8月15日の敗戦記念日で思うこと





8月15日の「終戦記念日」とは欺瞞的な表現であり、正しくは「敗戦記念日」です。

先の「日中戦争・太平洋戦争」で300万以上の日本人が死んだという。このうち、軍人・軍属の死者はおよそ200万。昭和史を専門とする秦郁彦氏によるとこのうち約半数は「餓死」と推定されるようです。

確かに戦争による痛ましい犠牲者と思います。特に、軍部の愚かな戦略によって餓死した兵士はまさしく「野垂れ死に」であり、ニューギニア戦線における元兵士達の証言を読むと、涙と共に怒りを覚えます。鴻毛より軽い命としか、消耗品としかみなされなかった兵士達の悲しい最期。その一方で若い部下に「死ね!」と命じておきながら、自分はぬくぬくと戦後を生きた高級将校や軍指導者の醜い姿がありました。

しかし、北はアリューシャンから南の太平洋の島々では「バンザイ突撃」で全滅した兵士達の話とは別に、各島々にそれぞれ数百人前後、労働者として徴用された朝鮮人や中国人がいました。物資の補給などあてにならぬ南太平洋の絶海の孤島に好き好んで働きに行く人はいない。皆、強制、又は半強制的に配置されたのです。そして、彼等が建てた兵舎や地下陣地のお陰で日本軍はまだ何とか戦えたのでしょう。彼等も激戦の最中で多くが亡くなり、少数が捕虜となりました。

同じ戦争の犠牲者と言っても、日本人市民・日本兵士と、朝鮮人・中国人労働者とでは、問題の深刻さが違います。


先の大戦において、日本は被害者でもあり、加害者でもあることを私はしかと心に留めておきたい。

全国戦没者追悼式典の式辞で、昨年に続いて安倍首相は日本の加害責任に関しては一切述べなかったという。不戦の誓いもなかった。さもありなんと思います。この人は自著の「美しい国へ」を読んでみても分かりますが、人として根本的に非常な欠陥がある怖い政治家と私は思います。安倍首相は神風特攻で戦死(いや、死ねと命じられたようなものだ)した若者達を称えることはあっても、それ以外の事には全く無関心・無感動な歴史認識らしい。

だいぶ前の記事ですが、私は下記の石田氏の見解に共感します。
東大名誉教授・石田雄氏 「戦争に向かった戦前と似ている」
サイトはここです

(一部抜粋引用開始)――聞き手:しかし、命令する側は平気で「殺せ」というわけですね。憲法解釈を変えれば同じような境遇に自衛隊員も置かれる。殺される方もたまらないが殺す方も大変だ。そういう国に戻そうとしている安倍首相という政治家をどう見ていますか?

石田:自分よりも不利な人の立場で物事を考えられないのだと思います。他者感覚の欠落、共感能力の欠如というか、ずっとチヤホヤ育てられると、そうなっていくのかもしれません。

石田:デンマークの陸軍大将、フリッツ・ホルンは戦争絶滅法案なるものを提唱していて、開戦後10時間以内に元首、首相、閣僚、議員を最前線に行かせる。そういうことを決めれば戦争はなくなると言っています。そういう立場に立たされれば、積極的平和主義なんて、簡単に言えるわけがないのです――(引用終わり)。

――――――――――――――――――――――――

「華人(中国人)労務者内地移入ニ関スル件」…「労工狩り」「ウサギ狩り」による中国人強制連行に直結する政策を閣議決定した担当大臣、商工大臣は安倍首相の祖父である岸信介。A級戦犯容疑者に指名されましたが、連合国側の都合で運良く釈放された。

多くの中国人労働者を死なせる原因となった政策に直接関与した人間が釈放される一方で、捕虜を一人不当に殺しただけ(上官の命令で仕方なく行ったのだ・上官の命令は朕が命と叩き込まれた)で、死刑にされた日本軍兵士が何人もいました。いかなる組織や集団においても、上に甘く、下に厳しい、という不条理な現実は今でも形を変えて存在します。

「他者感覚が欠落する」安倍首相にとっては、祖父の名誉挽回?は是非とも実現したいであろう。

下記の記事での不破氏の意見にも私は共感します。

「安倍政治どうですか・異質さ、際立っている」:共産党前中央委員会議長・不破哲三氏(毎日新聞:8月17日)

(引用開始) −−戦後政治の中で安倍政権をどう位置づけますか。
 ◆「軍事、外交で米国の言いなり、経済で財界の言いなり」という自民党政治の流れにありながらも、極めて異質な政権だ。一つは、根底に大東亜戦争肯定論が牢固(ろうこ)としてある。それが憲法改定の怨念(おんねん)に結びつき、その怨念の底には明治憲法へのあこがれがある。もう一つは、いままでは財界本位の政治といっても、政治なりに色づけをしていた。池田(勇人元首相)さんの所得倍増計画や、田中(角栄元首相)さんの日本列島改造論など、国民の生活がこう変わるという主張があった。安倍(晋三首相)さんの場合、「大企業がもうかれば国民に流れる」というあまりに直球の話だ。財界の口移しのような言い方だ。昔の政治家はこんなことは言わなかった。

 −−その異質さはどこから来るのでしょうか。
 ◆昔の自民党には保守の良識派がいた。三角大福も方向は同じでも、みんな違いを持っていた。ところが安倍さんは自民党を一色にしてしまった。良識ある部分の居場所がない自民党にしてしまった。これが今の政界をおかしくしている。

 −−集団的自衛権の行使を容認する閣議決定も強引さが批判されました。
 ◆安倍さんは衆院選でも参院選でも集団的自衛権を訴えていない。そのうえで国会をとばして閣議決定した。選挙と国会をとばして憲法を変えようとする。ありえないことだ。今度の閣議決定のやり方は決定的だったと思う。保守層も含めた日本の世論を変えた。

 −−保守層とも協力できる部分はありますか。
 ◆安倍さんは特攻隊的な話ばかりする。でも自民党の古賀(誠元幹事長)さんは、参謀が補給の準備無しに机上の作戦で兵隊をばらまき、そのために兵隊が餓死したことを知っている。だから、戦争についての見方は我々と共通するところが出てくる。戦後の日本の政治についても、根本は侵略戦争への反省から成り立っているのだから、その部分で共通面が出てくる。日本の政治でいかに民主的なルールを踏みにじってはいけないかということも分かる。世論に背を向けてはいけないことも分かる。そういうことが保守の良識だ。

 −−国会で保守政治家と論戦を重ねました。
 ◆田中内閣での国会質問で「価格調査官(物価Gメン)」の問題点を指摘した時、田中さんは即断で改善を約束して実行した。当時の自民党の政治家は、のりしろというか、間違ったと分かれば手直しするゆとりもあったし、真剣さを持っていた。人間的に共通するところもあって仲良くもなれた。

 −−安倍さんはどうですか。
 ◆ゆとりがない。一歩でも譲ったら壊れるという感覚がある。集団的自衛権の論議も、貧弱な材料で本当に傷だらけの組み立てをしている。譲ったら全部壊れるからゆとりがないのでしょう…(引用終わり)。

再び主張しますが、安倍首相というのは非常に危険な政治家と思います。私のカンは結構当たるのよ<(`^´)>


日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦 (新潮文庫)日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦 (新潮文庫)
(2014/07/28)
NHKスペシャル取材班

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籾井氏や百田氏、長谷川氏のような「おトモダチ」が、NHKに安倍政権によって送り込まれています。安倍政権による日本の右傾化の現れであり、メディアコントロールを好む安倍首相の危険性を示すものだと思います。

しかし、NHKスペシャル「証言シリーズ:兵士達の戦争」や「日本海軍400時間の証言:軍令部・参謀たちが語った敗戦」など、非常に優れた番組もありました。こうした番組が消えてしまうか、骨抜きにされないことを願うばかりです。

「日本海軍400時間」が新潮文庫から出ています。最近の書店でいわゆる「ヘイト本」がやたら目立つようになりましたが、そうした中にあって、この本は優れた内容で光っていると思いました。

例えば、
①日本軍が、捕虜となったオーストラリア兵やスパイ容疑の現地住民を不当に処刑したとされる、インドネシアの「スラバヤ事件」では、BC級裁判において「責任を現場の実施部隊に押し付け、軍上層部の責任が問われないようにする」軍部の醜い姿が浮き彫りにされます。
②被害者のオーストラリア兵の遺族を訪ね、加害者としての日本をも取材。
③中国のサンソウ島において、日本軍が地元住民586名を虐殺した「サンソウ島事件」の調査と証言。これも加害者としての日本。

被害者としての日本だけではなく、加害者としての日本をも追求した高質な記録本です。

それと、先の大戦で日本はアメリカに負けたのだと思い、中国にも負けた事実を知らない人が結構いることに驚きます。知らないというより、認めたくないのかもしれませんが。

日中・太平洋戦争を美化し、合理化し、正当化する「歴史観」には私は反対です。

しかしながら、戦後生まれの私達が歴史の後事性の優位に立って、戦前の日本を一方的に裁き、当時の政治家や軍人はアホばかりであったかのように断罪することにも私は少々抵抗感を覚えます。詳細は省略しますが、優れた見識を持つ政治家や軍人もいたことは事実です。しかし、彼等は少数派でした。

天才と言われた参謀石原莞爾については評価は様々ですが、彼の「最終戦争論」を読みますと、当時の日本軍人としてはスケールの大きい見識の持ち主だったようです。しかし、関東軍を中心とする満州全土及び中国戦線へと「拡大・侵略路線」の道を開くきっかけとなった「張作霖爆破事件」の当事者としての責任は重大で、とても擁護出来ません。

作家や歌人等の文人達にも色々な葛藤もあれば、抵抗もあれば、世情に流されてゆく姿もありました。

与謝野晶子は日露戦争時には出兵する弟に「君死にたまうことなかれ」と詠いましたが、第二次世界大戦時には出兵する息子に、武人として思う存分戦って下さいと、まるで軍国の母のような和歌を残しています。 与謝野晶子の内面の変化がどのようにして起きたのでしょうか。

小説「破壊」で部落民問題を描いた島崎藤村は、東条英機の名前で出された「戦陣訓」の編集に参画しました。 幸か不幸か、藤村は日本の敗戦を見ることなく、1943年に亡くなりました。
「生きて虜囚の恥ずかしめを受けず」の為に、どれだけ多くの日本の兵士達が無駄死にし、どれだけ多くの捕虜が虐待・虐殺されたか、もしも藤村が知ったらどう思うでしょう?

数々の美しい詩や和歌、そして「砂山」などの童謡の作詞者としても活躍した北原白秋は、

「大東亜地図」という題名で(一部抜粋)、

  僕は塗る、塗りかへるんだ、点と線ばかりぢやないんだ。

  すばらしいの、何のつて、君、
  大東亜共栄圏なんだもの。

  僕の脳髄はそのまま地図なんだぜ、
  カナダだつて、スエズだつて、パナマだつて
  もうとうに塗りかへてるんだぜ。

と、侵略戦争のお先棒を担ぐような詩を残しています。 一流の詩人の作とは思えない酷い詩です。「…なんだもの」と、相田みつを風な語句には、じん麻疹が出そうになります。白秋はどんな理由や心境でこんな詩を書いたのでしょうか。

大日本帝国によって占領した国々の地図を赤く塗りつぶして喜ぶことは、当時の日本でよく行われていたようです。

もちろん、彼等は決してアホでも愚かでもありません。むしろ、当時の国民の平均値より知性も判断力も優っていたかもしれません。大真面目だった。それが日本の為に正しいと信じていたのでしょう。 あるいは、諸般の事情でどうしても断れなかったのかもしれませんが。

どうしてこういうことになるのか?何故?

1868年の明治維新に始まる日本の目覚しい近代化の結末が1945年の敗戦、というのでは、あまりに切ないです。

「終戦記念日」という名の「敗戦記念日」に考えてしまうことです。



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2014.08.17 | | コメント(156) | トラックバック(0) | 政治・社会



コメント

トルコと日本

第1次世界大戦で敗戦となったトルコはその領土が半減した。これと同様に第2次大戦で敗戦となった日本も領土が半減した。この大幅な半減からこの2ケ国のそれぞれの時代における類似性を窺い知ることが出来るのではないだろうか。

2014/08/17 (日) 01:57:08 | URL | ファントム #- [ 編集 ]

わははは。

素直にわしのコメントに賛同すればよいものを。

中身はほぼ同じじゃのー。

石破のおっさんの方がまだ現実の厳しさを理解しているから、歯止めが効くだろうけど、安倍はだめじゃな。

大体、前回味方がいないと政権放棄したくせに、今回は誰も貧乏くじを引きたくないから足を引っ張るやつがいない。

集団的自衛権を通したいのなら、閣議決定ではなく国民投票をするのが筋だ。

一人一人の命と財産にかかわることなのに、自衛隊だけの事として扱うことがおかしい。
また、自衛隊員の無記名投票もすべきだな。
兵器特需は一部の企業しかうるわさない。

日本のブラックゴースト団の復活の兆し。

機密情報保護法にしても、戦前の情報統制と同じ。

情報を握っているものが判断を間違わないということが前提にあって成立する性質のものなのに、傲慢で思慮のない政治家が多いのでは、国政を誤らせる後押しをさせる法案にすぎない。

大惨事世界大戦のボタンを押すのは日本の政治家かもしれない。

ストレスに強い事と厚顔無知とはちがう。

小泉氏のしたたかさと安部氏の強引さとは違うものだ。


トルコと日本とでは類似点はない。
トルコは過去に強大な勢力範囲を持っていたが、日本は第二次世界大戦のわずかな期間しかない。


2014/08/17 (日) 04:34:24 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

>8月15日の「終戦記念日」とは欺瞞的な表現であり、正しくは「敗戦記念日」です。

根本的なところで間違ってるよ。
8月15日の「終戦記念日」とは俗称であり、正しくは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。
祈りの日です。
亡くなられた方の為に祈ってください。
薄っぺらい知識で政府批判をするのは9月2日の敗戦の日にしてください。

2014/08/18 (月) 10:41:50 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

ぴかちうさんへ

終戦の定義をどう見るかの違いであって、ポツダム宣言の調印式の日としたとしても、現実にはソ連の戦闘行為は続いています。

詳細は終戦記念日でウィキペディアを参考にすればよいでしょう。
天皇陛下の玉音放送で国内の国民に、戦闘行為の継続の中止とポツダム宣言の受諾を知らせた日として、終戦の日として扱っても問題はないでしょう。

海外でも一律ではないのですから、ポツダム宣言の調印式の日が終戦の日としてしまうのも、薄っぺらいと思いますけどね。

横田昭一さんからすれば、もっと後になるしね。

政府批判をしてはいけないという論理の根拠としては、全く関連性がないので、薄っぺらい批判をしているのはあなたの方ですよ。

2014/08/18 (月) 12:25:07 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

>終戦の定義をどう見るかの違いであって、ポツダム宣言の調印式の日としたとしても、現実にはソ連の戦闘行為は続いています。

まぁた薄い知識をひけらかして。

ポツダム宣言はあくまでも「宣言」であり調印するものではありませんよ。笑
調印するのは日本の降伏文書(停戦協定)です。

天皇陛下の玉音放送で国内の国民に、戦闘行為の継続の中止とポツダム宣言の受諾を知らせた日として、終戦の日として扱っても問題はないでしょう。

そう、だから「終戦」の日なのですよ。
敗戦の日・敗戦記念日と言うのなら9月2日なのですよ。
それゆえ「終戦記念日」と言うのは欺瞞だという貴方の主張は成り立たないのですよ。
自分の主張を忘れましたか?

いいですか、日本が「負けました」と言ったからって戦争が終わるわけではありませんよ。
終戦(停戦・休戦)協定に署名するまでは戦争は続いております。
もう少し戦争の事を勉強してください。

それと、ソ連の戦闘行為については調印後には私は知らないが?
常識的に言って、調印後に戦闘があったのなら、それは日本軍の武装解除の協定違反になり、連合軍全てが戦闘再開することは理解できますよね。
それまでに北方領土については大規模な戦闘は終わり9月5日までは進駐占領していたのではないかな?
それを戦闘と呼ぶなら、マッカーサーが厚木基地に降り立ったのも戦闘かな?
いずれにせよ、9月3日以降の戦闘を記したものを提示してください。

>横田昭一さんからすれば、もっと後になるしね。

戦争と言うものは「国」と「国」がするものだって知らないんですか?

>政府批判をしてはいけないという論理の根拠としては、全く関連性がないので、薄っぺらい批判をしているのはあなたの方ですよ。

葬式の時に相続の話で喧嘩するのをどう思いますか?
するのは個人の自由ですが、私は場をわきまえない人間だと思います。
それを薄っぺらい批判と言う程度にしか考えない人間もね。

2014/08/18 (月) 22:58:39 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

おバカさんだね。

終戦記念日とは元々日本国内のもの。

君の主張は言葉の揚げ足取りにすぎない。

ソ連の戦闘行為は、君自信で調べるとすぐわかるさ(笑)

2014/08/19 (火) 00:21:38 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

何も考えない人って強いね~

>終戦記念日とは元々日本国内のもの。

そうだよ、だから8月15日は終戦記念日と日本国内では俗称で呼んでいるし、9月2日は日本の教科書で敗戦の日とされている。
8月15日を終戦の日と呼ぶことのどこが欺瞞なのかな?
終戦記念日として定着しているものに「欺瞞」と非難を浴びせ「敗戦記念日」といいかえる君が「揚げ足取り」だと思うが?
自分の姿を鏡に映してから発言してもらえるかな。笑

敗戦の日が8月15日でも9月2日でもよいとどっちでも構わないという大雑把な考え方をする貴方が、8月15日を終戦の日と呼ぶ人間を欺瞞と言えるのかな?

そこの所を何も考えずに他者を批判するから、「薄っぺらい知識」といわれるのだよ。

>ソ連の戦闘行為は、君自信で調べるとすぐわかるさ(笑)

来た~、自分で調べろだって。笑

世界人権宣言11条
「犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。」

袴田事件って知ってますか?
1966年の強盗殺人放火事件で犯人とされ死刑の判決が出ていた袴田さんが無罪となった事件ですが、袴田さんは自分の無罪の証拠を出したわけではありませんよ。
自分の有罪の証拠を切り崩しただけです。

いいですか。
無いことの証明は「悪魔の証明」といって出来ないんですよ。
あるという方がそれを提示するのが義務です。
もしソ連が「戦闘」したと言うのなら貴方がその証拠を出すのが義務です。

また以前にも指摘しましたが貴方は「戦争」と言うものを勉強すべきです。
「戦闘」したからって「戦争」であるとは限りませんよ。笑

2014/08/19 (火) 08:00:20 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

おバカさんだね。

8月15日を終戦の日とすることには、反論がないよね。

だから最初に終戦の定義をどう見るかだと指摘している。

そして、日本にとっては終戦は敗戦でしかない。

だから、呼び変えたとしても何も問題はない。

政府の呼び方は儀礼を行うためにつけられたものであり、国民の祝日でもない。

終戦が勝ち戦だとでも言うのなら敗戦を使ってはいけない理屈として通るけどね。

当時を生き抜いた人にとっては、「戦争は終わった。でも、日本は負けたんだ。」というのが事実認識。

私はどちらを使っても構わないが、君の主張は敗戦の日は外交上の立場でしか考えずに、薄っぺらいとブログ主を批判したから、「それは、君の論理も薄っぺらい。」と指摘しただけさ。

私のコメントを読み返してごらん。

敗戦記念日と読み替えることの是非については、触れていないのに君は勝手に賛同者としているだろう。

相手の意図も見抜けずに、自分の思い込みだけで決めつけて反論を行っているから「君の論理は薄っぺらい」と指摘せざる得ないのさ。

再度訪ねよう。

君にとっての終戦の定義はなにか?


調印式の日を別に敗戦記念日として呼んだとしても構わないが、2つ設ける必要性があるとも思えないのでね。

2014/08/19 (火) 11:46:18 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

世界人権宣言

私の記憶が間違いでないなら、1948年12月10日当時の国連加盟国で決められたもの。
この中に日本はいない。
だから、反論としての根拠にはなり得ない。この宣言を持ち出すのなら、ソ連の戦争捕虜の扱いを問題にしないといけないのだけどね。
ここでも、君の知識が薄っぺらい整合性のないものであることを証明してくれているね。(笑)
終戦の定義は、諸説あり、外交上の日本としての主権の主張ができるようになったサンフランシスコ平和条約とする見方もある。

敗戦記念日を9月2日としていた時期は、戦後しばらくあったのは事実だけどね。

2014/08/19 (火) 12:12:38 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ぴかちうさんの論理矛盾

私の彼への最初のコメントで

「ポツダム宣言の調印式の日としたとしても」と記述しています。

これに対して彼は

まぁた薄い知識をひけらかして。

>ポツダム宣言はあくまでも「宣言」であり調印するものではありませんよ。笑
調印するのは日本の降伏文書(停戦協定)です。<

この様に記述しています。
まずここで彼のポツダム宣言に対しての理解が薄っぺらい事を示しています。

ポツダム宣言とは、その前に行われたポツダム会談からの流れから生まれた。

ナチス・ドイツ降伏後の1945年7月17日~8月2日、ドイツベルリン郊外のポツダムに、米国、英国、ソ連の3カ国の首脳が集まって行われた、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談(ポツダム会談)。
会議の最後にはポツダム協定が策定された。また7月26日には日本政府に対して日本軍の無条件降伏などを求めるポツダム宣言が表明されたことで知られているが、会議の公式日程において対日問題は協議されなかった。

ポツダム宣言とは日本に対しての無条件降伏勧告であり、この宣言を基に調印文章は作られている。

天皇の玉音放送は、ポツダム宣言の内容を受け入れることを受諾したことを広く国民に知らしめるためであり、降伏文書はポヅダム宣言の内容すべてを受け入れるのではなく、日本の思惑とアメリカの思惑(対ソ連戦略および占領下の日本統治)の妥協点から作られているので、完全に同一ものものではないにしても、原案はあくまでもポツダム宣言にあるので、一般的にはポツダム宣言の受諾調印式といっても差し支えはない。

ここでマニアックな戦史談義を交わすつもりはない。
だから言葉の揚げ足取りといっている。

また、終戦の日を8月15日としたのは、

>引揚者給付金等支給法(昭和32年[1957年]法律第109号)は8月15日を終戦の基準とし、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律(昭和42年[1967年]法律第114号)は8月15日を「終戦日」と呼んでいる。1963年5月14日の閣議決定により同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、1965年からは東京都千代田区の日本武道館で開催された。1982年4月13日、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定された。現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われており、お盆は月遅れのお盆と一致することから、お盆=8月15日となっている。<
以上「終戦の日」ウィキペディアより抜粋

これを見てもわかるように、財政的な面からも考えられて決められている。

これは、捕虜の待遇に関する国際条約からの面もある。

>1949年8月12日のジュネーヴ条約4規程及び1977年の第一追加議定書によって、戦時における軍隊の傷病者、捕虜、民間人、外国人の身分、取扱いなどが定められている。第3条約「捕虜の待遇に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約」により、ハーグ陸戦条約の捕虜規定で保護される当事国の正規の軍隊構成員とその一部をなす民兵隊・義勇隊に加え、当該国の「その他の」民兵隊、義勇隊(組織的抵抗運動を含む)の構成員で、一定の条件(a, 指揮者の存在、b, 特殊標章の装着、c, 公然たる武器の携行、d, 戦争の法規の遵守)を満たすものにも捕虜資格を認めた。<

この中で軍人の捕虜期間中の給与の定めも決められている。
その起算日として8月15日と基準としたという面もある。

ソ連との戦闘行為の継続に関する見方について

捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(第三条約)

では、
第二部 敵対行為の終了の際における捕虜の解放及び送還
第百十八条〔解放及び送還〕
捕虜は、実際の敵対行為が終了した後遅滞なく解放し、且つ、送還しなければならない。

となっている、ところがソ連のシベリア抑留は

1947年から日ソが国交回復する1956年にかけて、抑留者47万3000人の日本への帰国事業が行われた。

要するにソ連としては、建前上は1945年9月2日を持って終戦締結とはなったが、ソ連の実質的な戦争状態の停止は1947年まで続いているということにもつながる。

捕虜の送還を即座に行わなかったということは、まだ戦時下にあるという見方もできるからだ。

だからこそ終戦の定義とは何を持ってみるのかと問いかけている。

薄っぺらい知識の「ぴかちう」君、あなたのご高説をお伺いしたいね、

そしてそれが歴史学者の間での多数を占める見解であることの証明もくれぐれも忘れずに頼むよ。(笑)

時系列をきちんと確認すること。





2014/08/19 (火) 14:21:06 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

追記

連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。

なお、現実には兵站の拡大化の影響から日本が敗戦したことを知らずに散発的な軍事行動自体は存在している。

あくまでも組織立った国としての軍事行動の停止を外交上前威嚇に文書化しただけであり、現実の終戦の日は内外の事情によって異なる。

けれどもそれでは国政上は都合が悪いので8月15日へと一本化したということ。

したがって、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」というのを

「敗戦はしたが国のために命を落とした戦没者を追悼し平和を祈念する日」と言ったとしてもなんらの問題はない。

ここに敗戦の言葉を入れないことから、「諸般の事情からやむなく停戦したのだ。原爆の被害に怖気づいた弱腰の軍部が悪い」という思想も生まれる元凶ともなっている。

片割月さんが主張しているのは、先の大戦で紛れもなく日本は敗戦国であり、そのことを忘れないようにするには「敗戦」という言葉を明確に使うべきという趣旨であり、もし終戦記念日が法律上9月2日だったとしても同じ主張をするということだ。

ぴかちう君へ

君の主張は一体どこにあるのかな?

戦没者を追悼する日だから「敗戦」という言葉を使ってはいけないという理由を明確に記述せよ。


政府批判をするのに「薄っぺらな知識しかない」というのは文章からだけではわからない。

君は片割月さんではないから彼女のすべてを知っているわけではない。

少なくとも「敗戦」を使用してはいけないというのであれば、終戦記念日を8月15日と決めた日本政府の対応にも疑問を投げかけるべきだろう。

9月2日を「敗戦の日」とするのであれば、なぜ8月15日が終戦記念日でないといけないとするのか?

文書を第一義に考えるのであれば、給付金の支給日をなぜ9月2日に定めなかったのか?

その部分の論理的整合性まで突き詰めての反論であればここまで君に対して反論はしない。

まだ続けたいのならいくらでも相手になってやるよ。(笑)

とりあえずは文章表現の非礼を片割月さんに謝ることだな。

2014/08/19 (火) 14:49:45 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

戦争の定義

時代によって定義は変わる。

>戦争と言うものは「国」と「国」がするものだって知らないんですか?<

この認識は間違い。第一次大戦以降はこの形が多いが、現実にはウクライナの新ロシア派による内戦状態も戦争のひとつの形である。

国対国の戦争と国内派閥の争いとを便宜的に内紛とか紛争と呼んで戦争ではないかのような表現をしているだけであり、現実には局地的戦争に他ならない。

ほんとに薄っぺらい知識しか君は持たないね~~。(笑)

2014/08/19 (火) 15:04:13 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

片割月さん、ご無沙汰です!
活発な記事アップ、ありがとうございます。
書き込みはせずとも、本当に嬉しく読んでます。

「論戦」はバルタンさんにお任せするとして、私は単なる「感想」を。
・・・南京虐殺といい、今回といい、バルタンさんがお相手をしている方のご意見を読むと、「戦争は遠くなってしまったのだなぁ」としみじみ感じます。。

私の父は(今も健在ですが)、海軍兵学校在校中に敗戦を迎えました。もうしばらく戦争が続いていたら、おそらく私はこの世にいなかったでしょう。
尋常でない状況でハイティーンの一時期を過ごした兵学校は短くも強烈な記憶であるらしく、折に触れて当時のエピソードを語ることもあります。けれど、そこに至る経緯・・・なぜ兵学校を志したかについては聞いたことがありません。一度そのことを尋ねた時、父はしばらく考えてから、「どう話そうと嘘になるから」と言いました。「当時の気持ちを言おうとすると、どうしても今の自分の解釈が入る。それは、『本当のこと』とは言えない」と。

終戦後、兵学校の生徒たちは各地の旧制高校へと別れていきました。父の編入した旧制高校では、寮の夕食時間のたびに陸士、海兵から来た生徒は起立させられ、他の学生たちから一斉に茶碗を箸で叩きながら「ゾールッ(兵士の意)! ゾールッ!」の大合唱を浴びたそうです。父たちは立たされたまま、ただその時間が過ぎるのを待つ。この話は父の友人が訪ねてきた時にその友人との会話の中で初めて聞いたのですが、酔っていたせいもあって父は涙ぐんでいました。それは単なる悲しみではないし、ましてや相手に恨みを持っているわけでもない。海兵を志した父も、茶碗を叩いて揶揄した人たちも同じだからです。

当時の正義や趨勢を現在の善悪では語れない・・・新緑の里さまが仰ったことはその通りでしょう。しかし、私の父の世代にとっては一人の人間の短い生の間に起きたことです。多くの人が指摘するように明治~大正の日本は、もちろん人権意識などは今とは比較できないものの、自由な気風というのはないわけではなかった。それが1920年頃から急激におかしくなり、父たちはその最中に生まれてしまったのです。

だいぶ以前ですが、TVに特攻の生き残りという俳優さんが出演されていたことがあります。何人もの友の還らぬ出撃を見送ったと話され、「・・・だから僕は、決して彼らのことを犬死だなんて言って欲しくない。そんなことは堪らないんだ」と号泣されていました。
一緒にそれを観ていた父は「気持ちは痛いほどわかるけど・・・それは違う」と呟きました。「どんな大義名分があってもあんな死に方をさせてはいけなかった。無駄に死なせてしまった。だから、こんなに悲しいんじゃないか。我々生き残った人間は、どんなに辛くとも苦しくともそのことから目を背けるわけにはいけない」と。

こういうことを聞いて育った私は、「敗戦の日」という言葉に、葬式で相続の話をするという喩えを持ち出されるぴかちうさんに違和感を覚えます。
「悼む」やり方には、いろいろあるのですよ。
それまでの価値が全て覆され、しかも後になってみれば自分は何も知らされておらず、本当のところ自分の頭では何事もきちんと考えてもいなかったことを突きつけられ、国土はボロボロ・・・この状態の人間が感じた痛みや悲しみ・・・ひりひりするような焦りを、今、戦没者を美辞麗句で悼むような人たちが心から感じているとは、私には到底思えません。「戦争が遠くなった」と感じる所以です。

私も片割月さんと同様、「敗戦記念日」に戦没者を悼みたいと思います。
くだらぬ長文、失礼しました。

2014/08/20 (水) 00:48:05 | URL | バジル #- [ 編集 ]

>8月15日を終戦の日とすることには、反論がないよね。
だから最初に終戦の定義をどう見るかだと指摘している。
そして、日本にとっては終戦は敗戦でしかない。
だから、呼び変えたとしても何も問題はない。

呼び換えたとしても問題はないなら、呼び換えなくても問題はないよね。
だが、君は「終戦記念日」と言う呼び方は欺瞞であると発言した。
ということは、君は呼び換えなくてはいけないと主張していることになるが?
違うというのならなぜ「終戦」と呼ぶのがいけないのかを記していただましょうか?

また終戦は敗戦でしかないというが、
「8月15日は終戦の日である。
太平洋戦争という一つの戦争の敗戦の日ではない。
帝国主義日本が日清戦争から続くすべての戦争を放棄した=終わらせた日である。
武装を放棄した誓いの日である。」と主張した人もいましたよ。
私は賛成はしないが、彼を欺瞞であるとは思いません。

>政府の呼び方は儀礼を行うためにつけられたものであり、国民の祝日でもない。

「終戦記念日」は俗称で付けたものであると書いたのを忘れたかな?
政府が付けたのは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と書いたでしょ?

>終戦が勝ち戦だとでも言うのなら敗戦を使ってはいけない理屈として通るけどね。

敗戦日というものが他にあるのに8月15日を敗戦の日と呼ぶ必要は?
貴方個人が太平洋を「日本海」って呼びたいなら勝手に呼べばいいが、それを他人に強制はできるかな?、太平洋と呼ぶ人間を非難できるかな?

>当時を生き抜いた人にとっては、「戦争は終わった。でも、日本は負けたんだ。」というのが事実認識。

そうかね?誰に聞いたんだい。
私は終戦の詔勅の現代訳を呼んで「日本は負けた。敗戦の苦労はあるが、殺し合いはもうしなくて良いのだ、戦争は終わったのだ。」と言っている ように感じるが?

2014/08/20 (水) 02:27:27 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

>私はどちらを使っても構わないが、君の主張は敗戦の日は外交上の立場でしか考えずに、薄っぺらいとブログ主を批判したから、「それは、君の論理も薄っぺらい。」と指摘しただけさ。

では君の言うのは誰の立場?
君も一律ではないって発言していたと思うが?
一律ではないなら、それぞれ独自が思っていればいいことかな?
8月15日が終戦日でなくとも、敗戦日でなくともいいわけじゃない?
それじゃ式典等の行事をしずらいから、日本では或る一定の社会的合意を得て日が定まっている。
それが8月15日が終戦の日であり、9月2日が法的には敗戦の日であるというわけだ。

>敗戦記念日と読み替えることの是非については、触れていないのに君は勝手に賛同者としているだろう。

なんだ、ブログ主ではないのか?
ブログ主に対して意見を述べていたのに横から入ってきただけの人間だったのか。笑
今度から参加するのならまず自分のスタンスを明らかにしてから入ってきてくれるかな。

>再度訪ねよう。
君にとっての終戦の定義はなにか?

私が読み飛ばしたのかな?
君に終戦の定義を問われた記憶がないのだが?

その質問に説明を加えてもらおう。
「何」の終戦なのか?

大東亜戦争の終戦なのか。
国民の精神的終戦なのか?
領土拡張への戦いの終戦なのか?
終戦詔勅における終戦の意味なのか?

また人に尋ねるのならまず自分の定義を先に述べては如何かな?

2014/08/20 (水) 02:28:18 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

>調印式の日を別に敗戦記念日として呼んだとしても構わないが、2つ設ける必要性があるとも思えないのでね。

そう、だから式典等の多くは「終戦の日」に行って、敗戦の日には行っていないよな?
終戦(敗戦)のイメージは8月15日の方が大きいから「終戦の日」にするが、実際負けたのは9月2日である。。
何か問題でも?
必要性の問題かね?
安倍首相は2012年12月16日に自民党総裁として衆院選で圧勝した。
この時点で実質総理大臣は間違いなかったが、実際総理になったのは12月26日だ。
2つ設ける必要がないから総理就任も12月16日にしてもいいのかな?

>私の記憶が間違いでないなら、~だから、反論としての根拠にはなり得ない。

まぁた薄っぺらい知識を出してきたね。
世界人権宣言と言うのはね。
それ自体にはもともと法的拘束力はないんだよ。これも「宣言」にすぎないからね。笑
拘束力を持つのはその精神(趣旨)が国家間の条約や国内法に反映されてからの事なんだよ。
だから、宣言時に日本が参加していたとかしていなかったとかは全然関係ないんだよ。
ちなみに日本国内では宣言の趣旨に基づき、刑事訴訟法第336条で、「被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」と定めてあるよ。
立派に根拠になると思うが?

ただ私がこの宣言を出したのは、君が自分の主張の証明を私に探せと言った為だ。
それに対して推定無罪の精神を述べただけ、反論でもなんでもないから根拠にする必要もない。
君の無知がさらけ出されただけだ。
君の無責任を非難しているんだよ。

2014/08/20 (水) 02:29:30 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

>ポツダム宣言とは、その前に行われたポツダム会談からの流れから生まれた。~

だから何?
私の言っていることが間違っているかい?

ポツダム宣言の調印って言ったら、宣言を作成した連合国の署名の事を指すと思うよ。常識のある人間ならね。
日本は宣言された方だから署名はせんだろう?笑

>また、終戦の日を8月15日としたのは、~

8月15日は終戦の日であることに私は否定をしていない。
長々と丸写しする必要性が判らないが?

>要するにソ連としては、建前上は1945年9月2日を持って終戦締結とはなったが、ソ連の実質的な戦争状態の停止は1947年まで続いているということにもつながる。

で君は、日本の終戦(敗戦)日をシベリア抑留者が全員帰ってきた日や、横井さんが返ってきた日にしたいの?
もう一度書きます。
「それじゃ式典等の行事をしずらいから、日本では或る一定の社会的合意を得て日が定まっている。
それが8月15日が終戦の日であり~」

また、君が書いたのは「現実にはソ連の戦闘行為は続いています。 」だよ。
「戦闘行為」だ。
「戦争状態の停止」が1947年だと仮定しても抑留は「戦闘行為」ではないよね。
すり替えなんてみっともないですねぇ。

それにシベリア抑留は不法行為と評価されていたはずだが?
戦争が「終わった」のに捕虜を返さないとしてね。
つまり認識は既に戦争は終わったことであるという証明だろう?

2014/08/20 (水) 02:30:35 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

>敗戦記念日を9月2日としていた時期は、戦後しばらくあったのは事実だけどね。

敗戦記念日ではないが、「敗戦の日」は9月2日だと教科書に記載されているよ。今でもね。笑
君は「終戦記念日」と「敗戦記念日」、2つ設ける必要性はないと記してたよね。
既に別の日が「敗戦の日」として定着しているのに、「敗戦の日」と「敗戦記念日」の2つ設ける必要性は?

>この認識は間違い。第一次大戦以降はこの形が多いが~現実には局地的戦争に他ならない。

そうねアメリカが反米テロリストを国境を越えて抹さつするために作った定義だね。
まあそれを君が肯定し、アメリカの尻を舐めるとは思わなかったよ。
で、時代によって定義は変わるんだよね?
じゃぁ、1940年代を中心に行われた戦争には当てはまらないよね?
横田昭一さんには当てはまらないよね?
またそれはあくまでも説であり、一般的な合意は得られておりません。
それが法学者の間での多数を占める見解であることの証明もくれぐれも忘れずに頼むよ。(笑


>君の主張は一体どこにあるのかな?
戦没者を追悼する日だから「敗戦」という言葉を使ってはいけないという理由を明確に記述せよ。

君は小学校の時先生から「 ひとのはなしはよくききましょう」って言われなかったかな?

「8月15日の「終戦記念日」とは俗称であり、正しくは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。
祈りの日です。
亡くなられた方の為に祈ってください。
薄っぺらい知識で政府批判をするのは9月2日の敗戦の日にしてください。 」

①8月15日は祈りの日である。
②祈りの日には論争などせず、静かに祈れ。=論争したきゃ別の日にしろ。
③敗戦の日は既にあり9月2日である。

ということだ。
既に書いたが「敗戦の日」っていうのは既にあるんだ。
心の中で使うのはともかく「終戦」と言う人が欺瞞と言われる筋合いはあるのか?敗戦の日を2つ作る必要性を明確に記述せよ。

2014/08/20 (水) 02:34:19 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

>少なくとも「敗戦」を使用してはいけないというのであれば、終戦記念日を8月15日と決めた日本政府の対応にも疑問を投げかけるべきだろう。

終戦記念日っていうのは俗称だって何度も書いただろう?
政府が決めたわけじゃない。

>9月2日を「敗戦の日」とするのであれば、なぜ8月15日が終戦記念日でないといけないとするのか?

終戦の詔勅が出された日だからだろう。
そのインパクトが強いから正式の戦争終結日(敗戦の日)を差し置いて式典等が開かれている。
いけないと思うのならやめりゃいい。
政府に関係なく自分たちで式典を開くもよし、政権党になって別の日に開くもよし、好きにやればいい。
8月15日を敗戦記念日と呼んでもいいよ。・・・ただし個人の心の中ではね。
それを是としない人間を「欺瞞」と呼ぶことに反対しているのだ。

君が人の文章の中身をまるで読んでいないことが分かったよ。
君なら少なくとも10回は読んでから落ち着いて返答してくれるかな。
出来るものならね。笑

で、君の方の主張は一体どこにあるのかな?

あと、あんまりコピペを多用しないでくれるかな。
読むのが疲れるよ。

2014/08/20 (水) 02:40:17 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

山下大将

山下大将が「まだ戦争は終わっていない」と言ったように、当時の意識では敗戦という考え方はなかったのではないだろうか。そこでこの「終戦」という表現が用いられたのではないだろか。

2014/08/20 (水) 03:28:45 | URL | ファントム #- [ 編集 ]

山下大将様

私は「敗戦」という考え方はなかったとは思いません。
「敗戦」したくなかったと考えています。
将兵は「敗戦すれば天皇陛下に危害が及ぶ。」
それを避けるためには「負けるわけにはいかない・・・たとえ全国民が命を落とそうとも・・・」と考えていたと想像します。
だからこそ、終戦の詔勅も負けたという事を直接には書いていない。
いや書けない。軍が暴走する危険があるから。
愚者はそれを負けを隠した欺瞞と罵るだろう。
しかし「陛下の為に」と日本軍内で殺し合いが起きるのを防ぐためには(実際、玉音放送時にそのレコード盤が奪われかけたという事件がありました。)、あるいは軍令を破って連合軍を攻撃しポツダム宣言の不履行として戦闘が継続すれば、多くの国民の命がまた失われる。
その失われる命を惜しむ気持ちが「敗戦」の詔勅ではなく、「終戦」の詔勅になったのではないかと思います。
あくまでも想像です。かなりひいき目ですがね。笑

2014/08/20 (水) 04:18:03 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

やっとまともな根拠が出てきたな。

天皇陛下の玉音放送は終戦詔書であって、敗戦という言葉は使用していない。

この事を根拠として終戦記念日でよいという論理ならわかる。

なお、正式にはと、ぴかちう君が主張している名称は閣議決定のものでその日時が、終戦後かなりたってからということに気づけるだろう。
なお、終戦記念日とは閣議決定されたものだけをさすのではない。これをイコールだと考えることに間違いが始まる。
各地で行われるさまざまな慰霊祭や行事が行われる総称として用いられている。

ここでひとつ考えるべき点を指摘しておく。同じ大日本帝国軍人でありながら、日露戦争、日清戦争の戦没者については国が費用負担をして行う戦没者慰霊祭はないということだ。
本来ならば、第二次世界大戦の戦没者だけでなく祈りを捧げるのが筋ではないのか?

財政上の苦肉の策が、この閣議決定には存在する。

それは、降伏文書で軍の存在自体が喪失したことにある。

軍がなければ当然軍事予算はない。

そこで支出の名目を作り出したという部分がある。

これはすべての軍事行動に関与した民間人も含まれるように工夫されたのが先に紹介した資料の中にある。

この閣議決定にしても、当時は政教分離の原則に抵触するとして一悶着あった。

神道のみが対象で寺は対象外だったからだ。

2014/08/20 (水) 07:47:26 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

コピペ君へ

そんなことかいてる暇があるのなら、まず自分に出された宿題を提出しなさい。
話はそれからだ。

2014/08/20 (水) 08:16:12 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

敗戦の日

高校の大部分の教科書では、9月2日を終戦の日としている。

小中は8月15日を終戦の日としているものが多い。

この違いは視点の違いから来る。

小中は国際的な見方ではなく、国内的な見方を中心としている。
高校は国際的な見方を中心にしているため、条約締結日や批准日を公的な日時として扱っている。

なお、現在、敗戦の日(または敗戦記念日)という言葉で呼ばれる日時は一般的にはみられない。

従って「敗戦の日は別にある」という主張は個人の見方としてはあり得るが、一般的とは言えない。


2014/08/20 (水) 08:34:46 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

割りコメですが

ぴかちうさんの最初の発言にあった「薄っぺらい知識で政府批判をするな」、自分とは意見や姿勢が違う人に対しては、「薄っぺらい」という言葉で揶揄しても構わないという攻撃的な姿勢が見えたからこそ、バルタントモゾウさんも反応して、今の展開になったかと。反論があれば言ってもいい、しかしそこに揶揄や皮肉を絡める必要はない、常識をわきまえた人ならそう考えることでしょう。

ただ、ぴかちうさんは「相手の問いかけに鸚鵡返しで応える」という手法になり始めているように見えます。なお、余計なお世話ですが、「まず自分に出された宿題を提出しなさい。 」→文章が変に見えます。「まず自分に出された宿題に答えなさい」じゃないでしょうか?相手の呼称を「コピペ君」にしちゃったのもどうなんだろう。

2014/08/20 (水) 08:46:50 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

まずは君からだよ

先に出題をしたのは私。
君は白旗をあげたきりだよ。(笑)

終戦の定義すら記述できないのではダメだよ。

宗教戦争や民族戦争も戦争の定義の中に頭にないのでは無理なんだろうけどね。

君は答えられないから私に振替しただけだから、答える必要はないね。

コピーアンドペーストは根拠の提示だよ。

君のは持論だけで公文書による根拠の提示がない。

コピペは君のためだけにしているのではないよ。(笑)

わたしが相手にしている真の対象はロムしている人たちで、どちらの論理が合理性があるのかの判断材料を提示しているんだよ。

2014/08/20 (水) 08:49:41 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

私的情報

山中貞則元防衛庁長官は私の父の又従兄弟。

2014/08/20 (水) 09:06:50 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

TAO #R6DZAwZw さん、コピペ君へ

>先に出題をしたのは私。

「いずれにせよ、9月3日以降の戦闘を記したものを提示してください。 」08/18 10:41:50

この質問が質問の始まりと思うが?
コピペ君はすり替えただけで答えてないよね?

そしてその返答の中で初めて
「再度訪ねよう。 君にとっての終戦の定義はなにか? 」と書いてあるが?
そして終戦の定義への質問に対して、「大東亜戦争の終戦なのか。 国民の精神的終戦なのか? 領土拡張への戦いの終戦なのか? 終戦詔勅における終戦の意味なのか? 」と質問内容の確認をしたが応答はなかったが?

そして次は
コピペ君の「君の主張は一体どこにあるのかな?
戦没者を追悼する日だから「敗戦」という言葉を使ってはいけないという理由を明確に記述せよ。 」だよ。

私の主張は既に1回目の記述で書いてあるし、理解力の乏しい人間にもわかるように08/20 (水) 02:34:19 に再び回答はしているが、都合の悪いものは目に映らないのかな?

そして私は「違うというのならなぜ「終戦」と呼ぶのがいけないのかを記していただましょうか?」
「敗戦日というものが他にあるのに8月15日を敗戦の日と呼ぶ必要は? 」と 08/20 2:27:27 に問いをはしているが返事はないが?

更に次は「終戦記念日」と「敗戦記念日」2つ設ける必要性はないとの発言に
「必要性の問題かね?」と疑問を呈したが見事にスル―されたのだが?

また上記発言と関連して「既に別の日が「敗戦の日」として定着しているのに、「敗戦の日」と「敗戦記念日」の2つ設ける必要性は? 」とも質問しているが答えはないが?

国家間以外の戦争の定義が大東亜戦争に当てはまるか否かを問うた(08/20  02:34:19 )が返答はないが?

08/20  02:34:19「心の中で使うのはともかく「終戦」と言う人が欺瞞と言われる筋合いはあるのか?敗戦の日を2つ作る必要性を明確に記述せよ。」と書いたが返事はどこ?

TAO #R6DZAwZw さん、コピペ君違うかな?
どっちが返答から逃げ回っているのかな?
寝言は睡眠中にお願いします。

2014/08/20 (水) 09:58:14 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

コピペ君へ

>終戦の定義すら記述できないのではダメだよ。

終戦って大雑把な言葉だけで定義できるの?
すごいね~

精神的な終戦、法的な終戦、経済的な終戦
その他にもいろいろあると思うが?
それを纏めて定義すると極めて単純になり意味をなさないと思いますが、出来るとはすごいね~
出来るのなら、この件に関しては私は負けを認めましょう。
どうぞ発表なさってください。笑
まさか自分に出来ない事を他人に求めてるわけじゃないでしょうからね。
さあどうぞ。笑

>コピペは君のためだけにしているのではないよ。(笑)

で、それは私の主張も理解できず勘違いした方向だったよね?笑

2014/08/20 (水) 09:59:56 | URL | ぴかちう #- [ 編集 ]

敗戦て・・・

敗戦は「記念」するものではないと思います。

2014/08/20 (水) 10:16:49 | URL | おすく #- [ 編集 ]

政府が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と命名したから

①8月15日は祈りの日である。
②祈りの日には論争などせず、静かに祈れ。=論争したきゃ別の日にしろ。

っていうのが、いやはや何とも。。。
こういう自分勝手さ(とはご本人は思わないのでしょうが)、本当に気味が悪い・・・。

国の過去を一人ひとりが自分なりに考え、どう発言し、行動するか。
そこに多様さがあってこそ、日本は戦争を本当に受け止めていると言える、と私は思いますがね。


2014/08/20 (水) 10:20:07 | URL | バジル #- [ 編集 ]

バジル様へ

>こういう自分勝手さ(とはご本人は思わないのでしょうが)、本当に気味が悪い・・・。

気味が悪いですか
じゃあ
「8月15日の「終戦記念日」とは欺瞞的な表現であり、正しくは「敗戦記念日」です。」
と自分勝手に終戦記念日をこき下ろすことはいいのですか?

>国の過去を一人ひとりが自分なりに考え、どう発言し、行動するか。
そこに多様さがあってこそ、日本は戦争を本当に受け止めていると言える、と私は思いますがね。

国の過去を一人ひとりが自分なりに考えるのは大いに結構です。
心の中ではね。
だがその自分一人の考えで他人を「欺瞞」と発言し貶めることが私には認められない。
だから、あえてブログ主を自分なりの考えで「薄っぺらい知識」と揶揄しているのですよ。
多様さを認めず終戦記念日を敗戦記念日と呼ぶのが正しいと主張するブログ主に反発しているのですよ。

2014/08/20 (水) 10:37:19 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

「終戦記念日をこきおろす」って、どういうことなのでしょうか?
どういう名前で呼ぼうと、戦争を考えることに違いはなく、私はブログ主様が「終戦記念日をこきおろしている」とは思わない。
あなたが叫んでいることは、ただブログ主様とのイデオロギーの違いにしか見えません。

私はブログ主様ではないので代弁はできませんが、おすくさまが「敗戦は記念するものではない」と仰る、その感覚こそを「欺瞞」と表現されたのではないですか。
「英霊に敬意を捧げ・・・」などと口先で言うより、本当はもっと痛いことではないか、という。

>心の中ではね。
だから、なぜ「心の中」なの^^
ブログ主様は「あなたも『敗戦記念日』と呼びなさい」とは言っていませんよ。
あなたの「静かに祈れ、論争したけりゃ別の日にしろ」とは違ってね・・・。

2014/08/20 (水) 10:53:08 | URL | バジル #- [ 編集 ]

度量

ぴかちうさん、もう少し落ち着かれてはどうでしょうか?

まずは相手のハンドルネームをきちんと認識して下さい。私は「TAO #R6DZAwZw」じゃないですよ。ぴかちうさん自身も「ぴかちう #uYRd4Z.Q」と表示されているのを見れば分かると思いますが、正しくは「TAO」ですので、よろしく。

自分としては、ぴかちうさんの究極の目的が議論自体でなく、自分に噛みついたバルタントモゾウさんを論破or屈服させたいということであればご自由にどうぞ、というところですが、どちらにより理があるかは、お二人が決めるのでなく、ここをROMしている第三者がどう判断するか、です。

バルタントモゾウさんとのお世辞にも紳士的とは言い難い議論(?)がどう着地するかは分かりませんが、まずはぴかちうさんの「薄っぺらい」という失礼な表現をブログ主の片割月さんにわびるべきかと。ぴかちうさんも「あんたこそ薄っぺらい」とやり返されて不愉快になったのであれば、自ずと分かることと思いますが。

そもそも、ブログ主の主張に反論するのに、揶揄や皮肉が本当に必要ですか?反論するにしても最低限のマナーを守るべきじゃないですか?自分の気に入らない相手に対してなら、悪態をついていいのだとお考えですか?

議論することと、悪態をつき合うこととは違いますね。相手をハンドルネームでなく「コピペ君」と呼び捨てるのも、立派な悪態だと思います。

2014/08/20 (水) 12:13:44 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

関東大震災

>片割月さん
もし9月1日の関東大震災を取り上げることがあるのでしたら、ここまでの流れを考えると朝鮮人(中国人も含む)虐殺にも触れざるを得なくなるでしょうね~また不穏な空気になるかな?

ちなみに、両国にある東京都慰霊堂にはたまにお参りに行っています。

2014/08/20 (水) 12:17:00 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

主にバルタントモゾウさんへ

このまま議論を続けても、きっと平行線でしょうね。

「歴史学者の間での多数を占める見解であることの証明」という言葉をバルタントモゾウさんは使われました。
専門家でさえ意見が分かれているということを、バルタンさんはご承知なのですよね?
なら多様性について理解があるべきではないのですか?
どうもあなたのコメントを読んでいると、まず結論ありきで自分の主張に都合のいい記事をより集めしているように感じられますよ。
それは歴史を語るうえでフェアな姿勢だといえるのでしょうか。
あなたがしたいのはディベートではなく、自分の主張の押し付けですよね。

いつも思うのですが、あなたはこのブログ様の何なのですか?
片割月さまのように自分のブログで主張をするのは自由ですが、人様のコメント欄を荒らす(私にはそうとしか思えません。片割月さんがそれでいいと思っていそうのなので今まで黙っていましたが)のはルール違反というものではないでしょうか。
他人の褌で相撲を取っているようなものでしょう。いくらご自分のブログに人が寄ってこないからといっても。

あなたに聞いてみたかったことがあります。
私はナショナリスト(国益主義者)にはなるまいと考えております。国家の品格を著された藤原正彦さんの言葉を借りるなら、私はパトリオット(祖国愛者)を目指しております。そしてそれはナショナリズムなしでも語れるし伝わると信じたい。そう考えております。

バルタントモゾウさん、あなたにパトリオティズム(祖国愛)はありますか?



バジル様、お父様の体験談をありがとうございました。
読んでいて生き証人の言葉は違うなあ、と感じました。

そして皆様、長文失礼しました。

2014/08/20 (水) 12:36:36 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

禁止ワードで一部を投稿することが出来なかったのですが、何で引っかかったのでしょうか。
もしかして、私自身がアク禁にされてるのかな。
だったらすみません(汗)。

2014/08/20 (水) 12:52:40 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

正直に、率直に

「終戦記念日」と呼ぼうと、「敗戦記念日」と言おうと、
この日には、日本人みんなしみじみそれぞれ、いろんな思いを噛みしめるわけで、

ひとによっては、亡くなった方、多くの者をうしなった方のこと、およびその経験を忘れまい、と思いを強くする日であることも、

ひとによっては、なぜこんなにも多くの犠牲者を生む戦争をそもそも始めてしまったのか、そうならないようにするため、これからどうしたらいいか、反省する契機となる日であることも

それぞれあると思います。

そういったことを全部前提として、「敗戦記念日」と呼べない、呼ばないようにした、という判断は、私は正直に、率直に言うと呑みこめるのです。

ただそう呼ぶひとがいても、いいと思います。

あと、「薄っぺらい」という表現ですが、こういう公開のブログの議論のなかで、そんなに非礼でタブーな表現とは思えないんです。

このブログのなかでも、ブログ主に対しても、他のユーザーに対しても、それ以上に失礼で、傍目で読んでいて、あんまりじゃない?と不愉快になる表現がなされているのを目にすることがあって、すみません、ちょっと書かせていただきました。

おすくさんの提示された「記念日」という言葉の用法、わりと興味あります。
英語でも9.11もanniversaryという言われていて、それを記念日と訳していいのかとか。記念日って、心から想う、っていう意味なんでしょうかね。

2014/08/20 (水) 14:03:52 | URL | TAMAMI #s7zQWtIk [ 編集 ]

ゆきめ様

私から見ますとコメント欄を荒らしているのはぴかちう様も同じではないかと思うのですけど。あえて言わせて頂くなら。バルタントモゾウ様に苦言を呈するのも結構ですけど、一方だけ責めるのはアンフェアじゃないですか?

2014/08/20 (水) 14:14:29 | URL | 遥 #mQop/nM. [ 編集 ]

アンフェア。
この記事に限っていえばそうですね、すみません。
全部読みきれているわけではないのですが、バルタンさんの方はいつもこんな調子なので一言言いたくなったのです。

2014/08/20 (水) 14:32:36 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

ゆきめ様

ゆきめ様が、私が思っていることをそのまま代弁されていました。ここで、バルタンさんに苦言を呈することはとても勇気が必要です。それをなされたので、すごいな、と思いました。

2014/08/20 (水) 15:54:53 | URL | TAMAMI #s7zQWtIk [ 編集 ]

ゆきめさんへ

>「歴史学者の間での多数を占める見解であることの証明」という言葉をバルタントモゾウさんは使われました。
専門家でさえ意見が分かれているということを、バルタンさんはご承知なのですよね?<

当然承知の上で投げかけています。
同じ事が終戦記念日と呼ぶか敗戦記念日と呼ぶかについても言えるからです。

片割月さんは記事の中で、敗戦記念日と呼びたい理由を書いています。
けれどもぴかちう君はその理由はなく「正しくは」と閣議決定の物を持ち出しています。

たとえば秋分の日というのは法律で決められているのでも閣議決定で決められているのではありません。

同じように終戦記念日というのも、法律で呼び名が決められているのではありません。

彼が「正式な呼び名はこれだ」とするのは 何の根拠もないわけです。
日本国内での関連行事を行う日に対して総称として定義されたものであり、閣議決定のものは戦没者慰霊祭を公的行事として扱えるようにしただけなのです。

だからこそ彼に最初から終戦に関しての彼の定義を尋ねています。
学者や学会の議論ではなく彼がなぜそう考えるのかの理由をたずねているのです。

おそらく片割月さんの中では、
終戦の日=玉音放送の日=敗戦の日
という理解から出発したものだと考えます。

これは国際的な慣例による条約とは関係のない多くの日本人の受け取り方だと考えられます。

玉音放送の題名に「終戦」と使った理由はさまさまあるでしょうが、現実には敗戦勧告を受諾した事実を翻せるものではないのです。

8月14日に連合軍に対してはポツダム宣言の受諾を通知しています。

ここから9月2日までは事務上の事後処理であり、契約社会である欧米としては、調印が締結された日とするのはおかしくはありません。

けれどもその感覚とは日本人は違うからこそ、後日になってから8月15日を終戦であり敗戦である日として、9月2日を敗戦の日として公的に呼ぶことをしなくなったのです。

これは、一部の戦争を美談化して正当化したい人たちの思惑も絡んでいます。

「自分の身内が上の命令で命を落としたのに犯罪者扱いされるのは理不尽だ。そのことで自分たちが肩身が狭い思いをするのも理不尽だ。すべては上の命令に従っただけなのに」という感情は必ず生まれます。

その感情を救うためのものではあるのですが、かといって行為そのものを正当化するにはいたらないということです。

それを忘れないようにするのには敗戦という言葉を使用すべきというのが、片割月さんの記事の意図のはずです。

ところが、ぴかちう君は自らの論拠も示さずに「薄っぺらい知識で政府を批判するな」としています。

だから、「それでは君の知識を深さを調べさせてもらおうかな」ということからコメントをつむいでいます。

深く知れば知るほど、「これが正しい」とはいえないのがわかるはずです。

日ソ間の戦闘行為に関しても同じです。
彼の定義は火器を持ってどんぱちするのだけが戦闘行為だとみなしているようですが、戦争状態で起こるすべての行為が戦闘行為なのだという見方もあるということです。
捕虜収容というのは立派な戦闘行為のひとつです。
だからこそ先に紹介した資料にあるように戦争終結後速やかに捕虜は開放することと決められたのです。
この文章もシベリア抑留者を開放しないソ連に対して日本がアメリカを通じて世界に働きかけて明文化されたものだったはずです。(以前の条文を確認していないので断言はできませんけど)

この点においてソ連はサンフランシスコ講和条約にも調印していないので、日本とソ連との戦争状態は日ソ国交正常化の日まで継続していると見るのが、多くの歴史学者の見方です。

議論をする際にお互いの立地点を確認するのは普通のことです。

持論の展開だけでは収拾はつきません。
ましてやその根拠が示されないとなれば、話のもっていき用がないということです。

彼は9月2日を「敗戦の日」とするのは国際的な慣例を優先しているからと推測しています。

であるならば、日ソ間の戦争の二国間終結は9月2日にはなされておらず、ソ連がここに名を連ねたのは戦勝国としての権利を保持するためだけだということにあります。

したがって、9月2日以降も日本とソ連の間には戦争状態が続いており、その中で行われる行為はすべて戦闘行為だとみなせるということです。
この見方に対しても異論があるのは承知の上で書いています。

戦争の終結という点においては日本の主権の回復を認めたサンフランシスコ条約締結の日とするのが歴史学的な見方の大半です。

その意味においては終戦の日はサンフランシスコ平和条約の発効日の1952年4月28日を主戦の日とするべきという見方もあるのです。

条約締結の日を基準にしても、議論が分かれるところなのに、彼は自分の主張こそが正しいという姿勢だから、あえて突っ込んで問いただしているのです。

こういう議論を荒れていると思われる方はそもそもこの手の話題には参加をすべきではないでしょう。

「なぜそうなったのか?」を追求せずして、この問題について深い議論はできないからです。
それはどちらが正しいという白黒を決めるのではなくj、、どちらの論理が自分にとって受け入れやすいかというだけの話です。






2014/08/20 (水) 16:17:58 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

連帯プレー?

TAMAMI様
私としては、「薄っぺらい」を問題視しない方に疑問を感じます。タブー云々以前の問題です。
それにバルタントモゾウ様の方をことさら批判するのも妙な動き方だと感じます。あくまでも個人的な感想ですけど。

2014/08/20 (水) 16:27:21 | URL | 遥 #mQop/nM. [ 編集 ]

追記

>いつも思うのですが、あなたはこのブログ様の何なのですか?<

この部ログの創設以前からの知り合いですよ。

>片割月さまのように自分のブログで主張をするのは自由ですが、人様のコメント欄を荒らす(私にはそうとしか思えません。片割月さんがそれでいいと思っていそうのなので今まで黙っていましたが)のはルール違反というものではないでしょうか。<

過去の片割月さんのコメントをよくお読みください。その中に回答があります。

>他人の褌で相撲を取っているようなものでしょう。いくらご自分のブログに人が寄ってこないからといっても。<

この一文はいりませんね。

記事の更新をしていないから訪問者が減っているだけです。

それでも過去記事を読みに、更新されていないかを確かめに毎日200人以上は身に来てくれています。

このような一文を加えることはあなたの意図が別にあるとかんぐられる元になりますよ。

少なくとも私はそう受け取ります。(笑)

祖国愛とは何でしょうか?

あなたの考える定義を明確にしてください。
日本人によくある間違いなのですが、国境線を海で仕切られているので、自分たちの考えが世界にも通用する、他人にも通用するという勘違いをしている方が大勢います。

同じ日本人同士でもここの考えている定義自体が微妙に違います。

自然科学ではどんな人にも同じ事が通用するものを定義としています。

私とコメントをやり取りしたいのであれば、まずはあなた自身の定義を明確な文章化してください。

概念論、抽象論ではすれ違いが生まれます。

違いがあることを認識し、どこに違いがあるのかを明確にする。

この姿勢がもてない人は私に対してコメントを入れないほうがいいですよ。

2014/08/20 (水) 16:34:06 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ぴかちう君へ

2014/08/18 (月) 22:58:39 ぴかちう君の投稿の中で

>それゆえ「終戦記念日」と言うのは欺瞞だという貴方の主張は成り立たないのですよ。
自分の主張を忘れましたか?<

という記述があります。

この記述が正しいのかそうか皆さんご確認願います。
私のコメントにはそういう言葉はないはずなんですけどね?

>いいですか、日本が「負けました」と言ったからって戦争が終わるわけではありませんよ。
終戦(停戦・休戦)協定に署名するまでは戦争は続いております。
もう少し戦争の事を勉強してください。 <

と彼は記述しています。

だから彼個人の見解としての終戦の定義をたずねています。
そしてこの一文の存在こそが日ソの間で戦争は9月2日以降も続いているといえるのです。
こういうのは墓穴を掘るといいます。(笑)
国際慣例を基準とするのであれば彼のほうがもっと勉強をすべきだということです。

2014/08/20 (水) 16:50:07 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタンさん

定義も何も、祖国愛は祖国愛、自分の国を愛する心ですよ。
日本語が通じないことにびっくりです。

今仕事の休憩中なので時間がなくてこれぐらいしか書けません。
ご容赦下さい。


2014/08/20 (水) 17:48:23 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

ゆきめさんへ

日本語は曖昧さが特徴です。
だから基本的に議論には不向きな言語です。
お互いの言葉に対する認識の違いの確認は「私はこう思うから相手もそうだろう。」という思い込みは通用しません。

この手順を嫌う人はあなたのような逃げ方を使いますね。

あなたが当然だと思っていることが私にも当然だとは言えないのです。

だから、明確にあなたの基準を記述することをお願いしています。
祖国愛とひとくくりにすることは簡単です。けれども、置かれた状況によって各人の取る行動は変わります。

あなたが祖国愛という言葉に対して、どれだけ具体的な行動をイメージして思索しているのかを判断する試金石です。

実際に、明確な文章化を目指すことがより深い考察に繋がります。
「日本語が伝わらない」というのは怠け者の逃げ口上でしかありません。

まずは、明文化する努力をしましょう。

2014/08/20 (水) 18:05:45 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

帰属意識と自己救済(祖国愛についての一考察)

祖国愛というテーマが出ましたので、自分の立場というか考察を述べさせて頂きます。ドイツの教育者にして神秘主義者であるルドルフ・シュタイナーにかなり影響されています。

故郷喪失者というのは、偉大な人類の法則を認識し、把握するときに、民族が生きる場所から発するものすべての影響を受けない人間のことです。故郷喪失者というのは、故郷から発する特定の感情や感覚のニュアンスを交えることなく、人類全体の偉大な使命を受け入れる人のことです。このことから、神秘的-神秘学的な進化のある段階において、自由な視点を持つ必要があることがおわかりいただけると思います。個々の民族精神の使命として、民族の土壌から、民族の精神から人類全体の使命に具体的に寄与するという偉大な行為に対しても、自由な観点を持つ必要があるのです。故郷喪失者は、そのような偉大な行為から自由にならねばならないのです。太古の時代から今日にいたるまで、いつの時代にも故郷喪失者はいます。彼らは、故郷喪失というあり方が人々からはごくわずかしか理解されないことを、いつも知っていました。故郷喪失者に対しては、次のように非難されました。「おまえたちは、民族の母なるなる大地との関連をすべて失った。おまえたちは、人間にとってもっとも大切なものを理解していない。」そうではありません。故郷喪失者というのは、ひとつのまわり道なのです。故郷喪失という聖地にいたったあとで、民族の本質に帰る道を見出し、人類進化において土着のものとの調和を見出すためのまわり道なのです。
ルドルフ・シュタイナー「民族魂の使命」(イザラ書房 P13-14)


シュタイナー研究者として著名な高橋巌氏は、『現代の神秘学』(角川書店)にてこう説明しています。(P72-P73)

シュタイナー思想の民族や血族共同体についての考え方の、非常に特徴的な点は、こういう事なのです。つまり、私達の一人一人が、もし、この共同体を、自分を救済してくれる場所だと考えるとすると、民族の問題は国家権力と結び付く。むしろ、私達が自分からそこに自分の力を流し込もうとする事が出来れば、民族の問題は、神秘学の最高の課題となるということなのです。
-略-
シュタイナーの言いたかったことは、民族を自己救済の手段にはしない、ということです。


シュタイナーのオカルト論は大部分がトンデモ系なのですが、民族の意味、民族魂に関するこの考察には大分感化されました。

具体的には、外国生活を体験して日本は快適だった、良かったと気付くことはよく聞く話ですが、「やはり日本が一番」という判断停止に陥ってしまうと、日本人である以上に人間としての思索に深みも広がりも出ないということなんだと思います。

「日本人なのだから日本を愛する」愛し方は間違ってはいませんが、盲目的で未成熟な愛に留まってしまう危惧はいつもあります。「神国日本の民」であるということに酩酊する主観的な愛によって民族エゴイズムの罠に陥るのではなく、全人類的な観点から日本を見て、日本に客観的な愛を注ぐということです。

私にとっての祖国愛というのは、民族を自己救済の方法にしないで(でないと、他民族への謂われなき優劣意識や差別意識に陥ってしまう)、自分の血肉を育んだ土地への感謝を忘れないままに、土着性や地域性の軛(くびき)を離れて思索をより汎世界的に深め、やがて故郷へ各々の実りを還元して行く、そういう行為をなし得る意志のことだと考えています。自然発生的な愛でなく、意志としての愛とも言えるかもしれません。

2014/08/20 (水) 19:40:50 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

記念日

片割月さま、皆さま、こんばんはm(_ _)m

>「日本海軍400時間」が新潮文庫から出ています。

わー、丁度先々週くらいにこの本を読んだところでした!
当時の海軍に関する内容もそうですが、絡まった糸を少しずつほぐすような取材側のドキュメンタリーとしても、興味深い一冊でした。

私は「敗戦記念日」という言葉はなんとなくすっきりしないので自分では使いませんが、それは「敗戦を終戦と言い逃れる欺瞞」というよりは、単純に「記念日」という言葉が「敗戦」という言葉とフィットしないように感じるのです。
「記念」という言葉自体になんとなくポジティブなイメージを想起させられます。

「記念」の意味はニュートラルに
1 思い出となるように残しておくこと。また、そのもの。
2 過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること。

ですから別にネガティブな記念日があってもよいのでしょうが、実際には「結婚記念日」とか「創立記念日」とか、どちらかというとおめでたい事柄に「記念日」がつくように思います。
「サラダ記念日」だって、サラダが美味しいって褒められて嬉しかったから記念日なわけですよね?

日本にとって「終戦=敗戦」なのは動かしようのない事実ですが、「終戦」の方が同じ事柄を「戦争が終わって平和が訪れた」という正の側面から表現しているように感じます。
「敗戦記念日」だと、なんだかヤケクソで自虐的になって負けたことを喜んでみせているかのような印象を受けるのです(これは人それぞれ個人的な感覚だとは思いますが)。

そんなわけで現在「敗戦記念日」よりも「終戦記念日」という呼び方の方がメジャーなのは、かつて撤退を転進、侵略を進出を言い換えた欺瞞とは異なり、単純に「記念日」という言葉との相性なのではないかと思うのです。
「終戦記念日」と表現する人の全てが、敗戦の重みを軽んじているわけではないと思いますよ〜。

2014/08/20 (水) 19:47:42 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

「毎日200人以上は(ブログを)見に来てくれています。」
それは失礼しました。
AVコレクションという項目のあるあのブログにそんなに人が来られるのですか。
単純にびっくりしました。

TAO様、ご自身の見解の明示、ありがとうございます。
勉強になりましたし、ああなるほどなあと思いました。


バルタントモゾウ様、ではもっと定義を明確にしましょう。
パトリオティズムは地縁的な愛国主義。「ナショナリティ」に依らない愛国心のことです。
またパトリオットの定義は自分の国を愛し、守る人の意です。

私の見解といたしましては、私は日本に対する祖国愛のない人に、日本の政治を語ってほしくありません。
少し左寄りな人であっても、根底に祖国愛があるのならまだわかります。
少しでもこの国を良くしようと考えたうえでの行動ととれなくもありませんから。

もし日本に住んでいて、あるいは日本に住んだことがあって、それでも祖国愛を持つことができない日本人がいるのならば、「そんなに日本が嫌いなら、日本を出て外国で暮らせばいいじゃない」とすら思います。

生活保護を受けている人のように、やむなく日本にとどまらずおれない人は別ですよ。
でもあなたはそうではない。
少なくとも、時間には余裕があるわけでしょう。
これだけ頻繁にコメントを書いているわけですから。

一口に日本人と言っても、帰化人や、両親祖父母のいずれかが外国人の方、移民など、いろんな方がいらっしゃいますよね。また外国籍を持つ在日外国人をも日本人に含める人もいるかもしれません。

そうした方たちに対しても、私は日本に住んでいる以上は日本という国に敬意を払ってほしいと考えています。ひとかけらでいいので。

それと印象論を言ってもよいのなら、私からも一言。
あなたと論争した人の多くはあなたに「辟易して」あなたのもとから去ったように思います。
あなたはご自分が論争に勝ったと思っているのでしょうが、そうではありません。
相手があなたの頑迷さに「議論する価値なし」と思われたというのが一番真実に近いと思われますよ。

最後に。
それで、あなたは日本に対する祖国愛を持っているのですか?
この質問にはぜひともお答えいただきたいものです。

2014/08/20 (水) 22:51:20 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

ゆきめさんへ

前の投稿で

〉祖国愛とひとくくりにすることは簡単です。けれども、置かれた状況によって各人の取る行動は変わります。

あなたが祖国愛という言葉に対して、どれだけ具体的な行動をイメージして思索しているのかを判断する試金石です。 〈

と記述しました。

残念ながら、具体的にどんな行動が祖国愛があるとあなたが見なすのかは説明がなされていません。

観念論、抽象論の議論はしません。

TAOさんとはできてもあなたとは無理です。

借りてきたお仕着せの言葉でなく、貴方自身の考えで述べてください。

カタカナを使えば良いというものじゃありません。

英和辞書の訳のような説明は求めていませんので悪しからず。

2014/08/21 (木) 01:39:56 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ゆきめさんへ

>パトリオティズムは地縁的な愛国主義。<

地縁的とはどういう意味でしょうか?
郷土愛という意味なのでしょうかね?

愛国主義にもいろんなレベルや考え方があります。
ナチス・ドイツに見られた排他的な愛国主義。

国を愛すというのが、その風土を愛すのか、その国の経済体系を愛すのか、その国の政治体系を愛すのか、その国の文化背景を愛すのか、その国の一般的な庶民の性格や生活スタイルを愛すのか?

ちょっとあげただけでも、いろんな形の愛国主義が考えられます。


>「ナショナリティ」に依らない愛国心のことです。<


民族主義に走らないということでしょうか?
ナショナリズムとナショナリティは言葉は似ていますが、ナショナリティの考え方はかなり複雑です。


>またパトリオットの定義は自分の国を愛し、守る人の意です<

自分の国を守るとは具体的に何を指すのか?

日本語を日常的に使用するのだって日本の文化を愛しているともいえます。
いすを使わずに正座を好むのだって日本の伝統文化を好み愛しているといえます。


>でもあなたはそうではない。
少なくとも、時間には余裕があるわけでしょう。
これだけ頻繁にコメントを書いているわけですから。<

あなたに私の生活のリズムがわかりますか?
今でも夜間工事が続いているので、睡眠時間を削ってコメントを入れているのですよ。

はなはだ失礼なコメントですね。

私は国土を守る仕事をしています。あなたよりもずっと国のため地方のための仕事をしていると思いますけどね。


>そうした方たちに対しても、私は日本に住んでいる以上は日本という国に敬意を払ってほしいと考えています。ひとかけらでいいので。<

あなたの接した外国人がこうだったということでしょうかね?

だとしたらしょうがないでしょう。
類は類を呼ぶといいますから、あなたの心根を反映したような外国人ばかり集まったのでしょう。

私の付き合いのある外国人はそうではないですけどね。
日本語ぺらぺら大阪弁も使えて日本のことを尊敬していますよ。


>あなたと論争した人の多くはあなたに「辟易して」あなたのもとから去ったように思います。 <

ヤフー掲示板から長いこといろんなジャンルで議論をしてきているので、そういう風に感じた人もいるでしょうね。
けれども逆に私の主張のほうが論理的で筋が通っていると賞賛する人も大勢います。
その数の比較は私とあなたと持っている情報が違うのでできませんけどね。



>あなたはご自分が論争に勝ったと思っているのでしょうが、そうではありません。
相手があなたの頑迷さに「議論する価値なし」と思われたというのが一番真実に近いと思われますよ。 <

これは逆ですよ。
私は相手の論理の矛盾点を指摘するだけです。

それは論理の飛躍ではないか?とね。

それにまともに論理で対抗できなくなった人が勝手にやめていくだけのことですよ。

議論に勝ち負けは必要がありません。
そんなことにこだわっているからまともな議論ができないのですよ。
論理の筋が通っているかいないかだけです。
筋が通っていれば、違う考えでも理解ができます。

「自分の価値観だけが唯一正しい。それに異を唱えるほうがおかしい」と考えるパターンの人があなたの言うような末路をたどっているだけです。

いろいろと文章を工夫をされても、この文章であなたがどういうとこをよく読んでいる方かはロムしている人たちは先刻承知だと思いますよ。(笑)

少なくともこちらのブログで論戦した方でそういう形を取られた方は少ないですからね。

そうなると私のブログかヤフー掲示板かほかのブログということになりますからね。

わざわざAVコレクションを出すところが頭かくして尻隠さずですよ。

自然を相手にしているものはわずかな変化や違和感を見逃しません。

正体を隠したいのならもっと上手にやるべきですね。


2014/08/21 (木) 04:39:50 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

個人的にはどちらでもかまわないとは思います。

敗戦記念日の正の側面を考えるなら、この日を契機に天皇制から民主制の国へと変化した日。

敗戦が契機となって新しい日本の形が生まれた日という意味づけはできます。

少なくともその前の軍国主義の時代が敗れた日という意味で敗戦記念日として使ってもいいとは思いますけどね。

軍部でうえの立場にいた人たちには鼻持ちにならない呼び方になるでしょうけどね。

アメリカの原潜の核攻撃を主題にした艦長の責任を問う映画はかなりあります。

日本でも「沈黙の艦隊」という漫画はかなり秀逸なストーリーです。

昔と違い、世界をボタンひとつで破壊できる兵器が数多く存在している中、文民統制とは言えども最終的な実行ボタンを押すのは兵器を扱っている最高位の軍人になります。

文民並みの判断力が必要となります。
上の命令が間違っていても、命令を実行するのかどうか?

軍隊という組織の抱える永遠のジレンマです。
組織統制上は必要なことですが、人道的立場に照らして正しい行為といえるのかどうか?

兵器の威力が強大化すればするほど、実行の最前線にいる人間の責任は重くなります。


ユダヤ人を救った日本軍人
オトポール事件 
アドレスが晴れないのでこの名称で検索してみてください。ユーチューブ
樋口少将ほか

意外な人物の名も登場します。

あと、TAOさんのコメントに少し関連があるかと思うので

ユダヤ人の歴史と機嫌

http://mark-t3963.com/category/yudayajin/

を紹介しておきます。

2014/08/21 (木) 05:09:24 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

頭隠して尻隠さず。
バルタンさんは私のことを何者だと思っているのでしょう……。
AVコレクションも話題にされるのが嫌ならブログに設置しなければいいのに、と思いますが。

定義ということで誰でもわかるように書いたのですが、あなたの意には沿わなかったようですね。

拙い自分の言葉で語るならそうですね。
日本人の場合の祖国愛者は、

日本という国について考えられる人、日本という国が好きな人、他国を侵害・侵略しない上で自国の利益につながることとは何かを考え、行動することの出きる人、でしょうか。

「私の知っている外国人は……」
それはけっこうなことですが、このあたり必要ありますか?
どうも私の言っていることの文意が伝わっていない気がするのですが。
ちなみに私には外国人の知り合いはいません。
類友云々は失礼ですね。
私もあなたに対して失礼なことをいっているようなのでそれはまあいいですけども。

2014/08/21 (木) 05:26:39 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

TAOさんへ

>バルタントモゾウさんとのお世辞にも紳士的とは言い難い議論(?)がどう着地するかは分かりませんが、まずはぴかちうさんの「薄っぺらい」という失礼な表現をブログ主の片割月さんにわびるべきかと。ぴかちうさんも「あんたこそ薄っぺらい」とやり返されて不愉快になったのであれば、自ずと分かることと思いますが。

私はコピペ君の「あんたこそ薄っぺらい」に対しては自ら戦っております。
私はブログ主さんの意見に異を唱え自分の主張を明確にしているのに、この場に出てこない方は、その存在だけに敬意を抱けません。

>そもそも、ブログ主の主張に反論するのに、揶揄や皮肉が本当に必要ですか?反論するにしても最低限のマナーを守るべきじゃないですか?自分の気に入らない相手に対してなら、悪態をついていいのだとお考えですか?

まず自分と違う意見を「欺瞞」ということは、貴方のマナー観ではOKなのでしょうか?

>議論することと、悪態をつき合うこととは違いますね。相手をハンドルネームでなく「コピペ君」と呼び捨てるのも、立派な悪態だと思います。

私が「コピペ君」と言う前に、彼は私に対し、「おバカさん」と語りかけてきていますが、これは悪態ではないのですか?
そもそも、私が当初ブログ主と勘違いするほどに、コピペ君の態度は尊大で他人に傲慢に振舞っていたと思いますが?
他にもそれを指摘する人がいましたよね?

そして貴方の最初の発言
「「まず自分に出された宿題に答えなさい」じゃないでしょうか?」
に対して私は時系列を示して異を唱えたが、貴方は何も答えていませんね。
違うと思ったら反論なされてはどうですか?
相手に間違った非難をしたら謝るのは貴方の「最低限のマナー」には含まれませんか?

2014/08/21 (木) 08:32:52 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

コピペ君へ

>この記述が正しいのかそうか皆さんご確認願います。
私のコメントにはそういう言葉はないはずなんですけどね?

そうこの時は君をここのブログ主と錯覚していたからねぇ
なんせ、ブログ主本人がこの場に現れない上に、彼が他の発言者の意見に応答していたからね。
だから、ゆきめさんも「いつも思うのですが、あなたはこのブログ様の何なのですか? 」と発言なさったと思いますよ。

>だから彼個人の見解としての終戦の定義をたずねています。
そしてこの一文の存在こそが日ソの間で戦争は9月2日以降も続いているといえるのです。
こういうのは墓穴を掘るといいます。(笑)
国際慣例を基準とするのであれば彼のほうがもっと勉強をすべきだということです。

私は終戦の日が8月15日であることを一度も否定していない。
そして9月2日が敗戦の日だと主張している。
更に君は調印後も「戦闘行為は続いている。」と主張した。
であれば訊くべきは「敗戦の定義」ではないかな?
戦争は自分達から仕掛けるものだけでない、相手からも仕掛けられるものだ。
自分たちが終わったと思っても相手が終わっていないと思っていれば戦争は終わらない。
相手に「負け」を認めてもらった9月2日が(法的な)敗戦だよ。
そして9月3日以降の「戦闘」行為があるというなら提示せよと言っても逃げているのが君だろう?
シベリア抑留の件は反論したが、再反論はなかったな?
「終戦の定義」についても大雑把すぎて定義など出来ない。
出来るなら私の負けだって言っても何も返答はないな。
自分でもできないんだろう?
自分が出来ない事を他人が出来ないからって無知扱いするのはどうなんだ?
墓穴を掘るって言葉で自分の方が理解していると「印象操作」をするのは姑息だよ。笑

で、「先に出題をしたのは私。」と嘘をついたことは見事にスル―するのかい?
ゆきめさん相手に傍流中の傍流の意見を書いて他人には知識があるように見せかけるのかい?

まぁ色々話題が錯綜しているし、君の程度は理解した。
これ以上やってもどうせ君はソ連の話に逃げ込んで主題

「8月15日を終戦記念日と呼ぶことを欺瞞といえるのか?」

には踏み込んでこないだろうから、あと1日で去るよ。
「荒し」と呼ばれるのも嫌だからね。
だがもし主題について議論できるなら喜んで応じよう。

2014/08/21 (木) 08:36:16 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

バジル様へ

返答があった気づかなかったので追加

>どういう名前で呼ぼうと、戦争を考えることに違いはなく、私はブログ主様が「終戦記念日をこきおろしている」とは思わない。
あなたが叫んでいることは、ただブログ主様とのイデオロギーの違いにしか見えません。

「欺瞞」呼ばわりすることをこき下ろしって思わないなんて、気味が悪い~

>私はブログ主様ではないので代弁はできませんが、おすくさまが「敗戦は記念するものではない」と仰る、その感覚こそを「欺瞞」と表現されたのではないですか。
「英霊に敬意を捧げ・・・」などと口先で言うより、本当はもっと痛いことではないか、という。

君にはおすくさまの意見が理解できていません。
ののんた様も書いておられますが、「記念」というのは喜ばしいことを思い残すという説もあるからです。
その意味において、「終戦」は記念すべきかもしれませんが「敗戦」は記念するものではないと考えても当然のことです。
相手の話の意味を理解してから批判をされては?
もちろん私の理解も正しいとは限りませんが・・・

>心の中ではね。
だから、なぜ「心の中」なの^^

日本には思想の自由があります。
心の中では何を考えようと自由です。
だが、終戦記念日を「欺瞞」と公言するのなら、「敗戦記念日が正しい」(=終戦記念日は誤り)と口に出して主張するのならそう考えない人から批判されるのは当然の事。
口に出すのなら、その言葉の責任が発生するという事です。
それに対して無言でいることは、責任を放棄したということ。
「無責任」だという事です。

>ブログ主様は「あなたも『敗戦記念日』と呼びなさい」とは言っていませんよ。

「敗戦記念日が正しい」(=終戦記念日は誤り)と言っていますよね。

>あなたの「静かに祈れ、論争したけりゃ別の日にしろ」とは違ってね・

「8月15日の「終戦記念日」とは俗称であり、正しくは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。
祈りの日です。
亡くなられた方の為に祈ってください。
薄っぺらい知識で政府批判をするのは9月2日の敗戦の日にしてください。 」

これが最初に私が書いた文です。
その意味が解らない愚か者が、意味不明の言いがかりをつけてくるから、文意を乱暴に書いたのです。
批判をするのなら、つまみ食いで意見を述べるよりエントリの最初から読んで意見をしてください。

2014/08/21 (木) 10:17:33 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

「敗戦記念日」

「敗戦記念日」というのは、現実的にこの日をそう呼ぶというような問題ではなく、片割月さんが言いたいことの象徴にすぎない・・・それは、記事の内容を読めばわかることだと、私は思うのですけれども。
父の言葉を借りれば「目を背けてはならない、一番辛く苦しいこと」から逃げるなよ、ということです。
片割月さんがこき下ろしているのは、そのことであって「終戦記念日」が対象ではありません。
あなたは、その中身には降りていくことなく、表層的な言葉の問題に終始しておられるようですけれども。

あなたが、8月15日に祈るのも、涙するのも自由です。しかし、繰り返しますが、悼み方は人それぞれであり、あなたに強制されることではありません。
それとも「犬死」を認める父は、戦没者を悼んでないとでもおっしゃるのでしょうか。

2014/08/21 (木) 10:37:05 | URL | バジル #- [ 編集 ]

バジル様へ

長々と書く時間がないので少しだけ繰り返します。
批判をするのなら、つまみ食いで意見を述べるよりエントリの最初から読んで意見をしてください。
そして、他人が書いていることの内容を理解してから意見をしてください。

2014/08/21 (木) 11:03:54 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

ぴかちう君へ

戦闘行為がつづいていたことについては記述済み。

敗戦の定義に振り替えずに終戦の定義を君が答えるのが先だね。

私が先に質問しているのだからね。

敗戦の定義は、敗けを認めた瞬間である。

古来、白旗を掲げた時に敗戦が決まり、そのあとに戦果を決める話し合いが行われる。

降伏文書調印式はあくまでも相手国との外交的な形を示したもの。
外交の観点で終戦記念日や敗戦記念日を語るのなら筋が通る。

日本にとっての終戦と、海外の認識の終戦が同じであればね。

けれども、現実には違う。

だから君の持ち出している論理は筋が違うということ。

8月15日以降日本軍の戦闘は続いているし、連合国の攻撃も続いている。
電気のスイッチを入り切りするように明確な区分はできない。

歴史的にも分かりやすくするための象徴でしかないんだよ。

国内的には政治上、いつを終戦とするかは自由。

その理由はすでにのべている。

君の立場は国内だったり、国外だったり、基準がはっきりしない。

2014/08/21 (木) 12:44:59 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

びかちう様

勝手に自分で期限を1日と設けないで下さい。ブログ主様も止めるようにと言っていないはずです。例えば8月末までバルタントモゾウ様とのやり合いを続けても別に構わないのではないでしょうか?それでしたら、時間に追われることなくじっくり腰を据えて進められると思うのですけど。なお、バルタントモゾウ様は「ぴかちう君」とおっしゃっていますが、ぴかちう様はずっと「コピペ君」を止めませんね。失礼を承認で言わせて頂ければ、「けつの穴の小さい奴」だと思いました。また、ぴかちう様の原動力はどう猛な闘争本能だと思いました。返信されても回答はいたしませんので、悪しからず。

2014/08/21 (木) 13:28:06 | URL | 遥 #mQop/nM. [ 編集 ]

ぴかちう君の間違い

〉「8月15日の「終戦記念日」とは俗称であり、正しくは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。〈

要はここ。
彼が正しい名称と主張しているものは、閣議決定の中身でしかなく、呼称を定めたものではない。

従って「終戦記念日という呼称は俗称」とする論拠は正しくない。
なお、なぜこのような閣議決定がなされたかについては説明済み。
問題点も指摘済み。

終戦記念日は、公費の支出行事にかかわらずすべての行事を含めて呼ぶための通称であり、俗称ではない。

海の日とかみどりの日のように名称を国が定めているのではないので、終戦記念日と呼ぼうが敗戦記念日と呼ぼうが自由。
すべてが正しい。

国の公費支出の行事を最上位と考えることが間違い。

官民平等が戦後培ってきた民主主義の根幹。
これを忘れるものは、過去の覇権主義や帝国主義や軍国主義に陥りやすいことは指摘しておく。

右か左かにかかわらず重心が傾き勝ちなものは、何らかのきっかけで正反対の方向へと転針しがちである。

バランスを保つことが重要。

2014/08/21 (木) 14:43:35 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタンさんへ、追記

日本のことを尊敬している外国人のお知り合いがいて、あなたはそれを肯定的に受け止めているのですよね。
少なくとも文脈からはそう読み取れるのですが。

あなたは祖国愛をお持ちなのではないのですか?
それならそういえばいいのに、なぜここまで話を引き伸ばすのでしょうか。
祖国愛(日本を愛する心)を持っていると公言するわけにいかない事情でもあるのでしょうか。
単純に不思議に思います。

単に議論がお好きなのでしょうか

2014/08/21 (木) 15:23:14 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

戦争終結の手順

戦況が敗勢濃厚となったときに、一軍の将は戦闘の継続をするかどうかの判断を迫られる。
ここで、自軍の敗けを認めて相手に告げて、対抗の意思がないことを示した時点で敗戦となる。
しかしながら、戦線の拡大により、意思の伝達には時間差ができる。
戦場によっては、無線すら届かない場所もあるからだ。
この辺りの事情の理解は、若年者にはわからないだろう。
自動車どころか電力の維持すら高額な費用のかかった時代を想像できるはずがない。


この時間差を解消するのが、終戦手続きである。
その最後を締めるのが、調停式である。

日本の場合は、調印式となったのは、条文はすでに出来上がっていたためである。

海外では9月2日を終戦記念日としている国も多い。

戦勝記念日という名称が使われているかどうかは不明。

戦勝国で終戦記念日としている日に合わせるのなら、9月2日の方が、国際的な見方にそうとは思う。

そして、8月15日は敗戦の日として、戦没者の追悼をしたり、戦争へと向かった是非を考えたりすれば良い。
「一億総祈りを捧げねばならない」と考えるのは、全体主義であり、形を変えたファシズムでしかない。

厳しく批判するなら、嘗てのナチスや日本軍と本質は同じでしかない。

閣議決定の形を取っているのは個人の自由を守る配慮も含まれている。

2014/08/21 (木) 15:46:12 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ゆきめさんへ

どんな行動を持って祖国愛があると言えるのか、具体的に示してもらわなければ判断のしようがありません。

いろんな形が考えられます。

場合によっては武力による革命運動も祖国愛といえるからです。

TAOさんのコメントは、正にそういう事態の想定も考慮してあることがうかがえるから観念論や抽象論でも、お互いの意思を読み違いしにくいからです。けれども、貴方は違うので、具体的な判断基準となる行動の提示をお願いしています。
それがない以上は貴方にお答えするつもりはありません。

2014/08/21 (木) 15:57:43 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ぴかちう君へ

〉そうこの時は君をここのブログ主と錯覚していたからねぇ
なんせ、ブログ主本人がこの場に現れない上に、彼が他の発言者の意見に応答していたからね。〈


確か君は私のことを「人の言うことをきちんと聞かない」とか書いたよね。

この投稿よりもずっと後でね。
それでも、私は不問にしていたんだけどね。
一つずつ遡って、指摘するのは簡単だが、それでは、本題の話にはならない。

少しは大人の対応を見せることだね。

このブログの読者は君が思うよりも遥かに年齢層が高いと思う空、君の論法は通用しないと思うよ。

2014/08/21 (木) 17:06:06 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

上のコメントで他国を侵害・侵略しない上で日本のために行動することと書いたのですが、これではダメなのでしょうか。

質問にお答えいただけないようですので、ここらでしまいにします。


頭隠して尻隠さず。
バルタンさんが私を何だと思っていたのかはちょっと気になりますけどね。

2014/08/21 (木) 17:37:10 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

バルタントモゾウさま

コメントありがとうございましたm(_ _)m
「沈黙の艦隊」面白いですよね。あまりに巻数が多くて途中で挫折してしまったのですが、またちゃんと読んでみようかと思います。


「記念日」について。
私が最初のコメントで申し上げたかったのは、片割月さまの
>8月15日の「終戦記念日」とは欺瞞的な表現であり、正しくは「敗戦記念日」です。<

という一文から発展した議論(?)に対して、現在一般的に「終戦記念日」という言葉が使われているのは「欺瞞」という程の深刻な問題ではなく、単に「敗戦記念日」という言葉が単にちょっと座りが悪いせいじゃないか?という単なる感想であり、内容に異論があるわけではないことを念のため申し上げておきますね。

もし私が誰かに突然「今日は記念日なの」と話を振られたら、「えーなになに?何の日なの〜?」と咄嗟におめでたい何かを予想すると思われます。
そこで「3年前の今日に祖父が亡くなって…」とか「失恋記念日なの」とかネガティブに返されると、
「え?おじいさんと仲悪かったの?亡くなってよかったと?」
「失恋を記念?別れてせいせいしたってこと?でもそれは失恋じゃないし…強がってるの?もしかしてマゾ?」と一瞬困惑すると思うんですよ。

「長患いから解放されたから」とか「新しい道を歩み出したっていう側面もあるし」と説明されても、正論は正論なのですけれど、奇をてらい過ぎというか屁理屈やさんというか、ちょっとメンドクサイ人だなぁ…と感じてしまいそうです(笑)

不思議なことにこれが「シングル記念日」だとあまり違和感がないんです。その言葉の陰に失恋の気配を感じたとしても、「よーしじゃあ飲みに行くか!」ってなもんです。
思うに、「敗」とか「失」という文字が「記念日」と相性が悪いのではないかと(私にとって)!
「敗戦の日」だと全く違和感ないです。

いずれにせよこれはもう単純に語感の問題ですので、どうぞお読み捨て下さいませ m(_ _)m


終戦に際しては様々な思いがあったと思います。
敗戦が悔しくて泣いた人、空襲に怯える日々が終わることにホッとした人、断固徹底抗戦すべし!と憤った人、当然の帰結と達観した人、ひたすら呆然とした人。
「これで故郷に帰れる」と喜んだ人も、最近亡くなった人を思い「あと少し早ければ」と恨んだ人も、戦後の己の処遇を考えて焦った人(軍のエライ人とか)も、外地で敗戦を迎え途方に暮れた人も、ひたすら安堵と開放感に浸った人も、「何のための戦争だったのか」と懊悩した人もいたことと思います。

全部ひっくるめて「終戦記念日」でいいや、と私個人としては思っています。

2014/08/21 (木) 18:29:49 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ぴかちうさんへ

>>私はコピペ君の「あんたこそ薄っぺらい」に対しては自ら戦っております。

失礼ながらずいぶん小さな戦いだなと思いました。

>>私はブログ主さんの意見に異を唱え自分の主張を明確にしているのに

その主張自体が怪しいと見られれば、無視されるのは仕方ないかと。それに怒るのもご自由ですが。

>>まず自分と違う意見を「欺瞞」ということは、貴方のマナー観ではOKなのでしょうか?

片割月さんはあなたの意見を欺瞞と言いましたっけ?片割月さんはあなたに向かってでなく読者に対して自分の意見を表明しただけなんですけどね。

>>彼は私に対し、「おバカさん」と語りかけてきていますが、

その後、ちゃんと「ぴかちう君」に戻しているでしょう。しつこく「コピペ君」「コピペ君」と連発する方がよほど粘着的ですよ。

>>そして貴方の最初の発言
>>「「まず自分に出された宿題に答えなさい」じゃないでしょうか?」
>>に対して私は時系列を示して異を唱えたが、貴方は何も答えていませんね。


私は文章が変じゃないだろうかと言っただけですけど。もう一度書きます。
なお、余計なお世話ですが、「まず自分に出された宿題を提出しなさい。 」→文章が変に見えます。「まず自分に出された宿題に答えなさい」じゃないでしょうか?
「自分に出された宿題」を「提出する」という文章は変じゃないかと言っただけですけど。だから興奮しているのかなと思って、その後のコメントで「ぴかちうさん、もう少し落ち着かれてはどうでしょうか? 」と差し出がましく申し上げた次第でございます。


本当にもう…「肩の力を抜けよ」と言いたくなってきました。

2014/08/21 (木) 19:00:21 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

花はどこにいった

>>場合によっては武力による革命運動も祖国愛といえるからです。(バルタントモゾウさん)

かってユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国という国がありました。セルビア、クロアチア、スロヴェニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア等の多民族を「友愛と団結」のスローガンの元に結束させたカリスマ、ティトー大統領が1980年に死去してから、まさにその「祖国愛」による惨劇が始まります。

諸民族のカリスマであったティトー大統領の死から10年後、折からの東欧革命の余波を受けて、連邦国家を形成していた各共和国が「民族自決」を訴え、次々と独立を宣言する。かっては強大な力を誇示してきた共産主義も党も、もはやその流れを押し止めるだけの余力はすでになく、代わって民族主義を標榜する指導者が台頭。民族間の憎しみを煽るプロパガンダを垂れ流して、対立を先鋭化させた。
やがてスロヴェニアで、次いでクロアチアで上がった戦火は、セルビア、クロアチア、ムスリムの3民族が混在するボスニア・ヘルツェゴヴィナで最悪の事態を迎えた。それまで「友愛と団結」の精神で結ばれていた諸民族は、突如血で血を洗う戦闘を繰り返し、多くの非戦闘員が「民族浄化」の犠牲となった。
死者、20万人以上。ボスニア国内での避難民と国外に流出した難民、400万人以上。欧州では、第二次大戦以来最大のカタストロフィであった。
『幻のサッカー王国 スタジアムから見た解体国家ユーゴスラヴィア』宇都宮徹壱著、勁草書房刊 P12-13


ティトー大統領死去の4年後、ユーゴスラヴィアは1984年にボスニア首都のサラエボでオリンピックを迎えます。フィギュアスケートでは東ドイツのカタリナ・ビットが女子で金メダルを獲得。トービル&ディーン組による伝説の「ボレロ」も話題をさらいました。

さらに10年後、リレハンメル大会にビットは統一ドイツの選手として出場、当時内戦中だったサラエボへのメッセージとして、フリーで反戦歌「花はどこへいった」をバックにフリー演技をしました。この演技がビットの演技で一番好きです。演技終了後、キス&クライでビットが見せた表情は、何とも言えないものでした。

「祖国愛」はこのように、時として集団や国家を狂気に巻き込む誘因にもなり得ます。戦前の日本軍の暴走、ドイツのナチズム、中国の文化大革命、もしかりです。今もまだ続いている、いわば人類の「業病」みたいなものですね。

2014/08/21 (木) 19:04:49 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

TAOさま

TAOさま、こんばんはm(_ _)m

横から失礼致します。端から見ていてちょっと気になったのですが、「自分に出された宿題を提出しなさい」という文章は別にそれはそれでいいようにも思うのですが、いかがでしょうか?

先生が教卓で「宿題を提出しなさーい!ハイ、後ろから集めてー」と言った場合「宿題を出題せよ」ということではなくて「(先生が出題した)宿題(に対する解答)を提出せよ」という意味に受け取れるじゃないですか?
厳密にいえば「宿題に対する解答を提出しなさい」とか「宿題に対する解答を記載したノートを提出しなさい」が正確なのだとは思いますが、私はそう思って慣用的に上記の意味に読み変えていました。

そのへんの日本語の曖昧さのせいでTAOさまがご指摘された文章に関して行き違いというか、文章の問題ではなく内容に関するツッコミだという誤解があったのではないかと思うのですけれど…。

横から差し出がましいことを失礼致しましたm(_ _)m
あと、投稿されているコメント非常に興味深く拝見しています。
シュタイナーに関しては私も少し勉強したことがあったのですが、「エーテル体」「アストラル体」のあたりで挫折しました…。

2014/08/21 (木) 19:22:50 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ののんたさん

今晩は。ご指摘ありがとうございます。なるほど、ぴかちうさんとはそういう意味での食い違いがあったのかもしれませんね。母が国語教師、父が著述家という環境のせいか、文章表現にちょっとでも引っ掛かると気になってしまって仕方ないという性分なので、流せませんでした。誤解を与えたのならスミマセン>ぴかちうさん

シュタイナーの社会論、教育論はそれなりに読みましたが、オカルト論は私もちんぷんかんぷんです…。

2014/08/21 (木) 19:37:14 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

TAOさま

言葉って難しいですよね。

上の方でおすくさまの
>敗戦は「記念」するものではないと思います。<
というコメントに対して、バジルさまが
>おすくさまが「敗戦は記念するものではない」と仰る、その感覚こそを「欺瞞」と表現されたのではないですか。<
と「おすくさまの感覚こそ欺瞞では?」と指摘していらっしゃいます。

私は再三述べている通り「記念日→メデタイこと」という印象を持っているので、おすくさまのコメントを単純に「負けた(ネガティブ)記念って、言葉としておかしいのでは?」という国語的な感想として読んだのです。
だからバジルさまのコメントを拝読して「欺瞞?なんで?」と一瞬混乱しました。

でも「記念日→ポジティブネガティブ関係なく重要な、記憶に止めおくべき日」という感覚の方から見たら、同じ文章が「敗戦は記念するものではない」=「敗戦は長く記憶に止めおくべき重要な事柄ではない」のようにも解釈できるんですよね。

おすくさまが普段どういうコメントをされる方なのか存じ上げないので見当外れかもしれませんが、もしも本当にそのような経緯で誤解されたのだとしたら、ちょっとお気の毒に感じていました。

言葉は、本当に難しいです (´^`;)


シュタイナーの神智学、ものすごくオカルティックなことを理路整然と大真面目に論じていて、ある意味圧倒されました。本は閉じましたが(笑)
教育論はとっつきやすく、またうなずける内容も多くて面白いですね。

2014/08/21 (木) 21:08:10 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

バルタントモゾウさま

すみません、ご紹介いただいたサイトについて申し上げるのを忘れていました。

ユダヤについてはいろいろと問題が複雑で、今の私の知識では自分なりの見解を述べるもの困難な状態です。
悲劇の民族と見えることもあり、被害者の立場を存分に利用する強か者に見えることもあり、排他的に思えることもあり、ワールドワイドに思えることもあり、弱者・被害者としてあまりにも有名でありながら、実は世界を裏で操る支配者だという怪しい噂にも事欠かなかったり…。

実際に知っているユダヤ系の人はごくごく普通に生活しているように見えるのですけれどね。

ご紹介いただいたサイト、じっくり拝見したいと思いますm(_ _)m

2014/08/21 (木) 21:12:13 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

色々と考えるための資料で、このブログだけではつかみきれないと思います。

2000年の流浪と迫害を受けた民族のことを日本人が理解するのは難しいでしょうね。
その意味では、ユダヤ人がもっとも民族主義が強いと推測はします。

2014/08/21 (木) 22:05:13 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ののんたさま そしておすくさま

ああ、完全に言葉足らずでした。

私は片割月さんの記事を、8.15を戦没者に麗しい言葉を捧げる儀式に止めようとする国家姿勢への批判、と読みました。
だから、おすくさまの書かれた「記念=ポジティブなもの」を利用するかのようなやり方こそを欺瞞と表現したのではないですか、と言いたかったのです。
おすくさま個人に向けて言ったつもりはありませんでした。本当にごめんなさいね。

2014/08/22 (金) 00:34:00 | URL | バジル #- [ 編集 ]

記念日

記念日ではなく「敗戦の日」あるいは「降伏の日」ではどうでしょう?
私も常々「終戦」は、すり替え、誤魔化しのような気がしていました。
「明治維新」も「明治王政復古」ではないかと思っています。また、この時の動乱には英国公使館とトマスグラバーが大きく関わっています。ジャーディンマセソン商会のグラバーのバックにいたのは「国際金融資本(ロスチャイルド)」です。日本の陸軍と海軍の基礎を築いたのはフランスとイギリスですし。この時から戦争に巻き込まれていく運命となったのでしょう。生麦事件で殺害されたリチャードソンもジャーディマセソンの人間。吉田茂の養父もマセソン商会の横浜代表か何かでしたね。タックスヘイブンの謎の国のリヒテンシュタイン公も明治の始めには日本を訪ねている。ビクトリア女王の第2王子エジンバラ公も1869年の夏に早くも来日しています。1906年にはイギリスのコンノート殿下より明治天皇は「ガーター勲章」を授けられています。日本の天皇が「ガーター勲章」?政治的にも経済的にも国際金融資本に組み込まれて美しい日本が失われていきます。これについては当の英国公使館の連中が嘆いているほどですから。全く西洋の物真似で「あの絵のように美しかったものが消え失せてしまったのは残念な事だった」と。

9月11日は米国では「パトリオットディ(愛国者の日)」となっています。ブッシュが決めたらしいですが、「愛国」というのは利用され易いですね。

2014/08/22 (金) 00:45:08 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

ゆきめさんへ

AVコレクションとは、オーディオビジュアル機器コレクションのことです。

貴方のコメントから察するに、記事の中身も読まずに別の意味に取ったのかな?(笑)

最近の人はAV機器と言う単語は使わないだろうしね。

2014/08/22 (金) 01:31:03 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

遥さんへ

>勝手に自分で期限を1日と設けないで下さい。ブログ主様も止めるようにと言っていないはずです。例えば8月末までバルタントモゾウ様とのやり合いを続けても別に構わないのではないでしょうか?それでしたら、時間に追われることなくじっくり腰を据えて進められると思うのですけど。

私は誰かさんと違って他人のブログに居座って長々と居座り続けるのは好みじゃないから、そうしようとしたんだがね。
ゆきのさんも「このまま議論を続けても、きっと平行線でしょうね。」と仰られている。
それに君はゆきめさんに対し「私から見ますとコメント欄を荒らしているのはぴかちう様も同じではないかと」と書いているじゃないか?「荒らしている」とね。
私の事を「どう猛な闘争本能だ」と批判しているじゃないか?
君は精神分裂の疑いがあるね。

>なお、バルタントモゾウ様は「ぴかちう君」とおっしゃっていますが、ぴかちう様はずっと「コピペ君」を止めませんね。失礼を承認で言わせて頂ければ、「けつの穴の小さい奴」だと思いました。

08/19 (火) 00:21:38の発言のタイトルで「おバカさん」と言っていますが?
貴方はどう思いますか。

>失礼を承認(承知?)で言わせて頂ければ、「けつの穴の小さい奴」だと思いました。
返信されても回答はいたしませんので、悪しからず。

はいはい、「自分の言いたいことだけ言って責任はとらないよ~」ってことですね。
失礼を承認(承知?)で言わせて頂ければ、「小学生の作文」だと思いました。
バルタントモゾウ氏の「腰ぎんちゃく」だと思いました。
君がそういうなら続けてもいいが、批判が来たら貴方が責任を持って批判者を退出させてください、無責任に放り出さないことを誓いなさい。

2014/08/22 (金) 09:37:19 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

コピペ君改めバルちゃんへ

周りがうるさいので少し改めよう。

>戦闘行為がつづいていたことについては記述済み。

そしてそれが「すり替え」であり回答ではないことも記述ずみ。
それでも、私は不問にしていたんだけどね。

>敗戦の定義は、敗けを認めた瞬間である。

はぁ、その答えに意味はあるの?
じゃあ終戦の定義にも答えよう、「終わった瞬間である。」
これでOKだね。

君の敗戦の定義が意味を成すには、まず戦争の主体を定義せねばならない。
君は「国」と「国」との戦争だけではないと言ったね。
その場合主体を捉えることが出来るのか?

そして君は第2次世界大戦におけるフィンランドの戦いを知るべきだ。
当初ドイツに加担したためソ連の巻き返しを受け、併呑されそうになったのを必死に食い止めたからこそ敗戦の交渉が出来たのだ。
負けたっていって戦争が終われたらどんなに素晴らしかったか。
ソ連もそうだろう?
8月15日以降も攻撃を続け、北方領土を取られたよね。大半は「戦闘行為」でね。

>日本にとっての終戦と、海外の認識の終戦が同じであればね。
けれども、現実には違う。
だから君の持ち出している論理は筋が違うということ。
8月15日以降日本軍の戦闘は続いているし、連合国の攻撃も続いている。
電気のスイッチを入り切りするように明確な区分はできない。
歴史的にも分かりやすくするための象徴でしかないんだよ。
国内的には政治上、いつを終戦とするかは自由。

・・・あのさぁ君、何度言わせるんだ。人の話をよく読めよ。
私は8月15日で終戦記念日あることを否定していない。
さらに8月15日が終戦記念日なのは「欺瞞」であり、敗戦記念日が「正しい」と言う言葉に異をとなえているのだよ。
「国内的には政治上、いつを終戦とするかは自由。」なんだろう?
じゃあブログ主が「欺瞞」呼ばわりするのはどうなんだ?
なぜ敗戦記念日が8月15日が正しいといえるのだ?
君の考えなら君は私に同調してブログ主を批判する立場のはずだが?

>君の立場は国内だったり、国外だったり、基準がはっきりしない。

はっきりしないのは君の読解力がないからだ。
終戦の日は8月15日、これは終戦詔書が出た日だからだ。
日本が「敗けを認めた瞬間(日)」は8月9日、通知したのは8月14日だな。
君の主張では8月9日が終戦の日だろうが、国民の多くに負けを知らしめた瞬間として国内では「終戦記念日」となっており、別に私も問題としていない。
そして法的(外交上)の敗戦は9月2日だ。
その理由は書く必要もないな。
高校教科書にも記載されているという事は、その意見が主流で特に異論もないという事だろう?
この2つは全く別のものだろう?
それを君が2つ作る必要性はないとか言って文句をつけてきているんだろう?

君はどうしたいのだ?
8月9日を終戦の日としたいのか?
君の主張はなんだ?
君は私が書いた主張の理解も出来ず再度書かせた。
だが私の方は君の主張は聞かせてもらってないな?

>従って「終戦記念日という呼称は俗称」とする論拠は正しくない。

閣議決定されたものが公称だろう?
仮に違うとしても、「終戦記念日」と言う言葉が俗称であることに変りはあるのかな?
「終戦記念日」が公称と言うのならそれがいつ公称とされたのか資料を提示ください。
「イチロー」は俗称で本名は「鈴木 一朗」ですが何か問題でも?
貴方が私の何にかみついて来るのか意図を説明してください。

>終戦記念日は、公費の支出行事にかかわらずすべての行事を含めて呼ぶための通称であり、俗称ではない。

通称だから俗称っていうのは間違いだって噛みついてきてるの?

WIKIより抜粋
「通称(つうしょう)は、正式な名称ではないが、特定の人や物、事象に対する呼び名として 世間一般において通用している語のことである。俗称(ぞくしょう)ともいう。 」

「俗称(ぞくしょう)ともいう。 」

通称って言ってほしいのなら今度からそう呼んであげますよ。
自分が私に言いがかりをつけていることを理解できましたか?

>それでも、私は不問にしていたんだけどね。
一つずつ遡って、指摘するのは簡単だが、それでは、本題の話にはならない。

そう、君が人言宣言で勘違いして非難してきた時も、不問にしたんだが?
「戦争の定義」の時も不問にしたっけなぁ。
今回の通称の件も不問にしてあげるよ。笑

2014/08/22 (金) 09:59:40 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

ぴかちう君へ

おバカさんと呼ばれて怒るくらいなら、最初から片割月さんに悪態をついたことは、どう説明するのかな?

私をブログ主と勘違いしたと弁解しているが、君は同じことをその後のコメントでも入れている。

返信を返す相手をよく確認もせず、相手のコメントの中身を勝手解釈するのでは、おバカさんと呼ばれても仕方がないはずだよ。

悪いことは言わん。

君よりもずっと年上の人間としてアドバイスしておく。

今一度、このコメント欄をはじめから読み直しなさい。

閣議決定を学生時代に見ていた人生の先輩としての忠告だ。

本気でやりあいたいのなら私のブログに場を移してもいい。

それと、私がおバカさんと呼ぶ場合は、まだましな方なんだよ。(笑)

2014/08/22 (金) 10:02:22 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

TAOさんへ

>失礼ながらずいぶん小さな戦いだなと思いました。

そうねぇ小さいねえ、じゃ「薄っぺらい」と言われるくらいの小さい事で私に絡んでくる貴方は何?

>その主張自体が怪しいと見られれば、無視されるのは仕方ないかと。それに怒るのもご自由ですが。

はぁ?私は最初に書いた文章以外(バルちゃんをブログ主と誤認していたが)ブログ主本人には「出てこい」とか言っていませんが?

>>まず自分と違う意見を「欺瞞」ということは、貴方のマナー観ではOKなのでしょうか?

片割月さんはあなたの意見を欺瞞と言いましたっけ?片割月さんはあなたに向かってでなく読者に対して自分の意見を表明しただけなんですけどね。

8月15日が終戦記念日だという事が欺瞞なんでしょ。
では、それを容認する人間を「欺瞞」と言っているのと同じこと、「欺瞞」を容認する不正な人間だと言っているのと同じことでしょ?

行為への批判は人物への批判にはなりえないとお考えですか?
では、イスラム寺院へ行ってコーランを燃やしてみなさい。
そして「私が批判するのはイスラム教だけで貴方がたを批判しているのではない。」と言ってみてください。
あなたが友好的に戻れたなら貴方の価値観を信じましょう。
次に発言する時はその結果から記してください。

>>彼は私に対し、「おバカさん」と語りかけてきていますが、

その後、ちゃんと「ぴかちう君」に戻しているでしょう。しつこく「コピペ君」「コピペ君」と連発する方がよほど粘着的ですよ。

失礼ですが、呼び方ぐらいで粘着するとはずいぶん小さい人ですねと思いました。
バルちゃんは「コピーアンドペーストは根拠の提示だよ。 」と言っていますよ。
悪口ではないんじゃないかな。笑

本当にもう…こちらの方が「粘着するなよ」と言いたくなってきました。
あっ上で既に言ったか。笑

2014/08/22 (金) 10:35:17 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

業務連絡

ブログ主さま及び常連の読者様へ

少しばかり本気の戦闘モードに切り替えたいと思います。

多少お見苦しい点も出てくるかと思いますがご了承願います。

重箱の隅つつきモードから始めます。

2014/08/22 (金) 10:35:23 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルちゃんへ

>おバカさんと呼ばれて怒るくらいなら、最初から片割月さんに悪態をついたことは、どう説明するのかな?

他の人への返答でさんざん書いてある。
最初からよく読みなさい。

>返信を返す相手をよく確認もせず、相手のコメントの中身を勝手解釈するのでは、おバカさんと呼ばれても仕方がないはずだよ。

以上、相手の主張もよく確認もせず勝手解釈して中傷してきた人物のコメントでした。

で、これはどうしたんだい?
「君はどうしたいのだ?
8月9日を終戦の日としたいのか?
君の主張はなんだ?
君は私が書いた主張の理解も出来ず再度書かせた。
だが私の方は君の主張は聞かせてもらってないな?」

後先の問題ではないだろう?
私は君の主張を聞かせてもらっていない。
それで君は物陰に隠れて石を投げつけているだけだ。

2014/08/22 (金) 10:45:54 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

重箱の隅つつき1

2014/08/18 (月) 10:41:50 ぴかちう 君のコメントの間違い点


>根本的なところで間違ってるよ。
8月15日の「終戦記念日」とは俗称であり、正しくは「戦没者を追悼し平和を祈念する日」です。<

すでに述べたが、この閣議決定で決めたのは行動指針であり呼称ではない。
したがって、彼の言う「正しくは」といえる呼称自体が存在しない。

この点について何度も指摘しているが一向に謝罪がない。
正しくはというからには正式呼称があるということだから、閣議決定の中に呼称を決めた部分があるのであればそれを提示すればすむ。

>祈りの日です。
亡くなられた方の為に祈ってください。<

1.宗教・信仰の自由 行動の自由に違反しているので憲法違反の言葉である。

日本はイスラム教の国ではない。祈る自由も祈らない自由もある。

2.正しい日本語表現は「祈って欲しい」「祈っていただけませんか」とお願い口調でなければならない。

「ください」は命令の意図も含むので、日本語として正しくない。

>薄っぺらい知識で政府批判をするのは9月2日の敗戦の日にしてください。<

1.敗戦と終戦では敗戦が先に来るのが戦争の一般的手順。
敗戦が後に来ることなどない。
敗戦が決まってから終戦手続きに移行する。

殲滅戦の場合は、敗戦=終戦とはなるが、この場合は軍事行動のみが優先されており政治目的が軽視されることになるので、近年の戦争ではほとんど見られない。

2.世界的には8月14日が連合国側にポツダム宣言の受諾を通知しているので、日本が降伏勧告に従い敗戦を認めた日は、国際的な視点では8月14日。
間違っても9月2日ではない。
国内的に敗戦を受け入れたことを示したのが8月15日であり、国際法の観点からこの日が決められているのではないので、この日を国内的に終戦の日及び敗戦の日とするのは自由。
内政上の問題のため。

3.>薄っぺらい知識<とブログ主を批判しているが、彼の知識が十分なものであるといえる証拠は以上のことより見受けられない。

したがって、不当な批判といえる。誹謗中傷の類ともいえる。

4.仮に呼称が彼の主張が正しかったとしても、それを理由に「政府批判をするのは9月2日にしてください」といえる根拠はない。
言論の自由に違反している。
これも憲法違反。

なお、この後で再三出てくるが、片割月さんの

『8月15日の「終戦記念日」とは欺瞞的な表現であり、正しくは「敗戦記念日」です。』

のなかで使われている「欺瞞的な表現」は、対象は言葉の選び方であり、人や政府が対象でないことは明らかです。
ましてや特定個人に向けての批判の言葉ではないので、ブログ主の個人思想と捉えるのが普通の人の受け取り方です。

それをあたかも自分に向けて放たれた言葉だと勘違いして批判投稿をしたぴかちう君はおバカさん以外の何者でもありません。(笑)

批判をする権利は有しているにしても、その論理の筋が違えば批判そのものが成り立たない。

私はこう思うの形なら許されるが、彼の形は許されない。


2014/08/22 (金) 11:18:50 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

2に行く前に

日本の中でのことを問題にしているのに突然イスラム教を持ち出すのが論理の飛躍なんだよ。
だから国内と国外の区別がついていないと前にも指摘した。

そこに気づけないからおバカさんなの(笑)
おバカさんが気に入らないのなら「カスやな」か「アホヤな」にしてもいいが。(笑)どれが気に入るのかな?

2014/08/22 (金) 11:24:49 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

激論の最中ですが

この記事で片割月さまは、8月15日に追悼ばかりが行われ戦争に対する反省が見られないことに対する不満、敗戦を終戦という耳あたりのいい言葉で言い換えることに対する不信を述べられていると私は解釈しました。
それが8月15日だろうが9月2日だろうがそれはあまり問題ではなく、今の政治家に戦争責任に対する認識の甘さが主題であり、世間的に蔓延している「太平洋戦争を美化」する風潮を危惧しておられます。

これに対してぴかちうさまが最初に反論されたのは、その主題(戦争責任、敗戦の重荷、現代の政治家への批判)に対するものではなく単純に
「8月15日はもともと追悼の日なんだから祈ってばっかでも仕方ないじゃん」ということではないかと思うのです。
表現は攻撃的で失礼な部分もありますが、「敗戦の事実をしっかりと受け止め、戦争に対する反省をしっかり行うべき」という片割月さまの主題を否定はしていません。「それは別の日にすれば?」と提案しているのみです。
(しつこいようですが、表現は攻撃的で失礼ですよ!)

普通に
「終戦記念日という通称で呼ばれてはいるが元々は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」という名称であり、本義からすれば追悼式に重点が置かれるのは当然で、欺瞞とまではいえないのではないだろうか。
敗戦に関する諸々は、例えば欧米で戦勝記念日とされており、日本が降伏文書に調印した日でもある9月2日に別途行うこととしたらどうか?」
とか書いとけば、なるほどと思う人もいたと思うのに勿体ないです。

実際連合国軍の占領下では、9月2日が降伏記念日、敗戦記念日として報道されていたこともあったそうですね(これはWikipediaで読んだだけですけど…)。


これに対してバルタンさまの最初の反論はおそらく
>9月2日の敗戦の日<
の部分をぴかちうさまが「8月15日ではなく9月2日が正確な終戦日である」と主張されているのだと解釈されて、「戦争の終わりとは定義しづらいものだから、別に8月15日でも構わんだろう」と仰りたかっただけのではないかと思うのです。

その後売り言葉に買い言葉でごっちゃごちゃになってしまいましたけど…。
ホント、言葉は難しいです。

余談ながら私は「日本の戦争責任」について反省するなら、終戦ではなくむしろ開戦の日にする方が適切なんじゃないかと思うのですけど…。

2014/08/22 (金) 12:17:23 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

バジルさま

仰りたかったこと、よく分かりました。
勝手な解釈でコメントを引用してしまい申し訳ありませんでした。

ご不快だったとは思いますが、何卒ご寛恕下さいねm(_ _)m

2014/08/22 (金) 12:22:07 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

この閣議決定の前は、確か、テレビでは「終戦の日」としていたはずです。

この当時、慰霊祭を護国神社でしか行わないのは神道優先であり、政教分離の憲法に違反するという苦情が、仏教やキリスト教から上がっており、その不満に答えるのが目的だったと記憶しています。創価学会がかなり力を入れていた記憶があります。

2014/08/22 (金) 12:35:35 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

いやーそうは言っても、彼は片割月さんに対する攻撃的で失礼な表現を謝罪してはないんですよね。それはさすがに正当化できないかと。自分と異なる意見や見解を、侮蔑的な表現で貶めるのは、いかなる場合でも回避すべきことではないかと思います。(喧嘩を売りたくてあえて意図的、挑発的にやっている場合もあるかと思いますが)

2014/08/22 (金) 12:39:41 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

バルタントモゾウさま、TAOさま

>バルタンさま
「終戦の日」というのもニュートラルでいいですね。
「記念日」という言葉にポジティブな印象が強いという点から考えてみると、「終戦記念日」という言葉にも「祝えるような終戦ではないのになぜ?」と違和感を持つ人がいるかもしれないですものね。

調印がどうのという話になると厳密には9月2日が終戦なのかもしれないですけれど、8月15日という日が定着している背景には、先祖を供養するお盆の時期と重なっていることもあるように思います。


>TAOさま
あ、もちろん侮蔑的な態度を含めて正当化したり擁護したりする意図はないです。
ただ激論の割に論点・争点が見えにくいなぁ、と。
内容的にそんなに対立する部分があるとも思えず、表現さえ違えば発展的な議論になったかもしれないと思うと勿体ないということです。
結局まぁ攻撃的・侮蔑的な表現は損だよね、ということでしょうか…。

今思うと「言葉って難しい」というより「マナーは大事」と書くべきでしたね。

>喧嘩を売りたくてあえて意図的、挑発的にやっている場合もあるかと思いますが<
議論の際に
「オマエ生意気だぞ!」
「そっちこそ態度デケーんだよ!」
という方向にどんどん転がっていくと、最終的に行き着くのは
「お前の母ちゃんでべそ!」
なんですって(笑)小さい頃の塾の先生が言っていました。

2014/08/22 (金) 13:56:36 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ののんたさま

わざわざありがとうございます。
いえいえ、私の文章が変だったのですから、「?」と思われて当然です。失礼しました。

ちなみに、ぴかちうさんの主張は「祈ってばっかでも仕方ないじゃん」ではありませんよね。セレモニーについてのみならず、ここでの話に「批判、論争をするな」と言ってきているのですよ。

戦後40年近くも経って現在の名称が定められる以前、まだ戦争の記憶が生々しかった時からずっと、玉音放送が流された日は個々に戦争を思う日だったはずです。
だから、私にとっては名称などただの「後づけ」に過ぎません。
その下されたものを金科玉条のように押しいただき、名称を拠り所に「祈れ、批判や論争などするな」と押しつけてくるのが、何とも気持ちが悪い。
ここでは、まさにその金科玉条が怪しいものだという話をしているというのに、そしてそれは8月15日だからこそなのに、その本質的な内容には入らずに、日の名称だけを盾に黙らせようとするとは、ずいぶん頓珍漢な話ではありませんか。

ぴかちうさんの気持ちを軽んずるつもりは毛頭ありませんが、もし戦没者を悼むという気持ちを彼(彼女?)がこの上なく大切に考えているなら尚更、こんな物言いはない。いろいろな人間がさまざまな思いを抱えていることを、もっと知るべきだと感じます。
自身のブログを立ち上げて、そこで「この日は論争などやめて静かに祈りましょう」と呼びかけるのであれば、もちろんそこに行って批判などしませんけれど。


2014/08/22 (金) 14:31:53 | URL | バジル #- [ 編集 ]

私は

TAO様、バジル様

実はずっとぴかちう様のコメントを読んでも、別に侮蔑的であるとは、感じません。


それと、今回の記事、オープニングで「-欺瞞である」という一文から始まることで、それなりのインパクトがありますよね。このような一文から始まる文章に、かなり強い反応が来ることも片割月様も十分承知で書かれていると思いますよ。あるいは意図されていたのかもしれません。
それが、象徴的な言い方に過ぎず、その後の文章を読めば意図はそういうところにはない、それはわかるはずだ、と他のユーザーから言われても、わかりづらいことはあるかと思います。わたしもちょっとわかりづらかったです。

いずれにせよ、ブログ主さんが何かおっしゃるまでは、ブログ主を侮辱するものである、とあまり周囲が言わなくてもいいのでは、というか、それがこのブログのこれまでの慣例であったような。

>>いろいろな人間がさまざまな思いを抱えていることを、もっと知るべきだと感じます。

それはそうですよね。その点では、ぴかちう様もいろいろな人間がさまざまな思いを抱えていることを前提としてお話しているかと思います。

要するに何がいいたかったというと、存外、ぴかちう様の言うことに、ROMでも、うなずく読者は少なからずいるということなのです。

この点、ののんた様の、
>>内容的にそんなに対立する部分があるとも思えず、表現さえ違えば発展的な議論になったかもしれないと思うと勿体ないということです。

に賛同します。

あと、思想良心の自由を侵害のお話ですが、憲法には私人間効力もありますが、基本的に、公権力による私人を名宛人に規定されたものです。 だから、いくらここで一ユーザーが、論争するなら他の日にやれ、と言っても、憲法違反のお話にはならないのではないかと。



2014/08/22 (金) 16:06:48 | URL | びっぐあぷる #s7zQWtIk [ 編集 ]

私の見方

ぴかちう君の本音は最後の部分でしょう。

「政府批判をするな」
名称を指摘したのはその為の取っ掛かりにすぎない。

もし、祈りだけに目的があるなら、最後の文はいらないからです。

2014/08/22 (金) 16:16:32 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

訂正

すみません、瑣末なことの訂正ですが、

>>公権力による私人を名宛人に規定されたものです。

ではなくて、
>>公権力による私人の権利、自由を侵害を念頭においたもので、公権力を名宛人に規定されたものです。

の誤記です。失礼しました。

2014/08/22 (金) 16:29:24 | URL | びっぐあぷる #s7zQWtIk [ 編集 ]

びっぐあっぷるさんへ

〉思想良心の自由を侵害のお話ですが、〈

思想・信条の自由
行動の自由
宗教の自由
他人の自由を阻害しないことが前提です。

〉憲法には私人間効力もありますが、基本的に、公権力による私人を名宛人に規定されたものです。〈

ここは意味不明です。

〉 だから、いくらここで一ユーザーが、論争するなら他の日にやれ、と言っても、憲法違反のお話にはならないのではないかと。〈

日本語的にはユーザーという表現は変な気がします。
基本的には、筆者と読者であり、筆者とも個々の読者同士も意見の交換ができるのがブログだと思います。
恐らくは利用者という意味で使われたのでしょうが、しっくりとはきません。


憲法違反に抵触するのは、ここが彼の設けた場ではないからです。

批判の権利はあっても表現を考えることが、相手の自由を守ることになります。

多分海外生活のために、その違和感を感じにくくなっているのではと思います。

2014/08/22 (金) 16:38:04 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

びっぐあっぷるさんへ

第19条の文言ですね。

第19条から第21条に抵触します。

2014/08/22 (金) 16:50:44 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

私人間効力の話

一応訂正させていただいたのですが、

>>公権力による私人の権利、自由の侵害を念頭においたもので、公権力を名宛人に規定されたものです。

ですが、一応説明させていただくと、

憲法は、基本公権力(国家、法律、行政など)によって、国民の自由、権利が侵害されることを防ごう、守ろう、とするのが原則で、
ただ、公権力と匹敵するくらいの権力を他の私人に対して持つ者も今の時代に存在しているから(大手マスコミ、企業など)、私人の間にあっても、憲法の趣旨を、民法709条や415条の一般条項に盛り込んで、適用しましょう(間接的適用説)、というのが一応判例、通説で

どの法律の基本書にも載っていることですが。

こうしたブログの利用者の一投稿者が、公権力までは持っていないと思うんですが。

ユーザーというのは利用者ですね。ユーザーという言葉、ブログで使われるのをよく目にします。

相手の自由を尊重し、表現の仕方を考えるのは、おそらく、多分、バルタン友ゾウ様も、私も、みんな、あてはまると思うんですが、ちがうでしょうか。

2014/08/22 (金) 17:16:32 | URL | びっぐあぷる #s7zQWtIk [ 編集 ]

びっぐあっぷるさんへ

公権力だけが対象ではないはずですよ。

「何人も」の意味の解釈間違いではないですか?

第14条の個人の定義が優先されるはずです。

個人対個人に関しては国民の権利と義務の対象は第一義的には、国対個人ですが、このしたに法律で、個人対個人に適用範囲を広げています。

2014/08/22 (金) 17:48:29 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

第19条の解説

思想及び良心の自由は、表現の自由などの各種精神的自由権の前提となる規定として把握される。その内容が内心の自由であることから、他者の人権との抵触による権利の制約や、政策的目的による制約が極めて限定的にのみ観念される権利であり、最大限保障される権利である。 なお、近年では、思想・良心の自由は思想・良心を形成する自由や外部に表明する自由も保障しているとする説も有力に主張されている。
また、思想及び良心の自由は、民主主義・民主制が機能するための最低限の自由としての側面も有する。
ポツダム宣言の、民主的傾向の復活と言論・思想・宗教の自由保障を要求した第10条に基づき定義された。

2014/08/22 (金) 18:06:39 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バジルさま、バルタントモゾウさま

>セレモニーについてのみならず、ここでの話に「批判、論争をするな」と言ってきているのですよ。<
>ぴかちう君の本音は最後の部分でしょう。
「政府批判をするな」
名称を指摘したのはその為の取っ掛かりにすぎない。<

なるほどー。

>薄っぺらい知識で政府批判をするのは9月2日の敗戦の日にしてください。<

の部分を、例えば「文句があるならどうぞ警察に行って下さい」の本意が「警察に相談した方が良い結果が得られると思いますよ」というアドバイスではなく、実質「文句言うな」という意味なのと同様に、「政府批判はするな」と解釈されたということですね。

「薄っぺらい」という言葉が攻撃的なのと全体的にやや切り口上ですが、私はここを言葉通りに「敗戦について語るなら9月2日に別途するべき」と解釈しました。
その後「喪の場で相続の話をするのはどうか」という例えも出されており、「8月15日という慰霊の日を政治批判に利用するな」というところに主張の重点があるのだと思ったのです。

>薄っぺらい知識で政府批判をするのは『やめて下さい』<ではないところ、また政府を擁護したり太平洋戦争を正当化するような意見も特に見られないことから、「8月15日」という日への思い入れの違いによるものかと感じました。

何度もいいますが攻撃的で意図的に挑発するような記述が多々見られ、その点は非難されて当然と思いますが、この最初のコメントの「内容」については
「8月15日は政府としては”戦没者を追悼し平和を祈念する日”なのであるから、政府主催のセレモニーが追悼に終始するのは仕方ないのではないか」
「”敗戦””戦争への反省”ということなら、いっそ9月2日に別途行うとしたらどうか」
という意見が礼に則って提示されていたとしたら、賛成するしないは別として一考の価値があったのではないかと思っています。

勿論どのような意見であろうとも、自分の意に添わない意見に「薄っぺらい」といきなり言い捨てるのは礼を失した態度だと思いますので、その部分を容認しているわけではありません。
あくまで内容(私の解釈における)に関してです。

2014/08/22 (金) 18:53:48 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ぴかちうさん

ぴかちうさん自身は「戦い」と自らの言動を表現されましたが、私自身にはそんなに大それたものでなく意地を張っているようにしか見えなかったということです。バルタントモゾウさんとのやり取りにしても、お互いがファイティングポーズを解かないという状況ですが、バルタントモゾウさんがファイティングポーズを解かないのは、彼だけに責任があるとお考えなのでしょうか?自分の意見を強制するような感じでブログ主の発言に絡んで来た方を警戒する人もいて不思議はないと思います。実際、ああいう侮蔑的な表現をわざわざ選ばなくとも、言いたいことをブログ主に過不足なく伝えることは出来た筈ですから。

ブログ主が応じないことをぴかちうさんが不満に感じていないというのなら、下記の発言は出ないのでは?ブログ主が逃げているという思い込みを感じるのですが。

>>私はブログ主さんの意見に異を唱え自分の主張を明確にしているのに、
>>この場に出てこない方は、その存在だけに敬意を抱けません。
>>2014/08/21 (木) 08:32:52


終戦記念日という呼称を欺瞞だと言う人がいる。それ自体はぴかちうさんにとってもどうしようもないことで、例え干渉する権利があるとしても、干渉自体で相手の心を本人の意志に反して覆すことは出来ない、単純なことでしょう?イスラム教を持ち出すのも唐突だし、誰でも冒涜行為と分かっていることをやれというのも???です。

論争の相手を蔑称で呼んでも構わないというのは、ぴかちうさんがバルタントモゾウさんほど自分を制することが出来ないということを示しているだけです。呼び方に拘るなというのは、ぴかちうさんの一方的な理屈に過ぎません。

人に友好的うんぬんというのであれば、まず友好的とまで行かなくても、論争の相手であっても自分はせめて紳士的に振る舞うように努力する方が先じゃないかと思うのですが。(確かにバルタントモゾウさんも過激に見えるかもしれませんが、まだあんなものじゃないと思います、むしろ抑制している方かと)

まあ、私自身も今のところ、ぴかちうさんを疑心暗鬼で信用出来ないのは確かですから、お互い様かもしれませんね。

2014/08/22 (金) 19:25:26 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

びっぐあぷるさん

今晩は。そちらは早朝でしょうか。

片割月さんが黙っているのはなぜか、確かに他人には計り知れません。時機を見ているかもしれませんし、或いはぴかちうさんが「どこに行き着くか」を見定めているのかもしれません。案外「目論見通り」とひそかにほくそ笑んだりしていて。この一見紛糾しているだけに見える状況からも、学べる人は学べますから。

ただ、ブログ主自身が侮蔑と感じていないのかもしれないのだから、他人があれこれ言わなくてもいいのでは、というのもちょっと違うような気がします。参加者の全てがブログ主と同じ感覚を共有している訳ではないですから、ブログ主がこういう反応や展開を望まないとしても、対立が生じても参加者が各々の思いを述べるのは止められないと思います。

ののんたさんの「表現さえ違えば建設的な議論になったかもしれない」というのも確かに一理あります。しかしバルタントモゾウさんのコメントで気付きましたが、最初のコメントの最後の一行「薄っぺらい知識で政府批判をするのは9月2日の敗戦の日にしてください。」があるかないかで、印象がずいぶん変わって来ます。ぴかちうさんはおそらく片割月さんの記事に「政府批判」を感じて、それが気に入らなかった故にあの一行になったのではないでしょうか。でなければ、あの一行は説明出来ません。

ぴかちうさんが「政府批判するな」というのであれば、彼が言う「政府」とは何なのか、片割月さんの記事のどこに政府批判を感じたのか、また、なぜ政府批判してはいけないのか、を別のコメントとして入れるべきだったのではないかと思います。「祈るべきだ」と「政府批判するな」と、本来なら切り離すべき問題を一緒くたにしたのには不自然なものを感じています。もしかすると本題は最後の一行であって、それまでの前段は前菜に過ぎなかったのかもしれないのですから。

当ブログ参加者の閲覧者のどれだけが、ぴかちうさんの言動にどう反応しているかは分かりませんが、支持する人も支持しない人もどちらもいて当然だと思います。人の思いは一つの「正解」に縛られるようなものではありませんから。

>>相手の自由を尊重し、表現の仕方を考えるのは

その通りですね。マナーもその一つの道筋を示すための手だてだと思います。意図的かどうかは分かりませんが、ぴかちうさんは自らの発言を「治外法権」にしているふしがあります。バルタントモゾウさんでさえ表現を抑制しているのが分かるのに(びっぐあぷるさんならよく分かるはずと思うのですが)、自分は表現に配慮しなくてもいいという態度が見えるのですが、それについてはびっぐあぷるさんはどうお感じになりましたか。

外国人は議論に於いて遠慮しないが、議論が終われば何のわだかまりもないというのはよく耳にしますが、びっぐあぷるさんはそれに慣れ過ぎてしまったのかなとも思いました。

2014/08/22 (金) 19:27:54 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

ののんたさんへ

私が次のコメントで、彼が9月2日を敗戦の日としているのを、あえて終戦の日と書き換えたのは、国際慣習上は、8月14日が日本が海外に向けて敗戦を認めた日であり、ここでも彼の主張の根拠がないからです。

終戦の定義も敗戦の定義も彼からは正しい説明がありません。

それは降伏文書調印式の表現にも現れています。

彼は(停戦協定)と表記しています。

これは期間の定めのない一時的な戦争の停止です。

しかし、日本が結んだのは、軍事力の放棄なので終戦協定です。

実はこのような言葉の用い方に、本音の部分では「戦争に負けたわけではない」と考えているように私には受けとれるのです。

しかも、彼は私の定義の説明に対してもまともな反論をしていません。

これでは、はじめから議論ではなく、持論の展開しか考えていないと判断せざる得ません。

それは、それで考えの違いがわかるのでかまわないのだけど、終戦手続きの流れすらまともな理解がないのに、あんな書き方ができるなとね。

私のコメントにも勝手に怒り出しているしね。

自信がない人ほど、弱味の部分を突かれたら怒り出すのはパターンにはまりすぎ。

ただ遥さんへの暴言は見逃せない。

私へのは慣れているから気にもしないけどね。

2014/08/22 (金) 19:32:02 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

びっぐあぷるさま

ご無沙汰しています。
おしゃっていることのなかで、
>かなり強い反応が来ることも片割月様も十分承知で書かれていると思いますよ。あるいは意図されていたのかもしれません。
・・・は、私もきっとそうだろうなと思っています^^

ぴかちうさんの言葉遣いについても・・・あら、ずいぶん喧嘩腰ねとは思いますけれど、
そこにこだわっていても話などできませんし、取り立ててどうこう言うつもりはありません。

ただ・・・何度も言いますが「政府がこう命名しているのだから批判や論争は別の日に」には、本当にどっぷり違和感があります。憲法を持ち出す以前の問題として。
これは世代的な感覚差も大きいのかもしれませんね。ののんたさんが、ぴかちうさんの主張として書かれた「8月15日の慰霊の日を政治批判に利用するな」を読んで、改めてそのことを感じました。
私は政治への批判は誰でもいつでも自由にできて当然であり、制限されるなどということは受け入れがたいと考えます。 それから(ぴかちうさんにはきっと理解していただけないでしょうが)、ことこのことに関する政府批判はむしろ慰霊のため、という思いもあります。
もちろんそれを不快に思う人もいるでしょう。でも、あくまでこのブログの中の話であって、式典に乗り込んでいくわけじゃない^^
そして平和を軽視する話をしているわけでもないのに、政府への批判的な意見が戦没者の鎮魂の妨げになる、とでも言うのでしょうか。ずいぶん都合のいい考え方だと思う。
バルタンさんもご指摘されているように、自身の主義主張、あるいは感情のために、この日の名称や「祈り」という行為を利用しているようでゲンナリしてしまいました。

ブログでの意見に対して他の人間がそれに反論を唱えるのはもちろん自由ですが、「話題にすること自体をやめろ」とまでいうのはまた話が違います。日にち限定であったとしても。
びっぐあぷるさんは「ぴかちう様もいろいろな人間がさまざまな思いを抱えていることを前提としてお話しているかと思います。」と書かれていましが、このことから私はそうは考えません。8月15日はぴかちうさんや彼(彼女)と意見を同じくする人にとってだけ特別な日であるわけではないからです。
私がぴかちうさんに対して物申しているのは、ほとんどこの一点だけです。

寄ってたかって、という様相になるのは、確かにこのブログらしくありませんし、例えばバルタンさんとぴかちうさんとのやり取りには入らないよう注意していたつもりです。でも、その点気になったとしたら申し訳ない。
TAOさんも書かれていましたが、ぴかちうさんに賛同する方がいても当然、というか日本の現状を見るにかなり多いでしょう。
だからこそ、反対したいことは反対しないと・・・と思ってしまいいます。

2014/08/22 (金) 20:55:50 | URL | バジル #- [ 編集 ]

私法と公法

例えば憲、民、刑、の基本三法の内、公法は憲、刑であり、私法は、民である。

従って憲法は 国(公)-私人 の関係の規定となる訳なのである。

2014/08/23 (土) 01:10:49 | URL | ファントム #- [ 編集 ]

憲法の解釈

国対個人が原則であるが、国対個人Aの権利を保障すると共に国対個人Bの権利も同時に保障される。

この時に個人Aの権利を保障すれば、個人Bの権利が阻害されるとする。

この場合、個人Bは憲法違反の状態に置かれていると言える。

しかしながら、憲法で規定されているのは理念であり、違憲状態の程度を裁量するために、刑法、民法が定められている。

2014/08/23 (土) 01:53:56 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ことばというもの

ののんたさんは「言葉は難しい」とおっしゃいました。そして私自身にも「言葉」とは単なるコミュニケーションツール以上の意味があります。

ぴかちうさんの主張に対してはバルタントモゾウさん、バジルさん、私などは懐疑的で、びっぐあぷるさんやののんたさんは条件付きなれど内容には耳を傾けてもいいのではないかというお立場かと存じます。

それ自体は構いません。しかしそれがぴかちうさんの態度を改めなくても良いという口実に使われる可能性もあるとしたら、それは本人のためにもならないと考えます。主張を聞いて欲しいのであればルールや礼節に則って発言するという姿勢を身につけないと、今後何度も繰り返す可能性があるからです。

私のような生まれつき耳が聞こえない子どもを持ってしまった親には、言語獲得、家庭教育が大きな課題となります。何故なら、耳が聞こえない子どもだと、やっていいこと、やっていけないことを「言い聞かす」こと自体にも躓いてしまうからです。聞こえる子どもはほっといても自然に言語能力を身につけていきます。しかし聞こえない子どもに対してはまず「言葉」が存在することを認識させなければならず、その言語獲得がうまく行かないと、言語を通しての社会性獲得も困難になります。そのような要因(に限りませんが)で家庭教育が行き届かず、社会常識から逸脱したまま成人した聴覚障害者も残念ながら少なくなりません。健聴者でも家庭問題などで歪んで育つのは珍しくないので、聴覚障害者に限った問題ではありませんが、問題を抱えた親に育てられた聴覚障害児には悲惨なケースも散見されます。成人しても言語能力は幼稚園か小学生レベルのまま、就職もままならない、社会的孤立、未婚のまま長年老親の家に同居せざるを得ない等。ヤクザ末端構成員になった実例もあります。

ヘレン・ケラーは「目が見えないのと耳がきこえないのとどちらを選ぶなら、目が見えない方を選ぶ」と言っています。言語が人間を人間として存在たらしめることを知っていたからです。シュタイナーも「言語は人間を超える」と言っています。

言語能力が充分あるのに、その言語能力を昏い方向、誤った方向、周囲との軋轢しか生まない方向にしか使われないということは不幸なことだと思います。必要以上に寛容に構えるのも、ミスリードになりかねません。気を回してみたところでも、本人が気付かないとどうにもならないですから。言葉は人を生かしも殺しもしますが、衝突より調和を、不幸より幸福を生み出すのに使われる方が幸いだろうと考えます。


話が少し逸れますが、シュタイナーは人間を「悪をなし得るほど自由な存在だ」と表現しています。天使は善しか、悪魔は悪しかなし得ない、そしてどちらも人間抜きには存在し得ない。なぜなら、天使も悪魔も「人間という存在」そして「言葉」を経由することで、初めて“天使”“悪魔”となるからです。

何かややこしい話になりましたので、これぐらいにします。

2014/08/23 (土) 07:33:57 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

ののんた様へ

私の意見について、ご解説いただきありがとうございます。
そしてご忠告感謝いたします。
互いに相手の主張が解っていて話が出来ればもう少しましな会話になったでしょうが、なんせ何度尋ねても答えてもらえなかったものでね。

阪神大震災の日や311でも数分間黙とうします。
その数分間と同じように、8月15日は1日穏やかに祈りましょうと言いたかっただけですがね。

「政府の決めた事なんて知るか!私たちには権利がある。黙祷なんて御免だ。」

というのは勿論自由ですが、私には(あくまで私的な感情として、)亡くなられた方をないがしろにしているように思えます。

8月15日の靖国の状況をご覧になられましたか?
政治家参拝賛成のグループ、反対のグループ入り乱れて怒号の嵐。
神社と言う神聖な場所、8月15日と言う慰霊の日にもかかわらず、いやそうだからそういう状況になるのでしょう。
個人の自由も重要ですが、戦没者慰霊や他人(他宗教)に対する敬意・寛容さというものも思い起こすべきではないでしょうか?
戦没者の為にたった1日論争を休戦せよという事が自由の制限まで踏み込んでると怒り狂うことでしょうか?
私を批判する人はそうなんでしょうね、他者に対する思いやりよりも法優先ということ。
だからこちらも「薄っぺらい」を取り消さず法に違反しない程度の言論の自由を行使し試したのですが、それを法至上主義の人が一転して「マナー」という。
彼らには自分の矛盾に気が付かなかったようですね。・・・また批判が来そうなのでここまで。

百歩譲って大東亜戦争の間違いを議論することはよくても、現代日本の安倍政権への批判、集団自衛権反対運動と絡めることは戦没者の政治利用だと考えます。

以上は、私の個人的な考えであり、他人に強制するものではありませんので、批判は受けるつもりはありません。
バルちゃんの重箱の隅についても突っ込みどころ満載ですし、他者への態度も私を批判できるのか?とも思いますが、感情的にしこりが残っているの状態でこれ以上やっても、同じこと。
1日遅れましたが当初の約束通りこれで去ります。

2014/08/23 (土) 10:09:36 | URL | ぴかちう #uYRd4Z.Q [ 編集 ]

ぴかちう君へ

〉バルちゃんの重箱の隅についても突っ込みどころ満載ですし〈

そう思うのなら敵前逃亡せずにきちんとした根拠(君の持論ではなく法的根拠をね)

〉他者への態度も私を批判できるのか?〈

これは筋違い論だね。私と君との間に絞るべきだね。

他者と私との問題は、論点が別だからね。
二国間協議と同じ。

私が君に反論をしたのは「人の言うことを聞かない」と書いている君の方が、実は先にコメント者の誤認をしていると言うこと。

「他人をひはんできるのか?」

という点に関しては、はっきりと言っておく。
先に攻撃を仕掛けたのは君。
それは、ブログ主に対する君の最初のコメント。
この攻撃にたいして、私としてはやんわりと「終戦の定義」自体に個人差があり、そのすりあわせが先と忠告したのだが、君は攻撃目標を誤認し誤爆をした。

ここにおいて、私の方としても集団的自衛権の行使を余儀なくされたわけだ。

従って、私の方は正当防衛なので、君に私と他者の関係についてあれこれ言う資格はない。

2014/08/23 (土) 10:39:43 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ののんたさんへ

TAOさんが危惧した通りの展開になったでしょう。

本当に彼の本意なら、いくらでも、もっと早く彼自信が語れたはずです。

なぜ、それができなかったのか?
しなかったのか?

そこに彼の真意があるということです。

彼自身は実は自分自身の知識もなければ言葉も持たない。

だからこそ、「教科書で9月2日が敗戦の日と書いてある」とかけるのです。

小中では、8月15日が終戦の日、高校では9月2日が終戦の日と記述されているのが多数です。

彼の言葉の信憑性を裏付けるには、教科書名を記述して証明が必要です。

「終戦の日」でウィキペディアを見れば、学校教科書に詳細があります。

彼が根拠を提示しないのは、自己の論理の裏付けがないことをばらさないためでしかありません。

この手法は「ヤフー掲示板」や「2チャンネル」の「荒らし」がよく使います。

2014/08/23 (土) 10:57:48 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

見えてきたぴかちう君の本音

〉「政府の決めた事なんて知るか!私たちには権利がある。黙祷なんて御免だ。」〈

誰もこんな主張を展開した人はいません。
内閣が決めたのは、「 国家行政として戦没者を追悼する行事を行う日としましょう。」であり、国の行政機関だけが対象です。
だから、国会で決める祝日とは意味が違うと言うことです。
地方自治体にたいしても「勧奨」の形をとっているのは強制力がないからです。
自らの判断で行動は決めれば良いという主張しか出ていないのに「黙祷なんて御免だ」と事実をねじ曲げています。
彼に批判が出るのはこの事実の歪曲が頻繁に行っているからです。
〉というのは勿論自由ですが、私には(あくまで私的な感情として、)亡くなられた方をないがしろにしているように思えます。 〈

前提自体に間違いがあるので、あとに続くこの文章は意味を持ちません。


〉8月15日の靖国の状況をご覧になられましたか?
政治家参拝賛成のグループ、反対のグループ入り乱れて怒号の嵐。
神社と言う神聖な場所、8月15日と言う慰霊の日にもかかわらず、いやそうだからそういう状況になるのでしょう。 〈

憲法で定められた個人の自由が保障されている国であることを示す健全な証です。


〉個人の自由も重要ですが、戦没者慰霊や他人(他宗教)に対する敬意・寛容さというものも思い起こすべきではないでしょうか? 〈

ここは彼の論理によく見られる、論理の飛躍です。
関連性のないものを関連性があるかのごとく記述する。
これは右翼団体が良く使う論理展開のパターンのひとつです。


〉戦没者の為にたった1日論争を休戦せよという事が自由の制限まで踏み込んでると怒り狂うことでしょうか?〈

ここも事実の歪曲です。
彼の望む形にならないので彼が怒り狂っているだけです。赤ちゃんが駄々をこねるのと同じですね。


〉私を批判する人はそうなんでしょうね、他者に対する思いやりよりも法優先ということ。 〈

はい、出ましたねー。「私が悪いのではない。悪いのはあなたたちだ。」と責任を転嫁する。
これは、クレーマーや陰暴論者にも通じる思考経路です。


〉だからこちらも「薄っぺらい」を取り消さず法に違反しない程度の言論の自由を行使し試したのですが、それを法至上主義の人が一転して「マナー」という。〈
はい、ここ。典型的な開き直りですね。


〉彼らには自分の矛盾に気が付かなかったようですね。・・・また批判が来そうなのでここまで。〈

彼自身の論理の矛盾を棚上げです。
こういうのを世間では「盗人猛々しい」と表現します。


〉百歩譲って大東亜戦争の間違いを議論することはよくても、現代日本の安倍政権への批判、集団自衛権反対運動と絡めることは戦没者の政治利用だと考えます。〈

長々と書いてありますが、彼の本音はここだけです。

〉以上は、私の個人的な考えであり、他人に強制するものではありませんので、批判は受けるつもりはありません。〈

批判に耳を傾けることができるほどの能力の無い者に誰も期待はしてないって(笑)

2014/08/23 (土) 12:16:12 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

プロファイリング

私の推測

年齢 25才前後
性別 男
職業 右翼系のテレフォンアポインター
(右翼団体準構成員、正規の構成員であれば、こんなことはせずに外宣車で活動しているはず。)
最終学歴 高卒(論理構成が稚拙)

趣味 ネットサーフィン(自分の論理展開に使えそうなものを探すこと。)

2014/08/23 (土) 12:29:51 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

書き落とし

〉私を批判する人はそうなんでしょうね、他者に対する思いやりよりも法優先ということ。 〈


ここの論理のおかしさに気づかれたでしょうか。

彼自身は、幾度となく閣議決定の内容を金科玉条のように扱いながら「祈り」以外の行動を認めようとしていないのに、日本国憲法や法律はないがしろにしています。
ここに彼の姿勢をうかがい知ることができます。

彼にとっては、日本国憲法で保障された各個人の権利よりも、閣議決定の方が上なのです。
これは法体系を無視した考え方です。

このような考え方は、暴走すると、日本国憲法自体がGHQから押し付けられたものだから従わないでも良い、日本独自の憲法を作り直すべきだという論理を主張することとなります。

もっととんでもない理論は大日本帝国憲法に戻すべきだというものまでいます。

少しづつ変えていくことで、変化を認識しにくくさせながら、最終的には全く別の形へと引き込む。

こういう手口にはのせられ無いように、感度を高くしておくことは必要です。

性格の温厚な人ほどはまりやすく、彼らはそういう人を見つけ出すために、ぴかちう君の論理展開と同じ手口を使います。

2014/08/23 (土) 13:55:16 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

裏の意図を見抜こう

しつこいとは思うけど、最後の解説
08/23 10:09 By:ぴかちう 君の、ののんたさん宛のコメントから

〉私の意見について、ご解説いただきありがとうございます。
そしてご忠告感謝いたします。〈

情に流されやすい人を見つけたら、次のために「この人だって話し合えば理解しあえる。」と思い込ませるのが目的です。

〉互いに相手の主張が解っていて話が出来ればもう少しましな会話になったでしょうが〈
私の最初のコメントで、前段の文章と政府批判と関連付けられる理由がないことは指摘してあります。結局は彼が私のコメントをきちんと理解しようという姿勢と努力と能力が足らなかっただけです。この文章でも彼が言いたいのは「私は悪くない。悪いのは理解できなかったあなたたちだ。」という思いが滲み出ています。

〉なんせ何度尋ねても答えてもらえなかったものでね。〈

別のコメントでも書いたのですが、彼自身が他人から援助をもらう前にいくらでも機会がありました。


〉阪神大震災の日や311でも数分間黙とうします。
その数分間と同じように、8月15日は1日穏やかに祈りましょうと言いたかっただけですがね。〈

この文章を2回目のコメントに入れていれば、かなり多くの人は騙されていたでしょうね。
けれども、私には不自然さが目につきます。それは、例にあげているのは、数分間の黙祷ですが、
〉8月15日は1日穏やかに祈りましょう〈
としている点です。
お盆ではあっても休日ではない人は大勢います。祝日でもないのに1日丸々行動規制をしようとしている意図がうかがえます。こういう部分で「ひょっとしたらファシズムの人かもしれない。」と疑うくらいのアンテナは持ってほしいと思います。

中略


〉戦没者の為にたった1日論争を休戦せよ〈
この表現に注目です。書き出しは、なんとかごまかそうと言う意識があっても、この辺りになると本性がさらけ出されてきます。明らかに命令形です。こういう部分から右翼系の臭いを感じることになります。もっとも、私も良く「努力しろ」とか「勉強しろ」とか「調べろ」とか命令はしますが、あくまでも各人のできる時間でであり、毎日の少しづつの積み重ねができるかどうかは自主性まかせです。だから少し違うと思っています。職業柄ファシズムの部分を持っているのは自覚していますしね。


〉百歩譲って大東亜戦争の間違いを議論すること〈

こういう名称の使い方も、年齢や思想を判断する材料となります。

特別講座終わり。

2014/08/23 (土) 23:50:10 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

どっちもどっち

taoさんが「「他の閲覧者がぴかちうさんの言動についてどう思っているか」と書いてらっしゃったので、一閲覧者として初コメントします。

ぴかちうさんの最初のコメント、「薄っぺらい知識」は失礼だと思いましたが、傍観者としてはこの程度の煽りはスルー出来る程度でした。ぴかちうさんが反発した片割月さんの記事の冒頭にある「欺瞞」という非難と同様に。
異見を欺瞞と切り捨て非難するのは傲慢だと思いますが、片割月さんはこういうスタイルなので私はさほど気になりませんでした。でもここに反発を覚えたぴかちうさんの感覚は理解出来ます。常連の方がここを傲慢だと感じない感覚ももちろん理解出来ます。

その後、「片割月さんの『欺瞞』発言に反発したぴかちうさんの『薄っぺらい知識』発言」を不快に思ったバルタンさんが、集団的自衛権を行使して放った「おバカさん」発言。人格非難だし失礼だと思います。でも、バルタンさんはそういうスタイルでこちらで受け入れられていらっしゃる。けれどそれに呼応したぴかちうさんの「コピペ君」発言は問題視される。
私としては、おバカさんという表現にはなんとなく愛嬌を感じるし、コピペ君も然り。どっちもどっち、という感覚です。

ぴかちうさんの主張に関しては、ののんたさんと同意見です。でも「祈る日なんだから祈って下さい」という押しつけは「正しくは敗戦記念日です」と同等に独善的だと思うので、反発を覚える人もいると思います。

ぴかちうさんの言い方も攻撃的で失礼ですが、バルタンさんのプロファイリングも私は攻撃的だと思いました。
相手の性格や人格を想像分析してファシストっぽいから信用ならぬと相手を否定&他の人にも警告する行為は、独善的で排他的だと感じるのです。
特にバルタンさんのこのコメントは、自分の想像で相手の言い分を決めつけてるようで怖くなりました。

>「この文章を2回目のコメントに入れていれば、かなり多くの人は騙されていたでしょうね。」

ぴかちうさんは騙していたと。こうなるとぴかちうさんはもう何を主張しても無駄。「ファシストっぽい」という決めつけですっかり排斥されてしまいました。

新しい記事でどなたかが今回の件に関して「バルタンさんへの同情の念を禁じ得ない」と書いていらっしゃって、びっくりしました。
たしかにぴかちうさんの対応をして労力を使ってしまったでしょうが、片割月さんに絡んだぴかちうさんに、呼ばれてもいないのに自ら絡んできたのはバルタンさん。片割月さんが自ら対応したんだったら「変なのに絡まれて気の毒に、、、」と思うのもわかりますが。つくづく感じ方は人それぞれですね。
長文失礼しました。

あ、この際なので最後に一つ。私はののんたさんのファンです!

2014/08/24 (日) 11:05:34 | URL | 一閲覧者です #- [ 編集 ]

一閲覧者さんへ

まず、私がコメントをいれる場合のルールとして
1.主な目的がコメント者に対しての場合はコメント者をタイトルに使う。

2.対象を絞らない場合は、ハンドルネーム(HN)はタイトルにいれない。

という違いがあります。


〉その後、「片割月さんの『欺瞞』発言に反発したぴかちうさんの『薄っぺらい知識』発言」を不快に思った〈

ここは貴方の感じ方であり、不快に思ったわけではありません。
私の最初のコメントを読み直してください。ぴかちう君のコメントも、片割月さんを批判した中身と同じことでしかないから「君も同じだから、その表現の形では、議論が噛み合わない」と指摘しただけです。
論点を分けないといけない問題を同時に扱おうとしている姿勢に対して、彼が使った「薄っぺらい知識」をそのまま引用して返したのです。

〉バルタンさんが、集団的自衛権を行使して放った「おバカさん」発言。人格非難だし失礼だと思います。〈

最初から使っているのではありません。
また、人格避難ではありません。
能力批判です。能力がない者に、「あなたは能力がないね。」というよりは、まだましだと思うので私は使っています。


〉けれどそれに呼応したぴかちうさんの「コピペ君」発言は問題視される。〈

ここは貴方の問題点が混同しています。

私は、彼がそういう呼び方をすることを批判はしていません。
けれども、彼は「おバカさん」と呼ばれたことに反発をして感情的になっています。彼が私をブログ主と勘違いしている可能性も考慮してはいるのですが、最初のコメントで同じに受けとること自体が普通に考えればあり得ないことなのですよ。

プロファイリングは私の見方でしかなく、それに異論があるのであれば、貴方の見方のプロファイリングを記述して批判すべきです。
観念的な批判は感情論にしかならず、議論が深まりません。

2014/08/24 (日) 15:57:04 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

一閲覧者さんはプロファイリングに異論があるわけではなく、プロファイリングすること自体に問題があるといっていると思うのですけれど……。

なんだか指摘せずにはいられません。
ぴかちうさんと同列に扱われた?ことが気に食わなかったのかもしれませんが、冷静になられた方がいいと思いますよ。

私なんぞがあなたに意見する資格はないと思われるかもしれませんがね。

別にぴかちうさんのかたをもつわけではないのですが。
ぴかちうさんも失礼な方だと思いますし。



2014/08/24 (日) 16:43:26 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

一閲覧者さんへ

〉呼ばれてもいないのに自ら絡んできたのはバルタンさん。片割月さんが自ら対応したんだったら「変なのに絡まれて気の毒に、、、」と思うのもわかりますが。つくづく感じ方は人それぞれですね。〈


あなたが、このブログをいつから見られているのかはわかりませんが、この文章から最近の読者だと推測できます。

このブログのコメント欄の特色は、ブログ主と読者、読者と読者で忌憚の無い議論が行えるのが特徴です。

ブログ主自身が自分と違う見方をコメントされることを望んでいます。

時には、ブログ主不在で議論が進むことは良くあります。

出来れば、開設時から遡ってコメント欄を読むことをおすすめします。

常連の方が「サロンのようでいい」という理由がわかるはずです。

2014/08/24 (日) 16:49:27 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ゆきめさんへ

〉プロファイリングすること自体に問題があるといっていると思うのですけれど……。〈

だとするならば、してはいけない理由の根拠の記述はありませんよね。

今回の論点と同じですが、行動規制をしたいのであれば、その合理的な根拠が必要です。プロファイリングは、犯罪操作にも使われますが、元々は人が他者を判断する場合の判断材料を羅列することなしに判断しているものを、共通認識化するために生まれた手法です。

私は私の判断根拠は明示した上で、私の推測として明記しています。

ダイエット食品のCMで「個人の感想であり効果を保証するものではありません。」と同じです。

「祖国愛」という単語に拘り、その本質の追求をされない、ゆきめさんが、形にしかとらわれないのは理解はしますけどね。

片割月さんが対極の立場にある二人が、同じ言葉について同じようなことを感じていることを記事にした理由もそこにあります。

自然科学ほど、言葉の定義が統一されていないことから生まれる見解の相違は仕方がないものですが、その相違がどこから生まれるのかを明確にするのがディベートです。

2014/08/24 (日) 17:12:37 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

お久しぶりにお邪魔いたします。
バルタン様、お元気そうですね。
相手の実年齢・社会的地位もわからないのに、プロファイリングしてみたり・年下と決めつけたり・自分の方が社会に役立つ仕事をしていると言い切れる度胸は、いっそ清々しいです。

ここのローカル・ルールでは、バルタン様はこのスタイルで受け入れられているので、いいと思うのですが一つだけ・・・

>読者と読者で忌憚の無い議論が行える
と主さまに代わりおっしゃるのなら、自分と違う意見の新参者を煽ったり・目下呼ばわりしてコメ返なさるのはなぜでしょう?最初はとにかく、あとの方になってもぴかちう様が激高し、結果アラシのようになってしまったのも、バルタンさまに原因がないとは言えますまい?
以前、『これが私のスタイル』とおっしゃっていたような記憶がありますが、そういうスタイルでは、通常の感覚ですと忌憚のない議論は不可能だと思いますが。

片割月様が、バルタン様に逆らわない読者だけのサロンのようなコメ欄を目指すと明言されているなら、それでいいと思いますが、どこにもそうは書かれていないので、疑問に思いました。
お邪魔してすみません、この疑問が溶けたらまたROMに戻ります。

2014/08/24 (日) 18:24:22 | URL | jyamushi #- [ 編集 ]

悪者探し

ブログ主の片割月さんの管理責任とかに一言も触れず、バルタントモゾウさんだけに非があるかのように事をあげつらう方が続出されていることは興味深いと思いました。バルタントモゾウさんは個性が強い方なので、好き嫌いがはっきり分かれても不思議はありませんが、これまでの紛糾(?)に関しては管理責任を負っている片割月さんに意見を物申すのでもなく、バルタントモゾウさん一人に責任を帰そうというのは、ある意味では「誰が一番悪者か」と騒いでいるようなものですね。これまでバルタントモゾウさんが暴走しそうになった時、片割月さんが注意したというのは何度か見ていますが、今回はそれがないというのは、今のところ片割月さんはそこまで問題視していないということでしょう。

誰かを悪者にして責任を問うのなら、片割月さん、バルタントモゾウさん、ぴかちうさんの三者に問うのが筋かと。

2014/08/24 (日) 19:23:08 | URL | TAO #R6DZAwZw [ 編集 ]

プロファイリングという行為の無礼さ

仮にですよ?

性別:男 下ネタをいうことから

職業:年金暮らし。これだけのコメントを残せるのは時間の有り余ってる年金暮らしの老人に違いない。

年齢:上記の理由により65歳以上。

国籍:在日韓国人。祖国について尋ねられても「定義があいまいだ」の一点張り。国籍を詮索されたないよう必死になっているように見える。
日本に住んでいながら日本の悪口を言うそのマッチポンプっぷりは在日マインドそのもの。
加えてキム・ヨナ好き。


って書かれたら腹が立ちませんか?
それが合っていても、合っていなくても。
これぐらいプロファイリングというのは相手を傷つけるものなんです。

あなたはFBIの捜査官か、学会の偉い先生ですか?
素人が専門家ぶってするようなことじゃありませんよ。

心理学科卒の私はあなたのいうところの「感覚的なところで」この人は危険だな、と思いました。

断っておきますが、私が祖国にこだわったのは、あなたを在日認定にするためではありません。
あなたのこだわりに引きずられてしまっただけです。
あなたが在日外国人かどうかは問題じゃありません。


以前のコメント欄で、
採点を疑問に思い、率直にあなたに質問する方に対して、
「そんなことは自分で調べろ。自分だってこれだけ調べているんだから。今はネットでいくらでも調べられる。それをしない人間は怠慢だ」
こんな感じに横柄にコメントしてましたね。

どの記事だったのか、タイトルを忘れてしまって今出せないのですけれど。

あげく
「あなたはこのブログの管理人なのですか?」←(これ私じゃないですよ。以前のコメント欄でもこういうことあったんです。)

というコメントには、「私は常連だ。新参者の出る幕はない。このブログを最初から読め(ごめんなさい、これはちょっと違っているかも)」
みたいに返信してましたっけ。

コメント主、絶句してましたね。
私もポカーンとしてしまったものです。

これにはさすがの片割月さまも
「バルタンさんのキツイ言い方、ちょっとどうにかなりませんか」
みたいに書かれてましたっけ。


上で私にコメントするならば~と条件を提示するわりには、バルタンさんに話しかけられたことも何度かありました。

採点に疑問があるなら私のブログへ!みたいにいわれたり。


それと私が初めてこちらのブログにコメントした記事では、

「私の好きな歌・その9 和泉式部3首」

よくわからない感じでからんで来たり。
なんていうか、議論がお好きというよりは、ただのかまってちゃんなのかな、とすら思いますよ……。


PS:私のプロファイリングをしても無駄ですよ。私のブログやTwitterを見ればおおよその見当はつくだろうと思いますので。
そして名誉棄損なみのはブログ主様に排除申請出しますからね!

2014/08/24 (日) 19:30:26 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

jyamushiさんへ

〉と主さまに代わりおっしゃるのなら、自分と違う意見の新参者を煽ったり・目下呼ばわりしてコメ返なさるのはなぜでしょう?〈

最初の私のコメントをきちんとよむべきですね。
貴方の言っている内容は、そのままぴかちう君の最初のコメントに言えます。新参者だからというのは免罪符にはなりません。

〉最初はとにかく、あとの方になってもぴかちう様が激高し、結果アラシのようになってしまったのも、バルタンさまに原因がないとは言えますまい?〈

あなたがそう感じることと事実は違いますね。
定義についての議論につかなかったのは彼です。
従って責任は彼の方にあります。彼自身が先に煽るようなことをした事実の方が重いのです。正当防衛か過剰防衛かは、人によって判断が違います。その違いがあることをあなたが認めたがらないだけですね。
つまりは貴方も、貴方の価値基準の方が正しいと思う部分があり、私も同じだということです。だから、貴方の感じ方が、おかしいとは言いませんが私の考え方の説明はします。「さん」づけが「君」付けに変わるのは相手の対応に会わせてですから、私から言えば因果応報にすぎません。

〉以前、『これが私のスタイル』とおっしゃっていたような記憶がありますが、そういうスタイルでは、通常の感覚ですと忌憚のない議論は不可能だと思いますが。〈

この点については、過去に片割月さんがコメントした内容を復読願います。


〉片割月様が、バルタン様に逆らわない読者だけのサロンのようなコメ欄を目指す〈

ここは記述自体がおかしいですね。貴方の感じ方でしかありませんね。

〉と明言されているなら、それでいいと思いますが、どこにもそうは書かれていないので、疑問に思いました。〈

文章表現を問題にしたい方とは基本的に私と議論はできません。

相手がどれだけ本質にだけ的が絞れるかを試すために、ぴかちう君と同じ手法を相手によってはとります。

知識の深さを知るのにはそれが一番早いからです。

怒って感情だけの文章になるのは知識や考察の浅さを示します。

多角的に考えていれば、文章から読み取れます。

また、ぶつかり合うことで視点の違いもわかります。

多分、コメント欄で意見の相違から私がコメントをいれなかった人はほとんどいないはずです。

その中で、私のスタイルを認める人もいれば、認めたがらない人もいるのは当たり前です。
けれども、私のスタイルを規制することは、ブログ主でもできないということです。
それは、表現の自由だからです。

私は、ぴかちう君が「欺瞞」という言葉に対して不満を感じたことは反論していません。その感情の根拠が呼称についてでありながら、法的根拠に乏しいけとを指摘しただけです。

国際法上の観点で議論するのか、国内法の観点で議論するのか、国内慣習の観点で議論するのか。

それぞれで、敗戦の日の定義も終戦の日の定義も変わってきます。
まして、大日本帝国憲法に従うのであれば、天皇の詔が、国内に対しての定義は8月15日は敗戦の定義にしかなりません。

終戦とは関係国個別の問題だからです。

本質の部分での議論から逃げるのなら最初から議論に応じなければいいのです。

2014/08/24 (日) 19:35:45 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

ゆきめさんへ

別にどうも思いませんよ(笑)

全然当たっていないし、あなたが私を嫌っていることは、折り込み済みですから。

ただ、判断根拠を示さずに書くことは、誹謗抽象に問われる可能性があることは認識した方がいいですね。

あなたへ忠告しておきますが、もっと多面的に考察することをおすすめします。

私から見ると、貴方のコメントは思慮が浅いのがめだちます。

2014/08/24 (日) 19:44:47 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

>怒って感情だけの文章になるのは知識や考察の浅さを示します
そのとおりです。が、これまでも時々バルタン様がぴかちう様に限らず、わざと相手を侮辱して感情的にさせ、論理を破綻させ論破しようとしているように見えてしまったので、『これでは忌憚のない議論など怖くてできないな。』と思ったので伺ってみました。
もちろんこれも、私個人の感じ方に過ぎませんが、人にはそれぞれ感じ方があり、中にはあなたのような議論の仕方を忌避するあまり議論もできず、口をつぐんでしまうものもいるということはご理解くださいね。

自分とは相容れない方だなあ、とは思いますが、誠実にたくさんお応えくださりありがとうございました。

2014/08/24 (日) 21:19:10 | URL | jyamushi #- [ 編集 ]

補足です。

記事を見つけました。

「2013GPSはもう最終戦のロシア大会。早いなあ。:ロシアの陰謀?(^Д^)」
(禁止ワード設定にされているのかリンクが張れない。)

という記事の18時頃のコメント欄です。


2014/08/24 (日) 22:25:52 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

Re:ののんた様へ

>ぴかちうさま

もう読まれていないかもしれませんが、私宛に頂いたコメントについてのみ申し上げます。

最近終戦記念日に靖国神社には行っていませんが(以前は割と近くに住んでいたので通ることもありました)、騒ぎの様子は動画で見たことがあります。思想などという深いものではなく、注目を浴びる日であることを利用してデモンストレーションを行っているだけのように感じました。
テレビの中継カメラの前でVサインをしている子供と同じですね。

諸外国のプレスも入っていることを意識してか、ことさらに政府的メッセージをアピールする集団が散見されるのも事実だと思います。追悼のために訪れた人にとって、門前でのあのような騒ぎが不快であることは理解致します。

が、

個人のブログでのやり取りまで「休戦」する必要があるのかどうかについては疑問を感じます。
ブログの記事というのはいわば家の中でおしゃべりしているようなもので、表通りで騒いで静かに祈りたい人を妨害するものではありません。門前でのデモンストレーションとは分けて考えるべきだと私は思います。
そしてその「休戦の提案」が攻撃的・侮蔑的な言葉で投げつけられたことは非常に残念でした。

「この日は”みんな”静かに過ごそう」というのは危うい方向へも転びかねないと思うんですよ。

戦前・戦中の日本は政府の方針に異論を唱えることなど許されず、情報もまた政府の都合の良いように隠匿・操作されました。
”みんな”が同じことをしなくてもいいこと、追悼一色にならなくともいいことは現代日本の平和と自由の証であり、それはかつての多くの犠牲の上に成立したものです。この自由が守られることもまた慰霊につながると私は思っています。

私は8月21日のコメントの通り「それぞれの終戦記念日があっていい」派ですが、自分自身は例えば反戦集会に行ったりするよりは静かに過ごしたい方です。
ですから「この日くらいは静かに祈りましょう」というご意見自体に反発は感じません。そういうご主張もまた自由だと思います。
ただそれが礼に則って提示されていればと惜しむのみです。

話が変わりますが、実際の門前の騒動に関しても、ああいった狂奔が日常的にあそこで繰り広げられているのなら「今日くらいは休戦しろよ」という提案も成り立つでしょうが、ピンポイントでまさにその日を狙って来るわけですから、あんまり意味ありませんよね~。

私から言いたいことを言いっぱなしで書き逃げする形になりますが、繰り返しになりますし、もう去られるとのことですのでお返事は結構です。

ごきげんよう

2014/08/24 (日) 23:25:50 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

ゆきめさんへ

寡文にして、私はあなたのいう、「心理学科卒」で学士の称号を発行する大学を国内においては知りません。

通常は学部が学士称号になるはずなんですが?

2014/08/24 (日) 23:42:26 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Re:ののんたさんへ

>バルタントモゾウさま

私自身「自分自身の知識があるか」「自己の論理の裏付けがあるか」と問われれば耳が痛い限りですのでなんとも…。

故・伊丹十三氏のエッセイの前書きに「僕自身はただの空っぽの容器である」という一文がありましたが、いろいろなことをマジメに考えようとすればするほどこの文章が身に沁みます。

2014/08/25 (月) 00:39:32 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

TAOさま

>シュタイナーは人間を「悪をなし得るほど自由な存在だ」と表現しています。天使は善しか、悪魔は悪しかなし得ない、そしてどちらも人間抜きには存在し得ない。<

週刊文春(例の”無理チュー”記事が載ってるやつですよ…)の宮崎哲弥氏のコラムに、「話の最初だけ聞いて反発せず、最後まで聞いて下さい」という前置き付きで「君たちには人をころす自由がある」という文章がありました。「人をころす自由があるのにころさない選択をする」ことに人間の尊さがある、と続き、「被害者の苦しみや痛み、加害者の傲慢と過ちを我がものとして想像し、共感することが自らを律する力になるはず」と結ばれていました。

またローラ・インガルスの「大きな森の小さな家」シリーズには、本能的に厳しい冬を避けて飛んで行く鳥を見て、「動物達には神様が逃げろと教えて下さるんだ」と父さんが教えるシーンがあります。「神様は人間には教えて下さらないの?」と聞くローラに、「神様は人間を自由な生き物としてお作りになったのだから、人間は自分で考えて工夫しなくてはいけないんだよ」と父さんが答えます。

はたまた宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」に「良いおまじないに力を与えるには、悪い言葉も知らなければ いけないと祖母から教わった」というヒロインのセリフがありました。悪を成す力も持ちながらあえて善いことを行おうとする意思が、魔法に力を与えるということでしょう。

どれも少しずつ意味合いは違うのですけれど、TAOさまのご紹介下さった文章から「自由と責任」について改めて考えさせられる連想ゲームでした。

2014/08/25 (月) 00:45:57 | URL | ののんた #- [ 編集 ]

いろんなご意見を読んで・・・

う~ん、ぴかちうさんと片割月さんの主張を同列に置いて「独善的」というのは、まったく違うと思いますけどね。

天災の犠牲者とは違い、戦没者という国同士の巨大な利害対立の犠牲になった人たちの慰霊行為において、イデオロギーの論争が起こるのはいわば必然です。
靖国だって国のために美しく命を散らしたと考えたい人には神聖な場所であり、「国の犠牲になった」と考える人にとってはきな臭い場所なのですから、揉めるのはバルタンさんの仰るとおり「健全」な証拠だと私は思います。
戦死した人の思いだってもちろん一人ひとりちがうのだから、後者を一括りに「戦没者をないがしろにしている」というのもおかしい。
日本人全員がその死を美しい、崇高なもの「としか」受け止めないのであれば、それこそ不健全極まりないでしょう。この日に靖国で手を合わせる人もいれば、国が起こした大被害を心に止めようという人もいる。それが、今の日本です。

片割月さんが「敗戦記念日」という強い言葉で個人の意見の表明したことに反発があることは、当然だと思います。
でもね、ののんたさんはとても優しい言葉でおっしゃっているけれど、上記のような状況の中で、そういう意見に対して「この日には一切そういう事を言うな」というのは、無自覚で幼稚なファシズムです。いくら感傷に訴えようとも・・・。「たった一日くらい」などと言ってしまうところに、その無自覚さがよく現れていると感じます。

批判の内容にまでおりていくこともないこんな言葉に対して、このブログの長い読者である方からも「うなずける」という言葉が出たことは、率直に言って私にはショックでした。もはやこういう感覚すら伝わらないのか・・・というのが正直な思いです。

ところでバルタンさま、私もプロファイリングには賛成しかねます。理由は、バルタンさんが自分の思いを伝えたいと考える人に対しては、そのやり方は逆効果でしかないだろうと思うからです。

2014/08/25 (月) 04:12:06 | URL | バジル #- [ 編集 ]

 余計な事かもしれませんが…。

 心理学科は文学部、人間科学部、社会学部、社会福祉学部等々の下にあるのが一般的です。
 ただ、立教大学には現代心理学部という学部があります。(以前は文学部に心理学科が付いていた様ですが)
 

2014/08/25 (月) 08:11:03 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

バルタンさんへ

誤解されているようなのでまたお邪魔しました。
私は誰も何も批判&非難していません。常連でない閲覧者としての感想を書いただけです。

>その後、「片割月さんの『欺瞞』発言に反発したぴかちうさんの『薄っぺらい知識』発言」を不快に思ったと私が勝手に推測したけどそれは違うと説明して下さったバルタンさんが

に訂正しますね。長くて分かりにくい悪文になってしまいましたけども。

貴方はバカは人格非難ではないと思っていらっしゃるんですね。
私は人格非難だと思いますが人それぞれですね。アテにならない記述も多いwikiに、とりあえず人格否定と書いてありますので、そういう認識の人も一定数はいるのでしょう。あ。非難と否定は違いますね。失礼しました。

『馬鹿(ばか)とは、日本語で相手をからかったり侮蔑(その立場を低く見なす事で、相手の感情を損なう・人格の否定)するため、最も普通に使われる[1] 卑語・俗語である。公の席で使うと刺激が強過ぎることがある[1]。』
(Wikipediaより。私もコピペ君になりました!)

>私は、彼がそういう呼び方をすることを批判はしていません。

承知しています。私も貴方が批判したとは書いていません。他の方が問題視されていました。

プロファイリングに関してですが、私は批判していないし、異論もありませんよ。やめて欲しいとも思っていないし、やりたければやればいいと思います。私が個人的に攻撃的だ、と感じ、それを感想として書いただけです。

それと、貴方が呼ばれてもいないのに絡んできた事も、全然OKだと思っていますよ。
ここがそういうスタイルなのもわかっています。
私も呼ばれてもいないのにしゃしゃり出てきましたし。
ただ、貴方が気の毒だ、という意見に驚いただけです。
ブログ主さんがぴかちうさんと不毛な議論をしてお疲れだったのなら「ブログ主として否応無く対応せざるを得ない立場で気の毒だ」と理解できますが、貴方は否応無く絡まれた立場ではないですから。

2014/08/25 (月) 09:00:31 | URL | 一閲覧者です #- [ 編集 ]

一閲覧者さんへ

親しみを込めて「この子ったら本当におバカさんね。」というような使い方もあります。
言葉の形状がすべての使用意図を表すものではありません。

類型化したい人がよくはまる陥せいですね。
Wikipediaが完全なものではないですが、信頼性の高いものとそうでないものの区別はされています。

2014/08/25 (月) 09:35:33 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

shigeさんへ

情報ありがとうございます。

心理学といっても、臨床心理学のような医療関係のものもあれば、行動心理学のような産業活動に応用されるものもあれば、教育心理学や発達心理学のようなものもあるので、判断が難しいですね。

2014/08/25 (月) 09:55:02 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

一閲覧者様へ

「プロファイリングに関してですが、私は批判していないし、異論もありませんよ。やめて欲しいとも思っていないし、やりたければやればいいと思います。私が個人的に攻撃的だ、と感じ、それを感想として書いただけです。」

そうだったのですね。

私の解釈は間違っていたみたいですね。
余計なお世話を焼いてしまい、申し訳ありませんでした m(_ _)m

2014/08/25 (月) 10:03:01 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

一閲覧者さんへ

訂正するのなら

>その後、「片割月さんの『欺瞞』発言に反発したぴかちうさんの『薄っぺらい知識』発言」をバルタントモゾウさんが不快に思ったのか〈

とすれば貴方の見方で書かれていると判断できます。

事実か個人の感じ方なのかが明確であれば問題ありません。

問題点の対象が別の場合も同じように明確にしなければ、対象が混同される可能性があり、論点がずれることがあります。

2014/08/25 (月) 10:03:50 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタンさんへ

そうですね。最初のコメントで私も「おバカさんには愛嬌を感じる」と書いています。

私のつたない訂正文を訂正して頂いてありがとうございました。
随分わかりやすくなりました。
ところでこのコメントは送信されるでしょうか。
さっきから別のコメントを送ろうとしているのですが、なぜか送信出来ないです。

2014/08/25 (月) 10:36:04 | URL | 一閲覧者です #- [ 編集 ]

バルタンさんへ

しゃしゃり出ついでに、質問があります。質問で返されそうですが(笑)

>「この文章を二回目のコメントに入れていれば、かなり多くの人は騙されていたでしょうね。」

事実確認不可能な個人の推測で、特定の人物を「この人は騙している」と断定し、

>「こういう部分で『ひょっとしたらファシズムの人かもしれない。』と疑うくらいのアンテナは持ってほしいと思います。」

と、特定の人物を疑うように啓蒙する行為は、独善的で排他的だとはお思いになりませんか?

改めろ、とは言っていません、しつこいようですが。
ただ、貴方の考えに興味があるのです。
ただの興味なので、もちろんスルーして頂いても結構です。

ちなみに「バカは人格非難?」とググったら何故かヒットした議論法のサイトで興味深い記述を見つけたのでコピペしときますね。
このサイト内容が正しいという証明はないし、貴方と直接は関係ないですが。
でもサイト中の「答えたくない質問にはイデオロギー装置を問いただす」の例を読んだ時は、「あ!バルタンさんだ!」と知り合いを見つけた気分になりました。
ですから、もしイデオロギー装置作戦が始まったら、答えては頂けないんだな、と退散する事に致します。
レッテル貼りとプロファイリングは似ている気がしました。

『◇レッテルを貼る。
人種、民族、国籍、信条、宗教、思想、性別、障害、職業、社会的地位、経済レベル、外見等の相手の属性をあげつらう、もしくは人格に対し一方的な格付けをし、それを根拠に反論しようとする詭弁です。

・レッテル貼りは次のような形式を持ちます。
前提1.A という人が X と主張する。
前提2.A について何らかの疑惑/問題/いかがわしい点がある。
 結論.従って、X という主張は誤りである。

(思想に対するレッテルの例)
A氏 「福祉政策を充実すべきである。」
B氏 「皆さんご存知ですか? A氏は共産主義者ですよ。」
(隠れた前提: 共産主義者の意見は常に誤り。)

B氏の反論(のつもりの発言)はレッテル貼りです。A氏が共産主義者であることと、福祉政策を充実すべきか否かは関係ありません。』

2014/08/25 (月) 10:51:04 | URL | 一閲覧者です #- [ 編集 ]

ゆきめさんへ

謝らないで下さい。
私の方こそお気を使わせてしまって申し訳なかったです。

2014/08/25 (月) 10:56:17 | URL | 一閲覧者です #- [ 編集 ]

一閲覧者さんへ

彼が政府批判に関して言及していなければ、貴方の言う通りでしょう。

そのサイトは私も知っています。

人格批判が成立するのは、根拠の提示がない場合と私は判断しています。

確か、後半部分で関連性は記述があったと思います。

ただ、あのサイトは基本は大会にあるので、現実のディベートからは?に感じる部分はあります。

基本的な思考や価値観が近いことが前提であり、大きく違う場合は通用しないこともあります。

パターン化すれば、それを逆手にとる方が簡単です。

あまり、書くと手の内をばらすことになるので、このくらいに(笑)

2014/08/25 (月) 11:20:19 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタンさんへ

お返事ありがとうございました。

>彼が政府批判に関して言及していなければ、貴方のいう通りでしょう。

これは私の質問に対する答、と受け取ってよろしいでしょうか?
私は「これが正しい」と何も主張していないので、「いう通り」が私のどの記述を指しているのか戸惑ったのです。
とりあえず、彼の政府批判に関する言及の有無によって、貴方の行為が独断的排他的であるかどうかが変わるという認識、だと理解しておきます。
(違っていたらご指摘下さい。)
政府批判に関する彼の言及は、彼の人間性(ファシスト性含む)を何ら「事実」として証明できるものではありませんが、そこがネックなんですね。
仲間を守る、正当防衛、という感覚でしょうか。それはとても理解できます。
集団的自衛権を行使した、ともおっしゃっていましたし。
でもあなたの分析推測は事実とは異なっているかもしれない。
実際分析が当たってるかもしれない。
そこは誰にも分からない。
それは、とても危険な事で、でも大切な心、と思いました。
愛国心、とも通じるものを感じます。諸刃の剣。

>あまり、書くと手の内をばらすことになるので、このくらいに(笑)

あのサイトご存知だったのですね! バルタン戦法がいっぱい見つかりましたよ。

お付き合いありがとうございました。

2014/08/26 (火) 01:06:06 | URL | 一閲覧者です #- [ 編集 ]

ゆきめさんへ

お気を使わせてしまったお詫びに置き土産をひとつ。先日見つけた議論法のサイトのコピペです。

『強弁【議論を回避する質問 <わからない>編】

これは遙洋子氏の著書で2000年に出版されて20万部を売ったベストセラー『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』の中にある『ケンカのしかた・十箇条』について、この論法を実際に使用するさいの注意点です。

(『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』より引用。)

『ケンカのしかた・十箇条』
◇その2 『守るための質問、<わからない> 編』
攻撃されたとき、それに対し、反論、弁明、などのリアクションをとるのではなく、相手が無自覚に安易に使用している言葉や表現に対し、質問する。(中略)

◇その3 『守るための質問 <○○ってなに?> 編』
上記に続く戦法。主に単語に使用する。「国家」「愛」「家族」「結婚」「人種」「血」「母性」「本能」「自然」「文化」。あらゆるイデオロギー装置を問いただす方法だ。(中略)
「それで家族と言えるのか!」
「家族ってなに?」
「父親と母親と子供たちだよ!」
「母親ってなに?」
「おおきな愛で家族を育んでくれる人!」
「愛ってなに?」

文中の『イデオロギー装置』とは、つまり、定義が隠れた前提かつ感情が充填された語になっている言葉を指しているようです。本のこの論法は第二章の『なぜ?の習慣』に似ていますが、使用する際は次の二つのルールを守る必要があります。
1.質問する言葉の定義が隠れた前提になっていること。
2.質問の内容が論点と関係があること。
以上のルールを守らなかったとき、これは強弁のテクニックになります。』

「祖国愛」の質問はイデオロギー装置の格好の餌食だったみたいですよ。
私がこれ仕掛けられたら「私は貴方の定義&価値観による貴方の解釈を聞いています」と返したいな、と、上記の例を読みながら思いました。本当の事だから。相手の価値観&定義による相手の考え方を私は知りたいです。あの質問の答も聞きたかったですね。残念でしたね。
でも祖国愛って難しいですよね。幕末の志士なんかも、それぞれがそれぞれに祖国愛を持っていて、それぞれが違った思想&目的を持って戦って。

では外野に戻ります!失礼致しました。

2014/08/26 (火) 01:14:10 | URL | 一閲覧者です #- [ 編集 ]

イデオロギー装置

私はイデオロギーでは説明できない祖国愛は誰にでもある、とイデオロギー装置を「経験」でパスしました。(笑)

仕事で知り合いになったポーランド人は、とにかく子供の将来のためにポーランドを出ることを決心したそうです。そのためにフランスへの3日間の出国許可を取り、車も家も、両親も故国において、3日間の旅行の軽装で荷物はほとんど持たずポーランドを出たそうです。
その先のカナダ入国については詳しくは聞きませんでしたが、カナダで就職しようとすると言葉のハンディーの上にポーランドでの資格はカナダでは通用しなかったので、労働に近い仕事から始めたそうです。同じような経験を持つ移民者は多いはずです。
一度その人に誘われてポーランド系カナダ人で構成するコンサート(さすがにショパンのお国の人たちです)に行ったことがありますが、祖国を捨てた(と、日本の人に良く言われる)そういう人たちの間でも、愛国への情は強く政治、権力に対する反発はあっても祖国愛、祖国へのプライドは別のものだと思います。

  

2014/08/26 (火) 06:50:18 | URL | kan kan #E0/upmTg [ 編集 ]

kanーkanさんへ

ではさらに難しい質問。

祖国とはなんでしょう。

例題

A君もB君も生まれてから15年間を日本で過ごしました。
それから、15年間をカナダで過ごしました。

A君は日本を祖国だと言います。
B君はカナダを祖国だと言います。

二人とも両親は日本人です。

C君は、生まれたときから日本にすんでいます。C君は日本が祖国だと言います。
C君の両親はカナダ人です。


このちがいはどこからうまれるのでしょう。

2014/08/26 (火) 07:07:58 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

一閲覧者さんへ

祖国愛という定義を尋ねるのはレトリック上のテクニックとしてではないですよ。

投げ掛けられた問題の意図を正確に把握することが重要です。

個々にそれぞれ個別の正解が存在するものを、論理の構築には使ってはいけないのです。

騙されるの説明が言葉足らずのようなので、彼の主張したいものが「静かに祈る事ではなく、政府批判をするな」だとした場合に、彼の主張が「政府批判をするな。」と気づけない人がほとんどになるということです。

詐欺師は相手の警戒を解ければ、成功したのも同じだということです。

警官ではなくとも「人を見たら泥棒と思え。」という警戒心は持たなければならないということです。

実は、本当の右翼でファシスとは私かもしれないのですよ(笑)


悪魔は天使の振りをする。
だから、天使の振りをしないのは悪魔ではない。

バルタンは悪魔の振りをする。だから、バルタンは天使だ。

真偽、命題、対偶をこの2文から考えてみましょう。

2014/08/26 (火) 07:38:05 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

バルタンさんへ

バルタンさんへ

一つ目の問いは私のような場合ですので「経験」から言いますと、私は日系社会にどっぷり、という生活をしていません。誤解を招くような言い方ですがカナダ社会で活躍されている人も多く知っていますがそれでも周りにB君のようにカナダを祖国だという人にいません。

二つ目は経験がありませんが、、、
C君の育ち方、両親の育て方にもよるのではないですか。日本は外人は何年日本に住んでも外人で、なかなか日本人として受け入れないところがあると思いますがどうですか。 
米国に住む知り合いに両親が日本生まれの日本人で、米国生まれ、育ちの女性がいます。彼女は日本大好きで日本で仕事をしたこともありますが、祖国と聞かれたら米国というと思います。
身近な?ところでスケートのシブタニ兄妹や長洲選手はアイデンティティは日本人、祖国は米国と思っているとおもいます。 オリンピックの時にはまず米国選手を応援し、次に日本を応援しているはず。
これが簡単な愛国心の踏み絵(笑)



答えになっていないか?




2014/08/26 (火) 08:14:04 | URL | kan kan #E0/upmTg [ 編集 ]

kanーkanさんへ

それは、あくまでもkanーkanさんの体験からということで例題のB君のような人がいないという証明にはならないのです。

もう少し身近な話にするなら、卒業校を誇りをもって語る人間もいれば、語りたがらない人間もいるということです。

愛校心はないのか?と問うことはある種の独善でしかない可能性があることを忘れてはいけないのです。

「祖国愛」を考える題材の1つに、トム・クルーズ主演の「ワルキューレ」2008年作をお薦めします。
ナチスに対抗するドイツ軍内部のヒトラー暗殺計画を描いています。


2014/08/26 (火) 08:32:57 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

祖国の定義

kanーkanさんの挙げてくれた例から言えること。

祖国の認識と人種はイコールではない。

祖国の認識と生まれた場所、過ごした期間との関連はあると考えられるが、数的な相対関係があるのかは不明。
また、個人の生育環境の違いから来る影響の度合いも不明。

2014/08/26 (火) 12:04:31 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Kan-Kan様へ

ちょっとびっくりですよ。

ソチオリンピックのフィギュアスケート競技、男子シングルは羽生選手ではなくチャン選手に金メダルをとってもらいたかった私は非国民で愛国心がないということでしょうか(笑)。

ロンドンオリンピックのシンクロナイズドスイミングは日本ではなく、中国を応援していた私は非国民で愛国心がないということでしょうか(笑)。

オリンピックだからといって自国の選手を応援する必要はないという私の考え方はおかしいのでしょうか?

2014/08/26 (火) 12:20:18 | URL | 神無月 #QygVoc82 [ 編集 ]

神無月さんへ

宛先を間違えましたので改めて。 

神無月さんへ。

そういうひねくれもんは世の東西を問わずどこにもいます(笑)
そういう私も今回はチャン選手にとらせたかったというか、とるべきだと思いましたが。

自国を応援しないから非国民?
そんなことは言っていません。

ところでシンクロでの中国押しやいかに?
 

2014/08/26 (火) 13:07:40 | URL | kan kan #E0/upmTg [ 編集 ]

ちょっと不思議

バルタンさんが学士について私に尋ねられたのはどういう意図があったのでしょうか。

個人情報をさらすことになるので何学部卒かは書きませんが、私は大学を卒業しています。

学士号の有無が問題になるのでしょうか。
もしくは海外の大学を出ていたりすると何か違ってくるのでしょうか。

ちょっと不思議です。


バジル様、shige様。
私にはいろいろと足りない部分があるようですね。
はっきり書いていただき、ありがとうございました。

私もまたロム専にもどろうかな、と思います。
自分はこの場には相応しくないのかな、と感じたので。
こう書くと何か誤解を招くかもしれませんが。

一閲覧ですが様、置き土産ありがとうございました。

2014/08/26 (火) 14:36:49 | URL | ゆきめ #.lmTVR2o [ 編集 ]

ゆきめさんへ

心理学卒を持ち出すのなら、「私は犯罪心理学を専攻しました。私が、プロファイリングをするなら、こういう点からあなたをこう分析します。」とならなければ、卒業学科を名乗る方が恥になると考えるからです。

感情に任せて相手を怒らせようとするためだけの、判断根拠のないものは、プロファイリングとは似ても似つかないものです。

2014/08/26 (火) 15:33:32 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

Kan-Kan様へ その2

>そういうひねくれもんは世の東西を問わずどこにもいます(笑)

「ひねくれもん」という表現が適切か否かはさておき(笑)、ほぼ私の予想通りの答えを頂きました。

日系3世のシブタニ兄妹、日米二重国籍の長洲未来選手は共に米国在住で、アメリカチームを応援するであろうと思われる。
逆に、日本生まれ日本育ち海外居住経験のない神無月は、中華系カナダ人のチャン選手を応援する。
イデオロギーでは説明できない祖国愛の情があるというのなら、その逆もまた、存在するということです。イデオロギー抜きで、祖国に感情移入しないことだってありうるわけです。

(※誤解のないように一応書いておきますが、私は羽生選手を全く応援していないわけではありません。ただ、「羽生君は次のオリンピックに出られる年齢。だから、金メダルはベテランにとってもらいたいな」という気持ちがあった故、金メダルはチャン選手にとってもらいたかった。ちなみに私の希望は高橋選手とチャン選手の一騎打ちでした。高橋選手の怪我により、それは叶わず)

>ところでシンクロでの中国押しやいかに?

シンクロは十数年に渡って、ロシアが頂点に君臨しています。その牙城を崩せる可能性があるのは、かつては井村コーチ率いる日本でした。けれども、井村コーチはアテネオリンピックの後、中国のコーチに就任。日本は弱体化する一方、中国が強くなりました
ロシア1強では、シンクロファンとしてはあまり面白くない。ですから、ロンドンオリンピックでは中国に望みを託したというわけです。
井村コーチを失った日本チームは、応援したいと思えるような要素がないのでね。
今年、井村コーチはまた日本チームに戻ってきたので、これからまた日本を応援するかもしれません。私は井村流のシンクロが好きだったんです。

2014/08/26 (火) 19:04:02 | URL | 神無月 #2AJ..f72 [ 編集 ]

一閲覧者さんへ

[ののんた様へ]
私の意見について、ご解説いただきありがとうございます。
そしてご忠告感謝いたします。
互いに相手の主張が解っていて話が出来ればもう少しましな会話になったでしょうが、なんせ何度尋ねても答えてもらえなかったものでね。

阪神大震災の日や311でも数分間黙とうします。
その数分間と同じように、8月15日は1日穏やかに祈りましょうと言いたかっただけですがね。

「政府の決めた事なんて知るか!私たちには権利がある。黙祷なんて御免だ。」

というのは勿論自由ですが、私には(あくまで私的な感情として、)亡くなられた方をないがしろにしているように思えます。

8月15日の靖国の状況をご覧になられましたか?
政治家参拝賛成のグループ、反対のグループ入り乱れて怒号の嵐。
神社と言う神聖な場所、8月15日と言う慰霊の日にもかかわらず、いやそうだからそういう状況になるのでしょう。
個人の自由も重要ですが、戦没者慰霊や他人(他宗教)に対する敬意・寛容さというものも思い起こすべきではないでしょうか?
戦没者の為にたった1日論争を休戦せよという事が自由の制限まで踏み込んでると怒り狂うことでしょうか?
私を批判する人はそうなんでしょうね、他者に対する思いやりよりも法優先ということ。
だからこちらも「薄っぺらい」を取り消さず法に違反しない程度の言論の自由を行使し試したのですが、それを法至上主義の人が一転して「マナー」という。
彼らには自分の矛盾に気が付かなかったようですね。・・・また批判が来そうなのでここまで。

百歩譲って大東亜戦争の間違いを議論することはよくても、現代日本の安倍政権への批判、集団自衛権反対運動と絡めることは戦没者の政治利用だと考えます。

以上は、私の個人的な考えであり、他人に強制するものではありませんので、批判は受けるつもりはありません。
バルちゃんの重箱の隅についても突っ込みどころ満載ですし、他者への態度も私を批判できるのか?とも思いますが、感情的にしこりが残っているの状態でこれ以上やっても、同じこと。
1日遅れましたが当初の約束通りこれで去ります。
08/23 10:09 By:ぴかちう〈



これですよ。
このコメントに対して私の解釈は数回におよびコメントが入れてあります。

そのコメントにあなたもコメントを入れています。

すでに、この時点であなたの主張は、言い逃れにしか過ぎない、時間稼ぎの小細工と私は見なしています。

あなたが返信するしないで、私が追求の手を緩めることはありません。

あなたが戦争は止めたとしたところで終戦にはなりません。

私の方は戦争状態は続いているという認識です。

2014/08/28 (木) 09:44:26 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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