芸術と真実と美と




gogh52.jpg

ゴッホ「靴」1886年作


芸術とは真実を語る嘘である  ピカソ



ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガーは「芸術作品の根源」で、ゴッホの「靴」への凝視から深い考察を展開している。

「…この道具(靴)を貫いているのは、泣きごとを言わずにパンの確保を案ずることであり、困難をまたも切り抜けた言葉にならない喜びであり、出産が近づくときのおののきであり、死があたりに差し迫るときの戦慄である…中略…むしろ、道具の道具存在は、作品によってはじめて、そして作品においてだけ、ことさらに輝き現れてくるのである…」


私達は自然のお花畑や山々や海原、日の出や満月や星座を見て、しばし感動を受ける。しかし、モネの絵画「日の出」やドビュッシーの交響詩「海」から受ける感動は、もっと精神的な、自分を高みに引き上げてくれるような何かを感じる。

私が自然の美や、建造物・道具等の機能美より、芸術の美を高い位置に置きたくなるのは、それらの作品に単なる美しさだけではなく、この世の真実・真理に繋がる何かを受け止め、感じ取り、噛締めるからだ。


其の時私は、芸術に普遍性・永遠性の存在を垣間見たと思うものだ。



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2012.07.15 | | コメント(47) | トラックバック(0) | 歴史・文化



コメント

やすらぎときめき

:片割月さん おはようございます

芸術シリーズ好き\(^o^)/

ピカソの言葉は奥が深い。私は、「芸術は真実(真理の嘘)を語る嘘である」と解釈しました。

前者にはやすらぎ(鎮静、静謐、死)。
後者にはときめき心穏やかならざるもの(興奮、躍動、生)を感じる。

情報班通報 反哲学入門 木田元 P192-3
http://dl.dropbox.com/u/410340/books/anph192.jpeg
「われわれは真理によって駄目になってしまわないために芸術をもっているのだ」
喜劇・笑い(Haha) 科学(Aha) 芸 術(Ah・・・)

2012/07/15 (日) 07:39:39 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

日常の美

とでも言えば良いのかな?
外見的な美ではなく、そこに潜む精神性を表現しようとしているということなんだろう。

きれいなパーティー用のピカピカの靴ではなく、生活するためにぼろぼろになった靴。

私の業界では、使いこなされて皮が柔らかくなった靴になってきて始めて一人前として認められる。

そういう状態になるまでにいろんな経験をつんできただろうということが推測されるからだ。

確かユダヤ人の訓話でも似たような話があったと思う。

「セールスマンは靴を見て判断しろ」ピカピカの靴をはいている人間は信用なら無い。

ぼろぼろになった靴をはいている人間は、自分の身の回りに気を遣う時間すら惜しんで仕事に打ち込んでいるという印だというのがその論旨だったと思う。

ピカピカの靴をはいている者は所詮は自分中心に物事を考える傾向が強いから、いざというときの頼りにならないということだ。


この絵は、その意味で朴訥で唯々諾々(いいだくだく)と自分の置かれた状況に文句を言わずに仕事をしている靴の持ち主を、靴という道具を表現することによってオーバーラップさせようとしたと私には思える。

そして、この絵は靴の持ち主に対しての尊敬を表そうとしたのだと私は思う。

2012/07/15 (日) 08:27:56 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re:日常の美

バルタンさん おはようございます

いい話やね\(^o^)/
久しぶりに、バルタンさんのコメントに心が踊りました(^_-)-☆←余計でしたねorz

2012/07/15 (日) 08:34:50 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: やすらぎときめき

ghoti様、おはようございます。

>「われわれは真理によって駄目になってしまわないために芸術をもっているのだ」

ニーチェ流のレトリック的発想でしょうか。

フフフ…ここまで来ますと、私には理解が難しいです(汗)

人間は真実は知りえないという、不可知論的な発想にはあまり共感しない方ですが、さりとて、

チープに「これが真実だ、これが正しい、あれはウソだ!」なんてのがやたら流行り出すと、

「ちょっと、待った!」と言いたくはなりますね。

2012/07/15 (日) 10:43:52 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 日常の美

バルタン様、とても素敵なコメントと思います!

ゴッホの「靴」には、人間の「皺」や「白髪」にも通じる世界があると思います。

皺や白髪の増えた人を見て、私達が様々なことを感じ、思うように。




2012/07/15 (日) 11:07:12 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

芸術は知ではなく血

片割月さん おはようございます

平成情報班通報 芸術って何なのさ!謎な絵と向きあうために。『イメージの前で』
http://news.honzuki.jp/devantlimage
人間の理性や知性が称揚され、暴力や無意識が否認されてきました。人はそこに見えるものだけを読むことで、実質的には作品そのものを見る事をやめ、知識だけを参照するようになってしまいます。あるいは、そこに見えていないものを読み取って、観念論的に展開させてしまいがち、とも言えるでしょう。
おそらく芸術作品を前に、知性は悲鳴を上げるのだと思う。「こ、これはなんなんだ~~~、ハラホロヒレハレ」てな感じ。そして知性が麻痺したあとに血の通った生の日常の生活感覚(感情)がやって来てリアルな世界を見る羽目になる。知識のフィルターを通して見ていた世界さん、さようなら。(←まあ、これも私の知性(知識)が言っていることなのだけれど/(-_-)\ただ、日常のリアルな経験によって培われた感情に裏打ちされた地に足ついた知性(知識)ではあります)

バルタンさんの靴のエピソードと重なります。

2012/07/16 (月) 08:14:41 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: 芸術は知ではなく血

ghoti様、こんばんは。

また、啓発される事例、ありがとうございます。

岡本太郎氏の「芸術は爆発だ~!」も、それに近いかも(笑)

私は芸術というのはイマジネーションの飛躍とロジカルな様式が渾然一体となったものと思います。

例えば、ベートーヴェンの音楽はまさに「爆発」でしたが、そこにはソナタ形式がしかと根を下ろしているわけで、決して、ハチャメチャ(或いはデタラメ)をやっているわけではないからです。

従いまして、芸術を鑑賞する側には、感性と理性の両方が求められると思います。

>これも私の知性(知識)が言っていることなのだけれど

ゴッホの「靴」ですが、子供がいくら鑑賞しても、大人が受け止めるような感動や感慨は無いでしょう。

もちろん、子供だって瑞々しい感性で花や海の美しさを感じ取ります。

しかし、芸術を味わうには、それだけではダメなんじゃないでしょうか?

子供を能楽堂に連れていって「能」をいくら見せても、ただ退屈するだけでしょう。

やはり、知性の発達、知識や知恵、経験が求められると思うのです。

だからこそ、芸術は奥深いと。

もちろん、感性の方が大切と思いますが(^。^;)

2012/07/16 (月) 21:31:39 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

2*Re: 芸術は知ではなく血

片割月さんのおっしゃるとおりなのですが、私は、決して知性(知識)をないがしろにしているわけではありません。それは、(←まあ、これも私の知性(知識)が言っていることなのだけれど/(-_-)\ただ、日常のリアルな経験によって培われた感情に裏打ちされた地に足ついた知性(知識)ではあります) という苦しい弁解を見ていただければわかると思います。

私が言いたいのは、現代は、知性(知識)偏重で感性(情)がないがしろにされがち、科学優先経済優先で芸術が軽視されがち。文学音楽絵画などの芸術そして花鳥風月を嗜む片割月さんには釈迦に説法かもしれませんが、その、片割月さんでさえ、前者を飯の種、後者を前者の癒しとしている生活態度です。その美脚(よしあし)は私にはわからない。

話がそれました。人間(生命)は動的です。その動的な人間(生命)を知識という拘束具で縛りつけ奴隷化します(だれかの陰謀です笑)。その知識が一過性のものであることを認識させ知識の奴隷状態から解き放ち子供のころの瑞々しい感性(←ほんとにそうなのかはここでは触れない)に息吹を与えるのが芸術なのだと。言いたいわけです。

大人の生命力を失った静的というか硬った知性から子供の瑞々しい感性を取り戻せ!その瑞々しい感性から生命力を持った動的というか麗しい潤った知性が生まれるのだと。それが芸術なのだと。言いたいわけです。

決して知性を否定するのでも蔑ろにしているわけではないんだお~(´;ω;`)

注:芸術の一つの側面。役割、効能という側面について語っています。それも現代においての。時代が違えば、現代とは正反対の作用を果たしていた可能性もあると思われます。また、認識による違い。ショーペンハウアー(鎮静剤)とニーチェ(刺激剤)の違い・・・みたいな(^_-)

2012/07/17 (火) 09:30:11 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: 2*Re: 芸術は知ではなく血

>決して知性を否定するのでも蔑ろにしているわけではないんだお~(´;ω;`)

ヘイヘイ。\(^o^)/了解!

2012/07/17 (火) 21:37:21 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

作品のオーラ

実物を見たことがないので何とも言えませんが
「・・・出産が近づくときのおののきであり、死があたりに差し迫るときの戦慄である・・」
と言わせるものが何なのか興味があります。
そのオーラを一度感じてみたいものです。 

ついでに、ゴッホには、本人が「何もない部屋を描くことで、絶対的な安息を表現することを試みた」といった旨を語る絵があって、それも見てみたいものだと思ってます。

ところで、
「私が自然の美や、建造物・道具等の機能美より、芸術の美を高い位置に置きたくなるのは、・・・」
ということですが、ひょっとして月さんも「モーツアルトはあまり好きでない」派ですか?

2012/07/18 (水) 13:07:30 | URL | MILLAN #- [ 編集 ]

Re: 作品のオーラ

MILLAN様、こんばんは。

実は私もゴッホは本物をまだ見たことがないので(汗)…はい、オーラを感じてみたいですね。
ハイデッガーの本に出会って、ゴッホを鑑賞したくなりました。

ちなみに、私の好きな画家はまずエドワール・マネと、次にダ・ヴィンチです。
こちらは実物を見て、オーラをたっぷりと感じました(#^.^#)

>ひょっとして月さんも「モーツアルトはあまり好きでない」派ですか?

あ、片割月→月さん、と来ましたか(-^〇^-)親しみを感じて面白いでありんす。

「私の好きな曲」に2曲、記事をアップしたくらいですので、曲によってはモーツァルトは好きですよ。

ただ、若い頃ほど夢中になれませんね。。。どうしてかな。。。

モーツァルトの音楽はとてもシンプルですが、シンプルの中に、少ない音符の行間にたくさんのニュアンスが含まれている…そこに不思議な魅力があると思っています。

しかし、最近は、シンプルだからシンプルなだけで、それ以上のものではない…そんな感じもします。
早い話が、物足りなく思うことがあります。

そう、あまりに音楽が自然に流れて行くようで、それが魅力であり、今ではやや食い足りなさを感じるのかな。

しかし、ピアノ協奏曲の旋律の美しさは無類ですね。
モーツァルトが今日いたら、歌謡界で最高のヒットメーカーになったことでしょう。

逆に、彼の作曲した宗教音楽は、益々惹きつけられるようになりました。
ここには聴衆への妥協も阿りも無い、何といいましょうか…芸術を感じるからです。
もちろん、これは私の全く個人的な主観、好みに過ぎませんが(^。^;)

2012/07/18 (水) 21:55:58 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

片割月様 

なれなれしく勝手に名前を省略し、大変失礼いたしました。
(片割、というのが一種謙遜を示すものかと思ったので、省略してもよいかと勝手に思って。)
米国人よろしく、「こう呼んでもよいか」と聞いてからにすべきでした・・・。

さて、私も絵に詳しいわけではなく、好きな絵はいくつかあるものの作者を覚えていない体です。
あえて作者でいえば、カラバッジョなら好きな作風です。

モーツアルトですが、それ好きでないという友人が、片割月さんと似たようなことを言っていたので、ひょっとしてと思いました。

料理にたとえると、ベートーベンがあらゆる研究をして極めた最高のレシピだとすると、モーツアルトは自然の素材そのまま ・・・ ベートーベンを訪問すると、完璧なフルコース料理で迎えられるのに対して、モーツアルトは、庭の木からひょいとリンゴをもぎ取って「これ、うまいよ」と渡される感じ。 (これが人によっては「ふざけるな」ということになるものらしい。)

たしかにモーツアルトはテキトーな作品も多い。
しかし(!)ときとして、絶妙に美味いリンゴがあって、それは、どうやっても人間の努力では作り出せないものと感じる。 この奇蹟のレシピがモーツアルトの魅力かと。 ・・・ ただ、困ったことにこの繊細なレシピを実現できるシェフ(演奏)選びもなかなか難しい。 ベートーベンのレシピは、シェフが一生懸命やれば、それに比例したレベルになるのですが。 モーツアルトは一生懸命やってもダメはダメなのが、コワイ。

それで、言いたかったのは「自然も最高の感動を与えてくれることがある」ということですが、どうでしょう?

2012/07/19 (木) 02:57:23 | URL | MILLAN #- [ 編集 ]

(V)oo(V) フォッフォッフォ

ゴッホは見た事あるぞ~~。へへへ。

倉敷の大腹美術館はなかなかがんばってくれるのだ~~。

でも、オーラを感じ取れないのだけどね。(笑)

波長が合わないのだろうな。

2012/07/19 (木) 02:58:40 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

MILLAN様、こんばんは。

>なれなれしく勝手に名前を省略
あ、むしろ、面白いと思っていますので、遠慮なく月さんで(´∀`*)

>片割、というのが一種謙遜を示すものかと思った
イエイエ、私はどちらかと言えばあだな女でありんす(^。^;)
昔の人は半月を片割月とか弓張月とか書いていたのを思い出して。後は「私の好きな曲」の「月のしずく」に書いた通りでありんす。

ベートーヴェンとモーツァルトの対比、とっても説得力がありますね(#^.^#)
ベンチャンが脂身たっぷりのステーキならば、モツさんは特上の刺身でしょうか。

>「自然も最高の感動を与えてくれることがある」

例えば、新緑の谷間を流れる清流のせせらぎ、高山を彩る清楚なチングルマの群落、漆黒の空に宝石を散りばめたような天の川、などを見て身体が震えるほど感動したことがあります。
身体が洗われるような爽快さや言葉に尽くせぬ神秘、繊細な生命の営みに心打たれたり。。
これも「最高の感動」なんだと思います。

ただ、ベートーヴェンの「熱情ソナタ」しかり、ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」しかり、柿本人麻呂の「挽歌」しかり、そこには人間の感性と思考と、技術と霊感の粋が凝縮された深い感動を呼び起こします。
愛とか、祈りとか、そういった尊い何かが。

もしかすると、美に上下は無いのかもしれませんね。でも、何かが違うような。。。

2012/07/19 (木) 22:40:55 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: (V)oo(V) フォッフォッフォ

> でも、オーラを感じ取れないのだけどね。(笑)

> 波長が合わないのだろうな。

そりゃ、コスフェチ・アニメオタクのバルタン星人には無理でありんす。ガッハッハ(^Д^)

ゲデ子や美姫の実物を見ればオーラを感じてぶっ飛ぶのでありんしょう(-^〇^-)

2012/07/19 (木) 22:48:27 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

美の細道

日本人だけが虫の鳴き声に関して、芸術的とでも言おうか叙情性を感じるのはなぜなんだろう?

四季が明瞭なことと関係があるのだろうか?

過ぎ行く季節を名残惜しむ。

近づく季節を心待ちにする。

そういう心象情景が虫の鳴き声に叙情性を感じるのだろうか?

芸術とはなにか?と同じ位、私には疑問なのだけどね~~?


虫の鳴き声が頻繁に文学作品に出てくるのって、日本だけじゃないのかな~~?

2012/07/19 (木) 23:07:19 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re: 美の細道

こほろぎの歌一首(湯原王)

夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも(万8-1552)

万葉の歌にも詠まれたほど、はるか昔から虫の鳴き声に儚さや虚しさを受け止める感性があったようですね。

それは、落花や落葉に儚さを受け取るのと同じ感性でしょう。

日本人は虫の音を言語脳の左脳で聞き、他の国の人は右脳で聞く、その違いもあるとか。

音節数の少ない日本語の特性が、オノマトペを沢山生んだ。

これもまた、虫の音に異常なまでの執着を示す日本人の特性に繋がっているとか、

色々な学者がいろいろな説を展開していますが、よく分からないですね。

桜が散る様に日本人は美を認めた。

昔、仙人が、洗濯をしている娘の白い脛に見とれて雲から落下した伝説があります。

落花や落葉よりも、仙人の落下の方にこそ、本当の美を見出すのが芸術というものです(-^〇^-)

まあ、これは坂口安吾の受け売りでありんす(^。^;)

バルタン様が倉敷駅のプラットホームを歩くセクシーな女性に見とれて、線路に落下するのも美です(^Д^)

2012/07/19 (木) 23:46:57 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 美の細道

片割月さん バルタンさん おはようございます

>日本人だけが虫の鳴き声に関して、芸術的とでも言おうか叙情性を感じるのはなぜなんだろう?

片割月さんが、諸説はあるが、たしかなことは、わからない。とおっしゃいましたが、私もよくわかりません。ただ、こんなふうに思います。

私は、日本人だけというのは、日本人の思い過ごしのような気がするんですね。外国人にだっているはず。というのは、虫に限らず、花鳥風月に心動かされるのは、環境・文化の違いはあれど、自然現象のようなものだと思うからです。ただ鈍感か敏感かの違い。あるいは、そんなことに関心を向ける余裕があるかどうかの違い。はあるかと思います。敏感な人は詩人と呼ばれ数多くの作品を残しています。http://www.wind.ne.jp/takotubo/musi_menu.htm 日本人でもどんな作品に影響を受けたかでずいぶん違うと思います。私と片割月さんでは、松虫、鈴虫に対する思い入れは随分違うと思う(笑)というか、私は、チンチロリンと松虫が鳴くのを聞いたことがありません。左脳がないのかも(笑)。

関連リンク
・【言語と文化】北風ピープー吹いている♪
http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2005/12/post_fd86.html
・松岡正剛の千夜千冊『虫の惑星』ハワード・エヴァンズ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0277.html

>虫の鳴き声が頻繁に文学作品に出てくるのって、日本だけじゃないのかな~~?
頻繁かどうかはわかりませんが、外国人、見つけました。ジョン・キーツ John Keats
http://poetry.hix05.com/Keats/keats.index.html

>音節数の少ない日本語の特性が、オノマトペを沢山生んだ。
この辺りは、興味ありますね。時間があったら、思考したい気持ちです。とりあえず過去記事にしたことがあったのでご報告。http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2005/12/post_3234.html

2012/07/20 (金) 14:33:18 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

やっぱり主旨が読み取ってもらえてない

せっかくあげてもらった資料ではあるけれども、虫の鳴き声に関しての受け取り方について書いてあるのは一部分だけ。

西洋などは鳴き声の意味を考えるほうに主眼が置かれることの方が多い。

日本の文学に出てくるのはそうではないということ。

虫の鳴き声を、いろんな形で受け取っている。

表現方法を見るとわかるのだけれども、

「虫の音」 音楽として聞いている。(主体は虫ではなく、人がどう受け取っているか)
「虫の声」 会話として聞いている。(虫の擬人化)
「虫の鳴き声」 西洋でもよくあるパターン、外部からの音としての刺激。状態をそのまま受け取る。


花鳥風月に関しては、それなりに西洋でもいろんなものがある。マザーグースなどのツグミ等もそうだし(パパンがパン!!だ~れが殺したクックロビン)、コクトーなどもそういう類のものから詩を多く作っている。

けれどもヨーロッパで、その音色を聞くためだけに、マツムシや鈴虫を虫かごに入れて育てて入るような話を私は知らない。

アメリカでも多分無いだろうと推測しているけどね。

この趣旨は、

「ただ鈍感か敏感かの違い。」 この部分に少し当てはまるけれども、芸術も感性だとすれば、同じことがいえる。

では感性とはなんなのか?そこを考えるための意味合いで引き出したのであって、

>私は、日本人だけというのは、日本人の思い過ごしのような気がするんですね。外国人にだっているはず。<

これは当然のこととして、ありうることなんだけれども、その数が一般的国民レベルにまで普及しているかいないかの違いがどこから生まれるのか?というのが疑問点なんだということ。

それが感性とは一体なんなのか?を探る手がかりになるのではないのかということなんだけどね

2012/07/20 (金) 18:08:03 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

参考文献

http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h14/jog240.html

http://www.geocities.jp/tsukaguchiopen/archives/e0101_2/e0101_2.html

http://kentapb.blog27.fc2.com/blog-entry-1760.html

興味深いのは感性は、生まれ育った環境で違う特質を与えられる可能性があると思えること。

もし、上記のことが感性の嗜好性(志向性・指向性)に関して、大きな影響を与えるのであれば、芸術の定義を固定化するという作業は非常に難しくなるということ。


パラドックスだけれども、だからこそ自分の感じる価値観を芸術性が高いものとしたがる傾向が、人には存在するのではないのかと思うのよね。

2012/07/20 (金) 18:41:56 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタンさんへ

主旨を読み取れなくてスマソン、未熟者ゆえ許されよorz

>これは当然のこととして、ありうることなんだけれども、その数が一般的国民レベルにまで普及しているかいないかの違いがどこから生まれるのか?というのが疑問点なんだということ。
>それが感性とは一体なんなのか?を探る手がかりになるのではないのかということなんだけどね


虫に対する関わり方の違い
   西洋-観照 分析 ミミズの研究(ダーウィン)
   日本-観賞 味わう  虫愛ずる姫君という虫オタクの存在は例外として面白い
この感性の違いは、何に起因するか!?(第一の趣旨はこれでよろしいでしょうか?)

バルタンさんが挙げられた資料(ありがとうございます!) によれば、

>興味深いのは感性は、生まれ育った環境で違う特質を与えられる可能性があると思えること。

「氏は育ちを通して」と申しますから、大いにあると思いますね。バルタンさんが日本の四季がはっきりしているとおっしゃってたように、自然環境の影響は特に大きいと思います。西洋は自然環境が厳しかったので自然は克服(能動的に観照そして介入→科学)するものであったのに対し日本は恵みをもたらすものとして自然は愛でる(受動的に観賞→文学)存在だったのだと思います。同じ理由で、西洋の文学は、花鳥風月の自然より、人間の心(という自然)に向けられたのかもしれません(参考)。この辺りは、和辻哲郎やアラン・コルバン、イーフー・トゥアンの著書(未読)など、面白いかもしれないですね。

>もし、上記のことが感性の嗜好性(志向性・指向性)に関して、大きな影響を与えるのであれば、芸術の定義を固定化するという作業は非常に難しくなるということ。

芸術(のようなもの)はどこの国にも存在するという事実、様式の違いなど、芸術の普遍性と個別性の問題、興味深いテーマですね。

参考)鉄道旅行の歴史P204
二つの文明過程の由来を、外的な自然支配と内的な自然支配と見なすことにより、両者の相違と類似性を概念的に捕らえることができる。技術は外的な自然支配の表現である。技術的装置(機械)により、自然エネルギーと資源とは、規則的に制御されて、文化的な、つなり経済的な仕事を成し遂げる。社会の規則は内面的な自然支配の装置である。個人は社会の規則によって編成されて、社会の文脈内に組み込まれ、この中で組織的な仕事を成し遂げる。

追記2012.07.20/23:30 直接関係ないけど、面白かったので
ひとつ確かなのは、中国人の精神は非常に合理的であるがために、合理主義的になることを拒み、形式を内容から切り離すことを拒むということである(劉述先)。続き(画像)木を見る西洋人森を見る東洋人http://ow.ly/cnDWC

追記2012.07.21/06:53 直接関係ないけど ちょっと気になったので
普遍と客観の違い。客観=人間と独立して存在するもの。普遍=重力のように誰においても等しく作用するもの。ととりあえず定義すると、例えば重力は人間に作用するわけですから人間と独立した存在ではない。が、誰においても等しく作用するので普遍である。

2012/07/20 (金) 20:42:30 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: Re: 美の細道

私が虫の鳴き声で惹かれるのは、ヒグラシくらいかな。

ヒグラシの鳴き声を聞くと、何とも切ないような、寂しいような、それでいて涼しいような、
不思議な気分になります。

あとは、ウルサイだけ(#^.^#)

やはり、私は鳥の鳴き声が好きだなあ。

日本人だけかどうかはわからないけど、7世紀の歌で虫を儚いものとして聞いているのは珍しいのでは?

中国の古代の漢詩では、そういうの見かけたことがありません。

2012/07/20 (金) 22:37:18 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 参考文献

バルタン様、こんばんは。

> 興味深いのは感性は、生まれ育った環境で違う特質を与えられる可能性があると思えること。

> もし、上記のことが感性の嗜好性(志向性・指向性)に関して、大きな影響を与えるのであれば、芸術の定義を固定化するという作業は非常に難しくなるということ。

> パラドックスだけれども、だからこそ自分の感じる価値観を芸術性が高いものとしたがる傾向が、人には存在するのではないのかと思うのよね。


しかし、海外でも日本の俳句は愛好されていますし、1000年以上も前に書かれた源氏物語も世界的名作として認められています。

全く異なる文化、人種、宗教、言語にあっても、相互の芸術を人間が味わえるのは何故でしょうか?

素晴らしい芸術は、一定の条件を満たせば、ほとんどの人間が共通して味わい、理解する特性があるように思うのですけどね。

それは、芸術というのは持って生まれた感性のみで味わい得るものではないからです。

もちろん、芸術の定義の固定化には問題があるのは事実です。


一定の条件とは、もちろん、教育です。

ニューギニア原住民にベートーヴェンの交響曲をいきなり聞かせてもダメでしょう。
しかし、彼等に西洋音楽の素養を教育すれば、違ってくるだろうということです。

2012/07/20 (金) 23:17:09 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

 話がゴッホの絵から始まっているので、ちょっと私の好きな絵を紹介させてください。
「村の通りと階段」  http://www.artchive.com/artchive/V/van_gogh/stairs.jpg.html
眺めていて幸せな気分になれる絵です。

 絵や音楽や解釈は、所詮、人それぞれでなので、気にいてもらえるかどうかはわかりません。
が、好きな音楽や絵があって、誰かと共有できれば、友ができたような気になれます。 

 契約書とかは、誰が見ても、否応なしに同じことを理解できるものでなければならず、読みにくく長い文になりますが、音楽とか絵は別物。 個々人が何かを楽しめばよいと思います。

 普遍的に人を感動させるもの=芸術が人から独立して存在するというのには、ちょっと懐疑的です。

 ついでに、「芸術」という言葉ですが、私的にくくってしまえば、現世の便宜のためのものかと。
 芸術性という評価のモノサシで、作品に優劣をつけて(金銭的価値と相関させて)取引をスムーズにする。 そのモノサシは個人のものでなく、世間で共有された(権威付けされた)もので、よって安心して、「価値が高いとされるもの」にお金を払える。 また、それでクリエイターがそれで生活できる。・・・・オリジナリティとスポンサー迎合は、古典的な芸術家の悩みだったわけですが。

 同じものを見聞きして同じようにそれを好む人とは親近感が持てる、と書きましたが、逆に、親近感や尊敬の念をもつ人がいれば、その人の好む音楽やらを理解しようとする気になります。その人の背景や考えなどなどを理解するキッカケにもなり、その人を通して、音楽とか絵がわかってくる。

 ここの最初の絵も、ハイデガー氏が何か言わなければ、ただ古靴の絵でしかなかったかも。

 感動は、作品自体の価値だけでなく、自分の思い(自身のバックグラウンド、作者に対する思い、それを共有してくれる人への思い)なども総合されて、醸成されるものと思いますよ。 作品の価値は、かなり私的なものです。 作品で商売をしないのであれば、それでいいかと。


PS
 ケント・ナガノ氏(現バイエルン国立歌劇場の監督)が、モントリオールにいた頃、アラスカ北辺へオーケストラメンバを連れて行き、原住民(エスキモー?)と音楽の交換をするという活動をした。(私はそのドキュメンタリ映画を見ただけですが) オーケストラはモーツアルトなどを演奏、現地住民はおもしろい歌を披露していた。現地の人(特に子供)は興味津々。 このオープンマインドを下ごしらえしておくことが大事ですが、また、音楽がいい交流のツールになるということでもあります。

2012/07/21 (土) 02:25:01 | URL | MILLAN #- [ 編集 ]

芸術と芸術の間

MILLANさん はじめまして おはようございます

MILLANさんの文章、興味深いです。楽しく拝読しました。ありがとうございます\(^o^)/
で、なにか思い当たるフシがあって検索したら次の言葉が見つかりました。なるほどと思いました。
ので、検索マニア情報班として、ご報告します。

近代絵画は、マルセル・デュシャンとパブロ・ピカソという両極の間で生きてきた。(オクタビオ・パス)

あと、私は芸術に普遍性はあると思っています。重力とか時間とかみたいに、それが何であるか説明はできないけれど確かに存在しています。オクタビオ・パスを借りれば、マルセル・デュシャンとパブロ・ピカソに共通する何かに興味があります。ちなみに、芸術に普遍性はない、という見方にも賛成です。ただ、理性は賛成ですが感性(情)は反対しています(^_-)

>普遍的に人を感動させるもの=芸術が人から独立して存在するというのには、ちょっと懐疑的です。

何を受けての言葉なのか、ちょっとわかりませんでしたが、一般論として、私もそう思います。理由は、次のように思うからです。

普遍と客観の違い。客観=人間と独立して存在するもの。普遍=重力のように誰においても等しく作用するもの。ととりあえず定義すると、例えば重力は人間に作用するわけですから人間と独立した存在ではない。が、誰においても等しく作用するので普遍である。

客観について、客観も突き詰めれば人間の主観であって、そういう意味では、客観=共同主観ではあるけれど、人間と独立して存在する客観はないという、最初に定義した、客観=人間と独立して存在するもの。とは矛盾してしまう。客観とはなんとも奇妙な言葉です。というか、論理的に人間と独立して存在するものなんてあるのかしら。それ自体で存在しているものはないと思います。(猫と小判は(価値において)独立して存在しています。しかし、猫に小判をぶつければ、猫は何らかのアクションを起こすでしょう、そういう意味では、独立していない。これも私の主観です

そう思うと、

>普遍的に人を感動させるもの=芸術が人から独立して存在する

が、何を指しての言葉なのか、相変わらずわかりませんが、この定義自体、成り立たないと思います。

そういうわけで、もしかしたら、MILLANさんの懐疑と私の懐疑の理由が違うかもしれません。

追記2012.07.21/10:00
ダンゴムシの話とか経済(エコノミクス=エコ+ノモス)の話とか隅田川の路上生活者の鈴木さんの話とかハイデガーの「建てる・住まう・考える」(講演)の話とか、16億円のファインアートでないアートの話とか、それから原発の話とか、その他、興味深い話がてんこ盛りです。→絶賛推奨!赤丸急上昇中!!ゲスト:坂口恭平さん、NHKラジオ第一の『すっぴん』高橋源一郎 vs 坂口恭平総理。http://www.youtube.com/watch?v=6llIZmuuh_k

法律読んで涙するも小説読んで涙したことがないという。平成のアジールを提供するという。坂口恭平という男。面白い\(^o^)/

追記2012.07.21/11:14 客観について(補足)
(1)人間の外に客観的な世界があると考える。
(2)人間の外に客観的な世界はなく、人間の頭の中に客観的な世界があると考える。
かで、客観の表す意味が違ってくると思います。たぶん、プラトンは(1)の世界観(プラとニズム、西洋科学)、ハイデガーは(2)の世界観(反プラトニズム、古代ギリシャのある一派、インド哲学?)なのかなーと思います。

2012/07/21 (土) 07:00:14 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Ghoti様
コメントありがとうございます。 長らくこういう話題なくすごしていたため、久しぶりでもあり、大変ありがたく思います。

最初の絵にもどります。絵も、ハイデカーも原典を見てないので、トンチンカンかもしれませんが・・

「…この道具(靴)を貫いているのは、泣きごとを言わずにパンの確保を案ずることであり、困難をまたも切り抜けた言葉にならない喜びであり、出産が近づくときのおののきであり、死があたりに差し迫るときの戦慄である…」

これはどういうことか? この絵を見るのは初めてなので、あれこれ想像します。 靴を脱ぐのはベッドにはいる時だから、主はすでに眠っており、靴が、「今日はよくやった」とか「明日もがんばろう」という雰囲気を醸し出しているのか。もしかすると主は亡くなってしまい、靴は主を失ったのか。そういう戦慄を絵が醸し出しているのか。 ・・・出産?これはよくわかってません。(女性ならわかる?(笑))

「道具の存在は、作品によってはじめて、そして作品においてだけ、ことさらに輝き現れてくるのである」 ・・・ しかし、この絵によって作者は、もともと靴そのものでなく、靴の主の何かを表現したかったのかも知れない。 

この絵に、人を引きつけるオーラがあるとすれば、それが絵の価値。 人によって深読み可能とか。心地よく想像の世界で遊べるとか。忘れかけていた何かを思い出すとか・・・

そういう個人による解釈を取り除いた部分(解釈以前の部分)を、多くの人から集めると、その絵の「本質」「」芸術」の輪郭がわかる、という感じでしょうか?

本質がわからない、とか言ったら、プラトン氏に「愚か者」と言われてしまいますが・・・(苦笑)

ありがとうございました。

2012/07/21 (土) 14:30:31 | URL | MILLAN #- [ 編集 ]

レオナルドダビンチ

今夜9時からBSプレミアムで、ダビンチ特集が放送されます♪
岡田准一氏が司会している番組です。
私はこの番組は見たこと無いのですが、 何か最新情報を出してくるかもしれませんね。

暑い日が続きますが、スレンダーな片割月様、ますますほっそりされませぬようお祈り致しますわ(*^o^*)
あちきは枝豆とビールの誘惑に耐えてます(-^〇^-)

2012/07/21 (土) 17:12:41 | URL | はぴらき #- [ 編集 ]

虫の音

藤原正彦著作「国家の品格」に前述の‘虫の音’について、興味深い記載がありますね。


‘もののあわれ

…私の家にスタンフォード大学の教授が遊びに来た。
網戸の向こうから虫の音が聞こえてくると、教授は、「あのノイズは何だ」と言う。
教授にとって虫の音は雑音であったのだ。
その言葉を聞いた時、信州の田舎に住んでいたおばあちゃんが、秋になって虫の音が聞こえ、枯れ葉が舞い散り始めると、「ああ、もう秋だねえ」と言って目に涙を浮かべていたのを思い出した。
「なんでこんな奴らに戦争に負けたんだろう」と思ったのをよく覚えている。’

2012/07/21 (土) 17:30:26 | URL | はぴらき #- [ 編集 ]

もののあわれ

前述の続き(補足)
‘物が朽ち果てていく姿を目にすれば、誰でもこれを嘆きます。
無論欧米人でもそうです。
しかし日本人の場合、その儚いものに美を感ずる。日本文学者ドナルドキーン氏によると、これは日本人特有の感性だそうです。
儚く消えゆくものの中にすら、美的情緒を見いだしてしまう…’

更に続きます。(どこもかしこも抜粋したい)

‘…日本人は虫の音を音楽として聴き、そこにもののあわれさえ見いだしている。
この、欧米においては稀にみる詩人だけに限られた感性を、日本ではごく普通の庶民でさえ、ごく当たり前に持っている。
…このようなことが古代から日常的に行われている。’

そして、…もののあわれに対応する英語は存在しない…と続きます。

2012/07/21 (土) 18:03:17 | URL | はぴらき #- [ 編集 ]

re:もののあわれ

はぴらきさん はじめまして

>更に続きます。(どこもかしこも抜粋したい)
>そして、…もののあわれに対応する英語は存在しない…と続きます。


あとは、私がはぴらきさんの代わりを務めさせていただきます(^_-)-☆

以前、ご紹介の藤原正彦著作「国家の品格」をかなり(読者から著作権大丈夫かと指摘されるくらい笑)抜粋した記事を書いた事がありましたので貼っておきます。もちろん「虫の音」や「もののあわれ」の部分もあります。ご参考まで。
【気儘に】パトリオティズムあるいは日本の情緒と形
http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2006/01/post_b897.html
【気儘に】国家の品格 情緒と形
http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2006/01/post_196a.html

2012/07/21 (土) 19:28:24 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

MILLAN様 ghoti様のやり取りを興味深く読みました。

>芸術が人から独立して存在する

私も、この意味がちょっと分かりません。

芸術一般の存在を否定するということでしょうか?こういう見解も有力ですね。

つまり、芸術か否かの基準は無い、全ては相対的なものでしかない、人の数だけ芸術があるし、人の数だけ非芸術もあり、そこには何ら共通する基盤は無く、全ては人の好みでしかない、ということでしょうね。

極論をすれば、ゴッホの絵画を芸術とするもよし、幼稚園児が描きなぐった絵でも、親がこれを芸術と思うのであれば、それもよし、そこに価値や評価の上下も無い、ということになります。

音楽は耳という感覚器、美術であれば目という感覚器で、つまり、芸術いおいては感覚の特性が重要な役割を果たしているからでしょうね。

2012/07/21 (土) 21:57:52 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

私の解釈

MILLANさんのコメントは私の考えに非常に近いと思えます。

芸術の普遍性に関して、

1.重力は人がいなくても存在する。そこに人間の存在の必要性は無い。

重力はその質量に比例した分だけ働く。
等分に働くのは単位質量に対してであり、質量の大きなものに対しては、総量としては大きく、質量の小さいものに対しては総量が小さく影響を与える。

これに対して

2.芸術は人間が生み出すものであり、人間の存在なしに芸術の存在はありえない。
自然が生み出すものは、芸術的ではあっても芸術ではない。

自然が生み出しているものの特徴をデフォルメして、抽出して誇張を行うのも芸術の要素の一つの範囲だと思う。

自然とは関係の無い、人間の心象描写に関しても、芸術の一つの要素である。

したがって人間の存在を抜きには芸術は存在しない。

普遍的にという意味を、おそらく「全ての人に対して一様にはたらき、一定の効果を挙げる」という解釈の上でのコメントだと思います。


フィギュア論と同じく芸術論も人それぞれというのを、この記事は良く表していますね~~(笑)


一つの絵から幾つものストーリが創造され、幾つもの感情が喚起される。

それが芸術の普遍性なのではないのかな?

働きかけは一様に波及しても、その効果が人によって別物として現れる。


その多様性こそが芸術の普遍性の要素の一つの気がする。

皆が同じように感じるのなら、それこそ絵画よりも写真の方が、描写としては精緻を極めると思う。

同じ風景でも、絵画の方が感動を与えることがあるというのは、そこにただの複写ではない何かが潜むタメなのでしょうね。

もちろん写真の場合でも、その一瞬を捉えるための撮影者の想いがこめられているからこそ、写真でも同じような感動を与えるものが生まれるということなのでしょう。

2012/07/21 (土) 22:17:15 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re: レオナルドダビンチ

はぴらき様、こんばんは。

> 今夜9時からBSプレミアムで、ダビンチ特集が放送されます♪

またしても見損なったo(TヘTo) くぅ

はぴらき様のレポを待つしかないわ(^。^;)

私はもっぱら活字中毒で、最近はテレビを見ることがほとんどなくって。


> 暑い日が続きますが、スレンダーな片割月様、ますますほっそりされませぬようお祈り致しますわ(*^o^*)

ありがとうございます。今のところ元気にしております。

ダイエット要らずの月女でありんす\(^^@)/

> あちきは枝豆とビールの誘惑に耐えてます(-^〇^-)

はぴらき様のお住まいの方も相当暑いみたいですので、お身体にお気を付けあそばせ。

無理してダイエットなどしないでね(^Д^)

2012/07/21 (土) 22:17:56 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 虫の音

四足をムシャムシャ喰らう狩猟民族と、農耕民族との違いもあるのかしらね。

>「なんでこんな奴らに戦争に負けたんだろう」と思ったのをよく覚えている

いや、日本はイギリスっぺに負けた訳ではないと思うけど(^。^;)

アメ公と戦ったのが愚かでしたヽ(`Д´)ノ

2012/07/21 (土) 22:23:02 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

普遍性とは?

哲学における普遍性

Wiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89


幾何学における普遍性(こいつは少し理解するのが難しいから、ベクトルや行列の苦手な人は読まない方が良いかも)


芸術における普遍性は、当然前者の考え方が主体ではあるけれども、物事に一様に通じる定義という点では、幾何学的証明もなされなければならない。(無茶くそ小難しくいうならばだけどね)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E6%80%A7

2012/07/21 (土) 22:54:09 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

直観と情熱の間

片割月さん おはようございます

豆情報班としてのお仕事させていただきます(^_-)
「名画をめぐるヒソヒソ話」という本を読んでいて面白かったのでご報告。

(P66-67要約)ゴッホは画商の倅。画廊に訪れる紳士淑女の鼻持ちならない態度に反感をもち「絵を売ることはうまく仕組んだ窃盗の一種だ 」といって家を追い出されてしまう。聖職者を目指すが伝道師の免許取れず(25歳)。その後、炭坑地帯で伝道師の真似事を6ヶ月するも飽きる。失意の中、ゴッホは他人のためではなく自己のために生きようと画家になる決意をする。この本の筆者は聖職者として伝えたかったことを絵に託した のではないかと推察しています。私もそんな気がします。そこで、以前、片割月さんが書かれた記事を思い出しました。千住博氏の言葉を紹介ビデオから引用します。

学生時代に戻ったつもりで芸術や美を語る③
http://poppy445.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
芸術的行為は何かというと、自分の切実な想い(イマジネーション)を何とかして相手に伝えたい、と思うその心。これが生み出すモノのことを芸術という。

岡潔はこういいました『人間の建設』P72
言い表しにくいことを言って、聞いてもらいたいというときには、人は熱心になる、それは情熱なのです。そして、ある情緒が起こるについて、それはこういうものだという。それを直観といっておるのです。そして直観と情熱があればやるし、同感すれば読むし、そういうものがなければ、見向きもしない。そういう人を私は詩人といい、それ以外の人を俗世界の人といっておるのです。 (画像)http://dl.dropbox.com/u/410340/books/okakbs73.jpeg 

デカルトはこういいました。『方法序説・情念論』P24
我々に確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにくい真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であることの方がはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことは何ら有効な証明ではないのだ、ということを知った。(画像) http://dl.dropbox.com/u/410340/books/Discours24.jpeg

千住博切実な想い(イマジネーション)
岡潔言い表しにくいこと
デカルト少し発見しにくい真理

岡潔の言葉を借りれば、上の三つの言葉は、直観であり、それをなんとか伝えたい思うことが、情熱。情熱と直観を持った人が詩人。千住博の言葉を借りれば、イマジネーション(直観)をなんとか伝えたいと思う心(情熱)が、生み出すものが芸術。

そういった、イマジネーション(千住博)や直観(岡潔)、真理(デカルト)は、デカルト風に言えば、発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であることの方がはるかに真実らしく思われる。要するに、芸術作品は、習慣や伝統や原子力発電所のように、たくさんの人の手によって作られたようなものとは違うと。バッハがいなかったならば、バッハの作品は現在過去未来存在しないであろう。似た作品はいくらでも存在しうると思われる。一方、相対性理論は、アインシュタインが作らなかったとしても、ほかの誰かが作っていた可能性があります。芸術と科学あるいは技術の違いはそこにあると思います。芸術の一つの側面ではあります。

2012/07/23 (月) 14:29:56 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: 直観と情熱の間

ghoti様、こんばんは。

お役立ち情報、ありがとうございます。

そうですね。

芸術というのは極めて個人的な創作活動による作品でいながら、

普遍性や歴史に繋がってゆく特異性があると思います。

>相対性理論は、アインシュタインが作らなかったとしても、ほかの誰かが作っていた可能性

そうかもしれないですね。

歴史だって芸術に似ているかもしれません。

日本が明治維新から中国・朝鮮半島への侵略・植民政策を進め、第二次世界大戦で無条件降伏する歴史は、

決して「これしかなかった必然の道」ではなく、

他の選択肢、他の道に進んだ可能性だってあるでしょうね。

2012/07/24 (火) 20:44:52 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

美と真実の経路

片割月さま

過去のエントリーも興味深く、そして楽しく読ませて頂いております。

         •

「最も手に入れたい美術品を挙げてください」

インタビューで問われたピアニストの内田光子がイギリスの新聞にこう答えていました。

「重要な作品を所有したいとは思いません。あらゆる人がアクセスできる場所に展示してもらいたいからです。強いて挙げるとすれば、フェルメールの小品『小路』またはゴッホの『木靴』でしょうか。それらは間違いなく作家のセルフポートレートです。」

わたし自身はその言葉を、名声や才能に驕らず、演奏家として偉大な作曲家、作品の下僕であり続けたいという願い、芸術に対する謙虚な姿勢の表明であると受けとりました。

彼女は幼い頃から独立心がつよく、16歳で外交官の親もとを離れ、ウィーンで音楽家の道を志しました。それでも当時から自活するまでは自立したとはいえないと考えていたそうです。

23歳で完全に親の経済援助を断ちます。コンクールで素晴らしい成績をのこしていたにも関わらず、そのころの生活は彼女曰く『Extremely Poor』。いくつか小さな演奏会を開いては暮らしの糧にしていました。

以前、ロンドンを訪れたとき、「ウチダオタ」のわたしとしてはどうしても一度ご自宅を拝見したいと思い、地図をひろげて探してしまいました。

ご自宅は骨董外の細い裏道に面した「Mews」と呼ばれる長屋の一画でした。ミューズハウスは昔、金持ちに仕える馬子が一階を厩舎、二階を住居として使っていた建物です。

ご近所の話によると、その一帯のミューズの間取りは1LDK+屋根裏+物置。何年か前に向かいのミューズを改装しスタジオを作るまで、その簡素な家に二台のコンサートグランドが入っていたといいます。

彼女はこう言います「音楽家を単なる職業と考えてはいけない。召令すなわち聖職です。」

その小さな自宅は、狭いアーチトンネルを通りぬけた裏影の空間『小路』に面して、ひっそりと建っていました。

http://andrewsherman.blogspot.jp/2009/11/mitsuko-uchida.html

2013/05/20 (月) 07:27:56 | URL | コンチェルト #- [ 編集 ]

Re: Re: 美の細道 虫の鳴き声

バルタン様 片割月様

コンチェルト様のポストされたのを読みながら「虫の鳴き声」に行き当たりました。

北米では、話がすべってしーんとした(しらけ鳥が飛んだ?)時、話題がなくて座が静まり返ったような場面を象徴する擬音が、こおろぎの鳴き声です。虫の声に季節を感じるようなセンシティビティーはありません。(笑)
食事やパーティーで静まり返ってしまうとホストは大パニック。ですから話題が乏しくてつまらない人はあまりお呼びがかからない。話題や知識がが豊富で話がうまい人、ユーモアのある楽しい人が歓迎されます。そういう場で主義、主張の強い政治、宗教の話題はタブー。
日本人の集まりだと食事ーー>カラオケが定番。
これだと話題がなくても時間は過ぎる、、、。




2013/05/20 (月) 09:12:52 | URL | Kan-kan #E0/upmTg [ 編集 ]

Re: 美と真実の経路

コンチェルト様、こんばんは。

オオッ、内田光子さんのファンでござりましたか^^

実演も何度か聴きに行かれたのでしょうか?

内田さんについて、色々と、ゴッホ絡みのコメント等、ありがとうございます(#^.^#)

伝統のしがらみが強いウィーンよりも、自由なイギリスはロンドンが内田さんには良かったのでしょうか。

ちなみに、内田さんで私が愛聴しているCDは、モーツァルトのピアノ協奏曲23番です。

繊細でしっとりとしたピアニシモが素晴らしいように聴こえます。

2013/05/21 (火) 19:38:03 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: Re: Re: 美の細道 虫の鳴き声

Kan-kan様、こんばんは。

>北米では、話がすべってしーんとした(しらけ鳥が飛んだ?)時、話題がなくて座が静まり返ったような場面を象徴する擬音が、こおろぎの鳴き声です

なるほど!

日本なら、さしずめ、鴉のカア~、位のイメージでしょうか(^Д^)

>日本人の集まりだと食事ーー>カラオケが定番。
これだと話題がなくても時間は過ぎる

私と二人の友人のように、カラオケでほとんど歌わず、
2時間もしゃべりまっくっていたおバカさんもおりますわ(^。^;)

2013/05/21 (火) 19:45:29 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: Re:美と真実の経路

片割月さま、こんばんは

>実演も何度か聴きに行かれたのでしょうか?

はい、何度か。ケルンではたった10ユーロで聴けました。「立ち聴き券」が当日発売されていたんです。

>伝統のしがらみが強いウィーンよりも、自由なイギリスはロンドンが内田さんには良かったのでしょうか。

そうでしょうね。生活の面でも音楽的な面でも。彼女自身「British...no man's land 」所有者のいない土地って表現されてますから。


>ちなみに、内田さんで私が愛聴しているCDは、モーツァルトのピアノ協奏曲23番です。

>繊細でしっとりとしたピアニシモが素晴らしいように聴こえます。

片割月さまも聴かれますか!わたしはライブ版のソナタK533/494が好きでかなり。

同感です。所有されているピアノはもともと弱音の素質をもっているが、さらに極限の弱音を表現できるようメカニズムを調整していると仰ってましたよ。


追記:以前とり上げられていた「レナの約束」を購入しいま読んでます


2013/05/22 (水) 00:38:54 | URL | コンチェルト #- [ 編集 ]

Re: Re: Re:美と真実の経路

コンチェルト様、こんばんは。

>ケルンではたった10ユーロで聴けました。「立ち聴き券」が当日発売されていたんです。

これって、席にはつかず、文字通り、立ったまま聴くんですか?\(◎o◎)/!

あ、あの、ドイツの、ケ、ケ、ケルンに行かれたんですか!?(@_@;)

>ライブ版のソナタK533/494

ライブ版もあるんですね。私はフィリップス版のスタジオ録音によるものを聴いていましたよ^^

>「レナの約束」

読み終わりましたら、感動など簡単で良いですので、知りたいですね(#^.^#)

2013/05/25 (土) 00:22:38 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

立ち聴きチケット?

片割月さま

>ケ、ケ、ケルンに行かれたんですか!?(@_@;)

子供の頃から、不思議とドイツ贔屓なとこがありまして。ときどき行きたくなるんです。

>文字通り、立ったまま聴くんですか?\(◎o◎)/!

わたしは当然、その「立ち聴き券」なるものをもって、文字通り立っていたんですよ。

そしたら開演直前にスタッフが「あなた何をボ〜ッと立ってるの!?空いてる席に座らなきゃだめでしょ!!」って・・・

よいシステムですよね。

2013/05/25 (土) 03:19:55 | URL | コンチェルト #- [ 編集 ]

Re: 立ち聴きチケット?

コンチェルト様、こんばんは。

>子供の頃から、不思議とドイツ贔屓なとこがありまして。ときどき行きたくなるんです。

素敵ですね^^

ドイツの美女と巡り合えましたか?

ドイツは世界でも最も住みやすい国、との評判もありますね。

航空会社もドイツのルフトハンザが最も安全・安心との噂も聞きますし。

私の夢はドイツに旅するなら、古い街並みが保存されているローテンブルクとかナンチャラリンゲン?とかに行きたいです。そして、ミュンヘンでビールを飲みながら素敵な男性と巡り合えたら最高です(#^.^#)

>「あなた何をボ〜ッと立ってるの!?空いてる席に座らなきゃだめでしょ!!」

チケット代、や、安い!!

2013/05/25 (土) 23:12:53 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re:Re

>ドイツの美女と巡り合えましたか?

場末のスナックのママみたいなこと聞いちゃダメですよ=


2013/05/28 (火) 18:25:30 | URL | コンチェルト #- [ 編集 ]

Re: Re:Re

> >ドイツの美女と巡り合えましたか?

> 場末のスナックのママみたいなこと聞いちゃダメですよ=

私、スナックでバイトしていたことがあるもので、ツイ(^Д^)

2013/05/29 (水) 00:01:29 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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