私の好きな歌・その3「本歌と本歌取り」

「本歌」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして  
                                在原業平

【私釈】
あの月はかつて恋人と共に眺めた月では無いのか。春は昔の春とは変わってしまったのか。恋人を失った自分だけが昔と変わらぬままなのか。

面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしの袖の涙に  
                                俊成女

【私釈】
昔、愛しあったあの人の面影が、春霞みの月に浮かぶ…その月明りが、懐旧の涙に濡れた袖に映っていた。


俊成女の短歌は在原業平の名歌を換骨奪胎したものである。「あの人の面影」→「春霞の月」→「涙に濡れた袖」というように、悲しみや切なさという感情が三重層に凝縮されて悲恋が歌われる。業平の歌を知らなければこの歌の素晴らしさは激減する。平安末期~鎌倉初期の貴族達で業平の短歌を知らぬ者はいなかったからこそ成立する歌である。

業平の短歌が「一人称」で語られるとすれば、俊成女の短歌は三人称で語られているように感じる。わずか三十一文字で物語が展開されているかのようだ。芸術に欠かせぬ「普遍性」を獲得しようとすれば、作者による「客観性」への努力、工夫が作品に求められるからかもしれない。

800年代後半に詠まれた業平の歌には大らかさがある。それから300年以上も後に詠まれた俊成女の歌は密度が濃い。万葉以来の短歌の歴史は、鎌倉初期に編纂された新古今和歌集で、ある意味では頂点に上り詰めるのである。凝縮するだけ凝縮され、沸騰させるだけ沸騰させ、綿密にして妖艶さ極まる歌風が戦乱続く平安末期~鎌倉初頭に盛んに詠まれたことは異常なのかもしれない。武士社会の到来に怯える貴族達が己のアイデンティティーを短歌に求めたのだ。

同時代の鴨長明が「方丈記」で伝えた京の都の惨状。大火、地震、飢饉、疫癘などによる死者が累々と横たわる。そうした庶民の惨状や平家と源氏の果てしなき戦いを他所に、ひたすら短歌を詠み続ける貴族の異常な心と異常な執念が生んだ「芸術品」。それが新古今和歌集なのであろう。

続く。


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2012.01.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 文学



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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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