最近読んだ海外小説を続々と:東山彰良「流」&西村京太郎





ここ最近読んで来た小説について、ひと口コメントと私の独断と好みによる9段階評価。ネタばれ少々あり。
評価は「上」「中」「下」の3柱にそれぞれ「上・中・下」を設けた9段階評価。「上の下」「下の中」など。

●海外のミステリー&SF

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ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」…上の中
SFもの。タイプスリップの変形とでも言おうか。貧しい青年画家の前に現れた少女。二人の時を超えた淡い恋愛。一度若い頃に読み、何とも言えないしみじとした味わいがありました。今回も同じく。生き残る小説にはそれなりの理由があると。

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デイヴィッド・トーマス「彼が彼女になったわけ」…上の下
SFもの。映画「同級生」やテレビドラマにもなった「パパとムスメの7日間」など、男女が入れ替わる、親子が入れ替わる物語はいくらでもありますが、この小説では、何と!、患者の取り違えで性転換手術をされてしまった青年の悲喜劇。青年のガールフレンドとのドタバタ等、痛快です。イギリス人作家ならではのユーモアもあり、なかなか面白かった。

フレッド・カサック「殺人交叉点」…トリックが早々に分かると下の上・分からずに騙された場合は上の下か。
犯人探しの普通のミステリー。ミステリーと言うと、質量ともにイギリスやアメリカかと思うけど、フランスもなかなか健闘?していますよね。密室ものならガストン・ルルー「黄色い部屋」が最高傑作でしょ。糸だの紐だのバネだのと、小細工を弄した密室はリアリティが無くてダメ。「殺人交叉点」について、どんなジャンルのミステリーかは伏せますね。一読の価値あり。


●ロシア文学

ツルゲーネフ「片恋」「父と子」…上の中。
ツルゲーネフは高校時代に「初恋」を読んだだけでした。で、この2作は共に名作と思います。同時代のドストエフスキーやトルストイの陰になって割りを食っているツルゲーネフですが、やはり、文豪の名にふさわしいと思います。保守的な考え方を持つ父と新しい思想に惹きつけられる子との間で繰り広げられる精神的戦い…普遍的なテーマですよね。私も父とはずっと不和でした。父は男尊女卑的な考え方が強く、私は猛烈に反発しました。

チェーホフ「短編集」(集英社)・「可愛い女」」「犬を連れた奥さん」のような有名な短編も入っている…中の上
チェーホフの戯曲はつまらないが短編は面白い。深みは無いけど、オチに味わいがある。そもそも、戯曲で表現し得る可能なことは、古代ギリシアの悲喜劇、シェイクスピア、そしてモリエールによって書き尽されてしまったと私は思っていますので。

で、「短編集」ですが、一作毎に訳者の沼野充義氏による詳しい解説があり、これがまた実に面白い。一例を挙げると、ヒロインの名前「ナジェージュダ」の愛称形は、ナージャ。もっと親密なのは、ナージェンカだと。で、和訳ではナージェンカを「ナッちゃん」としてみました、という説明があります。なるほど、とは思うけど、「ナッちゃん」は、ちょっとやり過ぎじゃない?


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ゴーリキー「母」…上の下
ロシア革命期を生きたゴーリキーならではの物語。下層階級に生きる慎ましくも信心深い母と革命家として生きる息子と。やがて、母は革命に目覚めて行く…このように書くと、如何にも紋切り型のクサイ小説と思われるかもしれません。そのような一面が無いわけではありませんが、この小説の魅力はこの時代のロシアの底辺をリアルに描いた点と、理想に燃える青年達の人間像にあります。私にはチェーホフよりゴーリキーの方が読み応えがありました。

ゴーリキーはフランスの文豪、ロマン・ロランと親しかった。お互い、良くも悪くも理想主義者な一面があり、「革命により平和を!」との意見で一致し、意気投合したようです。私達が生きる21世紀日本では、「現実が理性」と言わんばかりの人間が多いようです。「ハハハ!甘いな。君、現実はネ…」と、したり顔で語る者。理想を語る人間を「お花畑」と冷笑する者。こうした人間が優勢な時代のようです。彼等が全く間違いでは無いにしても、何か、そのような人間には…時として…大事なものをどこかに置き忘れたか、捨て去った人間の空虚さというか、ザラザラとした心象風景を嗅ぎ取ってしまいます。


●フランス文学

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エドゥアール・マネ作「ナナ」

ゾラ「居酒屋」「ナナ」…下の上。
今まで、ゾラの小説は読んでいませんでした。マネ(私の一番好きな西洋画家!)が新しくも大胆な絵を描き世間から袋叩きにあっていた時、彼を擁護し援護したのがゾラでした。こちらの論文は読んだことがあります。

で、2つの小説は名作との評判ですが、正直、退屈しました。最後まで読み通すのが苦痛でした。意地で読んだようなものだ。
それぞれ文庫本で700ページを超える長編なのですが、全般に渡って細かい筆致による描写が延々と続くのです。例えば、金物工場の建物から機械用具まで、ことさら詳しく描く。要するに、19世紀のルイ・ナポレオン帝政下のパリの労働者階級(居酒屋)の実態や、社交界とそこに出入りする高級娼婦(ナナ)の実態をリアルに、写実的に描いているのです。小説にリアリティは大切ですが、行き過ぎると砂を噛むような味気無さにも陥りかねない。

絵画の世界でも写実主義というのは退屈だ。もちろん、その精緻な技法には恐れ入りますし、写真も映像も無かった時代には一定の意義や役割があったとは分かる。ゾラはジャーナリストでしたので、ドキュメンタリータッチというかノンフィクション的に書きたかったのでしょう。それこそがリアリティであると。確かに、当時のパリの姿を知る、という点では面白いが。

ひょっとすると、私の読み方が悪いのかもしれません。あるいは、もう私には若い頃のような瑞々しい感受性が失われつつあるのかもしれません。そういう不安を覚えます。若い頃に読んでおけば良かったかも。しかし、ゾラの先輩のフローベールの「ボヴァリー夫人」「感情教育」などは私が中年女になってから読んで、面白かったけどなあ(^_^;)


モーパッサン「脂肪の塊」…上の中。
フローベールの弟子であり、ゾラの後輩になるモーパッサン。短編の名手との評判も。で、「脂肪の塊」は文庫本で100ページ程度の中編ですが、なかなか面白いです。読者に己の生き方を振り返らせる力もあります。また、人物設定の巧みさ、筆運びの上手さには舌を巻きます。傑作です。

モーパッサン「女の一生」…中の下。
こちらは400ページに及ぶ長編。期待して読んだら、少々期待外れでした。さほど裕福とは言えない貴族に生まれたお嬢様が、不幸な結婚をして…このようなストーリーは掃いて捨てる程ありますので新鮮味が無い。それでも何か深い思索が見られるのであればともかく、それも無いのですから面白くない。いくら筋書きが巧みで筆上手でも、必ずしも読み手に何かを訴え、深い感動を呼び起こすとは限らない…その典型的な例かもしれません。


直木賞受賞作:東山彰良「流」…中の上。
はぴらき様から推奨があったので中古本を買って読みました。
実は、私は「流」がミステリーとは知らずに、歴史ものくらいのイメージで読みました。何故かと言いますと、私の買った中古本には帯が無かった。後で知ったのですが、その帯に「青春ミステリー」と書かれていたんです。ミステリーと知って読むのと、歴史ものと思い込んで読むのとでは、違った鑑賞になるかもしれませんね。

第二次世界大戦~国民党と中国共産党の戦い~中国と台湾という歴史の流れに翻弄され、引き裂かれた中国人達の姿が丁寧に描かれています。その影響は孫の代にも及ぶ。前半は描写や説明が多く、重厚である半面、ストーリー展開がスローでちょっと焦れる。ところが、「あ、これはミステリーなんだ!」と気がつく頃になり、後半を過ぎるとまるで何かに急かされたようにテンポアップし、結末に至るのです。そのアンバランスが不自然で中途半端です。何もミステリー仕立てにする必然性は無かったのにと残念に思った。

しかしながら、戦後の戦争を知らない台湾の若者たちがどんなことを考えていたのか、祖父母や父母はどのように戦争の重荷を背負い、悩み、苦しんでいたのか等、教えられる点が多々ありました。このように日本のミステリーでは珍しいテーマも高い評価になったのかなあと思います。

ゴキブリ退治に悩んでいた台湾の人達が、日本で発明された「ゴキブリホイホイ」の威力に驚く個所があり笑えました。

一読の価値がある作品ですね。


●西村京太郎を侮るなかれ!
「D機関情報」「天使の傷痕」…上の中。
もちろん、侮っていたのは私です(^^ゞ。500点以上に及ぶ多作。つまりは、粗製乱造のミステリー作家なんだろうと、勝手に決め付けていました。それに、鉄道ものミステリーにはあまり興味もありませんでした。

ところが、人から勧められて講談社文庫の「D機関情報」を読み…言葉の矛盾をあえて辞さずに表現すると…軽い衝撃を受けました。アジア・太平洋戦争で日本の敗色が濃くなる中、ひとりの海軍将校が特命を受けて内密にスイスへと向かいます。スリルとサスペンスの面白さもありますが、人間描写といいますか、人間が良く描かれている。人物造形が確かなので読んでいて強い感銘を受けます。読後にも充実感があるのです。松本清張に勝るとも劣らぬ社会派ミステリーですよ。いやあ、食わず嫌いはダメですね。

さっそく、次に「天使の傷痕」を読みました。これは殺人事件を扱ったオーソドックスなミステリーでした。密室ものであれ、アリバイ崩しであれ、一人二役&入れ替わりものであれ、いくらトリックが巧妙であっても、犯人の殺人動機に必然性やリアリティが無ければドッチラケです。横溝 正史のミステリーはそんな感じです。小中学生には良いかも。で、「天使の傷痕」ではそれが実にリアルに、深く描かれています。社会批判もある。見事なものだ。

西村京太郎はストーリー運び、筆運びが上手い。描写も過不足無く簡潔でテンポが良く、ダレる所がありません。しかも、人間がしっかりと描けているので安っぽさを感じさせません。もちろん、私が読んだのは初期の頃の作品です。作家により、徐々に作品の質が落ちて行く場合もあれば、その逆もありますから、最近の作品がどうなのかは分かりません。

で、今は「終着駅殺人事件」を読んでいます。上野のターミナルが主要な舞台のようですが、快調だ。この先が楽しみ。




2015.12.23 | | コメント(11) | トラックバック(0) | 文学



ドラマ「レッドクロス」の感想&戦前・戦争を題材にしたお勧め本6冊





TBSドラマ「レッドクロス:女たちの赤紙」公式サイト
ここです

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実は、私はドラマの第二夜だけを見ました。そして、第一夜を見逃したことを、どこかの首相の言葉ではないけど、「痛恨の極み」と悔しく思いました。

そもそも、「レッドクロス」という題名にピンと来なかったんです。やがて、赤十字のことか?と推測しましたが、赤十字(どうせ、赤十字の美談話しの類だろうと)にはさほど関心が無く、見たいとまで思いませんでした。失敗した!!

第二夜も家事をしながら、たまたまチャンネルを回したら、どうやら日中戦争が舞台になっている様子なので、「おおッ、これは…」と俄然興味が湧き、家事を放り投げて見入ってしまいました。いやあ、これはなかなか重厚なドラマでした。

大東亜戦争時に召集されて満州に渡った従軍看護婦たちのドラマ。史実をかなりリアルに踏まえつつ、戦争の悲惨さ・残酷さ、そして戦争によって引き裂かれる母と息子の悲劇が重くのしかかって来る力作と思いました。

昨今の右傾化した日本の世情の中、日中関係が悪い時代に、よくぞ中国や共産党八路軍を登場させ、反戦ドラマを制作できたものだと、制作者の心意気に拍手をおくりました。

あくまでフィクションのようですが、満州に渡った従軍看護婦たちが戦争末期に中国八路軍に捕らえられてそのまま看護婦として働かせられた事実はあるそうですね。

主演の松島菜々子さんは「ミスキャスト」との批判もあります。そうかもしれない。また、ネトウヨからは「反日ドラマ」「偏向している」等の非難が寄せられているらしい。ネトウヨから非難されるドラマであれば良いドラマ、というのが私の見解です。ネトウヨに言わせると、NHKの戦争をテーマとした数々の特集番組でさえも、「反日で偏向している」そうだ。反戦を装った戦争美化ドラマ「永遠の0」の嘘っぽい綺麗事よりも、「レッドクロス」の方に私は感銘を受けました。

再放映されないかなあ。。あるいは、ツタヤでDVD貸し出しになればと願います。


●私がお勧めする戦前や戦争を題材にした図書を6冊ほど紹介します。

文庫本か新書版のように、比較的安価で手に入れ易いものを。

吉村昭「蚤と爆弾」(文春文庫)
細菌部隊として知られる731部隊の実態を、吉村昭が綿密な取材に基づき小説化したものです。このテーマは、森村誠一「悪魔の飽食」(角川文庫)や、ジャーナリストの青木冨貴子「731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―」(新潮文庫)でも取りあげられていますが、吉村はそれよりも早い1970年に本書を発刊しています。
 
この本で取りあげられた将兵たちは全て東京裁判から免れている(アメリカ軍部との裏取引があったとの説がある)が、例によって、「細菌実験や生体解剖は日本だけが犯した問題ではない、どこの国でもやった」との言い訳があるらしい。この反省のない「悪魔たち」が後に、薬害事件を起こしていることを忘れてはならないと思います。

吉村昭はことさら「反戦」を声高に訴えることもなく、ことさらドラマティックに描くこともなく、淡々とした筆致で細菌実験や生体解剖の実態、そして命がけで人体実験から逃げる捕虜(マルタと言われる)たちと、彼等を追いかける日本兵士の姿を描いています。だからこそ、読み手にはその恐ろしさがじわじわと迫って来ます。


高井有一「この国の空」(新潮文庫)
今夏、映画化され上映予定の原作です。戦争末期の東京で、母と娘の日常生活が細やかに、そして淡々と描かれています。作者は子供の頃に戦争末期を体験していて、その体験がこの小説に生かされています。配給のことや疎開のことで一喜一憂する姿。焼夷弾で焼け出された伯母と母との複雑な関係。戦争を知らない私でも、「これは本物の話だな」と分かります。「永遠の0」のような、作り物のお涙頂戴式ドラマや兵士の英雄譚を期待する人にはお勧め出来ません。


井伏鱒二「黒い雨」(新潮文庫)
やはり、名作です。広島に原爆が落ちてから5年程が経った時点での広島市民の日常生活と静かに進行する原爆症の恐ろしさが、これも細やかな筆致でたんたんと描かれています。描写があまりに細やか過ぎて、少々退屈することもあるくらいです。

上記3作品の共通項は、ことさら反戦を訴えるのではなく、ドラマティックに描くのではなく、淡々と抑制された筆致による小説だということです。だからこそ、リアリティがあるのでしょう。


城山三郎「男の本懐」(新潮文庫)
戦前、金輸出解禁に命を賭けた浜口雄幸と井上準之助の生き方を描いた小説。力作です。二人は右翼のテロによる凶弾に斃れる点でも共通しています。大正から昭和初期には日本に政党政治が行われ、民主主義が進みました。しかし、満州事変を境に、あっという間に政党政治は瓦解してしまいました。二人のような有能な政治家や経済人(他に犬養毅、高橋是清等)が右翼や軍部のテロに斃れ、無能な政治家と頭に血の上った軍部とメディアにより民主主義は崩壊し、無謀な戦争へと進んだ史実は現代の私達にとって、「過去という額縁」に納めてしまうものではなく、今の教訓として生かされるべきものだと感じます。、

なお、浜口内閣の時に、「婦人参政権」が提案され反対多数で否決されたことは重要な史実です。つまり、戦後の婦人参政権は「アメリカGHQによる民主化の贈り物」というのは完全には正しく無いという根拠の一つになります。

なお、城山三郎は「落日燃ゆ」の広田弘毅を描いた小説でも言えることですが、登場人物に「惚れ込んでしまった」為か、少々美化されているような気がします。そこは多少、差っ引いて読んだ方が良さそうです。


幣原喜重郎「外交五十年」(中公文庫)
幣原喜重郎は戦前に外交官・外務大臣として活躍した。敗戦後すぐに首相となり、新憲法の起草や婦人参政権の実現に関与した。国際協調路線の「幣原外交」は欧米からは信頼されたが、日本の軍部やタカ派政治家から「弱腰外交」と非難され、右翼のテロのターゲットの一人になっていた。幣原喜重郎は幸運だったらしい。

これは実に面白い内容です。幣原喜重郎はユーモアのセンスがあったようで、外交の裏話やエピソードを愉快に描いています。また、浜口雄幸が右翼のテロに襲われ、「男の本懐です」とつぶやいたとの話は、現場にいた幣原喜重郎が証言しているのです。

また、新憲法が必ずしもアメリカからの「押し付け」と言い切れない面があることは、この本からも推測されます。彼は、「中途半端な軍備であれば防衛的に無意味であり、国費の無駄使い。いっそのこと、ゼロにした方が良い」と言い放った政治家だったようです。こんなことを言えば、右翼から狙われても当然だったでしょう。


高見順「敗戦日記」(中公文庫)
作家の高見順による、昭和二十年一月~敗戦の八月十五日をはさみ、十二月まで、鎌倉の地で書かれた一年間の日記。

読んでいて不思議なことがありました。高見順はたびたび鎌倉から東京・銀座に足を運んでいるのですが、この頃の東京は空襲がたびたびあって破壊が進んでいたのにもかかわらず、横須賀線や京浜東北線は動いていたんですね。焼夷弾が多かった為か、線路はあまり破壊されなかったのでしょうか。

敗戦直後、十月二十日の日記に書かれた興味深い個所。戦争中は日本兵は女性から大いにモテた。それが、敗戦を境に日本兵は無視され、アメリカ兵がモテるようになった。酒に酔ったアメリカ兵が若い日本女性の駅員2人を手招きする。周囲の日本男性はゲラゲラと笑い、二人の若い女性はアメリカ兵に媚態を示す。これを見た高見順は憤慨する。

高見順「…なんともいえない恥ずかしい風景だった。この浅ましい女どもが選挙権を持つのかと思うと慄然とした。面白がっている男どもも、…南洋の無智な土着民以下の低さだ。日本は全く、底を割って見れば、その文化的低さは南洋の植民地と同じだったのだ。(日本人は)自惚れていたのだ。私自身自惚れていたのだ…」

この高見順の憤慨をどう思いますか?私は他人事では無いように思います。

敗戦で荒んだ高見順の自虐的心境を表すものでしょうか?

作家らしく理性的でさめた視線による感慨でしょうか?

現代日本は、当時の「南洋の土着民以下の文化的低さ」と比べ、文化的に高くなったのでしょうか?

それとも、「底を割って見れば」、相変わらず低いのでしょうか?

今も「自惚れて」いるのでしょうか?




2015.08.05 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 文学



親の子を思う心を詠んだ名歌5首





銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに
                まされる宝子にしかめやも   
                           山上憶良


世の中に思ひあれども 
          子を恋ふる思ひに勝る思ひなきかな   
                            紀貫之


人の親の心は闇にあらねども
              子を思ふ道にまどひぬるかな    
                          兼輔朝臣.


とどめおきて誰をあはれと思ふらむ
              子は勝るらむ子は勝りけり   
                         和泉式部


親思ふこころにまさる親心
            今日のおとづれ何と聞くらん   
                        吉田松陰




どの歌も親の子を思う心を詠って余すところが無い。

短歌でも俳句でも、親が子を、祖父母が孫を題材にすると、大抵は凡作になるというのが相場です。自己満足に終わる場合が多いからでしょう。鑑賞する第三者からすると、「ケッ!勝手にしやがれ!」と思われがちです。

しかし、上記の5首は名作だけに、現代人にも伝わる「何かしらの感慨」があります。

強いて言えば山上憶良の歌は少々「クサイ」。親バカに近い。が、万葉の時代ですからね。オリジナリティがあります。

兼輔朝臣の歌は現代人にも分かりやすいですね。他人事とは思えず、苦笑させられる人も多いでしょう。紫式部が愛好した歌です。源氏物語中に何回も引用されているので有名になった歌です。

紀貫之の歌は平明で素直で、リズムも良いので私は一番好きです。「思ひ」を3つ並べた技法も自然で嫌味が無い。

和泉式部の歌はちょっと難解です。「らむ」とか「けり」とか、大学の入試問題に出そうな歌です。

この歌は前提となる背景を知らないと意味が分からない。つまり、歌としては半独立的なのです。だからと言って、歌の価値が下がるとは限りませんが。

和泉式部の娘が孫を残して死んでしまった。その時の式部の悲しみを詠ったのです。

「子は勝るらん」…死んだ娘は親の私のことよりも、残した子のことを思っているのでしょうね…くらいの意か。
「子は勝りけり」…親の私だって子である娘のことを思うわ(孫のことよりも)…くらいの意か。

式部の歌は「上手い!」とは思いますが、少々技に走り過ぎた感があります。名歌が目白押しな和泉式部ですが、この歌は彼女にしてはやや平凡な方か。いや、親、子、孫、と並べ比較することで親心の深さが実感として伝わって来るのであれば、名歌か。やはり、和泉式部という女性はあなどれません。

独身であった吉田松陰の歌は、「親が子を思う」心を、子の立場から詠った点に新鮮味がありますね。





2015.07.30 | | コメント(27) | トラックバック(0) | 文学



トルストイの映画を見る&ドストエフスキーのことなど







映画「戦争と平和」:旧ソ連作品(1965~1967年制作)
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前からじっくりと見たいと思っていた映画のDVDを中古屋で幸運にもゲットすることが出来ました。なんせ、四部作全7時間!!にも及ぶ超大作ですから、テレビ放映で見るのは物理的・生理的に無理です。

旧ソ連が国の威信をかけ、惜しみなく資金援助して制作した映画ですから、ハリウッドの豪華映画も真っ青になる程の超贅沢な映画です。この点、日本政府は昔から映画業界には冷たいです。どう見ても、芸術音痴・文化音痴の政治家が多いからか。

ナポレオン軍との戦争シーンなど、アメリカの超大作戦争映画と比べてもスケールが桁違い。エキストラだけでも何人の人が出演しているのか。まさに、雲霞のごとき大軍。戦争映画好きな男性はこのシーンを見るだけでも最高の満足感が得られるでしょう。

戦争と平和「舞踏会のシーン」
動画はここです

この舞踏会のシーンも果てることなく延々と続きます。途方もない時間の長さとテンポの遅さ。眠気に襲われますが、この点、DVDだと見直しが出来るので助かります。また、上流階級ものに憧れる女性には楽しいシーンでもあります。女性なら誰でも一度は西洋の立派な館を訪れ、胸の深く空いた高級なドレスに身を包み、素敵な男性とメヌエットを踊ってみたい、と思う。

ナターシャ役の若い女性の風貌は、ロシアの女子スケーター達の顔を思い出します。ヤンキー娘たちの風貌とは違う。しかし、具体的にどこが違うのかと言われれば、私達日本人には識別は難しいですね。でも、違うのです。

ナターシャと踊る恋人役のアンドレイ公爵ですが、この俳優は若い頃の加藤剛さんに似ています。

また、眼鏡のおっさんは物語の主人公であるピエール伯爵役ですが、この俳優さん、イギリスの有名なコメディアンのミスタービーンに似ていて笑えました(^^)

この映画の一番の価値は戦争シーンよりも、主要な登場人物が、「人は何のために生きているのか?」「死とは?」「神とは?」「真の人間の在り方は?」「男女の愛とは?」と問い続ける姿と、成長し変わって行く姿にあります。

ピエールが、兵役にとられた一人の農民との出会いから感銘を受け、変わって行くシーンも感動的に描かれています。

アメリカの映画や日本映画に見慣れた私からすると、物語のテンポや演出が違うタッチなので面食らう点が少なくありません。しかし、それでも筆舌に尽くしがたい静かな感動があります。7時間見る価値のある名作と思います。ソビエト共産党が自慢して良いだけの出来上がり。イデオロギー臭は全く無し。原作を大切にする点からも、トルストイに対する尊敬の程が伺われます。

映画「戦争と平和」には、オードリー・へプバーンが主演したアメリカ版もありますが、こちらはイマイチでした。


「終着駅:トルストイ最後の旅」
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トルストイの資産を巡る妻との泥沼の争いは有名ですし、ついには家出をしたトルストイが田舎の某駅で行き倒れとなって死んだことも有名です。ソクラテスやモーツアルトの例のように、これまではトルストイの妻が一方的に悪妻にされていたのですが、そんな単純な話ではありません。

単純で分かりやすい話には落とし穴があり、複雑で難しい話にはこじつけがあるものです。

映画ですが、文豪トルストイの弱さと強さが同居した人間性に感銘を受けます。

トルストイは大地主の貴族。しょせんはおぼっちゃま育ちのおめでたい「愛と平和の教え」に過ぎない…そういう批判もあります。しかし、彼の唱えた「非暴力の無政府主義」や「人間の生き方を深く捉えた小説」は、明治時代の日本に広く受け入れられました。インドのガンジーが唱えた「無抵抗主義」とも繋がる考え方ですね。トルストイは日露戦争について強く反対を唱え、キリスト教本来の教えである愛と平和を説いたのですね。当時のロシア政府も世界の文豪トルストイには何も言えなかったようです。

明治~昭和初期を生きた新聞人の徳富蘇峰と弟の徳富蘆花(二人はエラク仲が悪かったらしいが)の二人がそれぞれ晩年のトルストイを訪れているのが興味深いです。蘇峰は政府よりの考えに近く、日露戦争を肯定していました。蘆花は反政府的でした。しかし、兄弟どちらもトルストイを深く尊敬していたのです。

保守的な人は、トルストイに限らず、理想を唱える人を、「甘い」「現実は厳しいのだ」と見下す傾向があります。確かに現実は厳しい。だからと言って、理想を忘れ現実に拘泥する生き方も貧困ではないでしょうか。

今日、日本ではトルストイよりも、より現実主義者であるドストエフスキーの方が高く評価されているようです。私は逆の評価をしています。ドストエフスキーの小説は、「死の家の記録」や「罪と罰」は素晴らしいと思いますが、「白痴」「悪霊」「カラマゾフ兄弟」などは、ストーリーが錯綜し雑然としていて、正直、どこが良いのか私にはあまり理解が出来ません。その錯綜した小説ゆえ「何かここには深い思想や人間の不条理が描かれているのではないか」と錯覚させるのであり、実際は、大したことを言っていないのでは?ドロドロとした殺人事件や自殺をアレコレとこねくり回しているだけじゃない?と思うことがあります。

ただし、ドストエフスキーの伝記を読むと、貧しい中にあって彼が如何に優しく、自分が酷い目にあっても困っている人(女性ですが)を助ける姿には感銘を受けます。自分が愛する女性の幸せの為に、その女性が愛する他の男性とが結婚して生活が成り行くよう懸命に働くドストエフスキーは、現代の恋愛ドラマの題材になりそうです。

ドストエフスキーは「作家の日記」の中で、トルストイの「アンナ・カレーニナ」に盛んに毒づき、皮肉を飛ばしていました。そのくせ、トルストイが「死の家の記録」を絶賛していると知るやいなや感激し、「彼とぜひ会いたい!」と言い出します。こういうドストエフスキーという人間味も素敵だなあと思います。結局、二人は一度も会うことはありませんでした。運命か。

なお、トルストイの晩年の著作は宗教臭と説教臭が鼻につくのも事実。小説「復活」もあまりネ。

ちなみに、小説家の石川達三は晩年になると、ストーリー性の無い随筆風というか、能書きをやたら並べた小説を書いていました。最近では五木寛之が仏教に入れ込んでいます。ことほど左様に、晩年になると小説は観念化して、もはや小説というよりは、人生観を述べたエッセイの様相を呈して来るようです。老いて、言いたいことは地のままで言ってみたくなった、ということか。


映画「アンナ・カレーニナ」:2012年版
音楽はフィギュアスケートでも取り上げられましたし、期待して見ましたが失望。途中で止めました。舞台装置のような演出に付いてゆけず。白けました。この手の物語に、奇を衒ったような演出は私の好みにあらず。コメディやB級映画ならオッケーです。



2015.07.02 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 文学



都々逸も面白い!!





都々逸は俚謡、すなわち風俗歌の代表格ですね。短歌は五七五七七ですが、都々逸は七七七五です。

昔の知識人は詩、短歌、俳句を「純粋芸術」、都々逸を「大衆芸術」と格付けをしました。大衆芸術だから純粋芸術よりも芸術的価値が落ちるという考え方です。しかし、純粋芸術の俳句も桑原武夫から「第二芸術」と格付けされました。つまり、プロの優れた俳句も素人のヘボ俳句も無作為に並べると区別がつかない、その程度の芸術というわけです。

私の感覚では芸術をこのように格付けすること自体が疑問なのですが、全くナンセンスとまでは思いません。例えば、踊りの世界では、阿波踊りや京をどりは大衆芸術であり、バレエや能は純粋芸術と言えなくもありません。短歌や俳句は今や大衆芸術でしょう。誰だってその気になれば俳句をひねり出すことくらい簡単だからです。

では、フィギュアスケートは?大衆芸術?いや、誰も簡単に演技は出来ません。かなり高度な技術と表現性を求められます。すると、純粋芸術? やはり、あくまでスポーツですか。

ともあれ、私が面白いと思う都々逸をいくつか挙げます。都々逸こそ声を出して味わうものでしょうね。


和歌はみやびよ 俳句は味よ わけて俚謡は 心意気    

※俚謡=都々逸を指す 和歌は短歌の意

作者は明治~大正期の代表的新聞人である黒岩涙香との説もあります。

短歌と俳句と都々逸、それぞれの特長をズバリ言い当てているではないですか!


恋にこがれて なく蝉よりも なかぬ蛍が 身をこがす

これぞ女の「忍ぶ恋路」「秘めたる恋」を歌っているかのようです。「好きや~!」と泣き叫ぶ女性の恋よりも、黙して語らぬ女性の恋の方がずっと想いが強いのでありんす。

しかし、なく蝉も、ひかる蛍もオスなんですよね(^_^;)。ま、近頃は男性が女性化しているとの説もありますから、男の「忍ぶ恋路」もあっていいでしょう。しかし、ちょっと恐い感じもしますね。ストーカーに変質しそうで。。。


こうしてこうすりゃ こうなるものと 知りつつこうして こうなった

言葉遊びを突き抜け、人生哲学の世界にまで踏み込んでいるような歌ですね。わたし、こういう歌は好きです。ソクラテスもパスカルもゲーテも、この都々逸を知ったら「ウ~ム。。。」と唸ること請け合いです。

短歌にもこの種類のものがあります。

世の中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらずありてなければ    古今和歌集より

これはもはや、具象と抽象の間を揺れ動く実存哲学の世界です。キルケゴールもニーチェもサルトルも、わずか三十一文字の一首で済むことを、わざわざ難渋な長論文に仕立て上げていただけなのかもしれませんよ。


丸いタマゴも 切りよで四角 物も言い様で 角が立つ

皆さん、身に覚えがありますね。特に、ネットの世界ではこの都々逸は優れた警句と言えましょう。


咲くが花かよ 咲かぬが花か 咲かぬつぼみの うちが花

時節の花、というわけですね。咲き終わって散る花にも、姥桜にも味わいはあるけどね(^。^;)


わたしの小舟に あなたをのせて いくもいかぬも 棹しだい

都々逸は風俗歌だけにこの手の危ない歌も多いですね。この歌は抑制が効き、洒落ているので救われます。


最後に、有名な都々逸を一首

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花

わちきのようないい女を花に例えているのでありんすよ(^O^)。
もっとも、私の場合は百合は百合でも「鬼百合」ですが(^^ゞ

百合の花は他の花よりもずっと背丈が高く、しばしば下を向いています。つまり、他の花を見下ろしているのか、見下しているのか、今風に言うと、上から目線な花ですから嫌われるかもしれせん。

モデル兼女優の伊東美咲さんの若い頃など、百合の花そのものでしたね。何故この方の名前が出て来たかと言うと、連休中に見た映画やドラマに伊東美咲さんが出ていて、ちょっと印象的だったからです。セリフが棒読みで演技が下手、と批判されているようですが、とにかく背のすらりとした美女の典型ですよね。



2015.05.17 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 文学



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片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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