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日本史上には悪人は数多いても、悪女は居ない?





日本史上、一番ひどい悪人は誰?
記事はここです

1位:明智光秀
2位:織田信長
3位:徳川綱吉
4位:平将門
5位:田沼意次
6位:蘇我入鹿

まあ、遊びですけどね。

光秀は「悪人の信長」を殺したんだから、むしろ、善人じゃない?(-^〇^-)

それよりも、主人の三好長慶を殺し、将軍足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼き払った松永弾正久秀の方が遥かに悪人でしょう?知名度の差かしら。信長は降参した久秀を侍らせて、「この男は大悪人よ」と言って家康に紹介したとか。久秀にしてみれば、「信長め、オマエに言われたくない」と思ったことでしょう。これを恨みに思ったのか、その後久秀は信長を何度も裏切ったとか。

信長は一向一揆衆を根切り、撫切りと称し、数え切れぬほど虐殺しまくったり、比叡山焼き討ち等、トンデモない戦国大名でしたが、当時としては進歩的で合理的な考え方も持っていた人なんですよね。唯物論的発想があったのかも。神とか仏など存在しないと思っていたフシがあるし、天皇家に対しても表面上は敬意を表しつつも、てんで問題にしていなかった様子も伺えます。バテレンを保護したのは宗教心からではなく、新しい知識や発明に関心が強かったからでしょう。

綱吉は日本史上に残る悪法、「生類憐れみの令」がまずかった。しかし、生類を憐れむという発想そのものは悪くは無い。ただ、運用面でおかしなことになってしまったようだ。

将門ですが、これは皇国史観の影響でしょう。私には悪人というイメージは無いな。むしろ、天皇家に対抗して坂東で新皇を称したのであれば、なかなかの心意気ではありませんか!!

田沼意次についての評価は最近見直されていますが、賄賂・汚職の権化という見方が根強いのでしょうね。

6位の蘇我入鹿にはワロタ。日本人の大好きな聖徳太子。その嫡男の山背大兄王をはじめとした聖徳太子の一族を皆殺しにしたのがいけなかったようね。黒岩重吾が入鹿をある程度好意的に描いた小説を残していますが、なかなかネ。。
皇国史観的に見れば、崇峻天皇を殺した蘇我馬子の方がよほど悪人と思うが(^O^)。

私なら日本史上の一番ひどい悪人に東条英機を選ぶけどな(^-^;

理由は色々とありますが、多くの日本軍兵士を犬死に、野垂れ死にさせた最大の責任者の一人だよ。

大本営陸軍参謀の辻政信中佐というのも相当のワルだね。調べれば調べる程、この男には怒りを覚えて来ます。ノモンハン戦やニューギニア戦等、主要な戦いに顔を出していますが、コイツのお陰で殺された日本軍将兵は数えきれません。

ところで日本史上、一番ひどい悪女はだれでしょう?ちょっと思いつきません。平安初期の薬子とか、室町時代の日野富子とかいるけど、いかにも小物だ。

その点、西洋には凄まじい悪女というか猛女がいました。

Caterina_Sforza.jpg

その悪女とは、カテリーナ・スフォルツァです。15世紀末期イタリアはフォルリ国とイーモラ国の領主の妻。あのマキアヴェッリと同時代だ。かなりの美人だったらしい。以下は塩野七生著「わが友マキアヴェッリ」にあるエピソードです。

反乱を起こした家臣たちに夫を殺され、子供たちを人質に取られたカテリーナは城塞に隠る。彼女が25歳の時の事件である。反乱者たちが、「出てこなければ子供たちを殺す」と脅すと、彼女は城壁の上に現れる。
そこで彼女がとった行動とは!?(テレビのクイズ番組のネタになるな)

カテリーナはやおらスカートをぱあっとまくり、こう叫んだ。
「なんたる馬鹿者よ。子供くらいこれであといくらだって産めるのを知らないのか!」

これには反乱者たちも唖然としたとか。

それにしても、カテリーナは子供に対する愛情の欠片も無い非情冷酷な女性なのか?
そうだとすれば、相当の悪女だよ。

後に彼女はチェーザレ・ボルジアの軍に攻撃される。篭城中、彼女は敵陣にこんな文句を書いた石弾を投げ込んだ。
「大砲は、もう少しゆるやかに撃ったらいかが?あなた方のキンタマがちぎれないように」

こういうタイプの女性、日本史上には見当たらないですね。大和撫子とは精神構造が異なるのでしょうか。

ちなみに、カテリーナは男性からは大人気だったとか。
上流階級の女性によく見られる偽善的な上品さとは真逆な彼女の個性が男性からウケたらしい。



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2014.10.11 | | コメント(27) | トラックバック(0) | 歴史・文化



コメント

女の戦い・・・

 片割月さま、興味深い記事をありがとうございます。

 日本の場合、女性が政治の表舞台に立つ事が少なかったですから、スケールの大きな悪事で歴史に残る女性というのが少なかったかもしれないですね。

 そんな中で私が一番の悪女だと思うのは、北政所ねね(おねとも言われています)と淀殿ですね。
 淀殿、茶々は信長の姪で秀頼のお袋様。秀吉を籠絡し、豊臣家をほしいままにしてお家を潰した傾城の美女というレッテルが張られています。酷い伝承になると秀頼は秀吉の胤ではなかった、云々と言われていますが、果たして真相は、藪の中というものでしょう。

 でも私はねねの行動の方がちょっと怖いです。彼女は秀吉の糟糠の妻でしたが、子供がなく、秀頼が生まれてからは居場所を無くして大阪城から最終的に追いやられる事になりました。
 秀吉の死後、関ケ原の戦いが起こりますが、北政所恩顧の大名たちが殆ど、家康に加担し、天下を二分した戦いに発展しました。一説によれば、その戦いで裏切った小早川秀秋を唆したのも彼女だといいます。(彼女の甥にあたります)
 非常に才気煥発で、秀吉の出世にも大きな力をふるってきた彼女であれば、淀殿を上手く抑え、秀頼を手中に収めて、お家騒動に留める事は出来た筈。でも彼女は家康に通じ、表面的には身を引いた形を取りつつも恩顧の荒大名たちを煽動して天下の大乱を招く原因を作りました。ねねが居なければ、もしかして関ケ原は起こらなかったかもしれないと思っています。
 「豊臣家を滅ぼしたのは北ノ政所の才気である」と江戸時代の史家は述べているそうです。
 ねねが秀吉の菩提を弔った高台寺は今は公開されて、夜のライトアップで有名になっているとか。
 お家を滅ぼしたのに悪女の汚名を着せられない凄腕の姐さんって感じがしますね。

2014/10/11 (土) 08:23:11 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

クリスチャン2世

歴史上稀にみる悪人と言えばやはり、「ストツクホルムの血浴」を行ったデンマーク王のクリスチャン2世であろう。

スウェーデン独立派の反乱の罪を赦すと約束し、独立派の貴族を多数招きに亘る3日間に亘る豪華な晩餐会を催した。
ところが突然門が閉められ、数多くの独立派の貴族は一網打尽に処刑されてしまったのである。
天国から地獄とは、まさにこのことではなかろうか。

2014/10/11 (土) 09:45:11 | URL | ファントム #- [ 編集 ]

片割月様

片割月様
記事の更新楽しみにしています^_^
歴史大好きです。
日本史における悪女って、あまりうかびませんね。悪女というより、歴史上の敗者が貶められていると感じます。特に淀殿。
今、大河ドラマ独眼竜政宗の再放送がありますが、その中で、淀殿は、淀君と呼ばれていて時代を感じました。
淀君という呼び方は、徳川幕府による蔑称と聞いたことがあります。最近は、研究が進み、淀君という呼び方はしなくなってきたようです。

日本史における悪女として、持統天皇はいかがでしょうか。天智天皇の娘にして天武天皇の妻。天武天皇の死後、病弱な息子草壁皇子に比べ優秀な姉の忘れ形見である大津皇子を葬り、草壁病死後は、ついに自ら天皇となります。
血で血を洗う古代史においても、鉄の意志を感じる女性です。
よく悪女と言われる北条政子は、自分のすべてを失った悲劇の方を強く感じます。

sige様
はじめまして^_^

私の北の政所のイメージは、子どもの時に見た大河ドラマの佐久間良子さん(年がばれますね💦)なので、sige様のコメントは、こんな見方があるのかと新鮮でした。
歴史は勝者が作ると考えた時に、北の政所が悪女とされなかったのは、ある意味当然かもしれませんね。

2014/10/12 (日) 09:22:56 | URL | spring #- [ 編集 ]

すみません💦

北条政子 のくだりは、《自分のすべてを失った 》ではなく、《自分の子どもをすべて失った 》のまちがいです。
政子さんは、四人の子どもがいましたが、四人全員に先立たれています。
長男の死については、政子自身がかかわっているという説も。

失礼いたしました。

2014/10/12 (日) 09:44:12 | URL | spring #- [ 編集 ]

Re:片割月様

 古代の女性天皇に関しては、どの天皇もスケールの大きな方は多いですね。推古天皇や斉明天皇(皇極天皇)もかなり凄い方かもしれません。
 推古天皇は初の女性天皇ですが、ただのお飾りとは思えない様な政治力があったと思います。何しろ、聖徳太子の父である用明天皇の遺産をほぼ手中にしたとも言われ(用明帝の妻であった穴穂部間人皇女が他の男性と再婚するように仕向けた)や甥の聖徳太子に決して皇位を譲らなかった事などから見ても一筋縄ではいかない女性だと思います。
 斉明天皇は一説ではゾロアスター教にハマっていたとか、色々と噂のある女帝。息子たちが大変な政治家で完全な傀儡という感じはありますが、寧ろ騒がせな感じがします。
 spring様
 こちらこそ、初めまして。
 持統天皇も前半生は夫を助け、よき伴侶だったと思いますが自分の息子に譲位する為には何でもするという母親の怨念が怖いと思います。
 女性天皇に目を向けたspring様の視点はとても新鮮でした。歴史上の人物というとどうしても歴史小説で描かれやすく、大河ドラマなどで扱われている題材に行きがちなので。
 それから、「淀君」という「蔑称」。私も聞いたことあります。これは遊女などになぞらえた失礼な蔑称だそうですね。それで私も「淀君」という言葉は使わない事にしています。これに関してきちんと言及しておられたのでとてもうれしく感じました。本当に歴史がお好きなのですね。
 私も「おんな太閤記」見てました。確かに私の「ねね」のイメージも佐久間さんかもしれません。確かにおおらかで聡明で素敵な女性だと思います。
 私の見方がひねくれた見方かもしれないです。でも、ねねならば、「関ヶ原」を止めてくれたのではないか、という気持ちから出た言葉でもあるのです。本当はねねには女性としての魅力もその複雑な思いも理解できるのですが。
 北条政子も確かに迫力ある女性です。そう言えば子供に次々先立たれた女性だったんですね。頼朝の妻というよりも北条氏の娘というスタンスを大切にしていたというイメージがあります。

2014/10/12 (日) 16:58:16 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

女性の争い

日本のドラマの場合、双方の名誉を考えてややおとなし目の作りが多いように思えます。韓国や中国やヨーロッパのドラマだと、女性自らが手を下す事も良く見かけます。

中国ドラマにはまっている私のお薦めは、「後宮の涙」「宮廷女官若儀」「傾城の皇紀」です。

どんな悪女といえども、その行動原理には、それぞれの理由があり、そこに人間の欲への執着からくる思いが絡み合い歴史上の勝者と敗者を作る。

権力の中枢にいる者に聖人君子はいない。

昔も今も変わらずに言える事でしょうね。

2014/10/12 (日) 18:04:16 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

歴史の真実とは

sige様
お返事ありがとうございます^_^
歴史は大好きですが、知識はあまりありません。コメントを書いていて自分のイメージは大河ドラマからのものが多いと気がついてびっくりしました。ちなみに、北条政子は、岩下志麻さんです💦

斉明天皇がゾロアスター教にはまっていたという説、寡聞にして知りませんでした。ありがとうございます。何か、神がかり的なものを感じさせる女性ですね。

持統天皇と北政所。私は二人の間に何か共通するものを感じます。若い時に夫と苦労を共にし、政権作りに多いに貢献しました。彼女たちにとっては、夫とともに作り上げたという意識があったのでは。にも関わらず、後継は別の女性の子になりそう・・・となった時に、持統天皇は、自分の子のライバルを葬り、北政所は、豊臣政権そのものを葬る方向に動いた。北政所にとっては夫と二人で作り上げたものだから、夫の死とともに・・・と。非常に乱暴な解釈ですが。
いろいろな解釈や時には素人の妄想を許してくれるのが、歴史の醍醐味だと思っています。でも、歴史は作られたもの、勝者によるバイアスがかかったものであることだけは忘れずに接していきたいです。

天武天皇には出生について謎があり、天智天皇の弟ではなく、異母兄であるという説があるそうです。もしそうであれば、壬申の乱の位置づけは多少かわってくるでしょうし、持統天皇の行動についても別の解釈が成り立つかもしれません。
天智天皇には死についての謎があるそうです。《ある日、山に行って帰って来なかった》という記述を読んですごく怖かった記憶があります。ずいぶん昔のことですが、謎は謎のままなのでしょうか。

長文失礼しました。普段歴史について話す相手がいないので、舞い上がってしまいました^_^




2014/10/13 (月) 12:12:33 | URL | spring #- [ 編集 ]

松本清張の説です

 spring様

 早速のレスありがとうございます。
 ゾロアスター教に関しては、松本清張が小説の中で「オリジナル論文」で述べていた事なんですよね。真偽は定かではありませんが、とても興味深い話でしたのでつい書いてしまいました。

 それから、北政所に関して本当に仰る通りだと思います。私も「ねね」には自分こそが豊臣政権を作り上げたという気概と誇りがあったと思います。
 持統天皇に関しては、それほど詳しくないけれど確かにどこか「ねね」と通じる物があるのでしょう。それは何となく判りますね。

 天武天皇の出自についての説は耳にした事があります。壬申の乱で滅ぼされた大友皇子が「弘文天皇」として認知されているという話も聞きますし、決してあり得ない話ではないのかもしれません。
 ついつい私も歴史のお話が出来て嬉しい余り、テンションが上がって書き連ねてしまいました。ありがとうございました。
 最後に片割月様へ。
 暫く、お姿を拝見しなかったのですが、お元気そうで良かったです。これから、フィギュアシーズンに突入しますが、また、妙味あるご意見を待っています。

2014/10/13 (月) 15:13:49 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

東条英機ではなく、満州事変の首謀者の石原莞爾では?
彼の昇進が、軍人のやりたい放題のキッカケになり
国連の脱退へつながり
日中戦争の引き金である盧溝橋事件が起きて
泥沼の戦争になったのですから。

2014/10/23 (木) 02:06:03 | URL | スペワン #- [ 編集 ]

善悪を超えて

辻政信、陸軍士官学校を主席で卒業。陸軍大学も優秀な成績で卒業とか。1934年には三笠宮の教育係となっている。1936年の「士官学校事件」で昭和天皇の注目を得ることに成功。シンガポール攻略の計画者で、今でもシンガポールではその時の日本軍による虐殺の事を言われると聞いたことがあります。
ノモンハン事件はスターリンとヒトラーと日本の腹の探り合いの中で起きた事件。当時のソ連、ドイツ、英国との関係、国際状況を調べなければ、あの事件の真相は見えてこないようだ。ノモンハン事件などの中で、ヒットラーとスターリンは交渉を続け、1939年8月19日、両者は相互不可侵条約を締結することに合意します。日独防共条約は破棄。
陸軍は北進派と国内改革派(2.26事件の将校など)、あとは統制派(南進)だったようですが、真崎教育総監の更迭、2.26事件などを経て、ノモンハンで北進派、国内改革派は徹底的に打ちのめされてしまいます。それからは、かねてから予定の米国との戦争に向けて動き出すわけです。産業は、武器生産に集中。近衛は、すべての政党を単一の団体、大政翼賛会に集約する措置を実施、再び政権に復帰し、日本を日米戦争への道に進めます。首相で米国との戦争について罪があるとすれば、東条というより近衛ではないかという気がします。東条については、敗戦の責任を取らせるために選ばれた軍人という感じです。すべての準備が整ったのち一度に首相、陸相、内務大臣に任命してあたかも専制将軍のような印象を与えています(任命は木戸)同時期に木戸は和平派結成で吉田茂を選んでいます。吉田はその履歴から十分戦犯ですが。東条は真珠湾攻撃もその直前まで知らなかったようですね。ミッドウェイ惨敗も知らなくて、昭和天皇に言われて腰を抜かさんばかりに吃驚していたそうです(秘書の赤松大佐の述懐)海軍はこの重大な事実を隠していたんですね。
真珠湾攻撃が米国の戦争の事実上の発端ですから、山本五十六の方がずっと罪が深い。元々米国との戦争が目的ですから海軍は陸軍よりも予算など、すべてにおいて優遇されていたようです。早くから海軍航空隊には力を入れて航空機も操縦士も世界最高水準になっていたわけですから。
日中戦争は石原莞爾が計画したものですね。巧妙で悪質で天才的。
しかし、彼らは小物に過ぎない。戦争というものは起こるものではなく起こすもので、その黒幕は国際金融寡頭勢力。銀行は敵対している双方の国に金を貸し、軍産複合体は双方に武器を売ります。米国の銀行が日本と米国に金を貸すわけです。敵の英国が日本の特務機関(里見某など)にアヘンを売り、日本はそれを中国で売って儲ける。戦争ほど馬鹿げた空しいものはありません。

2014/10/24 (金) 22:30:02 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

Re: Re:片割月様

shige様もspring様も古代史が好きなようですね^^

フムフム…古代史オタク(今は昭和史オタクでもある)の私も加わりたくなるお話ですね!

特に、天武・持統天皇の時代は古代日本が大きく変わりましたから、以前から興味があります。

天武天皇は、もしかして、渡来人だったのかな?と思ったりしています。

近々、古代史関連の記事もアップしますから、乞うご期待を!

2014/10/26 (日) 01:02:52 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし

スペワン様、こんばんは。

昭和史にお詳しいようですね^^。これは頼もしいです。

東条英機一人に全てを被せるのは無理がありますよね。

石原莞爾は東条に干されたことで、結果的に責任から逃れましたね。

2014/10/26 (日) 01:22:18 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

訂正

士官学校事件は、1936年ではなく、1934年です。2.26事件が1936年ですね。
士官学校事件に辻と一緒に顔を出している憲兵の塚本誠はポツダム宣言発表と同時に台湾から急遽日本に呼び戻されています。そして終戦の時の宮城事件である重要な役割を果たします。彼は戦後は電通で出世していたそうです。

2014/10/26 (日) 12:47:30 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

藤原鎌足

天皇家自体が渡来人なのではないかと思います。日本の原住民が熊襲だったのか?大昔のことで、誰も見ていないので分かりません。伝説、考古学、中国朝鮮の史記から判断すると東洋版バイキングの子孫とか。

藤原鎌足が百済の王子であったという説が濃厚らしいですが。藤原氏の子孫の方たちも認めているそうです。現在も子孫の方たちは日本の上層社会を形成しているようです。
奈良の広陵町に百済寺というのがありますが、そこの本堂は「大織冠」と呼ばれているそうです。「大織冠」は最高位の冠位であり史上藤原鎌足だけに669年に天智天皇より授けられたものとの事。。また百済の王子豊璋に662年斉明天皇が織冠を授けたという日本書記の記事があるとの事。これは大とか小とかつけずにただ織冠と記述されているようです。この辺りにあの時代の秘密があるのかもしれませんね。
杉本苑子さん等、女流作家がこの時代を題材に小説を書いていますが、面白いですね。
松本清張は、「日本の黒い霧」でしたか、凄い取材と調査だと感嘆し、スタッフがたくさんいるのかと思っていましたが、私の親族の所にお一人で取材に来られことがあります。結構不便な所なのですが。で、その取材に寄って書かれているのはほんの2、3行でした。戴いたサインの色紙は私の実家にあり、お土産のコーヒーとお菓子は私が戴きました。

2014/10/26 (日) 14:45:49 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

Re: 藤原鎌足

hiyorigeta様もかなりの古代史オタク?なようで(^O^)。

>東洋版バイキングの子孫

ふーむ。。騎馬民族系とも違うのかしら?

継体天皇からして、息長系とか応神天皇の5代孫とか言われるけど、実際は、「どこの馬の骨」だか。だから、二十年も飛鳥に入れなかったみたいだし。武烈天皇の孫娘と結婚して「大王家の血は保った」とされるけど、そもそも、武烈天皇からして存在感がありませんしね。

>百済の王子豊璋に662年斉明天皇が織冠を授けたという日本書記の記事があるとの事

エッ、そうですか。
これですが、手元の日本書記(岩波文庫)の斉明記を見ましたが、どこにも見当たりません。
他の箇所にあるのかしら?

松本清張ですか、素敵なエピソードですね。
「黒い霧」も面白かったですが、「昭和史発掘」は特に素晴らしい作品ですね。
2.26事件を扱ったノンフィクションの白眉です。

2014/10/28 (火) 01:02:37 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

藤原氏

>hiyorigeta様もかなりの古代史オタク?なようで
いいえ、全然駄目です。何年か前入院していた時、入院患者のための本棚に「美貌の女帝」という元明天皇を題材とした文庫本を見つけて、手に取ったのが切っ掛けで、その時代に多少興味を持った程度です。美貌に惹きつけられたのですね。タイトルは大事です。「穢土荘厳」という小説も面白かったです。

「古事記」も子供の読み物程度の知識しかなく、アマテラス以前にアメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)、タカミムスビノカミ(高御産巣日神)、カミムスビノカミ(神産巣日神)等の神がいたことなど、2年程前にようやく知りました。

日本書記の天智天皇の時代に、「九月、皇太子、御長津宮、以織冠授於百濟王子豐璋」「庚申、天皇、遣東宮大皇弟於藤原內大臣家、授大織冠與大臣位、仍賜姓爲藤原氏」の記述があります。

藤原氏の子孫の方たちは、近衛篤麿の号を冠した財団法人を設立しています。東亜同文会を引き継ぐものとのことです。誰でも知っている有名な方たちだと教えられましたが、上流階級に縁のない私には分からないかも。その方たちが、藤原氏は半島系であるとか、百済の王子が鎌足だとか言ったりしていたそうです。

2014/11/10 (月) 21:32:54 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

2.26事件

「昭和史発掘」は読んでいませんが、2.26事件については、やらせのクーデターであったこと、その意味について確認出来ればそれでよいと思っていました。
彼らの行動は監視されていたし(電話は盗聴)また、彼らも自分たちの革命を公言していたわけですから。攻撃対象の一人西園寺公望も前日には知らされていたとのことですし、参謀本部はとっくに承知で出ぐすねひいて待っている状況。誘導され泳がされ仕掛けられたわけですね。
秩父宮が関わっていたことは知っていましたが、東映の脚本家笠原和夫さんが丹念に取材をされていて、その内容は驚くべきもの。秩父宮さん、天皇制廃絶、共和制を目指すなどと言ってたみたいですね。安藤大尉はそういう革命に対しては批判的だったようですが、上手く絡まれてしまったとのこと。東久邇宮さんは「あれは壬申の乱だよ」とか言ったそうです。
笠原さんの取材に寄りますと、2・26事件には3つの波があったそうで、最初の末松太平、大蔵栄一の頃はアナーキズム的、次は皇道派というのが出てきて、東条英機とか石原莞爾といった軍官僚(統制派)を排除しようという動き。第三派が一種の実践派で組織化された反乱にもっていこうという動き。
2.26事件で生き残った人たちの話を聞くと、自分たちが陸軍の主導権をとったならば、絶対にアメリカとは戦争はしない、大陸からは撤兵して満洲は自治州にする、太平洋の資源については一切こちらから攻めたりはしないと言ってたそうです。笠原さんは認めてよいと思ったそうです。第一線で戦っている連中は戦争の実態を知っていますから。すぐに戦争ということを考えて計画するのは参謀であると。
実際、この事件で皇道派(国内改革派あるいは北進派)は粛清され参謀本部が実権を握って戦争に持っていったわけですから。
笠原さんは、当時の監獄の刑吏にも取材をして彼らの銃殺刑の状況を聞いています。凄まじいものだったそうです。目から口から鼻から耳から血が一遍に噴出すそうです。刑を執行した連中がみんな真っ青になって動けなくなったようです。まともな裁判も受けられずさっさと処刑され逆賊の汚名を着せられ、哀れだと思いました。磯部浅一の墓も訪ねたそうですが、哀れでねって語っています。

2014/11/10 (月) 23:44:37 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

Re: 藤原氏

hiyorigeta様、こんばんは。

「美貌の女帝」→永井さんの小説ですね!私もだいぶ前に読んだことがありますよ^^
元明天皇~元正天皇の活躍と苦悩を描いていたと記憶しています。

>藤原氏は半島系であるとか、百済の王子が鎌足だとか言ったりしていたそうです。

戦国時代や江戸時代の武士の家系図だって怪しいものが少なく無いので、
古代の豪族や王家の祖先については色々な仮説が乱立していますね。
それ自体が面白いのですよね。

2014/11/24 (月) 00:20:35 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 2.26事件

hiyorigeta様。

>2.26事件については、やらせのクーデター

ウ~ン。これって専門家の間で「通説」になっているのでしょうか?

秩父宮の関与については、立花隆著「天皇と東大」に詳しく書かれていますが、
それによりますと、果たして事実かどうかは怪しいそうです。

2014/11/24 (月) 00:31:32 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

藤原氏

現在藤原氏の子孫で藤原の姓を名乗っている方はいないそうです。霞山会の方たちは1000年以上変わらず、特に幕末は質素に貧しく生きてきた生粋の貴族の末裔でしょうから、家系図が怪しいという事はないでしょう。
奈良の広陵町に百済寺というのがありますが、この本堂は「大織冠」と呼ばれているそうです。談山神社から移築されたそうですが、この神社の祭神が中臣鎌足」との事。まあ、そう言われているという事です。誰も見たことの時代ですから分かりませんが。

2.26事件の専門家とは何でしょう?真実は都合が悪いことですから普通の御用学者はそんな事は言いません。
秩父宮は関わっています。
>秩父親王は、士官学校の同期生である四人を通じて、国体原理派の計画を個人的によく承知していた。彼はこの四人を、いつも自邸に呼んでは歓談していた。またこの後、この四人に銃殺刑の処罰が決まった際、自分たちは秩父親王から勇気付けられたのだと、空しい訴えを行うこととなった。その内の一人は、次のように記した悲嘆の一文を家族に残した。「秩父親王は私にいった。 『クーデタの時、私は君が仲間の先頭に立ち、兵営から行進して出てゆくところを見送らせてほしい』 」。他の一人は、刑務所で書いた一連の詩を残した。この詩は、憲兵隊が押収し、秩父親王の馬番に手渡された。秩父親王は、それに目を通し、それをその若者の家族に返した。その際、秩父親王妃がその内の数編を自ら選び、それを美しい台紙に張り、額にまで入れて返還したため、後に残された両親は、それを身に余る名誉と受け止めていた。

以上は処刑された将校の遺族の書かれたものからとの事です。

戦争の本質は何かを知る必要があると思います。
国際金融資本家と軍産複合体の金儲けです。「対占領軍交渉秘録 渡辺武日記(大蔵省財政史室編)」という本があります。昭和22年8月ディロンリードのカウフマンなる人物が外債問題の処理について語っています。平和条約よりその問題が先だと言っています。日本が敵国米国のマーチャントバンク、ディロンリードから戦争資金を借りていたのです。9月には陸軍次官ウィリアムドレーバー訪問のメモがあります。彼はディロンリードの副社長だった人物です。ディロンリードはナチスドイツにも戦争資金を提供した会社です。ベトナム戦争時の米国財務長官はクレランス・ダグラス・ディロン。前ブッシュの財務長官はディロンリード会長から転出した男。この親会社がブッシュ一族の会社。戦争屋です。

2.26事件で大蔵大臣高橋是清が殺害されています。2.26事件を仕掛けて将校たちを誘導し、クーデーターを起こさせた原因のひとつは軍事費の問題もあったと思います。高橋是清は日露戦争の資金をロスチャイルドの窓口ジェイコブシフから借ります。膨大な額で、借金を返済し終わったのは1980年代だと聞いています。多分彼はもうこれ以上軍事費を工面することを拒否していたのだと思います。現在と同様日銀が国債を引き受けていたそうですから。彼は戦争遂行派にとっては邪魔物になっていたのでしょう。2.26事件で国内改革派、北進派など邪魔者を一掃することが出来たのです。後は戦争に邁進するのみ。
木戸関係文書から
「シナ事変以来の300億の予算で陸海軍備を充実しており、実際事変のために使用された予算はその1、2割に過ぎず、大部分は軍のポテンシャルエナージーとして蓄積されていた状況下で、ハルノートのようなものをうきつけられたとして、日本がこれを受け入れたとしたら一体日本はどのようなことになったであろうか。」この300億って?

2014/11/24 (月) 15:11:28 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

軍事費

枢密院は2.26事件の将校を非公開の軍法会議にかけることを決定。これはその上告はできず、処刑は直ちになされることを意味していたとの事。この事だけでも、どんな素人でも、この事件の異様さに気づくと思うのですが。
想像どおり、その後の12か月で、軍事支出は3倍に膨れ上がり、経済のあらゆる部門は安易なお金の増刷(現在と同じ?)と政府の厳しい統制に隷属するようになった。
昭和22年ウィリアム・ドレイパー(ディロンリードの副社長、戦後は陸軍次官)が来日しますが、来栖大臣とは13年前旧知の間柄なりとの事(渡辺武日記)13年前というと昭和9年?何となく分かるような・・・高橋是清は外債発行、軍事予算増大に抵抗していたのでしょうね。日露戦争の負債がどういう意味を持ったか熟知していたでしょうから。将校たちがこの事を知っていたら彼を殺害はしなかったでしょうに。

>昭和23年2月、法務局法規課(GHQのです)より、終戦直前スイス赤十字社に1000万スイスフラン(現在の33億くらいらしい)を送金せる件について、その支出手続きが合法的に為されたるものなりや確かめることを依頼せらる。
渡辺日記のこの部分、これは皇后の名前での送金と言われるものですね。

なお、戦後の日本の方向性を決定したのはウィリアム・ドレイパーのようですね。有名なウルグアイラウンド、最初はディロン・ラウンド(ダグラス・ディロンが交渉を提唱)というものだったそうです。今ならさしずめTPP?

2014/11/25 (火) 21:58:08 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

2.26事件盗聴

2.26事件がやらせであったという証拠は、叛乱部隊の将校たちの電話が盗聴されていたのみならず、当時試作段階にあった録音機によって録音されていたという事実。鎮圧後の軍法会議に関わった軍法務官匂坂春平が残した捜査記録の発見などによって明らかでしょう。匂坂資料によると盗聴は事件のはるか前から始められていたそうです。統制派は青年将校たちによるクーデター計画を承知しつつ、それを利用して彼らを一掃するべく手ぐすね引いていたわけです。
盗聴の録音盤も、匂坂資料も、個人がたまたま自宅に持ち帰っていたものが戦火を免れ、運よく(あるいは運悪く?)みつかったに過ぎない。
2.26事件は、南進(米国との戦争)を阻止するため、戦争をするならソ連、そのため中国とは戦争をしないという陸軍の北進派を一網打尽にするために、綿密に計画されたものです。その証拠は多々あるようですが、複雑で理解するのは困難でしょう。南進(米国との戦争)は日本の破滅であり、悲劇の可能性のより少ないと予想されるソ連との戦争を考えているエリート軍人たちがいたようです(戦争するならという意味で)。そしてその機会は1936年と考えられていたようです(これに関しては色々と資料もあるようです)。しかし、結果がそうであったように国際金融資本家、あるいは軍産複合体の意図は日本と米国の戦争、また、米国を世界戦争に参戦させることでしたから北進派は邪魔者です。1936年は重要な年でした(ドイツは侵攻開始、中国では西安事件、そして2.26事件、すべて繋がっています)。
彼らを排除出来たからこその翌年のシナ事変ですよね。これも仕組まれたものです。盧溝橋に続く、8月の上海の事変については、義父の一冊のアルバムのある写真から日本の謀略であろうと確信しました。十分に準備をやっていますし。南京に至るまでも、宋美齢の用意した中国空軍と海軍航空隊の激戦だったようですね。
戦後日本の研究者、メディアはこの事件の真相を明らかにしようとはせず、それどころか、真相をすり替えて教えてきています。反乱将校たちを軍国主義者の暴徒とし、それで戦争になったのだと。違いますね。国内改革派、北進派をこの事件で失脚、排除出来たからこその、中国との戦争、米国との戦争だったのですから。統制派と皇道派の対立が長引けば、中国や米国との戦争には進めません。また戦略としての見地からは北進派の方が正しかったのではないかと思います。1936年にソ連を叩いておけば、中国との戦争は泥沼にはならなかったでしょう。戦争しないのが最善ですが、明治王政復古(維新ではありませんね)で国際金融資本に取り入れられ、近代化というより富国強兵化を図ってきた日本の運命としか言いようがありません。
NHKの放送の中で、太平洋戦争直前の御前会議にも関わった石井秋穂は(当時陸軍大尉で軍法会議の裁判官の任にあった)「北一輝は幇助、元気づけ程度で二、三年監獄食らえばよかったぐらいなものですよ」と言っていました。また軍法会議の陸軍法務官だった方が、先輩たちが「彼らは上手く嵌められたのだよ。そういうもんだよ」と言っていたと。
しかし、NHKの放送も中途半端なものでした。骨抜きでした。真実は言えないということですね。また、真崎大将が怪しいかのごとき演出でしたが、彼はもちろん北進派で反乱将校の支持者ではありましたが、この事件には直接は関わってはいませんね。憲兵の監視下に置かれていましたし、翌年昭和12年1月の木戸日記の次の記述でそれは明らかのようです。>牧野伸顕から「反乱開始の真崎大将への正確な知らせは、以前に知らせた午前8時(2月26日の)ではなく、午前3時ごろでこれは(真崎の)お抱え運転手から確認した」と電話で知らされたと。牧野と木戸は西園寺公望の逃亡についてずっと詮索していたわけです。木戸日記のこの部分はついポロリといったものだったのでしょう。真崎は反乱を知らされてすぐに西園寺の所に使いをやりますが、西園寺は前日に知らされていてすでに安全な所に避難していたようです。結局西園寺襲撃は中止となったらしいですが。
こういう話は、多分専門家の方は絶対にお書きにならないでしょう。
先日亡くなられた高倉健とか菅原文太の任侠映画等の脚本を書かれた笠原和夫氏も2.26事件の取材を通じて「やらせのクーデーター」とお書きになっています。秩父宮関与についても書かれています。映画で秩父宮を出そうとすると許されなかったそうです。この事件についての笠原さんなりの解釈をされています。その解釈はともかく取材した内容については一切粉飾はないと言い切っておられます。やくざ映画は見たことはありませんが、笠原脚本の「博打打ち 総長賭博」を三島由紀夫が絶賛だったとか。
三島由紀夫は自害した将校のお兄さんの河野司さんとは昵懇だったようです。彼は2.26事件には深い関心を持っていましたね。
三島の最後の作品「豊饒の海」は彼の遺言だと思います。私は発行されてすぐに三巻までは手に入れましたが、第四巻はいまだ買っていませんし読んでいませんが。

2014/12/08 (月) 23:29:31 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

戦争の責任

真の悪党は戦犯で処刑はされません。悪党は上手く逃れています。また東条が戦争を仕組んだわけでもなく、ただ戦争の責任を負わせるために米国との戦争の直前に彼を重要な地位につけたわけです。彼は軍人といっても戦略方面ではなく、陸軍省内の法規のようなものを研究していたようです。だからドゥーリトル空襲で捕えられた米兵の処刑を助けようとしていたのですね。(法規に反するので)暗殺された永田鉄山の忠実な部下であって、永田の遺族の生活も助けたりしていたようです。また、天皇に忠義な部下だったのでしょう。彼の上司が真に平和を望む人間であれば彼もそれに従ったでしょう。
近衛や東条は、陸海軍を抑えて9月6日の対英米戦決定案を練り直す力のあるものは臣下にはいないので、後継内閣の総理には皇族である東久邇宮が適任と言っていたのです。東条は「東久邇宮を後継首相に奏請することにご尽力願いたい」と言っていた。(1944年4月近衛の談話筆記より)
真珠湾攻撃についても直前まで彼には知らされていなかったようです。戦後の東条の数多くの発言を自分の専門研究分野のひとつとしているある米国の教授は、「東条は12月1日の御前会議の一ないし二日前まで、その(真珠湾)計画を採用するとの海軍の決定を知らなかったようである。」と書かれていたとか。
東久邇宮さん、皇后の叔父、天皇の叔母の夫で陸軍士官学校、陸軍大学校、フランスの陸軍士官学校を出ていますし、政治外交を学び、クロードモネ、クレマンソーとも親交をあったという方。数々の陰謀にも関わり、軍人としても政治家としても申し分ないでしょうに。木戸が「万一予期の結果得られざれば皇室が国民の怨府となる虞あり(木戸日記)」という事で東条を首相に推したわけです。
戦争は9月の御前会議で事実上は決まったようなもので、その案を覆すことは臣下では無理、だから宮様をということだった。でもそれは拒否された。戦争は負けると木戸は予想しているのですね。

>陸軍には、真珠湾攻撃の山本の計画を知る者はほとんどいなかった。陸軍の南方計画の総司令官である陸軍大将寺内伯爵は、わずか6週間前に、その秘密を知らされていた。杉山陸軍参謀司令官は、彼のメモ記録によれば、それをたった4日前に通知されていた。東条は、それに関してはおそらく闇のなかだったろう。東郷外相のような文官が知っていたことは、ただ、海軍が米国艦隊に対する「待ち伏せ攻撃」計画をもっているという程度だった。

そういう事です。

真珠湾攻撃とほぼ同時に、フィリピンに上陸爆撃、香港を奇襲攻撃、タイに進撃。マラヤのコタバルに上陸。これはずっと前から計画し訓練していなければ出来ないこと。真珠湾攻撃は海軍航空隊は地形の似ている鹿児島湾で訓練を重ねていたようです。東条には関係ありませんね。1941年1月頃の御前会議でこのあたりの作戦の可否については陸軍総長、海軍総長、天皇でお話になっていますね。(杉山メモより)
御前会議はすでに決定されている事を形式的にやるものだそうです。天皇は基本的には発言しないそうですが、結構的確に質問されています。なんでもお詳しいです。
熱海の海岸を見下ろす山間に、松井岩根が中国と日本の土で作った観音像があるそうです。それは中国の方向である南西を向いている。観音の衣の背後の草むらの中の小さな空地に、戦犯として処刑された7名の名前が書かれた細板がたててあるそうです(現在はあるのかどうか?)そこを詣でる東条未亡人の写真があります。他の遺族もそこを訪れ記帳をしていたようです。彼らが真に安らげる所だと思いました。
松井岩根は南京虐殺の無実の罪で処刑。辞職して予備役となり日中友好のために私財を投じて尽力していた人に南京攻略の命とは!虐殺は彼の指揮する部隊ではなかったのに。戦後、蒋介石政府が南京虐殺の罪で告発したのは、中島の第16師団と、「阿修羅」との名をもつ谷の第6師団。朝香宮さまもこの南京では司令官でしたが、何のお咎めもなし。

米国との戦争に至るまでには明治から始まる長い道のりがありました。中国との戦争も地理的に東インド諸島の資源を略奪するための準備だったのでしょうし。

まだ読んでる途中ですが「財閥と帝国主義 三井物産と中国 坂本雅子著」はとても参考になりました。
日本の重工業の本格的な輸出が武器から始まったというのも、この本で初めて知りました。どこの国も同様、敵味方双方に武器を売っています。これを読むと張作霖殺害も大豆の利権が絡んでいたのではないかと思います。

2014/12/11 (木) 14:09:24 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

ドゥーリトル

>だからドゥーリトル空襲で捕えられた米兵の処刑を助けようとしていたのですね。

少し文章が変でしたね。
ドゥーリトル空襲は日本への初めての空襲でした。父の大学の時の日記では昭和17年4月18日土曜日正午過ぎと書かれています。この作戦の兵士のうち8名が捕虜となります。この捕虜たち全員に対して杉山参謀長を通じて、裁判で処刑の命令が出ていたのですが、彼独自の法的潔癖さを求め、法律文献には東京を爆撃した敵の飛行士を極刑に課す条項はないと指摘して、なんとか5名を終身刑に減刑したそうです。
日本もそれ以前に中国、オーストラリアで空襲によって民間人を多数殺害していますし。
笠原氏の本で東条が軍法規の研究をやっていたというのを読んで納得しました。とにかく真面目なのでしょうね。戦争責任を押し付けるには最適だったでしょう。
今年の6月だったか米国のメモリアルディーにドゥーリトルで生存している4名に最高の勲章が与えられたという記事がありました。
この空襲で将来は予測出来たと思うのですが。ミッドウェー惨敗で海軍が壊滅的な状態になっても戦争を止めようとしません。東条はミッドウェーについても知らされていませんでした。

2014/12/12 (金) 11:20:33 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

ミッドウェー海戦

木戸内大臣はミッドウェイ惨敗について、6月6日、海軍侍従武官から公式に告げられた。そして6月8日天皇に謁見して報告したようです。
謁見については木戸日記によると次のようであったとの事。
>10時40分卸召により拝謁、11時40分退下。ミッドウェー附近海戦につき御話あり。航空艦隊の蒙りたる損害誠に甚大にて、宸襟を悩ませられたるはもとよりのことと拝察せるところ、天顔を拝するに、神色自若として、御挙措平日と少しも異らせ姶はず、『今回の損害は誠に残念であるが、軍令部総長には之により士気の沮喪せさざる様に注意せよ。尚、今後の作戦消極退嬰とならざる様にせよと命じおいた』との お話しあり。英邁なる御資質を今目の当たり景仰し奉り、真に皇国日本の有り難さを痛感せり。

それで私は杉山メモでその頃を探してみました。6月10日に次のように記述されています。

>6月10日 連絡懇談会 海軍よりミッドウェー海戦の戦果につき左の如く報告あり (イ) 敵側に与えたる損害 航母に与えたる損害 航母(エンタープライズ型)一撃沈 その他航母一、巡洋艦数隻大破  (ロ)我が方の蒙りたる損害 航母一 喪失同一大破 巡洋艦一 大破 右に対し総理より成るべく速やかに公表するを可とする旨要望あり

杉山陸軍参謀総長は大嘘を告げられています。杉山が真実を知ったのはいつだったのでしょう?東条は?笠原さんの取材では東条は天皇から告げられて、腰を抜かさんばかりに驚いていたそうです。側近からの取材のようです。また、ミッドウェーの惨敗を知って涙を流したという話もあります。
いずれにせよ、一番早く報告を受けていたのは天皇との事。

>昭和天皇は6月6日にはミッドウェー海戦の大敗を鮫島具重侍従武官(海兵37期)よりお聞きになられている。(木戸日記)
>大本営の発表は兎も角、統帥部としては戦況は仮令最悪なものでも包まず又遅滞なく天皇には御報告申上て居ったので、ミッドウェイ海戦に於て我方が航空母艦四隻を失ったことも統帥部は直ちに之を奏上したので、陛下は鮫島[具重・海軍中将]武官に「直ぐに内大臣にも知らせる様に」との御言葉があったとて、同武官は私の室に来られて之を知らせて呉れたのであった。又ガダルカナル島の場合も米軍の反攻上陸の成功、之に対する我軍の三回に亘る総攻撃の失敗、最後に転進の成功と云ふ戦況も其都度陛下には奏上せられて居り、陛下は総て戦況は御承知であった(木戸日記研究会『木戸幸一関係文書』P38)
>東条が天皇の信頼をかちえることができたのは、何よりも彼が天皇の意向を直接国政に反映させようと努力したからです。だから東条内閣くらい各大臣の奏上の多い内閣はなかった。また、東条自身も自分自身の出来る限り、重要な問題はその研究の途中において奏上することに心掛けていたのです。それ故、天皇は経過を充分に招致であったから、決定案を上奏するには時間をようせず、お許しになる。つまり中間報告を申し上げることによって本当の御親政が行われる。
との事のようです。

付け加えますと、ミッドウェー海戦で日本は優秀な飛行士の半数を飛行甲板での火災や、沈みゆく4隻の空母の艦内に閉じこめられて失ったのです。ミッドウェー海戦については不可思議な事があります。ミッドウェーだけではなく、本当に色々と。

幕末からの歴史は調べれば調べるほどに謎が多い。事実は小説より奇なりと言いますが、それどころではない気がしています。

昭和16年7月29日 連絡会議で商工大臣は次のような発言をしています。
>国民生活の不安を除去するというが国民が安心しては困る、現下の情勢では国民は褌一つで立っても不平を言わずに、如何なる艱難辛苦にもこれに耐えねばならぬ(杉山メモより)

私の投稿はご迷惑かもしれませんが、御用学者や似非ジャーナリストの情報ではなく、ご自分でお調べになって少しでも真実に近づいていただきたいと、切に願います。2.26事件の将校を暴徒と言われる方もありますが、例えば安藤大尉がどのような人物であったか多少でも知っていただきたいと思います。この事件については昭和6年の10月事件あたりから調べなければ真相は分からないと思います。
どこの国であれ、社会の底辺にいる人たちが戦争で一番苦しむのです。

2014/12/21 (日) 13:19:02 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

hiyorigetaさんへ

持論を展開したいのなら、自らのブログを作るべきですね。

〉いずれにせよ、一番早く報告を受けていたのは天皇との事。〈

例えば、この一文ですが、昭和天皇の情報源の提示がありません。
したがって、時系列として検証がなされていません。

誰が、何時、どこで、天皇に伝えたのか?

そういうものの提示がないのでは、他者の研究を批判する資格は貴方にはありません。

2014/12/21 (日) 21:08:30 | URL | バルタントモゾウ #- [ 編集 ]

公文書

>日本の戦時中の公式書類は、8月15日の降伏の前夜までに徹底して焼却されてしまい、その間の真実はまさに永遠に隠蔽されてしまいました。そこで、その真実を探ろうとする場合、その手掛かりのひとつは、その時代に各方面の要職を勤めた人物たちが残した私的記録です。
 しかし、そうした日記や回顧録は、それが重要であればあるほど未公開とされ、たとえ公開されたとしても、綿密な検閲を通した、みごとな骨抜き “料理” としての公表であることです。ものによっては、日記や回顧録という形の、事実をあざむく創作品でもあるようです。

との事です。

しかし、
軍令部作戦課長をつとめた山本親雄は次のように回想している。

>また毎日、第一線部隊からくる戦況報告の電報は、ことごとく陛下のお手許に差し出すばかりでなく、前日の戦況を要約して書類として陛下の御覧にいれるほか[戦況に関し御説明資料のこと]、隔日に軍令部総長が参内して奏上するのが例であった[戦況に閑し奏上のこと]。だから陛下は命令や指示はもちろんのこと、日々の戦況は手にとるように御承知であり、戦況活発なときは、たびたび侍従武官を通じ尋ねがあったから、不利な戦況が打ち続くような場合、どれほど陛下が御心痛されているか、十分に推察することができたので、作戦担当者として私たちは、まことに恐懼にたえぬしだいであった(大本営海軍部P125)。

さらに敗戦後になって木戸は、学習院大学教授金沢誠らの華族研究会との対談において次のように述べているとの事。

>陛下は、戦争の状況はよく知っておられたですか。と問いに答えて、
それはよく知っていらした.陛下はツンボ桟敷というのは全然うそです。ミッドウェイ海戦で日本の航空母艦が四隻やられたなんてことも、すぐ、われわれのところ(内大臣府)には知らせて来ている。その点、陛下をツンボ桟敷にして勝手な作戦をしていたというのは全然うそです。大損害をうけた時でも、ちゃんと申し上げている。だからぼくなんか開戦当初のほんの二、三カ月以外は、全部いやな話をきいている。(金沢誠編『華族』P180)


大本営は宮城の中におかれていました。公文書は焼却され、毎日煙が上がっていたといいます。日本全国で同様でした。国民や戦災孤児が傷つき飢えているときにです。自らの保身のために。

マサチューセッツ工科大学(MIT)ジョン・ダワー名誉教授の『敗北を抱きしめて-第二次大戦後の日本人』は 第二次世界大戦直後の日本社会の実像を明らかにした作品。ピュリッツァー賞に輝いた同書は1945年 日本が敗戦した日の風景を以下の通り描写している。

>日本中で狂ったように書類を廃棄する軍の将校や官僚が相次いだ。米軍の空襲が終わっても、東京の空は まだ煙に覆われて真っ黒だという冗談が飛び交うほどだった。米軍の焼夷(しょうい)弾が噴く地獄の火の代わりに、書類の山につけられた炎があちこちで燃え上がっていた。

米軍が東京に着いたのは、昭和天皇が降伏宣言をしてから十日以上後だった。日本としては戦争犯罪に関する文書を廃棄するのに十分な時間があった。煙になって消えた文書目録にどんなものがあったのかは知る由もない。おそらく不利な記録はことごとく廃棄されたことだろう。そのようにして天皇以下、軍部・官界 ・財界にいた数多くの戦犯たちは責任を隠ぺいした。

霞が関など、日本の中枢であった官庁街、朝鮮総督府や台湾総督府などからも延々と数日間に渡って煙が立ち上った。占領軍が上陸してくる前に戦争にかかわる公文書を燃やした煙である。これによって失われた多くの文書が、その証明を難しくする要因になっている。

話は変わりますが、2.26事件については3月事件、10月事件、陸軍士官学校事件という流れがありました。非常に複雑です。

昭和6年奉天占領の時だったと思いますが、英国が金本位制から離脱します。軍事行動と世界の経済情勢とは密接に繋がっています。

昭和21年米国の国務、陸軍、海軍三省連絡委員会に提出された視察団報告書には「輸出振興と原料輸入の狂奔が日本帝国主義の原動力となり、この結果、富と経済的権力が一部の財閥の手に集中されたのであって日本の侵略戦争に対する相当の責任もここにある」と明記されていたとの事。別に関東軍が勝手な行動を取ったわけではありません。経済的なものと結びついての行動です。

デフレ、震災、恐慌、インフレ、そして、次は考えたくもないですが、何やら似ています。世界的バブルも崩壊寸前のような気がしますし。政府の債務残高を解消する手段としてはインフレしかないでしょうし。

私が強調したいのは同じ道を辿らないようにという気持ちからなのですが(どうしようもないですが、でも方法はあると思いますが難しい)、私の投稿はご迷惑と思いますので、これで最後にいたします。失礼いたしました。

2014/12/23 (火) 21:23:20 | URL | hiyorigeta #/Gbb2fdw [ 編集 ]

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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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