さくらさくら
桜を詠んだ和歌は無数にありますが、名歌といえば、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平(古今和歌集)
は有名です。この歌の命は逆説による飛躍と、そこから生まれる余情にあります。が、一度しか使えぬアイデアです。それゆえ、その後にこの歌から影響を受けた和歌は見当たりません。
ただ、この歌はやや理に傾いた感もあり、私はそれほど詩情を感じません。
私が好きな和歌は、
さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける 紀貫之(古今和歌集)
花の色にあまぎる霞たちまよひ空さへにおふ山桜かな 藤原長家(新古今和歌集)
の2首です。いずれも幻想的で優美を極めています。
しかし、私が一番好きな和歌は、
風かよふ寝覚めの袖の花の香にかをる枕の春の夜の夢 俊成女(新古今和歌集)
私訳:「風が吹き通い、寝覚めたばかりの私の袖に花の香りが漂っています。枕にも香りが漂っています。春の夜の夢から寝覚めた私はまだ夢を見ているの」
この歌は艶麗の極み。現実の花の香りと夢の中の香りが渾然一体となって、この世のものとは思えぬ詩情を生み出しています。古来、「香」は梅の香りを意味しますが、平安末期には桜にも「香」を幻想するようになりました。実際、桜の花を手に取り、鼻を寄せると微かに桜の香りがします。
なお、桜とは山桜のことであり、ソメイヨシノではありません。ソメイヨシノは江戸後期に人工的に作られた新種だからです。山桜はソメイヨシノより少し後に開花します。
真央桜咲にけらしな我が宿に吹き来る風は真央の香ぞする 片割月(姥桜)
童謡「さくらさくら」
歌詞A
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
歌詞B
さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
歌詞AとBとでは、どちらの方が優れているでしょうか?
もちろん、歌詞Aです。歌詞Bは駄作です。
これが分からぬようでは、日本語のセンスが疑われます。
小学校の音楽の時間では、私の世代以降からは歌詞Bで「さくら」を習うようです。
実は私も歌詞Bで習いました。しかし、母が歌詞Aの存在を教えてくれました。
小学生が歌詞Bの酷い歌で「さくら」を覚えさせられる一方で、小学高学年からの英語教育を義務化する動きがあるようですね。美しい日本語のセンスを磨くこともなく、英語を教えようとする…植民地根性とはこういうものです。まさに亡国の発想です。違いますか?美しい日本を取り戻すんでしょ?安倍総理~!!
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2014.03.31 | | コメント(13) | トラックバック(0) | 文学