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歴史:「変化」と「不変」について愚見を少々




<古文書>本能寺の変、仏教界は喝采「信長は清盛の再来」:毎日新聞 2/4(土)

◇愛知・豊橋の寺で発見 悪感情読み取れる

(引用開始)…愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的に評した詩文が引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授(日本近世文学)や高崎俊幸住職が発表した。島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取れるとしている。

文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。

その冒頭に、近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。

詩文には「信長は京を鎮護して二十余国を領したが、公家をないがしろにして万民を悩まし、苛政や暴虐は数え切れない」「(本能寺の変で)死亡して人々は拍手し、天下が定まった」といった意味の記述があった。さらに信長について「黒ねずみで平清盛の再来」とする一方、光秀を「勇士」と表現したとみられる記載も見えた。

信長が1579年に築いた安土城に触れ「天守は(高さ)百尺(約30メートル)」「苦役で民が汗を流し、ぜいたくな城を築いた」と解釈できる部分もあった。信長の比叡山焼き打ちにも言及していた。

島田教授は2014年に高崎住職から依頼を受け調査を進めていた。島田教授は「信長が仏教界から尋常ではないほど恨まれていたことが伝わってくる」と話した…(引用終わり)。


織田信長は非常に合理的な考え方の持ち主だったようで、神仏の存在など信じていなかったフシもある。信長の合理的思考を示す良く知られたエピソードがある。宣教師が連れて来た「奴隷」としての黒人を初めて見た信長は、配下の者に黒人の肌をゴシゴシと拭かせてみたという。肌に垢がついているとでも思ったか。


ところで、当時の仏教界による信長非難だが、これは私が信長に対して抱く感想とほとんど同じなのに驚いた。当時の戦国大名は程度の差こそあれ人殺しや焼き討ちをたくさん行った。その中でも信長は「根ぎり」と称して一向一揆衆を虐殺しまくった。比叡山焼き討ちでは僧侶・僧兵等、数千に及ぶ人間を殺戮したという。

こうした信長の行為に対する悪感情なり非難は、当時の人も現代人の私も変わらぬ。


●「現代人の価値観で過去の歴史の善悪を言うのナンセンス」は正論か?

一見、ごもっともな論に思える。
専門の歴史学者や考古学者にはかなり当てはまるかもしれない。当時の史実を客観的に検証し再現する為には、現代の歴史学者個人の価値観や思想に歪められてはならないからだろう。しかし、その歴史学者が無数の史実なり断片的な資料を吟味し、整理し、取捨選択し、因果関係を追求し、歴史を再現する過程に置いて現代の価値観から無縁ではいられまい。長大な年表を作成することが歴史ではないのだから。

私達が聖徳太子による憲法十七条を称賛する時、経営者や管理職の人達が織田信長や豊臣秀吉の「経営術」「部下把握術」を学ぼうとする時、「万葉集」や「源氏物語」等の古典を読んで感動する時、それらは明らかに現代人の価値観を基に判断しているのである。

そして、ここが肝心なのだが、「現代人の価値観で過去の歴史の善悪を言うのナンセンス」を強調するのは、「新しい歴史教科書」を制作した新自由史観の人達だということ。その意図は何か?つまり、アジア・太平洋戦争における大日本帝国とその旧日本軍による中国・朝鮮・東南アジアへの侵略・植民化という史実を認めると、「それは自虐史観だ」と非難したり、「日本の正当防衛だった」と異論を唱えるする人達だ。

そこで、「現代人の云々。。。」は、まことに好都合な主張なのである。

もっとも、彼等は、「東京裁判はアメリカによる茶番劇」「太平洋戦争はアメリカに仕組まれた陰謀」と、「現代人の価値観」から当時のアメリカを「悪玉」に仕立てるという自己矛盾を犯している。

さらに、そもそも「昭和」は「過去という額縁」に収められるだろうか、という疑問もある。


●歴史に見る「変化」と「不変」について。

私達が歴史を学んだり楽しんだりする時、「昔は今とはこんなに違うのか!」と思う時と、「昔も今も変わらないな!」と思う時とがある。どちらの方に発見や感動があるか、人により場合により様々だ。

今から千年以上前に書かれた清少納言の「枕草子」は、「変化」と「不変」の宝庫だ。
「変化」の例…第二百二十六段。
和歌では優雅に詠われるホトトギス。ところが、農民達が田植えをしながらホトトギスをののしる歌を歌うのを見た清少納言がひどく憤慨する。作者の好みが強烈に出ている箇所だが、現代人はまず憤慨などしない。むしろ、「田植えは大変だろうなあ」と思ったり、「お疲れ様です」と感謝の気持ちを持つ。

それにしても、清少納言の好奇心が貴重な証言となった箇所だ。
当時の農民たちが、「ホトトギスよ、おまえ、コイツめ!オマエが鳴くから、わしは田植えをするんだぞ」と歌っていたとは…他に資料があるだろうか?

ちなみに、当時の貴族に詠われたホトトギス。

郭公(ほととぎす)なくや五月のあやめ草
                あやめもしらぬ恋もするかな(古今和歌集)


こうした優雅な和歌の世界に育った中級貴族の清少納言が、農民たちの「ホトトギスよ、おまえ、コイツめ!」に憤慨する気持ちを現代人はほぼ理解出来る。それは何故?


「不変」の例…第七十五段。
姑に可愛がられる嫁はめったにいない。主人の悪口を言わない召使はめったにいない、と清少納言は言う。これは現代とほとんど変わらない。読んでいて私は思わず笑ってしまう。


私は「不変」の方に歴史を読む喜びを感じる方だ。「嗚呼、結局、人間って昔も今も、考えること、思うこと、悩むこと、悲しむこと、喜ぶこと、怒ることは一緒なんだなあ」と。

家も服装も食生活も身分も自然環境も働く環境も異なれど、ひと皮むけばそこは同じ人間。

昨年の大河ドラマ「真田丸」を見て改めて思ったのは、晩年の豊臣秀吉は身内であろうが茶道の師匠であろうが、気に入らなければ皆殺してしまう酷いヤツだったと。こんな人間が関白で世を支配していたのかと、少々情けなくなった。しかし、現代だって世界中のあちこちで、権力者が気に入らない人間を殺す例はたくさんある。




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2017.03.11 | | コメント(11) | トラックバック(0) | 歴史・文化



コメント

基本的に賛同・・・

“そこで、「現代人の云々。。。」は、まことに好都合な主張なのである。”
・・・は、特に賛同します。

人間の認知・認識・判断なんてのは、
個々の人間のものであり、同じものなんてない。
人間は、「バイアス」の塊みたいなものだけど、
それでも「集合知」みたいなものはあると信じたいもんです。
まぁ、人類が滅亡していないんだから、そんなものがあるのでしょう。

・・・話は変わりますが、
つくしは、近所の植物園と庭園で、入手しました。
クレソンとか椎の実も、たまにちょろまかすんですけどね・・・。
現在、大量にGETできる場所を調査中。

2017/03/11 (土) 08:27:30 | URL | しっぽがない・・・ #- [ 編集 ]

戦後の風潮

 片割月さま、おはようございます。

 私も、織田信長は、過大評価されている様な気がするんですね。これだけの「人気者」となったのは、戦後だと読んだ事があります。江戸時代、高く評価され、人気があったのは、秀吉だと聞いています。信長人気に一役買ったのが、銀幕のスター、中村錦之介(萬屋)。「風雲児織田信長」では爽やかで豪快で心に傷と寂しさを抱えた(その頃の現代劇の若いヒーロー的な雰囲気)信長を好演しました。「太閤記」では二枚目俳優の高橋幸治さんが演じて人気を博した。イメージが定着しちゃったんですね。実際に信長の行った殺戮行為や仏教への弾圧などは、スルーしているか、流しているので、一般の人は知る由もないままで…。
 「桶狭間の合戦」も映画でのシーンがあたかも史実であるかの如く信じられて来ました。今の検証では、色々、面白い説が出ています。例えば、桶狭間は谷ではなく、山だった、とか、義元が輿に乗っていたのは馬に乗れないからではなく、尾張側への示威行動だったとか、義元は実際に、尾張を攻めるつもりはなく、境界線の争いだった、とか。以前読んだ小説では、信長が降伏するふりをして、義元を謀殺したという説もありましたし。今は信長の実像も知られていますので美化する向きは減っていると思います。
 私は、信長は、さしたる武将だとは思っていません。上洛出来たのは、地理的な有利さだけ。(美濃を得た事が、一番の理由でしょうね)有能な家臣を上手く使ったという点は評価します。

 その時代に行った事を正当化する事と、その時代を正しく理解する事はまた、別かもしれません。その時代を生きた人々の求めた事や生活を知る事はこれから、私たちが生きる為に必要な知恵ではないかと考えます。

2017/03/11 (土) 09:49:11 | URL | まるさん #X91rLkcY [ 編集 ]

Re: 基本的に賛同・・・

しっぽがない・・・様、こんばんは^^

>つくしは、近所の植物園と庭園で、入手しました。

悪党!

しかし、ちょろまかす気持ちは分かる!

越後湯沢の秋の草原で、無数のバッタやイナゴに驚いたことがあります。
もっと驚いたのは、昆虫を捕ってはいけません、との掲示があったこと。

あのなあ。。。無数のバッタやイナゴの中から、わずか数匹を捕まえたからって、何の問題無いでしょうよ。

2017/03/17 (金) 00:56:34 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

Re: 戦後の風潮

まるさん様、こんばんは^^

なるほど!
私の世代では知り得ない、まるさん様解説による戦後の「信長受容の歴史」は面白いです(^o^)

信長の過大評価は、私も同感です。

過大評価されている戦国大名は他に、
上杉謙信かなあと。この人、義がなんちゃら、とかでファンが多いようですが。。。
戦術は良くても、戦略は平凡というか劣っていたようにも思えます。
形骸化した「関東管領職」を貰って喜んでいるようでは。。。

仮にもっと長生きしたとしても、信長や秀吉には負けたでしょうね。
そうなる前に死んだのは、謙信には良かったかも。負けたらプライドがズタズタになったことでしょう。

2017/03/17 (金) 01:14:43 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

あ、悪党じゃないもん・・・

この件に関しましては・・・ですが。

“花盗人は風流のうち”・・・って言うしさ。
(ちょっと・・・かなり違うか??)

その前に、(仕事をかねて)、江戸川沿いの土手を30㎞くらい歩いたんだけど、
次期が早かったのか、見つからなかったんですよ。

いただいてきたつくしは、ベランダで育てることにしました。
柑橘類に山椒・胡椒・唐辛子、細ねぎなんかの仲間になりま~す。
(食い物ばっかしだな・・・しかし)

いっぱい生えたら、来年、お返ししますよっI

2017/03/17 (金) 19:05:45 | URL | しっぽがない・・・ #- [ 編集 ]

Re: あ、悪党じゃないもん・・・

>“花盗人は風流のうち”・・・って言うしさ。

「われが名は花ぬす人と立たば立てただ一枝は折りてかへらむ」

花を盗むならまだしも、女を盗む悪党もいるからな(^o^)

>江戸川沿いの土手を30㎞くらい歩いたんだ

私は江戸川の花火大会を何度か見に行ったことがあるわ。
広々とした土手歩きは爽快ですね。
私の住まう近辺の多摩川にはあれほどの土手は無いわ。

2017/03/19 (日) 03:20:02 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

せ、せめてさぁ・・・・

“花を盗むならまだしも、女を盗む悪党もいるからな(^o^) ”

「女を盗む」って・・・あ~た。
「女心を盗む」とか、なんちゃらとか、言いようはあるでっしょうもん・・・。

・・・あ、思い出した。
俺は、多分日本で最も最後の方の
「嫁盗人」の片棒を担いだんだった。

分からず屋の親の娘を、村の青年団が身柄確保して、親との話し合いに持ち込むという、一種の伝統的行事・・・風習ですけどね。

・・・あ、他にも思い出したので、退散します・・・。

2017/03/19 (日) 11:12:33 | URL | しっぽがない・・・ #- [ 編集 ]

Re: せ、せめてさぁ・・・・

しっぽがない・・・様、こんばんは^^


>分からず屋の親の娘を、村の青年団が身柄確保して、親との話し合いに持ち込むという、一種の伝統的行事・・・風習ですけどね。

これで思い出しましたが、新潟県か長野県だったか、婿を雪の斜面に放り投げる風習がありますね。

これは嫁を「盗んだ」婿に対する親の「報復」だったりして(^◇^)

2017/03/21 (火) 00:20:47 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

昔、仕事したことがある町だ・・・

新潟県十日町市の「婿投げ」ね・・・。
ありゃあ、下でお嫁さんが優しくしてくれる。

・・・ジェラしいなぁ・・・

2017/03/21 (火) 13:32:02 | URL | しっぽがない・・・ #- [ 編集 ]

Re: 昔、仕事したことがある町だ・・・

しっぽがない・・・様、こんばんは^^

> 新潟県十日町市の「婿投げ」ね・・・。

さぞかし、美味しいお米を食べ過ぎて中高年太りになったことでしょうね(^○^)

私もお仕事で魚沼だったか長岡市だったか行った時、
地元の定食屋さんのご飯がとても美味しくて、珍しくも2杯頂いたことを覚えています。

> ありゃあ、下でお嫁さんが優しくしてくれる。
> ・・・ジェラしいなぁ・・・

ジェラシータンゴをどうぞ(^o^)/
https://www.youtube.com/watch?v=vDZ-1SB5H1E

2017/03/21 (火) 23:15:41 | URL | 片割月 #- [ 編集 ]

聖徳太子と厩戸王

 片割月さま、こんにちは。

 世界フィギュア、終わりました。女子は二枠になったけど、三人とも、大変な中で良く頑張った! 褒めてあげたいです。
 男子は異次元対決か…。三回転みたいにクワドをバンバカ、跳ぶ四人。日本男子は天晴れ。二人とも見事でしたね。

 聖徳太子という名が教科書から消える…とか消えないとか。
私は、実在の政治家で皇族である彼は「厩戸皇子(王)」で、宗教学者、もしくは伝説の人としては聖徳太子、と理解していました。お札の肖像が、本来の彼の物じゃないって1980年代に判っていた事だけど、教科書に反映するまでは時間が掛かるのですね。

 元々、必要以上に持ち上げられた大きな理由は彼が補佐していた天皇が女性の推古帝であった事、一緒にタッグを組んで政治を見ていたのが、蘇我氏であったからでしょうか。
 赤の他人の肖像が自分の貌にされたり、訳の判らない伝説で彩られるなんて、思いもしなかったのでは? 案外、推古帝はすぐに退位して、この人が天皇として政治を見ていた可能性もあるだろうし、蘇我蝦夷が実は聖徳太子だったかも、とか、様々な妄想を考えていますが…。古代史はロマンがあります。

 「そして誰もいなくなった」渡瀬さんの遺作という事で見ましたが、あんまり、ピンとこなかったです。
BBC製作のドラマの方が面白かった気がします。

2017/04/02 (日) 14:50:48 | URL | まるさん #X91rLkcY [ 編集 ]

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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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