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親の子を思う心を詠んだ名歌5首





銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに
                まされる宝子にしかめやも   
                           山上憶良


世の中に思ひあれども 
          子を恋ふる思ひに勝る思ひなきかな   
                            紀貫之


人の親の心は闇にあらねども
              子を思ふ道にまどひぬるかな    
                          兼輔朝臣.


とどめおきて誰をあはれと思ふらむ
              子は勝るらむ子は勝りけり   
                         和泉式部


親思ふこころにまさる親心
            今日のおとづれ何と聞くらん   
                        吉田松陰




どの歌も親の子を思う心を詠って余すところが無い。

短歌でも俳句でも、親が子を、祖父母が孫を題材にすると、大抵は凡作になるというのが相場です。自己満足に終わる場合が多いからでしょう。鑑賞する第三者からすると、「ケッ!勝手にしやがれ!」と思われがちです。

しかし、上記の5首は名作だけに、現代人にも伝わる「何かしらの感慨」があります。

強いて言えば山上憶良の歌は少々「クサイ」。親バカに近い。が、万葉の時代ですからね。オリジナリティがあります。

兼輔朝臣の歌は現代人にも分かりやすいですね。他人事とは思えず、苦笑させられる人も多いでしょう。紫式部が愛好した歌です。源氏物語中に何回も引用されているので有名になった歌です。

紀貫之の歌は平明で素直で、リズムも良いので私は一番好きです。「思ひ」を3つ並べた技法も自然で嫌味が無い。

和泉式部の歌はちょっと難解です。「らむ」とか「けり」とか、大学の入試問題に出そうな歌です。

この歌は前提となる背景を知らないと意味が分からない。つまり、歌としては半独立的なのです。だからと言って、歌の価値が下がるとは限りませんが。

和泉式部の娘が孫を残して死んでしまった。その時の式部の悲しみを詠ったのです。

「子は勝るらん」…死んだ娘は親の私のことよりも、残した子のことを思っているのでしょうね…くらいの意か。
「子は勝りけり」…親の私だって子である娘のことを思うわ(孫のことよりも)…くらいの意か。

式部の歌は「上手い!」とは思いますが、少々技に走り過ぎた感があります。名歌が目白押しな和泉式部ですが、この歌は彼女にしてはやや平凡な方か。いや、親、子、孫、と並べ比較することで親心の深さが実感として伝わって来るのであれば、名歌か。やはり、和泉式部という女性はあなどれません。

独身であった吉田松陰の歌は、「親が子を思う」心を、子の立場から詠った点に新鮮味がありますね。





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2015.07.30 | | コメント(27) | トラックバック(0) | 文学



コメント


むさし野の 雉子やいかに子を思う けぶりのやみに 声まどうなり  

                        出典:夫木和歌抄 後鳥羽院


雉の母性愛!

2015/07/30 (木) 14:19:59 | URL | ファントム #- [ 編集 ]

亡くなって判る親ごころ

  片割月さま、こんにちは。

  山上憶良の歌は人間的というか卑近な題材を歌った物が多いですね。この歌は長歌の反歌であったと記憶していますが。
  個人的な見解ですが、「子供を大切にしなさい」というお触れみたいなものだったのでは? と思います。貧しい庶民(農民)は子沢山であっても子供が余り育たないという事があった様な気がしますね。
 
 和泉式部という女性も奔放な男性遍歴が目立つ歌人ですが、薄幸な女性でもあったのですね。

 子供は親に反発しつつ、大きくなります。でも、親の年代になって初めて親の思いに気づくのかもしれません。
  

2015/07/31 (金) 08:15:14 | URL | shige #- [ 編集 ]

Re: 雉

ファントム様、こんばんは。

よっくも、まあ、このような歌を!(*_*)

2015/08/02 (日) 00:31:58 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 亡くなって判る親ごころ

shige様、こんばんは^^

>和泉式部という女性も奔放な男性遍歴が目立つ歌人ですが、薄幸な女性でもあったのですね。

ううーむ。やはり、女性は、普通に結婚して、普通に子供が出来て、育てて、…が一番幸せなのでしょうか^^;

>親の年代になって初めて親の思いに気づくのかもしれません

そうですね。孝行したい時に、親は無し、とも言いますからね。

2015/08/02 (日) 00:48:06 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re,Re :亡くなって判る親心

  片割月さま、こんにちは。

  和泉式部の薄幸というのは、私の思う所では、女である事と母である事が両立しなかった事ではないか、と思います。器用に二つの貌を使い分けられるタイプではなかったのかも。「女の心」を優先している内に、娘に先立たれた。娘が女同士で語り合える世代になったと思った矢先に死んでしまった。それを悔やみ、心に深い傷を受けている、そんな印象があったのです。
 心赴くままに奔放に生きる女性は寧ろ純粋で私は決して嫌いではない。付随して起こる事にも、「ある意味」達観して生きられるタイプであれば、私は薄幸だとは思いません。でも、この様な悲しい叫びは自身の深傷を現しているのだろうと考えました。
 因果応報という言葉があります。彼女が心のままに恋愛をした事で他の人を傷付けたと感じていたとしたら、娘の死を自分のせいだと責める気持ちにもなったでしょう。
 思い過ごしかもしれませんが、私にはそんな風に思えました。
 和泉式部の生き方に杓子定規な倫理観を当て嵌める気持ちは毛頭ありません。

2015/08/02 (日) 15:16:36 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]


旅人の宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群~♪

出典:万葉集

鶴の母性愛に託す思い!

2015/08/02 (日) 15:55:25 | URL | ファントム #- [ 編集 ]

Re: 鶴

> 旅人の宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群~♪
>
> 出典:万葉集
>
> 鶴の母性愛に託す思い!


ファントム様、こんばんは。

万葉集を愛読している私ですが、この歌は全く記憶にありませんでした。

良い歌ですね^^

ありがとうございす。

2015/08/02 (日) 23:29:12 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: Re,Re :亡くなって判る親心

shige様、こんばんは。


なるほど。。。

shige様は私なんかより、人間心理に通暁されていますね^^。凄いと思います。

それだけ、人に揉まれて生きてこられたからでしょうか。

紫式部が例の日記で、「和泉はけしからぬかたこそあれ…」と評しているように、

当時の女性から見ても、和泉式部は不埒で不義で、倫理的に批判されていたようですね。

人の人生が幸か不幸かは、本人の心の中でしか分からないことですが、

私から見て魅力的な人間であることと、それが当人にとって幸せだったのか否だったかは、別の問題なのでしょうね。

私個人の好みでは、紫式部や清少納言よりも、和泉式部の方に人間的な魅力を覚えます。

紫式部も清少納言も、作品は素晴らしいけど、付き合ったら、嫌な女!と思うタイプのような気がします(・・;)

2015/08/02 (日) 23:43:34 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

紫式部日記

 片割月さま、早速のレスありがとうございます。
 こちらこそ、正しい意図を、的確に丁寧に読みとって頂けてうれしいです。ありがとうございます。
 少し、私も言葉足らずな事が多いので。いつも、ご迷惑をお掛けしています。

 「紫式部日記」、初めて読んだ時、イメージがガラガラと崩れましたね。物語文学を書く位の人は、自意識過剰である事は判りますが、結構、凄い! 清少納言など、ライバルを次々に貶しまくる。道長が自分に気があると書く。出版(周囲に見られる事)を意識してないから、本音が出まくり。
 でも、私は紫式部は控えめで、男性経験がすくなく、文学の世界に浸った女性の一典型みたいな気もします。私もこういう女性は敬遠したいですが。逆説的に言えば、強い劣等感を抱いているからこそ、世にも稀な素晴らしい物語を書けたのかもしれませんね。
 式部が全ての巻を書いた訳ではなく、幹のいくつかの巻を書いたという説もあるみたいですが、素晴らしいことには違いないです。
 ただ、高校時代、受験対策の古典の時間、「源氏物語」に苦しめられたせいか、それ以降は授業以外ではもう、見るのもいや、みたいな感じになってしまいました。また、源氏物語を読み返してみようかな。(現代語訳でも)

2015/08/03 (月) 19:14:00 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

Re: 紫式部日記

shige様、こんばんは。

shige様の紫式部評、共感出来ます。

紫式部はプライドが高く嫉妬心も強いが、深い思考力と自省心のあるネクラ。

清少納言は感性は鋭いが、自画自賛を臆面も無く披露して悦に入るネアカ。割とモダンな女性かな。

和泉式部は良い意味でも「世なれ」していて、自由な精神を持ち、気難しい二人とも卒なく付き合っていたみたいですね。

おそらく、三人の中では一番美人だったんでしょう^^;

>式部が全ての巻を書いた訳ではなく、幹のいくつかの巻を書いたという説もあるみたいですが、素晴らしいことには違いないです。

私はこの説に賛成なんです。原文で読むと分かりやすいのですが、巻により文体が明らかに異なるんですよね。

伊勢物語が作者複数であるように、式部自らのオリジナルもあれば、誰かが下書きしたものを式部が推敲したり、
筆自慢の誰かが書いたものを式部がそのまま採用したものもあるような気がします。

フフフ。。私は古典(だけだったりして)は得意科目だったので、受験勉強も楽勝だったわ(^^)

>源氏物語を読み返してみようかな

無理して全巻を読まずとも、有名な巻(夕霧とか若紫、若菜 柏木等)だけでも原文と現代語訳の両方で読まれることを、
私は強く、推奨いたします\^^/


それにしても、shige様は趣味が広いですね^^。

2015/08/04 (火) 02:52:28 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

これで最後に・・・

 片割月さま、源氏物語の巻によって、文体が異なるという事までご存じとは素晴らしいです。読破されているのですねえ~。いやあ、受験の古典に於いて、「源氏物語」は大きな壁ともいうべき物なのに、全く意にも介さず、その後も源氏物語を楽しまれている。まさに「古典の強者(ツワモノ)」ですね!

 私も決して国語(古典)は苦手ではなく、寧ろ得意な範疇に入る科目でしたが、源氏の文法の複雑さ、主語が無かったり、息の長い文章の文脈の取りずらさ。延々と「桐壷」「夕顔」「若紫」の辺りを逡巡して、文章を切り刻んで、内容すら訳判らなくなるので授業はまさに悪夢の様でした。(先生方も鬼軍曹の如く、厳しく、しごいたし)
 だから、猶更、片割月さまが凄い方だと感じますよ。

 確かに現代語訳と原文を両方読む事で、原文の美しさを感じる事も出来そうですね。「須磨」「明石」の辺りから読んでみたいです。私の源氏物語は最初の五巻くらいで止まっているので。
 能楽でも源氏物語をテーマにした曲は沢山ありましたが、読もうという気にはならなかった。ダメな話ですね・・・。「半蔀」「葵上」「源氏供養」「玉蔓」などなど沢山あります。

 国語力というのは、勿論、社会に適応できる語彙力や文章力で充分かもしれません。でも、やはり、「現代国語」や「古典」を系統だって勉強するスペシャリストも必要です。受験でも、もう少し、国語を重視してもいいかな、と考えているのです。バックボーンに日本文化の知識や教養があればもっと、日本の素晴らしさを海外にアピールできる訳でしょう? このテーマのコメントは最後にしたいと思っていますが、ちょっとその事にも触れておきたいと感じて書かせて頂きました。

2015/08/04 (火) 10:03:15 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

Re: これで最後に・・・

shige様、こんばんは^^

>全く意にも介さず

何度か通して読みましても、私の理解度は35%くらいでしょうか^^;
残りの65%は今も、チンプンカンプンだったり、文章をいくら読んでも、頭に絵が描けないのです。
それでも、「全く意に介さず」」、私なりに楽しんでいます(笑)

shige様がいずれかの巻を読まれましたら、簡単な感想でもお聞かせいただければ幸いです。
(と、プレッシャーをかける)

国語は一番大事ですよね。次が日本の歴史でしょうか。

最近、高校で日本史が必修では無いとの噂を聞き、驚き、呆れています。

いったい、どうなっているんでしょうね。。。

2015/08/06 (木) 00:20:11 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

玉葛十帖

  片割月さま、こんにちは。

 法事で実家に行く用事があって、ついでに大学時代の授業などで使った源氏物語のテキストやノート、その頃の書籍を持ち帰って来ました。一般教養と課外講座の講習会で学んでいたものです。
 賢木、須磨、明石、それから、玉葛から真木柱辺りまでの十帖から、いくつか抜粋した原文のコピーをテキストにしていました。それ以外にも、源氏物語の解説書もありました。
 一応、岩波文庫のワイド版を手に入れたので少しずつ、読みつつ、現代作家の解説本なども参考にしつつ読み進めている最中です。片割月さまも仰ったとおり、全てを読むのは大変なので、若菜、柏木辺りをを中心にして、読んでおります。これは私たちの年代になって判る犀利な心理劇という印象もあるので、出来るだけ丁寧に読んで見たいと思います。

  三十年前の私は、多分、授業や講読の時間で発表させられていたのでしょう。へたくそな感想らしきものを余白やノートに書き散らしておりました。嵯峨の野宮の文章に関しては「交響楽みたい。重層的で虫の声や風の音が怖い位に効果的」須磨は「波みたいな心地よい文体で月に照らされた源氏の姿が目に見えるよう」。
  多分、「漂泊の貴人」的なロマンチックさが心に残っていたのでしょうね。その印象しか残っていない。それ以降は平安時代だけを避ける様に、「源氏物語」関連の本に全く手を伸ばしていない事が不思議でなりません。

少し時間が掛かるかと思いますが、是非、感想をこちらに寄せたいと思います。
中間報告ではないですが、一応、書かせて頂きました。
  

2015/08/10 (月) 09:48:58 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

Re: 玉葛十帖

shige様、こんばんは。

>大学時代の授業などで使った源氏物語のテキストやノート、その頃の書籍を持ち帰って来ました

ドッヘ~ッ!このこと自体、凄いわ。几帳面だわ。私なんか、とっくにゴミ箱行きですよ^^;

>若菜、柏木辺りをを中心にして、読んでおります。これは私たちの年代になって判る犀利な心理劇という印象もあるので、出来るだけ丁寧に読んで見たいと思います。

おおッ、ここはクラマックスの1つですよね!私は何度も読み返して、豊潤で華麗な文章を味わったものです。

ご存じかもしれませんが、源氏物語の第二部、「若菜上」「柏木」~「幻」は紫式部ではなく、男性が書いたのではないか、と説く学者もいるのですね。折口信夫だったかな。つまり、光源氏の人格の完成に力が注がれた第二部は、冷静にして緻密な内容になっていて、繊細な女性の手(式部)によるものとは思えない、というのです。う~ん、女性への偏見あり、だわ。


>「交響楽みたい。重層的で虫の声や風の音が怖い位に効果的」須磨は「波みたいな心地よい文体で月に照らされた源氏の姿が目に見えるよう」

shige様の文学的表現も素敵ですね!若き大学生の表現とは思えません。
いや、若いからこそ、自由に書けるということもありますが。

わたしは、新潮社の「古典集成」シリーズと、受験生用の中道館「古典新釈シリーズ」をアンチョコに併用して読んでます。

shige様の、適時、ご報告が頂けると嬉しいですね。

お待ちしておりま~す(^^)

わたしも、久しぶりに読み直したくなりますね^^

2015/08/11 (火) 01:57:21 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

源氏物語の私観

 片割月さま。「若菜」「柏木」をとりあえず読み終わったので感想を書きます。全くの素人なので頓珍漢な事を言うかもしれませんがご容赦を。
 また、集っておられる皆様に、コメントの場をお借りする事をお詫びいたします。

 題名、それから総評

 功成り名遂げた(藤裏葉まで)源氏が内部から(周囲も含めて)崩壊していく様を実に客観的に、ある意味、冷酷に見据えた章とも言えます。古代、若菜というのは、非常におめでたいとされていて、作中でも玉葛が源氏に献上したりしますが、まばゆい栄華を極めた彼を現し、もう老境に入った彼への皮肉とも取れる題名だと思います。もう一つ若菜には「摘む」という言葉がセットとなっていますが、「摘み=罪」という隠語すら感じたりします。
 源氏がかつての政敵である朱雀院から、女三の宮という若い姫宮を娶るという部分から始まるのですが、源氏が表面は「いやいや私なんて(笑)」と言いつつ、実は若い娘を得て、若返りたい、とか、栄華をもっと完璧にしたいとか、愚かな好奇心と欲(両方!)で娶ってしまう。紫の上(對の上ともいいます)という素晴らしい自分がかつて攫ってきて、手活けにした美しい花があるのにね。
  そして、その姫宮がぼうっとしたアホな娘。容姿は可愛らしい。しかし、「いと、いはけなき気色して、ひたみちに若び給へり」と皮肉たっぷりに書いている様に、全く手ごたえのない娘なんですよね。これは比較する相手が間違っているので・・・。紫の上を言動全てを比較して軽蔑し、それでいて、上皇である父を憚って、決して遠ざけはしない。
 若菜で描かれる源氏は本当に冷酷で自分勝手で優柔不断で嫌なオヤジだと思いますよ。柏木への「若さ」への嫉妬というのが嫌だ。全然、枯れてない。自分の元々の罪を本当に自覚してるのだろうか。柏木をあそこまで追い詰めなくてもいいのに、と感じます。自分への因果応報という実態を本当には実感してないですよね。

 姫宮は蹴鞠の日に、飼っていた「唐猫」の紐がからんで、柏木に姿を見られ、恋い焦がれた彼と密通し、妊娠してしまう。それが宇治十帖の主人公、薫。ここで見られるシーンの美しさはこの章のハイライトですよね。桜の精みたいに美しい、可愛らしい姿をしてますが、やはり、中身は空っぽのぼんやりさん、なのですね。
 密通してからも、露見するのは、ラブレターを源氏に見られたせい。座布団(布団?)に挟んでいた、とか考えられないです。よろずに受け身で、粗忽で、考えなしで源氏に叱られる、と怯えてるだけ。「どうしてこんな娘が源氏、紫の上、柏木の運命を変える様な力を持っているんだ」と思ってしまう。結局、源氏の器が、姫宮には大きすぎた、という所でしょう。

 構成は素晴らしいですね。様々な華麗な儀式などの間に、源氏が新旧の妻の間でうろうろする姿が上手く描かれています。紫の上のクールというよりも何か、気持ちや張りを無くした姿が痛々しい。「すこし」とか「つれなし」という表現がありますが、彼女が病に倒れる必然を感じました。

 長くなったので、それぞれの登場人物の考察は、別に書きたいと思います。今回、「岩波文庫」で読んだのですが、主語をきちんと補足してくれるので読み易かった。文脈を取れれば、文章を味わう事も出来、その息の長い文章、かき口説くような会話やほのめかしの怖さを感じ取れました。(私の読解力、理解度は大したことないので、現代語訳でおぎなっていましたが)

 最後のお馬鹿な疑問。食いしんぼの私は、蹴鞠の後に食べたおやつが気になります。
 梨、柑子はいいのですが、椿餠って何だろう? 椿油で揚げて、あまずらか何か掛けたのか、普通のお餅を椿の葉でくるんだのかしら。 片割月さまはご存じではないでしょうか。

 長々と失礼いたしました。
 また、後日、続きを書かせて頂きます。

2015/08/14 (金) 09:46:29 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

源氏物語 その2

 片割月さま。土日が忙しくなったので、自分なりにまとめて置いた事、書き込み致します。

 源氏物語の作者や作品の成立に関しては、そう簡単に断言できないものもあります。ただ、私は源氏物語が「若菜」から本質的に違う物に変化していったという印象を持っておりますので、誰の手に依ったにしても世界観がより深まった、と解釈しています。
 丸谷才一さん、大野晋さんの共著でも、折口氏の訳の素晴らしさというのが語られています。源氏物語を心より愛した方であるのは、事実だろうと思っています。

 1 光源氏の心理について

 先ほども言いましたが、何故、昔からの妻を持ちながら、若い女を貰ったのか? これは、勿論「欲」もあるでしょうが、ある意味、男性の「夢」なのでしょうか。不老不死ではないですが、自分自身に若いパワー(呪術的な意味でも)が欲しいという事なのでしょうか。
 源氏は夕顔の忘れ形見「玉葛」を引き取り、娘として後見します。紫の上と同じで美しく、才気煥発な娘を我が手で育てる事が好きだったという事なんでしょうかね。
 そして、様々な犠牲を払って得た女三の宮に、露骨にがっかりしている、というのも、彼がこうした婚姻というのは、相手が自分の望む物を与え合うという取り引きだったのだ、とつくづく感じます。
 
  2 紫の上

 「ミニーマウスのパジャマで拉致された」と北村薫氏が言った如く、身一つで、何の後ろ盾もないこの女性。夫である源氏には庇護される関係であって、全くイーブンな関係ではないんですよね。
 いかに、彼女が才女で、様々な芸事(染色、和歌、手習い等々)のたしなみに長けて、心も姿も美しく、しっかりとわきまえた女性であっても、源氏とは全く対等ではない、という点に私は怒りを覚えます。紫の上が「らうらうし」と表現されるのは、彼女が洗練された女性である事の証でもあろうと思いますが。
 紫の上が人間として(女として)自己主張したのって、「出家させて」という事だけだったと思うと悲しいです。
 源氏との関係はとても良かったかもしれない。でもだからと言って、紫の上は本音で源氏とは相対していなかった。
 女三の宮の降嫁が決定打になったかもしれないけど、長い間に降り積もった悲しみが彼女を蝕んでいたのは確かですし、源氏は彼女の思いに少しも気づこうとはしなかったと思います。
 
 3 女三の宮
 「ろうたし」という言葉(可愛い)が似合う人です。悲劇のキーパーソンなんですが、彼女自身の性格に起因していると思います。源氏によっては少しも成長しなかったけれど、柏木との恋(???)に於いて、やっと人がましくなる、という感じですかね。

  立ちそいて 消えやしなまし 憂きことを 思い乱るる 煙くらべに

 柏木が重病に冒されて、女三の宮に最後の歌を交わす所。上手い下手はともかくも、彼女が自分の言葉で語れるようになった、という事なのでしょうね。
 ちなみに彼女も出家します。朱雀院は娘の事を単に、夫に愛されない可哀そうな娘、と思ったのか、それとも、よもや、あやまちでも? という疑惑は持っていたのでしょうか。いずれにしても、光源氏を関わった女性でまともに出産し、人生を全うしたのは明石の上だけですよ。後は、怨霊になったり、それに取り殺されたり、密通したり。
 「魔」みたいな男、それが光源氏だ、と思います。

 長々と述べてきましたが、この辺で筆も尽きましたので終わらせて頂きます。今回、源氏の世界に少しでも触れられて良かったと思います。全く勉強不足なので、これからもこつこつと読んでいきたいです。
 よいきっかけを与えて下さった片割月さまには感謝いたします。
 

2015/08/14 (金) 17:30:17 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

Re: 源氏物語 その2

shige様、こんばんは。

早いですね\(◎o◎)/!

椿餠は私も分かりません^^; 桜餅のように椿の葉で包んだ餅?

>丸谷才一さん、大野晋さんの共著

あ、shige様も読まれましたか^^
確か、丸谷さんは「紫式部単独作説」だったですね。
文章のタッチが変わったのは、作者が複数いたからではなく、式部が作家として成長した証しであろう、とかで。
私の意見は今風に言えば、「紫式部監修」説です。式部に刺激を受けた宮廷の女性や男性が我も我もと参画したのかと。

>何故、昔からの妻を持ちながら、若い女を貰ったのか?

さすが、shige様は読みが深いというか鋭い!

源氏が血統を重視したという理由もありそうですね。つまり、王家である朱雀院の優れた血筋の娘が欲しかったと。

他に、源氏にロリコン趣味があったとか^^;。私の読みは、このように低俗的なのでありんす。

>紫の上が人間として(女として)自己主張したのって、「出家させて」という事だけだったと思うと悲しいです。

同感です。当時の女性の最後の抵抗手段は出家だけだったのかも。
「蜻蛉日記」の作者、道綱の母も、浮気で冷たい亭主の兼家に抵抗して山寺に籠ったことを思い出します。

>「魔」みたいな男、それが光源氏だ、と思います。

うん、それは言えてる。

源氏は、当時の政界の「魔」みたいな男、道長をモデルしたとの説がありますが、源氏には道長ほどの逞しさは無いようです。

柏木が、女三の宮に「あはれ」と言ってくれと憐憫の情を乞いつつ、わが身を滅ぼしていまうシーンは切ないです。

それと、背景に満開から散り始めの桜が描かれていたと思いますが、桜も人の心を惑わす美しさ、艶やかさがありますので、
背景描写として実に相応しいなあと、つくづく式部の腕前の凄さを感じました。

shige様の感想、とても面白く読ませて頂きました。ありがとうございます^^

2015/09/09 (水) 03:07:51 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

女三の宮

片割月さま
shigeさま

今更、ではありますが、お二人の源氏物語に関する見識の高さに圧倒されました。

>何故、昔からの妻を持ちながら、若い女を貰ったのか?

女三宮は藤壺の姪にあたるのではなかったですか?
手持ちの解説書の系図にはそう掲載されているのですが。
私はてっきり、いまだに藤壺に恋い焦がれる源氏の無意識が、
女三宮との結婚を選ばせたのだ、と思っていたのですが。

2015/09/17 (木) 01:52:06 | URL | 新緑の里 #I0MP68Ho [ 編集 ]

新緑の里さんへ

 新緑の里さん、こちらの源氏に関するレスまで観て頂いて汗顔の至り、お恥ずかしい限りです。
 それから、日米野球に関するコメントも興味深く拝見しました。
 私も日米野球の差というのは「体力」であると思います。
 だからこそ、その体力差を埋める為に、努力する日本メジャーリーガーの努力とガッツに敬意を表しています。

 女三の宮の母、藤壺女御というのは確かに、源氏のこよなく憧れた藤壺中宮の異母妹ですね。(さすが、よくご存じですね!)
 確かに光源氏の深層心理には、そういう気持ちもあったかもしれません。こういうご指摘は流石に鋭いです。

 仰る通り、源氏は過去に藤壺への思慕から、紫の上を攫ってきてその手で育て、娶りました。彼女とは二十年以上も正妻同様に生活し、充分に満足していた筈なのです。
 古代から平安にかけては通い婚であり、母が違うとなれば、姉妹とはいえ、他人も同然、という意識はあったでしょう。源氏にとっては、以前、自分を須磨に追いやり、母をいたぶり、死に追い詰めた弘徽殿の女御(皇太后)の息子である朱雀帝の娘をわざわざ貰う意味が判らない。「若菜」から始まる女三の宮の婚儀というのは朱雀帝の出家と大した後ろ立てもない娘を哀れに思い、半ば強引にもって行った話でもありました。つまり、源氏はあくまでも受動的な立場であり、初めは渋っていた位なのですよね。
 作家の北村薫さんは自作「朝霧」の中でこの若菜のくだりを分析しておられます。「夢をもう一度」と考えたが、年齢の違いが大きすぎて失敗したという事ですね。
 私は、寧ろ、死を意識する年齢に達し、若さに触れる事で自分を取り戻したいと考えたのか、それとも、若い娘を娶るという事はある程度功成り名遂げた人の一種のステータスだったのか、とか様々考えました。しかし、それはやはり身勝手な欲望と周囲の気持ち(紫の上)を無視した物であった、と感じていました。だからこそ、まず、その反語的な問いかけが入ったのです。 

 私は以前のレスでも言った様に、源氏物語に関しては殆どスルーした状態で何十年も過ごして来ました。今はまだ、勉強の途上であって少しずつ、また、時間を見つけて読み進めて行きたいと感じている所です。興味深いコメントを頂き、ありがとうございました。
 
  

2015/09/17 (木) 10:05:45 | URL | shige #X91rLkcY [ 編集 ]

ご無沙汰しています。

大気や日差しが随分秋らしくなってきましたね。
興味深い記事が他にもありましたが、ふと、こちらのコメント欄に目を惹かれまして。

私も源氏物語については、作者が複数いた説に一票です。

当時の女流文学の立役者達は殆どが受領階級の娘達。
彼女達は、氏素性の関係からして、六条御息所や藤壺女院、朧月夜尚侍といった后妃の地位にある女や、紫の上(女王)女三宮(内親王)などには自己投影しにくい。
だから、玉蔓のような、浮舟のような、出は悪くないが、運が悪く地方で育つ羽目になった女に自己投影した人たちが、多かったのではないか、と。
今風に言えば、スピンオフドラマというか、外伝というか。

私の想像では紫式部が監修したというような正式なものではなく、むしろ二次創作的発展ではないか、と。
著作権などという言葉も概念もなかったであろう当時のこと、読んで面白かった物語の続きを思いつき、「私、書いてみたの、読んでくれる?」的な・・・?
玉石混交にいろいろな物語が、あるいは当時は出来ていたかもしれない。
「こんなの源氏の君じゃないわよ!」と言われれば不人気だから広まらないし、脇役が急にキャラが立ってくると単独で通りそうな物語が成立したり…(玉蔓の娘達の話なんてないほうが物語としてはすっきりするくらいだ)
※平安時代に腐女子がいれば、源氏と頭中将の関係が恋愛的に発達していたに違いない!
その中で長い年月を経て最も整合性がある形のものが残ったのかな、などと想像します。

で、源氏が女三宮の降嫁をなぜ受け入れたか、といえば、藤壺女院の姪であることもあるでしょうし、何かと負い目を感じがちな異母兄が出家の際に切々と懇願するのに負けた、というのもあるのではないか、と思います。
朱雀帝の血統を優れた血筋と思ってはいなかったことでしょう。
幼い頃から何かと比較され、父・桐壺帝を筆頭に、弘徽殿女御とその実父以外は、誰も彼もが、源氏のほうが何もかもが優れているとみなしていた残念な存在であった一宮が朱雀帝です。
兄(朱雀帝)の后候補の筆頭であった左大臣家の姫君はその父の意向で入内を取りやめ、源氏の元服の折の添臥を勤めてそのまま正妻に収まり(葵上)、
次の后候補である右大臣家の六君は入内前に源氏と通じてしまい女御入内がかなわず尚侍になった挙句(朧月夜尚侍)、出仕後も源氏との密通を続け、
チャンスとばかりに都を追い払うと自分が眼病になって、結局は「どうぞ帰ってきてくれ」と頭を下げる羽目になり、
朱雀帝が密かに思いをかけていた伊勢の斎宮も源氏の意向で冷泉帝の後宮の人(秋好中宮)となってしまった。
若き日の源氏が意識していたかどうかはともかく、彼は容姿や学才や嗜みだけでなく、恋愛においても兄との競争において常に勝者であり続けたわけですよ。

彼ものになるはずだった女たちをことごとく源氏が奪ってしまっているわけですから、源氏としては、さほど欲しくなくても「貰ってほしい」といわれれば断りにくかったのではないかと思います。
なんというか、勢いとか流れとか、罪悪感とか、同情とか、そこへ持ってきて生来のスキゴコロとか、まあ、いろいろグダグダな感じで話がまとまってしまったのではないか、と。

でも、その降嫁をきっかけに華やかで明るい紫の上がああいう晩年を送る羽目になるのが、作者の腕の見せ所と言えばそうなんでしょうけれど、なんとも・・・

紫の上はどちらかと言えば、「ワタクシと言う美しい珠には瑕がある(皇后の姪・親王の娘とはいえ、父親は無能で世間的な重みはなく、しかもその父親から軽視された日陰の娘で、それ故、皇后である叔母との血縁についても世間はあまり重視してくれていない)」という事実に、案外いい年になるまで直面しないで生きてこられた人だと思うんですね。
ただそれに気付いてしまったとき、そして「瑕無き玉」が目の前に転がり出てきたとき、身分社会であればこそ、その事実は夫が他の女との間に子供を作ったことよりも大きな衝撃だったのだろう、と。
本人の麗質や資質を比べれば、女三宮が紫の上に優っている点は若さ以外ありません。
多少の内包物があっても、紫の上と言う宝玉は、女三宮と言うありふれた綺麗な石よりもはるかに価値のある存在だったはず。
その証拠に夫の愛情に関して言えば、二品内親王という立場を以ってしても、紫の上を凌駕することはかなわなかった。
にもかかわらず、紫の上は鬱々として楽しまない心を抱えてその後の10数年を生きるわけです。

源氏は果たして、彼女を、あるいは関係を持った女たちを、本当に愛していたのだろうか?
紫の上は、自分はもとより、他のどの女たちも源氏から本当に愛されたことはないのだという事実に気付いてしまい、いわば抑鬱状態に陥り、気力がなえてしまっていたのかも…。
(この世はかばかりと見果つるここち、とも言ってますし)

などと言うことを考えます。

2015/09/19 (土) 15:48:29 | URL | 風邪薬 #aR5DLEYU [ 編集 ]

Re: 女三の宮

新緑の里様。

>女三宮は藤壺の姪にあたるのではなかったですか?
>いまだに藤壺に恋い焦がれる源氏の無意識が、
女三宮との結婚を選ばせたのだ

あ、そうでしたっけ?もう、忘れていました^^;

女三宮は朱雀院の娘ですから、光源氏の姪っ子ですよね。その関係だとばかり思い込んでいました。

新緑の里様も、こういう方面にも関心があるんですね^^。趣味が広いわ。

2015/10/25 (日) 23:59:15 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: ご無沙汰しています。

風邪薬様、お久しぶりです^^

風邪薬様もこういう世界にも関心があるんですね^^。なかなか詳しいですね。

興味深く、拝見しました。

西洋の女たらし、こと、ドン・ジョバンニは石の客の亡霊によって、地獄に落とされます。

日本の女たらし、こと、光源氏は、自ら、精神的な地獄に落ちた、ということになるでしょうか?

もしかすると、紫式部は、光源氏に象徴される藤原摂関家の横暴に対する、復讐の意味を込めたのかも^^


2015/10/26 (月) 00:12:30 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

源氏物語が好きという訳ではないのですが

>紫式部は、光源氏に象徴される藤原摂関家の横暴に対する、復讐の意味を込めたのかも

いえいえ、光源氏が象徴しているのは、文字通り「源氏=賜姓皇族」でしょう。
そして摂関家藤原氏にたいし、代々「源氏(=賜姓皇族)」が勝利する物語なんですよ、源氏物語は。「源氏」の物語。

まずは
光源氏 vs 頭中将 (私は頭中将のほうが好きです)

夕霧 vs 柏木(親世代ほど露骨に争うわけではありませんが、例えば、朱雀帝は、女三宮のムコ候補として、夕霧のことは一度は考慮に入れていますが、柏木は却下なんですよ)

匂宮 vs 薫(薫は源姓を名乗ってはいますが、実際は柏木の子ですから、頭中将の孫ですね、実質は藤氏です)

摂関家と同じ藤原北家の流れを汲む家の出とはいえ、学者の家に生まれた彼女は、権勢に縁遠い環境で育ったのでしょうし、摂関家の専横に思うところがあった可能性は高いと思います。

でもその一方で、紫式部日記では、道長の意向に沿って(いたのだろうと思います。アレは日記と題されていますが、ほぼ間違いなく、多くの人が読むことを前提に書いている「道長一家万歳!」本でしょう)一応、彰子中宮を称揚してもいる点など、「すまじきものは宮仕え」なのか、住めば都で権勢家の周辺もそれなりに居心地が良くなったのか・・・などと、まあ、下司の勘繰りともいえましょうw

日記の中に、19歳の彰子に対し、紫式部が漢文の講義をする話が出てきますが、定子のほうが19歳の時には清少納言に向かって「香炉方の雪は…」と問いかけられる程度に漢文の素養がすでにあるわけで、やはり、定子皇后という女性の存在の大きさ(特に、一条天皇にとっての最愛の女という意味で)は世間的にも、道長個人も、そしてなにより一条帝の後宮全体において無視できないほどのものだったんじゃないか、と考えてしまうんですよ。

個人的な印象としては、定子皇后の華やかで明るい人柄、年若い権門出の妻の出現にもかかわらず夫の寵愛は衰えを知らず、それでもやはり後ろ盾のしっかりした年下のライバルにおされ気味に遠慮がちに生きる羽目になる姿などは、紫の上のモデルは定子皇后じゃないかしら?

女三宮の侍女達の頼りなく使えない様は、紫式部の同輩批評を彷彿とさせますが、彰子中宮自体は、地味で実直な性格らしく、夫の死後の態度などは、あるいは、藤壺女院のモデルにもふさわしいかもしれません。


昨シーズンはなんとなく気が抜けたような気分で見ていたスケートが今季はワクワクですね、思うこと、感じることはたくさんあるのですけれど、ちっともまとまらなくて(笑)書き込みたいのに、書き込めない!!感じです。

2015/11/02 (月) 17:01:57 | URL | 風邪薬 #aR5DLEYU [ 編集 ]

薫=藤氏!

風邪薬さま

横レス失礼致します。
大変興味深く拝読させて頂きました。

風邪薬さま仰る、定子皇后が紫の上のモデルとなったのでは?とのご意見、私も成る程、確かに!と思わせられました。
定子皇后の母方を考慮に入れると、それは一層説得力を増す様にも思われます。
ご承知の様に彼女の母方は高階氏であり、受領階級であり学者であり、紫式部の出自と大変よく似ています。高階貴子の評判を彼女は当然耳にしていた筈ですし、紫式部が定子皇后に親しみの様な感情を抱いていたとしても不思議はない筈なんですよね。
名門源氏を母方とする彰子中宮よりも、彼女にとっては縁を感じる存在であった事でしょう。
彰子中宮=女三宮、という訳ではないにしろ、「モデル」としてはぴったり重なるものだと感じます。

また、薫=源氏、だとばかり思い込んでおりましたが、ご指摘の通り、確かに彼は藤氏な訳です。これは正に目から鱗であり、今の今まで全く思いもしなかった事でした。
ご教示頂き、大変感謝致しております。ありがとうございました。

2015/11/04 (水) 04:03:57 | URL | 新緑の里 #I0MP68Ho [ 編集 ]

Re: 源氏物語が好きという訳ではないのですが

風邪薬様、こんばんは^^

好きという訳でもないのに、これだけ詳しいとは凄いですね(@_@;)

私なんか、好きでないと、しっかりと読もうとか、覚えようとか、サラサラ無くなってしまいます(^^ゞ。

紫式部の道長に対する態度は、なかなか複雑なものがあったと想像出来ますね。
同じ藤原でも、天と地の差ですからね。

光源氏=道長モデル説もあり、捨てがたいのですが、風邪薬様のご説も、なるほど、と思いました。

万葉集にしても、古今和歌集にしても、伊勢物語にしても、どちらかと言えば、恵まれない立場にある皇族や貴族による創造が中心にあり、そこには反骨的な精神を私は感じ取るのですが、どうなんでしょうね。

大伴家持も、紀貫之も、業平中将も、彼等歌人達は、概して、権力側には遠い存在に甘んじていなければならぬ人達でした。
それと同じ匂いを源氏物語と紫式部にも感じるのですが。

2015/11/04 (水) 18:22:34 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

新緑の里様、片割月様

新緑の里さま、
前から、ブログ、拝見してます。
私も、真央ちゃんのファンで、バレエも好きなので。
コメントしたいな、と思いつつ、なんとなく・・年とともにヘタレ度が増してしまって、コメント欄に投稿するのに、二年以上逡巡するのが普通になってしまっているんですw片割月さんのところも初めてコメント欄に投稿するまで三年近くロムってましたw

>ご教示
なんてものじゃありませんけど、私は、どういうわけか、道隆と定子には好感を持っています。伊周には思い入れはないんですが。
あと、兼家が好きですね。身勝手で傲慢だけど面白い人だと思う。


片割月様、
>好きという訳でもないのに、これだけ詳しいとは

詳しいわけじゃないのです。が、「好きではないけど」などと枕詞をつけるとなんとなくいやらしいですね。
取り消しましょうね、好きなのかもしれません。でも・・・うーん、はっきりいって、源氏物語って、かなり暗い話だと思うんです。救いがないというか・・・。
なので、興味はあるけど「好き」とは思わない・・・というう感じでしょうか。

瀬戸内晴美や円地文子の翻訳も(高校の頃、友達が夢中になっていて勧められましたが)なんとも辛気臭くて好きになれず読了できなかった・・・。
メソメソ泣いてばかりの女君を見て、「一日の終わりにこんな女に会いたいと思うオトコなんている? てか、この作者達って、オトコにもてたことがないと思う!」などと悪態をつく不遜な高校生でありんした(^。^;)

私は、源氏物語の女君たちよりも、枕草子の中で描かれる明るく華やかで楽しげでおおらかな定子という女性が好きでした。
ところが、定子を好きだというと「判官びいき」といわれます。
望月の我が世を愉しんだ道長の娘である彰子を強者とし、道半ばにして逝ってしまった父を持つ定子は弱者であると感じる人が結構多いらしい。
私は、清少納言が全身全霊で称揚した華やかな美貌の貴婦人として定子を見ていたので「弱者」という意識がなかったんですね。
当時の史的な背景など徹底的に無視して、清少納言が描く世界だけが真実のように思いこんだわけです(小学校の高学年のときだったと思います、いわゆるリライト版で初めて枕草子や源氏物語を呼んだ時期でした)実際、清少納言は、辛気臭いシーンを殆ど書かない人なので、定子皇后の周辺は華やかでキラキラしていて、読んでいて楽しかった。

なので、「彰子と定子なら、定子が好き」と感じたんですが、そう言った途端に「日本人は弱いものに肩入れしがちだから。あなたも惨めな状況だった人に同情して肩入れするのでしょう」といわれて非常にびっくりしたという経験が一度ならずあるんです。

その辺から、源氏物語に、というよりも、彰子と定子に、紫式部と清少納言に、興味を持つようになりました。
といっても、別に体系的に何がしかの勉強をちゃんとしたわけではないので、かなり、いい塩梅なところで(つまり私自身の感覚でなんとなくぴたりと来るところの意見を取り入れてるだけ)あれやこれやと思うところでとどまっているので、かなり偏ったことを言っているのだと思います。

>モデル説
どの登場人物について、「この人」と一人を指定することは出来ないのでしょうね。
いろいろな人を複合して、光君や、紫の上や、明石の女、女三宮、藤壺女院、弘徽殿大后、などが出来上がっているのだろうと思いますが、似たようなところがいくつか重なると、「あ、この人だ!」と飛びついてしまうのも、「いい塩梅」なところであれこれ言う素人に許された楽しみともいえるでしょうか。

あの時代は、呪詛や言上げなどが大真面目に捉えられていた時代ですから、道長はもしかしたら、物語の世界でくらい、藤氏でない名家がいい思いをするのもよしとする、というか、物語の中で栄耀栄華を極めさせることによって、自分たち一家の専横の「禊」とした面もあるんじゃないかなどとも考えます。
物語の中で、藤氏が源氏に負けたとしても、弘徽殿大后や右大臣家や、頭中将とその息子と孫が、物語の中でどんなに恥をかこうが、そのモデルが藤氏のだれかれだろうなどと取りざたされようが、実際この世の栄耀栄華をほしいままにしているなら、「望月の我が世」を実質的に欲しいままにしていられるなら、なんちゃないでしょう?

もちろん、紫式部が何を考えてそうしたのかはわかりませんが・・・。

それからそれへと、実在した人たちと物語の中の人物が重なったりずれたりしつつ、とりとめもないことを考えさせられてしまうんです。

ちゃんと体系立てて勉強した人ならもっと違った風に受け止めることなのでしょうけれど、私の場合、迷走してるだけ・・・・。
とはいえ、迷走はわりと楽しいので、まあ、いいや、とw。



COC SP終了。真央氏の3f-3tを楽しみにしていたんですが、相変わらずのセカンドループ、しかもダウングレード。FSではセカンドトーループが見られるでしょうか?

2015/11/06 (金) 23:55:44 | URL | 風邪薬 #aR5DLEYU [ 編集 ]

Re: 新緑の里様、片割月様

風邪薬様、こんばんは^^

オオッ、紫式部と清少納言、彰子と定子、ですか。話の尽きない楽しい話題ですね。

何かを真剣に議論するなら式部さんと、
一緒にスナックでお酒を飲むなら清女さんと。

式部さんは思考の人で、世を包丁で深く刻むのよね。
清女さんは感覚の人で、世をナイフで鋭く刻むのよね。

お二人共、美貌にはあまり恵まれなかったらしいですが、
男性なら、ユーモアを解す清女さんとなら寝てもいいかな、と思うのかな。後腐れもなさそうだし。ガッハッハ(^^)
式部さんだと、話がこじれて、いつまでも尾を引きそうだしね。

枕草子は清女さんの作で間違い無さそうですが、私に言わせれば、定子さんと清女さんの合作と言っても過言ではないかと。
定子さんがいなければ、枕草子は書けなかったと。それくらい、清女さんは定子さんに惚れ、影響されたと。
それくらい、定子さんは魅力的な女性だったのでしょうね。少々、美化されている気もしますが、いいですよね。

彰子さんは、父の道長に反発してまで、定子さんの子供を手元に置いて育てたくらいだから、
芯は強く、しかして、優しい人柄だったのかもと。

私はネクラの式部さんもネアカの清女さんも、同じくらい好きですよ^^

彰子さんと定子さんは…分からないわ。

2015/11/07 (土) 02:09:28 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

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和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、神仏を尊び、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者熟女(四十路半ばを過ぎた)ですが、よろしくお願いします。

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