フィギュアスケート関連のアレコレ





GPS中国杯。安全の確保を前提に日本人選手達を派遣する方向で進めるらしい。

何でもアリの中国のことだから、中国スケート連盟が安全を保障しても信用は出来ない。フィギュアスケートを観戦する中国人のマナーも良くないみたいだしね。選手の方に「参加を拒否する権利」は残して欲しいですね。橋本聖子会長。

安藤美姫選手はコーチが決まらないままGPSに突入する模様。浅田真央選手も新コーチがなかなか決まらなかったけど、安藤選手のケースとは意味合いが違う。

国民的大スター選手(狂的ファンが多いし)のコーチを引き受ける難しさと、感情の起伏が激しく不安定というか、非常に扱い難い選手のコーチを引き受ける難しさとの違いかもしれない。多くの教え子やトップ選手を抱えるコーチにしてみれば、大変な決断を要するだろう。


荒川静香さんが日本スケート連盟の理事に選出されたそうですね。やはり、フィギュアスケート競技で唯一のオリンピック金メダリストという業績と威光は大きいのだろう。現役引退後の活躍による貢献も高く評価されたのでしょうね。

フィギュアスケーターとしての荒川さんの魅力はどんなに讃えても讃え切れるものではない。私も彼女の美しい演技を生で見て、身体が震える感動を覚えたものだ。

しかし、率直に言えば、私は、荒川さんの理事としての活動には、何も期待していません。何故か。

荒川さんが著した本や新聞等のコラム。トップスケーターとの対談。テレビでの解説。色々と読み聞きして来たけど、疑問に思うことが多かったから。

第一に、彼女が自著の中で語っている事と、二宮清純との対談で語っている事とでは、ジャッジに対する見解・意見が全く異なるのである。自著の中ではジャッジへの信頼を語り、二宮氏との対談では「猫ジャッジ」に象徴されるように、ジャッジへのリスペクトが感じられない。

こうした「使い分け」、ダブルスタンダード的な語りに不信感を覚えます。

第二に、下記のコラムはダメでしょ。

日本経済新聞 2010、8月31日朝刊 スポートピア 荒川静香

「競技者か 芸術家か」

フィギュアスケート選手には大きく分けて2つタイプがあると、プロになって気づいた。勝負事、試合の緊張感が好きな"アスリート"タイプと、自分のスケートに没頭し表現することが好きな"アーティスト"だ。

私見だが、両方の性質をバランスよく備えた高橋大輔選手はまれな存在。浅田真央、安藤美姫ら日本の選手は試合が好きな"アスリート"が多い。「競技は好きではない」というステファン・ランビエール(スイス)や、私は"アーティスト"、キム・ヨナ(韓国)も同じで表現力を生かすために合理的な試合戦略をとるのだろう。

"アーティスト"にとって試合は時に窮屈だ。試合のプログラムは点がとれるように要素を入れることが最優先。ジャンプ、スピンなどが曲とあっていなくても、いれざるをえない。順位への重圧で表現に没頭できない時もある。その点、ショーでは曲に合わせて技を選ぶことができ、自分の表現したいようにできる。私は一つ一つ音を聞いて演技するようになった。

競うプレッシャーから開放されると、自分の限界に挑戦というか、純粋にスケートに打ち込める。プロになったランビエルが4回転ジャンプを跳ぶのはそれが理由だろうし、私も3回転-3回転の連続ジャンプなども楽しく練習できている。

「なんで試合にでないの。こんなにできるのに試合で使わなきゃもったいないよ」。今夏、ショーで共演することが多かったトリノ五輪金、バンクーバー五輪銀メダリストのエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)に言われた。彼はエンターテイナーだが、"アスリート"気質が強い。私が「ショーの世界が好きなの」と言うと不思議そうな顔をしていた…以下、省略。


このコラムに反発したフィギュアファンは少なくなかったけど、私も反発する気持ちは理解出来る。もちろん、一部の浅田ファンの発狂ぶりには共感しませんが。

私が反発したくなる理由を一つだけ申しますと、荒川さんが、アイスショー>競技、的な価値観で語っていることです。

競技あってこそのアイスショーであり、アイスショーあっての競技ではない。

荒川さんが自らアイスショーを開くことが出来たのは、彼女がオリンピックで金メダルを取った実績があればこそであり、それなくしては、いくら彼女の演技が素晴らしくても、ここまで成功はしなかったと思う。

しかも、トリノ五輪では日本はメダルゼロに終わる最悪の事態を迎えた中での劇的な金メダルだっただけに、なおのこと日本中の耳目を集めたのだと思う。

今でこそ、日本ではどのアイスショーでもチケットは良く売れているようだけど、もしも、現役選手達が競技での成績が振るわなくなれば、たちまち、アイスショーの売れ行きにも影響するであろう。

荒川さんがどんな考えがあって、連盟の理事を受けたのか不明ですが、アイスショー>競技、的な価値観で理事を勤めては欲しくありません。

私の単なる思い過ごし、勘違いかもしれませんが。。。


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2012.09.24 | | コメント(32) | トラックバック(0) | フィギュアスケート・ネタ関連



コメント

>二宮清純との対談で語っている事とでは、ジャッジに対する見解・意見が全く異なるのである。

二宮清純との対談て2008年の11月頃ごろですよね。
このときは丁度ルールが大幅に改定された頃でジャッジにも混乱があり、GOEがぐちゃぐちゃな時期で、解説の立場からしたらイラつくのもしょーがないかな、と私は思ってます。

それに対して著書はバンクーバー五輪前なので、荒川さんが「使い分け」、ダブルスタンダード的な語りをしているというより、「ジャッジの選手に対する採点が概ね安定してきたから」と私は捉えています。

2012/09/24 (月) 00:48:43 | URL | きれじろう #EBUSheBA [ 編集 ]

Re: タイトルなし

きれじろう様、こんばんは。

>二宮清純との対談て2008年の11月頃ごろですよね

この対談記事は2009年5月28日に掲載されたものです。

対談も著書もバンクバー五輪前ですので、やはり、「使い分け」っぽい印象は拭えないです。

ただ、本は一般向けですから、あまり批判的な内容は書けないという事情はあるかもしれませんね。

しかし、選手は点数を気にしない、選手は割り切っている、と著書では明快に書いているのに、

二宮清純との対談では、そうでも無いことが暴露されています。これも何かね。。。

2012/09/24 (月) 01:34:20 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

アスリート/アーチストorエンターテイナー

片割月さん おはようございます

荒川静香さんのコラム「競技者か 芸術家か 荒川静香」についての感想は同感ですが、

私が反発したくなる理由を一つだけ申しますと、荒川さんが、アイスショー>競技、的な価値観で語っていることです。

競技あってこそのアイスショーであり、アイスショーあっての競技ではない。


私はこのコラムを読んだとき荒川静香さんの自慢話にしか聞こえなくて(笑)あまりいい気持ちはしなかったのですが、コラムの後半で、元来、競争があまり好きではない私だけれど、競技があるからこそショーも 人気で、ショーがあるから一年中フィギュアへの関心が続くと思う。 と語っているので、アイスショー>競技というニュアンスはないと思います。

ただ、”ショー”が好きだということで私は表現力があるのよ(アーチスト気取りw)と強調したいのだろうなと感じた私は、それは違うだろうといいたい。追記2012.09.24/18:33それをいうならアーチストではなくエンターテイナーでしょう(笑) 追記終了。荒川さんにそんなことは言っていないと言われればそれまでですが…(^_^;)

以下の荒川静香さんの文章ですが、

"アーティスト"にとって試合は時に窮屈だ。試合のプログラムは点がとれるように要素を入れることが最優先。ジャンプ、スピンなどが曲とあっていなくても、いれざるをえない。順位への重圧で表現に没頭できない時もある。その点、ショーでは曲に合わせて技を選ぶことができ、自分の表現したいようにできる。私は一つ一つ音を聞いて演技するようになった。

気持ちはわかるけど、”競技”では自由な表現ができないという発想が、かつて競技者であった荒川静香(の誇り)を貶めていると思います。(片割月さんの表現を借りればアイスショー>競技ということになるのかもしれません)あるいは、(6.0システムで育った?荒川静香さんにしてみれば)潜在的に現行の採点システムへの異議申し立てなのかもしれません。

でも、こう思うのです。

”競技”のルールという制約の中で発揮される表現だからこそ価値がある、むしろ、制約のない”ショー”で発揮される表現より、芸術性は高いのではとさえ思えます。ですから、荒川さんの「競技者か 芸術家か」を語るコラムにしては、舌足らず、この単純な二項対立は陳腐だと思います。

”競技”としてのフィギュアスケートと”ショー”としてのフィギュアスケートがあるだけだと思います。競技のフィギュアスケートは、それは競技である。なぜなら審判がいるからです。ただタイムを争う競技ではないので、じゃあ、何を争そうのか、美を争そうのです。美は何も芸術の専売特許ではない。競技には競技の美があります。競技と芸術は形式は違う(判定の有無)が内容は同じ(美的に感動する)であります。

そういう意味では、フィギュアスケートの場合、”競技”としてのアーチスト、”ショー”としてのアーチスト、という見方は成り立つと思います。

競技は技術と美を競うもの、芸術は(技術と)美を追求するもの。ここで、

 1)技術とは各要素の難度と正確さ、                  基礎点に反映
 2)美とは、難度(ジャンプであれば、種類と回転数、スピンであれば、・・・)、
        速度、加速度(緩急、キレ)、距離(高さ、幅)、
        身体動作のかたち、顔の表情、etc        GOEやPCSに反映

と、便宜的にとりあえず定義すれば、

アスリートすなわち”競技”としてのアーチストは、1)2)を追求し、審判は1)2)を判定する。
”ショー”としてのアーチストは、1)を基礎として2)を追求する。

各選手によって指向の違いはあれど、”競技”が好きだからアスリート(タイプ)=表現力がない、”ショー”が好きだからアーチスト(タイプ)=表現力があるという言い草には(荒川さんのコラムに対する私の勝手な解釈)、反発を覚えましたね(^_^;)

蛇足。浅田選手の競技のプログラムとEXのプログラムを比較すれば、この二項対立がいかにアホらしいかがわかります。まあ、現時点での浅田選手の表現力には物足りなさを感じるのは否めませんが、それは彼女の技術が(本人比で)発展途上であるからだと思っています。

追記2012.09.24/8:29
”競技”が好きだからアスリート(タイプ)、”ショー”が好きだからエンターテイナー(タイプ)というのなら、まだ、わかる(笑)。私の場合、感動という点では、”ショー”より”競技”の方が大きい。そういう意味では、”ショー”より”競技”の方がはるかに芸術を感じる(笑)。

2012/09/24 (月) 04:02:55 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

>この対談記事は2009年5月28日に掲載されたものです。

あれ?そうだったっけ。
うーん、それだとそう取られても仕方ないかなぁ。

あとは2009年シーズンが開始されてからバラツキが軽減されたとしても「以前はそうだったけど改善されてきた」と断ったうえで著作の内容を書かないとなぁ。

2012/09/24 (月) 08:35:35 | URL | きれじろう #EBUSheBA [ 編集 ]

気になったのはプルシェンコ選手の部分

私はこのコラムは腹が立たなかったけどなー。確かに突っ込み所は多いですけど。
「あー、競技嫌いな荒川さんらしいよ。ハイハイ」って感じです。
結局は「現行ルールって糞だよね」(2ちゃんねる風に書いてみました)って言いたいだけじゃないかと。

このコラムで一番気になったのは、片割月さんが引用しなかった部分です。
荒川静香さんはプルシェンコ選手について

剥奪直前まで日本に滞在し、満喫していた"アスリート"は「出たい」と言っていた2014年ソチ五輪も出場不可能になったことをどう受け止めるだろうか。

と書いていますが、プルシェンコ選手はソチ五輪の出場権を剥奪されたということでしょうか?
私の情報入手速度が遅いのかもしれませんが、剥奪されていないのでは……。
読者が誤解するような書き方で、これはいただけないなと思いました。

2012/09/24 (月) 18:58:53 | URL | 神無月 #- [ 編集 ]

Re: アスリート/アーチストorエンターテイナー

ghoti様、こんばんは。

>元来、競争があまり好きではない私だけれど、競技があるからこそショーも 人気で、ショーがあるから一年中フィギュアへの関心が続くと思う

はい。確かにそう言ってはいますが、文章全体から感じるマインドはアイスショー>競技。
アーティスト>アスリート、的な価値観が漂っていると。

もちろん、私の思い過ごしかもしれませんね(^。^;)

>「競技者か 芸術家か」を語るコラムにしては、舌足らず、この単純な二項対立は陳腐だと思います。
>浅田選手の競技のプログラムとEXのプログラムを比較すれば…

御意!
まあ、新聞のコラムを面白く読ませようとのサービス精神?もあったのかもしれませんが、

二項対立に当てはめたスケーターを見ると、そうかあ?と思う人選もあります。

荒川さん、自分をアーティストに分類するのも嫌味な印象を与えます。

ま、日本で唯一、五輪の金メダリストだ、という自負もあるのでしょう。

>競技”のルールという制約の中で発揮される表現だからこそ価値がある

ここ、さすがghoti様ですね。同感です(#^.^#)

2012/09/24 (月) 20:53:58 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

きれじろう様、こんばんは。

いずれにしましても、荒川さんがアイスショーではなく、

競技としてのフィギュアスケートの発展に取り組んで頂ければ、嬉しいのですが。

悪い意味で「体制」側に組み込まれ、埋没することのないよう願っています。

2012/09/24 (月) 21:06:28 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 気になったのはプルシェンコ選手の部分

神無月様、こんばんは。

あ、私の主張の主旨から外れていたので、プルシェンコ選手の件は省略しましたが、

神無月様と同じ疑問を持ちました。あれはマズイですよね。

おそらく、荒川さんの思い込みか勘違いでしょうね。

>あー、競技嫌いな荒川さんらしいよ。ハイハイ

こういう風にサラリと流せる所、神無月様は大人だと思います。

私も特別腹は立たないけど、何て陳腐な内容と思いました。

今回、荒川さんが理事を引き受けたとの報道に接し、

コラムの内容等と照らし合わせ、

何だか、不安というか、モヤモヤとした違和感を強く抱きました。

荒川さんが理事としてどんな主張をして行くのかな(-_-;)

もっとも、部外者には活動内容は知らされないだろうから、分からないですね。

2012/09/24 (月) 21:19:54 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

うーん、みなさん厳しいですねぇ。

私の場合、例の二宮対談とその後の著作のように、結果的に二枚舌に見られてしまった経験は荒川さんと同じような年齢の頃に何度か経験してるので「まあ、仕方ないか」と思いますけど、「競技者か 芸術家か」を読んだときはさすがに無理やり感満載で「こんなこと書いたら大顰蹙だろうなぁ。」とは思いますた・・・。

この人、解説のときは選手の良いところを喋るように努力してるし、浅田さんが舞さんとのインタビューで語ってたように、大事なところでアドバイスしたり、頑張ってると思うんだけど・・・。
なんつーか、フツーの社会人と同じで、今後「結果」を見せるしかないんだろうなぁ。頑張ってほしいなぁ。

荒川さんに対しての評価で、みなさんのようなお考えはネットで時々ちら見してて、今一ピンと来て無かったんだけど、そういうことだったんか。むうう。

2012/09/24 (月) 21:22:29 | URL | きれじろう #EBUSheBA [ 編集 ]

任期は2年ということだけれど

>荒川さんが理事としてどんな主張をして行くのかな(-_-;)

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/winter/skate/figure/headlines/20120923-00000033-kyodo_sp-spo.html
これを見ると、任期は2年ということらしいですね。
次回も再選されるなら何かできるかもしれませんが、2年のみの任期なら何も目立った活動はできないまま終わってしまいそうです。こういう組織って年功序列意識がものすごそうですし。
とりあえず、現場とのパイプ役ということで抜擢されたのでしょうね。

荒川さんには、こういう役員的な仕事ではなく、日本のアイスショーの牽引役になって欲しかったのですけれどね……。

2012/09/24 (月) 22:26:42 | URL | 神無月 #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

>うーん、みなさん厳しいですねぇ

きれじろう様は荒川さんのファンですか?(#^.^#)

裏を返せば、それだけ荒川さんに対する期待感の大きさもありますよ(#^.^#)

今もプロスケーターとして腕を磨き、あれだけ素晴らしい演技をするのですから。

試合でのテレビ解説では最初の頃は、割合とハッキリとモノを言っていたので大いに期待していましたね。

真央選手の演技に対しても、率直に長短織り交ぜた感想を述べていたと思います。

最近は、どうもテレビ局寄りの「優等生」になったのか、無難な解説に傾斜しているような。

プロだから…やむを得ないのかも。

2012/09/24 (月) 22:47:49 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 任期は2年ということだけれど

>荒川さんには、こういう役員的な仕事ではなく、日本のアイスショーの牽引役になって欲しかったのですけれどね……。

同感です!

さらに言えば、振付師として、コーチとしての活躍も期待しています。

安藤選手からコーチを依頼されたけど断ったとの某雑誌情報がありますが、真偽は不明。

だけど、あれだけ「シーちゃん」と姉のように慕っている安藤選手から本当に依頼があったら、

コーチか、それに準じた指導係りを引き受けたら、ちょっと面白そうなんだけど。どうかしらね。

2012/09/24 (月) 22:57:12 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

アイスショー

シザーズ・トリビュートⅡ を見た人はいますか?

現役選手も混じった中での、荒川さんの演技はジャンプの数に驚くと思いますよ。

対照的なのが安藤さん。

怪我をしたくないのか、競技とは別人のようにジャンプが少ない。

ディック・バトンが今の採点ルールにものを言わんとでも言いたげなスピーチもありました。

アーティストタイプのスケーターとアスリートタイプのスケーターと「大きく分けると」2つに分類される。

これは間違いようも無い事実だと思うし、浅田選手のファンにとっては、アーティストタイプに分類されないというのが腹立たしいのだと思うが、これもまた事実だと思う。

そのアーティスト部分の輝きをほとんど私には感じられない事が、私の彼女の演技に対する不満の元でもあるからだ。


この記事自体がOP後のものなので、安藤選手に関しては、当時とは違う見方をしているのでは?とも思える。

フレンズ・オン・アイスでいろんなアイデアを安藤選手が出してくるということを高橋選手が語っていたので、そういう部分ではこの当時の思いが、現在の荒川さんの見方だとも思えない。

鮮度の古いものを扱うときは、時系列を無視した考察は意味を成さないとは思うけどね。

2012/09/24 (月) 23:36:11 | URL | barutantomozou #- [ 編集 ]

Re: アイスショー

バルタン様、こんばんは。

>アーティストタイプのスケーターとアスリートタイプのスケーターと「大きく分けると」2つに分類される。>これは間違いようも無い事実だと思うし

事実と断定されますか。。ウ~ン、私は少し違う意見よ。

荒川さんは字数の限られたコラムで、読者ウケも考慮に入れて、

手っ取り早く、単純な二分割法で語っていると思います。

従って、どうしても無理が出てくる。

それと、前のどこかの記事で述べたように記憶していますが、

「アーティスト」という言葉を安易に、やたらと使用する現代の傾向に対する私の低好感があります。

特に、この言葉を自分に当てはめている人を見ると、背中に蕁麻疹が出来そうな思いがします。

アーティストとは、直訳して「芸術家」であろうか?少し、いや、だいぶ違うような気もします。

猫も杓子もアーティストと称しますが、だいぶ値崩れしているようです。

それはともかくとしましても、

例えば、引退したアメリカ男子のライアン・ブラドレイさんはどちらにも属さないと思うわ。
強いて言えば、エンターテイナーでしょうか。
アモディオ選手は?スウェーデンの奇人?シュルタイス選手は?コストナー選手は?

無理矢理大きく分けるなら「アーティスト」は「表現家、表現者」くらいに括った方がベターかと。

さらに、同じ選手であっても、試合用とEXとではどちらとも一概に言えないようにも思えます。

>浅田選手のファンにとっては、アーティストタイプに分類されないというのが腹立たしいのだと思うが、これもまた事実だと思う。

試合に関しては、バルタン様のご意見におおよそ同感です。
しかし、真央選手の滑りもシルエットも美しい。仄かなエレガンスを湛えていて、
「月の光」「ファンタジア」等では特に、アーティスティックな佇まいを私は感じますよ。

その一方て、EXにおける真央選手はかなり表現者としての顔を見せているし、
「試合でもこんな風にやってくれれば」と何度も思ったことか。

逆に、ヨナ選手の試合のパワフルな演技はバッチリとアスリートと思うわ。
そこにプラスしてエンターテイナーでしょうか。
少なくとも、彼女の試合の演技から「アーティスト」を感じたことは私はあまり無いです。

EXに関しては、どちらかと言えばエンターテイナータイプでしょう。
唯一の例外はロクサーヌ(試合用、今回のEX共に)です。これは不思議な妖艶さと美を感じます。名作です。

>鮮度の古いものを扱うときは、時系列を無視した考察は意味を成さないと

それはその通りですね。安藤選手は今では少し違っているでしょうね。

2012/09/25 (火) 00:52:44 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

もって生まれたものは

アートとはいえないと思うのよね。

>真央選手の滑りもシルエットも美しい。仄かなエレガンスを湛えていて、
「月の光」「ファンタジア」等では特に、アーティスティックな佇まい<


これは努力して手に入れたものではなく、素材の良さの部分だと思う。

対照的なのが安藤さん。腕の使い方や肩の硬さなどが、一時期目に付いて「ブンブン丸」と揶揄された彼女が、今では、その頃の面影はほとんど見えない。

いまだに肩甲骨の動きが硬い部分はあるから、「ブラックスワン」のワグナーの手の動きを羽ばたきを表現した部分で見比べると振り付けの違いも多少はあるにしても、どちらが肩の付け根から動いているかという違いがはっきりとわかる。

荒川さんが、3つの分類をしなかったのは、アーティストとアスリートの両面を兼ね備えた選手が少ないということからだと思う。

エンターティナーの代表格として、高橋選手を上げているのだろう。

それと、「アーティスト」という言葉を芸術家という意味では用いていないと思うけどね。

ロックミュージシャンでも昨今はアーティストと呼ぶ風潮から、表現者タイプもしくはダンサータイプとでも呼ぶべきなのかもしれない。


競技者タイプは、中野ゆかりさんなどがその例ではないだろうか?

選手生活引退後もショースケーターとして続けるタイプが、アーティストタイプだと私は思っているけどね。



2012/09/25 (火) 01:28:27 | URL | barutantomozou #- [ 編集 ]

>きれじろう様は荒川さんのファンですか?(#^.^#)

あのですねー、私は皆好きなんです。プロアマ含め一生懸命やってるフィギュアスケーターの皆さんが。

こういう話でいつも思うんですが

①対面コミュニケーション
②ネットで議論出来る環境
③発表するだけで議論が出来ない一方向コミュニケーション

というパターンがあるなかで、③だけだと情報の受け手側は真意が確認出来ない。
一つの文章がその人の全ての考えを網羅しているわけでもない。
我々は荒川さんの真意をどの程度理解してるのかといつも思うわけです。
で、彼女は実際競技生活を続けている選手からの信頼が厚いようですし。

まあ、双方向コミュニケーションが不可能なことによる限界だと私は思っていますけど。

と、ひとりズレた発言をする俺。

2012/09/25 (火) 08:48:59 | URL | きれじろう #EBUSheBA [ 編集 ]

安藤さん

安藤さんの話が出たのでひとこと。
「ブンブン丸」と揶揄されようが、「情感?ハア?んなもん知るか」と言わんがごとく、ガッシガッシとジャンプを跳ぶ荒々しい安藤さんの方が好きだったなー。近年そういう選手いませんよね。
まあ、モロゾフメソッドに飽きてしまっただけかもしれませんが。

2012/09/25 (火) 12:30:05 | URL | 神無月 #- [ 編集 ]

感性は理性を通して

片割月さん こんばんは

プリントアウトした方が間違いに気づきやすいワケ
ttp://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/3562467.html
を読んでて思いついたのですが、

フィギュアスケートを観る場合、人によって重みは違えど感性と理性を通して見てると思うんですね。僕は今、ハーフジャンプに凝ってて(きっかけはこの演技http://www.youtube.com/watch?v=f1Rx13nrR6c大技はないけれど魅了されます)、そこばっかり見てる(笑)。いわば僕の嫌いな理性を働かせて見てるわけです。そうすると、今までなんとも思わなかったであろう選手が俄然輝いで見えたりする。ジャンプが弱くて得点が低い選手でも飾りのジャンプあるいはホップが工夫されている部分を見つけるとそれだけで嬉しくなる。また、こうしたアクセントがあることによって音楽にうまく乗せるとができ演技全体が輝いでくるのだなと知った次第。

たとえば、Alaine CHARTRAND (CAN) 選手。滑り自体美しいのですが、
http://www.youtube.com/watch?v=HXWrDM0xfqI#t=53s
0:54~ホップ系(1/2回転)ハーフループ+クロスビハインドのスライドシャッセ+カウンター回転のワルツジャンプ(←ホップをともなったチョクトウでもある)
繰り返し動画http://dl.dropbox.com/u/410340/figureskate/halfloop_shasse_choctaw_xvid.html(PC環境によっては見れないかも)

たとえば、Anne Line GJERSEM (NOR)選手。滑り自体キビキビした動きで気持ち良いのですが、
1:21ウォーレイhttp://www.youtube.com/watch?v=kHT5Fnv3WDM#t=1m19s
繰り返し動画http://dl.dropbox.com/u/410340/figureskate/walley01_xvid.html
が、音楽にピタッとハマって心地よい(笑)。

こんな感じで、1回転or1/2回転の音符に例えれば四分音符であったり八分音符のジャンプやホップを音楽に合わせて入れることもできるわけだし、工夫次第で、現行のルールでもかなり多様なプログラムを組むことは可能だと思った次第。

現行ルールはプログラムが画一的になりがちというのもわからないではないが(大技で得点を稼ぐ必要性からという意味で)、理性を使ってちゃんと見ればかなり多様なプログラムであることがわかるはず。

以前、芸術論のところで、片割月さんが、美を深く味わうためにはそれなりに理性を使わないとダメみたいなことをおっしゃってましたが、たしかに、理性を使うことによって感性が磨かれるのだなーということを実感した次第(笑)\(^o^)/

楽しみ方はまだまだいっぱいあるはず、そういう意味で、荒川静香さんには、フィギュスケートの魅力をいろんな観点から紹介して欲しいと思う。

追記2012.09.25/20:49
だいたい、五輪の金メダリストに競技が好きでない、なんて(思っていても)いって欲しくない。謙遜でも照れ隠しでもなくただただ嫌味にしか感じられない(笑)。メダル取ったことのない選手がいうのなら負け惜しみとして納得できますが(爆)。競技が好きでも金メダル取れない選手がほとんどだっつーの。また、ほとんどの選手は、ルールがなんであれその枠内で身を削る努力をして結果を出すことに喜びとやり甲斐を感じていると思う。私が選手ならそう思う。

>競技”のルールという制約の中で発揮される表現だからこそ価値がある
ここ、さすがghoti様ですね。同感です(#^.^#)

さすが片割月さん。的を外しませんね(^_-)

追記2012.09.25/21:54
だいたい、歴史を振り返れば、芸術が生まれたのは、制約が厳しかった時代、自由への希求のエネルギーが大きかったからだと思われる。いまの制約のない解放された自由な世の中にあって予定調和の”なんちゃって芸術 (たとえばキム・ヨナ)”は存在してももはやアッと驚く芸術(たとえば浅田真央)など存在しないのかも(笑)。

追記2012.09.25/23:34
あと、荒川静香さん、アートを語るのなら、(初心者には)両足踏切にしか見えないあの醜いサルコウをトッド・エルドリッジのような美しいサルコウに訂正してからにして欲しい(笑)
ttp://openaxel.blog14.fc2.com/blog-entry-200.html#comment4476

2012/09/25 (火) 20:14:56 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: もって生まれたものは

>もって生まれたものはアートとはいえないと思うのよね。

ここは逆でしょう。
アートとか芸術は、少なくともその半分は持って生まれた才能がモノを言うわ。絵画でも音楽でも。

素材の良さがそのままアートになっていれば、それはそれでいいじゃない?
もちろん、素材をもっと磨き、彫り込む努力は大切と思いますが。

安藤選手の素晴らしさの根源は、シルエットの美しさとか、柔軟性とか、腕や肩の柔らかい動きにあるのではなく、彼女の情念が身体全体から放射されて来る所にある。
それは、真央選手のような自然でスムースな所作ではなく、むしろ、人工的な、如何にも作り上げたような動きだからこそ、かえって深い人間的情感が醸し出されてくるのだと思います。
そういう点でモロゾフの「臭い」ほどの振り付けは彼女に見事にフィットしていたと思います。
安藤選手こそ、アートの範疇に入るようなタイプではなく、舞台俳優的なタイプかもしれません。

>選手生活引退後もショースケーターとして続けるタイプが、アーティストタイプ

ここも少し違うかと。

要するに、お客様をコンスタントに呼び寄せる魅力があるかどうかでしょう。

それが可能なのは、荒川さん以外では真央選手と高橋選手と思います。
安藤選手は好き嫌いが分かれるタイプと思うので、何とも言えないところです。

2012/09/25 (火) 23:01:36 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

>私は皆好きなんです

あ、なるほど!ここが私と少し違うところですね。

私は特に嫌いなスケーターはいない代りに、特に好きでもないスケーターはいます。

>まあ、双方向コミュニケーションが不可能なことによる限界

ご説、まことにごもっともなれど、オイチャン、それをいっちゃあ、オシメーよ(-^〇^-)

2012/09/25 (火) 23:06:52 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 安藤さん

> 「ブンブン丸」と揶揄されようが、「情感?ハア?んなもん知るか」と言わんがごとく、ガッシガッシとジャンプを跳ぶ荒々しい安藤さんの方が好きだったなー。近年そういう選手いませんよね。
> まあ、モロゾフメソッドに飽きてしまっただけかもしれませんが。

それは言えています!!

ただ、私は安藤選手からは「美」とか「情感」ではなく「情念」みたいなものを凄く感じますが。

日本の女子ジュニアを見ると、概して、小奇麗に演じる選手はいれど、ガッシガッシが居ないですね。

佐藤未生選手には多少それがあると見て、期待していますが。。。

2012/09/25 (火) 23:11:07 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 感性は理性を通して

色々と興味深い情報、ありがとうございます。

ジョン・カリーさんの名演技は、私にとって「理性的フィギュア鑑賞の手引き」みたいな存在です。
もちろん、それだけじゃないですけど。例えば彼のシェヘラザードは内なる炎の塊みたいな熱演です。

>制約の中で発揮される表現だからこそ価値がある

ベートーヴェンやモーツァルトの美しさや芸術性が広く愛好される理由の一つは、ソナタ形式という「制約」があればこそでしょう。

形式や制約を壊してしまったリヒャルト・ワーグナーの歌劇に始まる近代・現代音楽が、今も一部の限られた愛好家の間でしか鑑賞されない理由と照らし合わせ、色々と考えさせられる所です。

>荒川静香さんには、フィギュスケートの魅力をいろんな観点から紹介して欲しいと思う。

おっしゃる通りです。

なるべくは技術的側面について、もっと説明してくると嬉しいけど。

2012/09/25 (火) 23:26:14 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

>ご説、まことにごもっともなれど、オイチャン、それをいっちゃあ、オシメーよ(-^〇^-)

がっはっは。確かにそのとーり。
まあ、色々な考えの人が居る中で、荒川さんに対して私も「もう少し考えて発言してくださいよ。」と思うことはあるわけで、片割月さん、ghotiさん、神無月さんのような感情を持ってしまうのは仕方ないでしょ。

一度失った信頼を取り戻すのは大変だけど(営業の時に実感してる俺)、頑張ってほしいっす。荒川さんには。

2012/09/25 (火) 23:46:45 | URL | きれじろう #EBUSheBA [ 編集 ]

己以外に確かな実在がこの世にあろうか?

何かのアニメにあったセリフだけど、、

自分に自信をなくしたり、落ち込んだ時に効き目のある言葉。

「俺が信じるお前でもない。お前が信じる俺でもない。お前が信じるお前を信じろ!」

2012/09/26 (水) 01:06:17 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

拘束と自由

片割月さん おはようございます

>制約の中で発揮される表現だからこそ価値がある

ベートーヴェンやモーツァルトの美しさや芸術性が広く愛好される理由の一つは、ソナタ形式という「制約」があればこそでしょう。

形式や制約を壊してしまったリヒャルト・ワーグナーの歌劇に始まる近代・現代音楽が、今も一部の限られた愛好家の間でしか鑑賞されない理由と照らし合わせ、色々と考えさせられる所です。


以前、調性について調べたとき、この辺りのことに関してこれはと思った記事を貼っておきます。ご参考まで。お暇なときにでもぞうぞ。

・音楽は美しくあるべきか
http://www.denen.org/article/d20051218.xhtml
余りの自由に置かれると、拘泥せねばならぬ事象が過剰に増えてしまって、 却って本当に表現したい内容が疎かになってしまう虞が生ずる。 そこで音階という縛りを課すのである。

・書評 「響きの考古学」藤枝守 ‐自由と束縛、そして日本的 (pdf)
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/iso/argo/nl15/nl15-3-9.pdf
「平均律は、単に演奏や作曲といった音楽だけの問題ではなく、聞き手のメンタルな面に強く作用していることがわかる。退屈さを嫌い、絶えず変化を求める我々現代人は、たとえば 30 秒間も同じような状態が続くと関心を失ってしまうだろう。純正調がもたらす持続した響きに集中したり、緩慢な変化の中に多様性を見出すことは、効率性や機能性を優先させる現代人にとって簡単なことではない。」(p239)

著者らの思想に共感する一方で、次第に何かしっくりしないものを感じ始めた。その内容は、主に二つある。著者は十二平均律を批判する。その主張には説得力がある。しかしそれならなぜ、十二平均律は生まれてきたのだろうか。
→つづきはリンク先で 音楽だけの話に留まらず読み応えがあります

・模倣の効用と限界【作曲する言葉←全体はかなり読み出があります】
http://sakkyoku.surukotoba.com/sakukoto1020.html
「型」と「気迫」、「形式」と「内容」。
型とは何か。一つの秩序である。気魄とは何か。固定した秩序を破ろうとする生命力である。破壊の意志である。秩序への憧れと破壊のたのしさと、この相矛盾する人間性の真実、そして現実世界では文字通り矛盾するほかない二つのものを、奇跡的に止揚する場、それが芸術ではなかろうか。


・音はどういうときにハモるのか?
ttp://www.basso-continuo.com/Musik/Dok014-j.htm
・オクターヴの不思議          大村 英堯
http://mic.itconsult.co.jp/lw/lw407-oomura.htm
・もっと音階 (いろんな音階が聴けて面白い\(^o^)/) #現在聴けないものもあります♪
ttp://hp.vector.co.jp/authors/VA028660/mt/exscale.htm
音楽と数学のいろいろ ドレミの成り立ちなどに説明が具体的でわかりやすい\(^o^)/
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/music/page52_0.html

「俺が信じるお前でもない。お前が信じる俺でもない。お前が信じるお前を信じろ!」
「夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じて あげられないこと」
ってのもありましたな(^_-)

追記2012.09.26/20:38
ふと思った。荒川さんはアーチストだと思うけどアートを感じない/(-_-)\安藤さんや浅田さんはアーチストではないと思うけどアートを感じる\(^o^)/

2012/09/26 (水) 04:06:37 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

意味が通じていないな

>もって生まれたものはアートとはいえないと思うのよね。

ここは逆でしょう。
アートとか芸術は、少なくともその半分は持って生まれた才能がモノを言うわ。絵画でも音楽でも。

↑ これは主張している意味が違いますよ。

絵画や音楽は創作をする能力であって、シルエットのような外形美やフォルムから感じられる美というのは、定型化した美しいとされる形の概念がまず存在します。

その概念を打ち崩すのがアートであるという考え方です。

そもそもアートとは何かというのを語源から見ていくと人の手の加わったものという定義が存在します。

http://www.soumei.org/artist-information/art.html

参考資料であって、ここに書かれている事が必ずしも正しいというわけではありません。

ただ、一般の日本人の誤解の多くは「アート」=芸術という英語教育の幼稚さから来ているものだといえます。

語源を遡るのであれば、ギリシャ語やラテン語で遡るのが本質的な意味につながります。


>要するに、お客様をコンスタントに呼び寄せる魅力があるかどうかでしょう。 <

これはショービジネスとしての視点ですね。

わたしが指摘しているのは、競技生活を離れてもなお、フィギュアスケートというジャンルを通じて表現したいものがあるからこそ、ショーの世界へ飛び込むのだということです。

そもそも「アイスショー(氷を愛す)」がビジネスとして成立し始めたのは、1980年代ごろからです。

1970年代ごろから、競技を離れてもなおフィギュアで踊ることを人に見てもらいたいという強い欲求を持ったスケーターたちのおかげで、今があります。

ビジネスとして成立するかどうかは二の次だったということが、アーティストだと思うのですよ。

もちろん、ビジネス(職業)として、レッスンプロという形ではなく、舞台俳優のような形で好きなことをして生活が出来たら良いという部分が大きなモチベーションではあったと思います。

けれどもそれだけでは、飯が食えるかどうかわからない世界へと足を踏み入れる事は出来ません。

競技生活引退後にプロのショースケーターとしての道を選ぶ時点で、金銭的な部分よりももっと自分のかんじる世界を見て欲しいという希求があるからだと思います。

この気持ちこそが「アート」だと私は思うのですよ。



2012/09/26 (水) 19:22:10 | URL | barutantomozou #- [ 編集 ]

芸術論はさておき

>私は安藤選手からは「美」とか「情感」ではなく「情念」みたいなものを凄く感じますが。

私が安藤選手を生で見たのは2009年のメダリストオンアイスのレクイエムのみです。
現地で見て、滑らないもっさりステップにがっかりした記憶が……。この時はオリンピックの出場が内定していてコンディションが最高だったわけではなかったし、この1プログラムだけで判断してはいけないかもしれません。ただ、スタンド席から見ると、滑らないスケーティングって、ものすごくストレスがたまるんですよ。あれから2年以上経ち、今はスケーティングスキルが向上しているかもしれませんけど当時はそう感じました。
感動したのはテレビ放送で見た、2011年ワールドのエキシビションのアンコールのレクイエムです。片割月さんのおっしゃる「情念」を感じましたね。感情ダダ漏れの魅力。何度もリピートしましたよ。
安藤選手はショースケーターとして活躍したいなら、スケーティングスキルの向上に力を入れてもらいたいな。表現力は十分あるのですから、スケーティングの拙さが足を引っ張るのはもったいない。
※今シーズンはランビエールさんに振り付けを依頼したそうですね。“脱モロゾフメソッド”で新しい安藤選手が見られることを期待したいです。あとはコーチという最大の問題が……。

ところで、荒川さんのコラムですが。
「私見だが……」のくだりを読み飛ばすと、結構言いたいことがはっきりしてくるような気がします。(現役時代の荒川さんがアーティストタイプか否かはさておきw)
荒川さんは別に「芸術とは何たるか」を語っているわけではなく、アスリートを貶しているわけでもなく、単純に
「アスリートタイプの選手はいいけれど、アーティストタイプの選手にとっては現行ルールは窮屈よねー」
というのが主旨だと私は思っていたのですが、違うのでしょうか?みなさん荒川さんの意図の裏の裏まで読んでいるんですね。

2012/09/26 (水) 22:36:39 | URL | 神無月 #- [ 編集 ]

Re: 拘束と自由

ghoti様、こんばんは。

音の科学、音響の科学は面白いですよね(#^.^#)

頂いた情報も参考にしつつ、いずれこの話題をアップしたいと思っています。

色々あって、なかなか、この話題の準備が出来ないけどね。

2012/09/26 (水) 22:53:17 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 意味が通じていないな

バルタン様、こんばんは。

あ、なるほど、ご趣旨、少し取り違えていたようですね。

そもそもアートとは何ぞや、とか、芸術論のお話しは大好きですが、
それはまた別の機会にまた論じましょう。

>競技生活引退後にプロのショースケーターとしての道を選ぶ時点で、金銭的な部分よりももっと自分のかんじる世界を見て欲しいという希求があるからだと思います。

分かります。現実としてお客が集められるかという問題とは別に、あるいはそれ以前の問題として、それはアイスショーで生きて行く一つの条件でしょうね。

人気に甘んじて同じことを繰り返していれば、いずれお客様から飽きられるでしょうし。

ただ、フィギュアスケートが好きであれば、そして、それを生活の糧としてやりたいスケーターであれば、誰でも自分の感じた世界、自分が考えた世界をリンクで表現したいと思うのではないでしょうか。

もちろん、それが、どこまでやれるかは、スケーターの才能と、努力次第でしょうけど。
本人の演技だけではなく、ショーを維持、発展させて行く企画力、統率力も求められるでしょうね。

その点、荒川さんは素晴らしいと思います。

2012/09/26 (水) 23:10:21 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 芸術論はさておき

神無月様、こんばんは。

オオッ!EX版のレクイエムをご覧になったのですね。羨ましいです。

それで、安藤選手の滑りについて、おっしゃること、分かりますよ。

私は2009国別対抗戦、2009GPF、2010ジャパンオープンの3回、生で観戦しましたので。
私見ですが、彼女は2010年~2011年からスケーティングが以前より滑らかになったような気がします。
グリーグのピアノ協奏曲によるフリー演技では以前のような「ストレス」はあまり感じませんでした。

>今シーズンはランビエールさんに振り付けを依頼したそうですね。“脱モロゾフメソッド”で新しい安藤選手が見られることを期待したいです

同感です。それと、やはり、3-3(なるべくは3Lzー3Lo)や、実施する可能性は低いけど、4回転ジャンプを跳ぶ安藤選手をもう一度見たいですね。
運動能力の高い安藤選手の力強い試合を見たいです。

>みなさん荒川さんの意図の裏の裏まで読んでいるんですね

ガッハッハ(-^〇^-)、痛いとこ突かれました。

一言、言い訳しますと、私は荒川さんの演技はもちろん好きですし、著書も漏れなく読んできたので、というか、それだからこそ、時々、彼女のコメントや解説に戸惑い、つい、色々と考えてしまいます。

2012/09/26 (水) 23:30:10 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

2*Re:拘束と自由

片割月さん こんにちは

フィギュアスケートDays創刊号2006.11を読んでいたら、ある振付師の方(日本人女性)が、新採点システム(IJS、CoP;Code of Points)について、個性ある振り付けが自由にできなくなって芸術性を追求できなくなったようなことおっしゃってた。新採点システム黎明期にあって素直な気持ちの表明だとは思いますが少しがっかり。というか、新採点システム(の改正も含めて)に慣れてくれば、6.0時代への郷愁的言説は消えていくと思われます。

というわけで、「拘束 自由 芸術」で検索してこれはと思ったものを二つだけ貼っておきます。このテーマはひつこく追求します(笑)。

太宰治 鬱屈禍
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/42354_15872.html
芸術は拘束より生れ、闘争に生き、自由に死ぬのであります

◆◇◆日経新聞 「プロムナード」6月3日(木)夕刊◆◇◆ by 保坂和志
http://www.k-hosaka.com/nonbook/nikkei-6-3.html
大事なことはルール=拘束のある競技において、自由とは不自由の対立概念でなく、不自由のずっと奥にある状態のことだと知ることだ。競技者は拘束に対して主体的でなく他の誰よりも受け身になるから自由を実現できる。創造性や想像力は何も拘束がないところから生まれるのでなく、拘束によってもたらされる。
   ・・・
優れた芸術作品はすべて、作者の意図を超える。


最後の一文は、片割月さんが泣いて喜びそうな文章だと思ったな\(^o^)/

追記2012.10.15/20:55
ふと思い出す。新採点システムでも多様な振り付けが可能であると思わせてくれる記事でした。

楽して点とる・・・? (1) ー 氷上の華さん(元選手と思われる方)
http://blogs.yahoo.co.jp/gentlehide2007/30756627.html
分厚い教科書買い込んで、ねじりハチマキで、驚くべき集中力で勉強を続けているのが浅田真央選手です。家庭教師はタラソワさんです。真央ちゃんはは手抜きすることなく緻密な学習をしております。

一方、試験の傾向と対策を徹底分析して、いかに体力を消耗することなく、効率的に点をとるかを考えているのがヨナ選手と予備校教師のウィルソン&オーサーであり、またモロゾフです。

真央ちゃんのすごいところは、試験でさして重要でもないところでもきちんと勉強すること。

   (中略)

どうでしょう・・楽して点を取る・・そういう方法はあるのです。ただ、真央ちゃんがそういう方法は採らず難しいこと芸術的なことにこだわってしまっているのです。


ステップシークエンス考察 (1) - 氷上の華さん
http://blogs.yahoo.co.jp/gentlehide2007/29657180.html

2012/10/15 (月) 14:46:16 | URL | ghoti #/Jidnjo. [ 編集 ]

Re: 2*Re:拘束と自由

ghoti様、啓発される情報、色々とありがとうございます。

ハイ、泣いて喜んでいます。

おかげで目尻のシワが一段と深くなりそうですわ(;_;) グスングスン

楽して点とる・・・?は面白い喩えですね。

しかし、私はタラソワ&真央には、ときたま悲観的になることもあります。

とっても勉強熱心なのですが。。。

お二人はテストのヤマを外すことが時々あるような、

天才肌な人にたびたび見受ける、気まぐれや頑固さが災いすることもあるのではないかと、

不出来な教科書や参考書をつかまされたのではないかと、

その為に、第一志望に落ちたこともあったのではないかとo(TヘTo) くぅ

2012/10/16 (火) 00:29:25 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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