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少数派の女子生徒に思う

J-CASTニュース2012/2/27
「熱が40度近くあっても登校」やりすぎ 私立高1年間クラス全員無欠席に批判

札幌市にある私立高校3年5組の35人全員が1年間無欠席(出席率100%)で、2012年3月1日の卒業式を迎えることになった。1964年の開校以来、2度目の快挙として高校はこのクラスを称えているが、熱が40度もある生徒に登校許可を出していたことについて、「熱い青春の1ページと評価すべき」なのか、「危険な行為を美化すべきでない」のか、ネットでは賛否両論に分かれている。「無理して学校来て体壊したら誰が責任取るんだ!」
この高校は札幌市南区の東海大四高校で、1年間無欠席だったのは3年5組の男女35人。同校のホームページにある学校通信「東海の風」12年2月22日号には「新たな伝説が誕生!四高史上、2クラス目の快挙達成!」という見出しで、この1年間の出来事を担任が綴っている。
それによれば、出席率100%というのは担任誰しもが目標にするが、達成は極めて難しいし、自分も本当に達成できるとは思っていなかった、と書いている。
ところが、始業式から5月まで誰も休まず、「生徒たちは意識しているのではないか」と感じるようになった。5月6日に男子生徒が欠席することになったが、このときは医者からインフルエンザと診断され「出停」扱いになったため記録は続いた。

危機は度々訪れた。6月17日には女子生徒の親から体調が悪く、大会も控えているので休ませるという連絡が入った。クラスの生徒たちは怒り心頭の様子だった。すると1時間目が終わった頃にその女子生徒が登校してきた。
そして「うちには関係ないし!こんなんで無理して学校来て体壊したら誰が責任取るのさ!」
と吼えた。

クラスの何人かが「休むなよ!」という電話やメールをしていたことが後にわかった。
この日をきっかけにクラスは一つになり「担任も休めなくなってしまった」。40度近い熱があっても点滴をしてまで登校する生徒がいたり、インフルエンザの疑いがあった生徒は病院と高校を行ったり来たりした。
無欠席100日を過ぎると、強制的に登校させているのではないか、という迷いが担任自身にも生まれた。しかし、生徒から「クラス楽しいから来ている」という話を聞かされ救われたという。無事に1年間無欠席を達成し、自分たちが得たものは計り知れないほど大きいし、生徒たちは立派だったと担任は振り返っている。

これに関してネットの掲示板やブログでは
「青春を感じたい時期なんだな。思い出が残るのは、良いことだ。クラスが目標を共有すると、仲間意識も芽生えるんだろうな」といった意見もあるのだが、批判的な意見のほうが多い。

「生徒たちは大きな宝物を手に入れて卒業できる」
例えば、
「悪いことではないが、これが素晴らしいとは思えない。これが原因でいじめにつながる可能性もあるし、命にかかわる場合もある」
「体調不良の生徒が無理して出席するとか教師なら止めろよ」
「学校はあくまで勉強と交流と『ほどほどの』団結力の体感が第一であって、意味不明な義務をクリアするための場所じゃないと思う」
などの意見だ。

同高校の松木道子教頭に話しを聞いてみると、1年間無欠席を貫いたこのクラスに対し、ネット上で賛否両論の議論があることは知っているという。
松木教頭はこのクラスが前期は全員が無欠席だったとし、11年10月12日付けの学校通信「東海の風」にその心境を綴っている。100%無欠席が目的化しすぎているとすれば、体調の異変があっても登校せざるをえなくなるなど、教育的見地からも、危険性があることは分かっている、と書いている。そして、現在、クラス全員が元気でいることに安堵しているし、こうした偉業が続いているのは、クラスの雰囲気がよく、自分の存在がありのままに認められ、居場所があるクラスなのだろう、と分析した。

松木教頭はJ-CASTニュースの取材に対し、1年間無欠席だったクラスがあることに対し、「ファシズム的なことが行われた、とか、非人間的な指導ではないか、という批判は間違っている」と強調した。仮に無欠席を生徒に強制したとしても達成できるものではなく、いくつもの奇跡が重なったからこそできた偉業だという。
「全員無欠席は生徒たちが自主的に貫いた素晴らしいことです。これを成し遂げたことは、目標に向かう諦めない心、達成感、そして仲間たちとの繋がりなど、大きな宝物を手に入れて卒業できる、そう感じています」
以上。



以下は私の感想と意見である。情報は上記の記事だけでなので、誤解や誤認があるかもしれない。

私がこのエピソードで感動したのは、1年間無欠席の偉業でもなく、目標に向かう諦めない心でもなく、仲間たちとの繋がりでもない。

「うちには関係ないし!こんなんで無理して学校来て体壊したら誰が責任取るのさ!」とクラスに向けて抗議した女子生徒に私は感動した。

この女子生徒こそ「得たものは計り知れないほど大きいし、立派だった」し「大きな宝物を手に入れて卒業できる」と思う。

私が担当の教師であれば、35人の生徒の中でこの女子生徒を大いに賞賛する。他の生徒たちに「見習え」と指導もする。たったひとりで34人に向けて自分の意見を堂々と主張した。勇気がある。自主性もある。なかなか出来ないことだ。誇りある少数派だ。こういう子は社会に出てからもきっと伸びると思うし、良い仕事も成し得る人材となるであろう。少々誉め過ぎかもしれないが。

「誰が責任取るのさ!」…この女子生徒は鋭い。そう、いざとなれば誰も責任は取らない。自己責任にされるのがオチだろう。それが日本的体質なのだよ。如何なる組織、集団においても。

日本人は「みんな、一緒だ」「皆の心は一緒だ」「みんなが同じ思い」とか、「みんな」が好きだ。
それは「みんな、から外れる人間に非寛容であり、外れた人間は村八分にされる」危険を秘めている。
この女子生徒がその後、クラスから実際にどうのような扱いを受けたか担当の教師には知り得ないだろう。彼女が苛められた可能性は50%位はあるだろうと思う。「空気を読めない」「異分子」「少数派」はどうされるか。

クラスの偉業をひたすら讃え、抗議した女子生徒のことはスルーする担当の教師や教頭の言葉を聴いて、私は不思議に思った。
学校の先生は「生徒の個性を大切にし、伸ばす」ことをよく口にするが、上記の事例はそれとは真反対の教育に感じてしまう。抗議した女子生徒を讃えるような教育こそ、個性を大事にすることに繋がると思うのだが、その辺りはどのように考えているのだろう。

教頭の発言には生徒達への阿りのような雰囲気を感じる。考え過ぎだろうか?

もちろん「教育」に唯一絶対の正解など無い。人により場合により様々なやり方がある。だからこそ思う。今回の事例ではクラスの偉業を讃えるのも良いが、かの女子生徒のような少数派意見を大事にする教育も大切ではないかと。


何故なら、少数派に身を置き、多数から批判され苛められ、無視された経験を持つ人間こそ、本当の優しさと強さを身に付けて行くだろうと私は思うからだ。

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2012.03.03 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治・社会



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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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