人は何の為に生きているのか?に通じるものがありそうです。

2012/07/12 (木) 00:15:12 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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