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多民族国家日本を小説から学ぶ:偏見と差別




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●李恢成(り・かいせい)著「百年の旅人たち」(新潮文庫)
朝鮮人である彼等がどうして「日本人として樺太に住み」、どうして「命からがら樺太から逃げ」、どうして「長崎の収容所に向かうのか?」、どうして「38度線の存在を知って戸惑い、悩むのか?」、「どうして不法入国者として故国へ強制送還されようとしているのか?」…この歴史を知る日本人は少ないでしょう。私もそうです。700ページに及ぶ長編であり、重い内容です。読んで感動するというよりも、忘れられようとしている又は故意に無視されようとしている歴史を知る上で貴重な大作と思います。


●船戸与一著「蝦夷地別件」(新潮文庫)
アイヌ民族の和人との4回の戦い…コシャマインの戦い(1457年)、ヘナウケの戦い(1643年)、シャクシャインの戦い(1669年)、クナシリ・メナシの戦い(1789年)とありますが、この大作は最後の「クナシリ・メナシの戦い」を描いています。これもまた「忘れられようとしている又は故意に無視されようとしている歴史」の一つと言えましょう。

アイヌの歴史は北米原住民(アメリカインディアン)とよく比較されます。すなわち、広大な土地に部族毎に分散して住み、国家を持たず、部族間の戦いもしばしばあった。文字を持たぬ民族の悲しさ…法とか契約等の手口にまんまと騙され、大和民族、イギリス系アメリカ人の侵略に脆くも敗れた弱小民族の悲劇です。

そうした中でも、勇気あるリーダーのもとで侵略者に立ち向かう者もいれば、相手側に寝返る者もいました。あるいは一匹狼的な天邪鬼?もいました。船戸与一の小説は巨編が持ち味ですが、ここでもアイヌの悲劇が淡々と抑制された筆致で、しかし雄大に描かれていて感動的です。私にとっては初めて知る戦いであり、発見が多い小説でした。読んで良かった!と心底から思えました。船戸与一の小説は巨編なので相当の覚悟が必要ですが、他にも読んでみたい作品が目白押しです。

アイヌの人々に関わる本と言えば、石森延男の「コタンの口笛」は有名であり、小中学校時代に読まれた人は少なくないでしょう。少年を主人公としつつも、「偏見と差別」の存在を少し意識させられる児童文学。

人類学者の尾本恵一氏によると、2013年の調査では北海道に住むアイヌ人は6880世帯、16786人だそうです。日本政府は長年アイヌの人々を北海道の先住民族(正確には千島列島や樺太も含む)と認めて来ませんでしたが、2008年には前年の国連宣言に賛成したことを受けて認めるに至りました。

日本には主に、大和民族、アイヌ民族、そして琉球民族がいます。

なお、山川出版社「アイヌ民族の歴史」(2015年)は、アイヌ民族の歴史や文化、そして現在における問題を知る上で私にはとても勉強になりました。

☆古代史で有名な東北の「蝦夷」については、アイヌ民族と同じなのか否かについてはハッキリはしていないらしい。平安時代初期の蝦夷の軍事指導者であり、坂上田村麻呂に敗れて処刑されたアテルイは、史料には「阿弖流爲」「阿弖利爲」とあり、アテルイ、アテリイと読まれるが、現在はアテルイで統一。この名前の響きは大和民族系のものではなく、アイヌ系を思わせます。

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●陳舜臣著「琉球の風」(講談社文庫)
琉球は1429年「第一尚氏王朝」による琉球王国の時代を迎えた。ここがアイヌ民族との大きな違いですね。しかし、1609年、薩摩の島津氏が侵攻し首里城を占領。以降、琉球王国は薩摩への貢納義務を負わされ中国(清)へも朝貢を強いられるようになった。戦国時代において、これを題材とした小説を書くのは如何にも陳舜臣らしいですね。

●大城立裕著「琉球処分」(講談社文庫)
1871年、廃藩置県制度によって琉球は鹿児島県の管轄とされ、清国との通交を断絶、明治の元号の使用等、様々な圧力を受けます。1879年「琉球処分」により首里城の明け渡しが実施され、ここに琉球王国は終焉を迎えました。これ以降、琉球民族は大和民族を中心とする日本国に従属させられ、アジア・太平洋戦争の悲劇の犠牲者となりました。

やはりアイヌの人々の例と似ていて、島津氏や明治政府の圧力に対し、①武力をもって戦おう、②潔く従おう、③ノラリクラリと時間を稼ぎながら様子をうかがおう、の三竦み状態になります。負けはしましたが明治政府を相手に8年間に及ぶ琉球の人々の「粘り腰」には感服させられます。

陳舜臣も大城立裕も静かな筆致でことさら悲劇性を強調しません。これが良い。

高良倉吉著「琉球王国(岩波新書)が参考になります。「按司」とか「聞得大君」とかの琉球独特のシステムがあり、大よその概況を把握すると歴史・小説の観賞の手助けにもなります。

日本政府は琉球民族を先住民族とは認めていません。国連の人種差別撤廃委員会は何度も日本政府に琉球・沖縄の民族を先住民族と認めるよう勧告していますが日本政府は拒否しています。それどころか、「国連の勧告は日本を分断しようとするものだ」と批判もしています。また、地元沖縄では国連の勧告に対し賛否両論あります。反対の主な理由は、「我々沖縄県民は日本人であることが先決」ということのようです。なかなか複雑なようです。

松島泰泰勝著「琉球独立宣言」(講談社文庫)はなかなか痛快です。沖縄の独立論は一つの選択肢かもしれませんが、上で触れたように「県民は日本人であることが先決」とする見解が多いようですので実現は難しいかもしれません。

☆かつて中曽根元首相の「日本は単一民族だから教育が行き届いている」(1986年)発言は内外から差別的発言との激しい批判を受けました。一部の極右を除き、今時の日本人の多くはそうは思わないまでも「偏見と差別」から完全に逃れているとは言えまい。それこそ「教育が行き届かない限り」は減ることはないでしょう。

芸能人を主に、自分が在日韓国・朝鮮人であること公表する例は珍しくないですが、何故かアイヌ人との公表をする芸能人は寡聞にして知りません。いても不思議ではないのですが。アイヌといえば…毛深くて縄文人っぽい風貌で未開人的な雰囲気…との偏見が根強いからであろうか?

【偏見と差別の定義は?愚見を少々】
私達個人の身近な生活の中では、「私は納豆は嫌い」というのも一種の偏見でしょう。何故なら大抵は食べず嫌いだからです。無知と偏見は隣同士です。しかし、あくまで個人の好き嫌いですので「偏見」は大げさに聞えましょう。しかしです。もしも私が、「日本の料理は一番美味しい」と言ったら、これは少し問題があります。明らかに偏見です。しかし、最近の日本では…特に極右の安倍政権発足から…こうした風潮が強まっていると言えましょう。
例えば下記の広告。

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最近、この手の「日本スゴイ!日本は世界一〇〇!」的な文言をあちらこちらで見かけるようになりました。これを喜ぶ日本人も少なくないのでしょう。単細胞的ですが。

「日本人の味覚は世界一繊細だと思う」…世界中の何ヶ国の人々の味覚を調べた上でこのような主張をしているのでしょうか?恐らく無いでしょう。ただ広告主の「主観・好み」を言っているに過ぎません。が、これは社会的に不適切な文言と言えましょう。これこそ「偏見」を助長する危険があります。単なる好き嫌いじゃないか、とも言っていられなくなります。

私はこのような文言を見ただけで恥ずかしくなります。

しかし問題はもっと厳しく、「偏見」だけには留まらずに容易に「差別」へと深刻化します。すなわち、「韓国人の味覚は日本人の味覚に比べ劣る」というように。

「差別」とは、国や民族や文化等の差異に価値判断を持ち込むことです。これを個人が持ち込むのも問題ですが、集団社会や国が持ち込めば国際的問題に発展します。

偏見や差別を除去するには、子供の頃からの教育が大切です。何故なら無知こそが偏見や差別の源だからです。知らない、ということ自体が罪に値する…大人の社会では珍しいことではありませんね。ビジネスの世界でも、「私が無知でした」では通用しないことが多いですね。

☆さらには、「愛国心」も容易に「差別」に繋がる観念です。
「私は日本人に生まれて良かった」→「日本人であることに誇りを感じる」
→「日本ってスゴイ!」→「日本は世界一〇〇だ」→「××国は日本より遅れ劣っている」
という非論理的な図式へと容易に飛躍するからです。

「愛国心」の功罪は一概には言えないが、私は「罪」の方が大きいと思います。



2017.01.12 | | コメント(17) | トラックバック(0) | 歴史・文化



新春・日の春:西暦と和暦についての愚見を少々




2017年(平成29年)。明けましておめでとうございます。


          日の春をさすがに鶴の歩みかな   其角


正月は何でもめでたく思えることだが、大らかで気品のある鶴の歩みはさすがであり、正月にふさわしい。

トリ年が鶏なのは酉という漢字に由来するそうですが、私は残念に思っています。コッココッコと忙しく落ち着きの無い鶏ではなく、鶴こそがトリ年に相応しい。


【和暦(元号)を公文書の世界から追放して欲しい】
江戸時代の時刻を表す明け六ツとか五ツ等を現代の時刻に換算する方程式があります。
(9-〇ツ)×2=現代の時刻
例えば、明け六ツ=(9-6)×2=6時です(必ずしも正確ではないが、おおよその目安)
これを知っていると実に便利です。時代小説やドラマでのセリフ、「では五ツに増上寺山門にてお会いしましょう」は現代の10時頃と思えば良いのです。

10時頃は8時頃の誤りでした。簡単な計算を…アホですね(^_^;)

ところが、西暦を和暦に換算するのは面倒です。

古代史好きなら平城遷都は710年、平安遷都は794年とスラスラ言えるでしょう。しかし、794年の和暦(元号)を言えますか?元号は延暦と知っていても、延暦の何年かまで知っている人は少ないでしょう。

関ヶ原の合戦は1600年と簡単に覚えられますが和暦は?いや、ごく最近の2004年を平成何年かすぐに言える人がどれくらいいるでしょう?

横山秀夫の小説「ロクヨン」ではないが、1989年は昭和64年→平成元年に変わる。年度の途中で元号が変わるのも西暦から和暦への換算を面倒にしている理由の一つです。

和暦から西暦への換算はさらに面倒です。時代小説・歴史小説を読んでいて、「寛永3年」「文政元年」等の表記を見る度に、私はイライラしなければなりません。頭は即座に西暦に換算すべく働くのですが、答えを導く術がありません。年数を通算で積み上げることの無い和暦は不便です。※1

小説は趣味の世界ですからまだしも、公文書類は全て西暦で統一し、元号で書かせるのは廃止して欲しいものです。何?「元号は日本独自の文化だから大事にせよ」だと?そこまで言うなら長さや重さも日本独自の尺貫法で書かせれば良いでしょう。「日本の文化ガ~!」と声高に言う人間に限って、ご都合主義が鼻につく。

私たちの生活において数字や計測の類は最も便利で分かりやすい方法がベストです。世界の多くで西暦やメートル法が用いられているのは、便利性という点で最も優れているからでしょう。※2

和暦(元号)も尺貫法も、それらが好きな人間は使えば良い。しかし、一般の生活手段や公文書の類にそれらを使うのは廃止してもらいたいものです。いちいち西暦⇔和暦に換算する面倒があっては疲れます。

※1
最近の時代小説・歴史小説では「建久3年(1192年)」のように和暦と西暦を併記する例が増えた。これは出版社か原作者か、どちらの意向かは知りませんが歓迎すべき傾向です。

※2
もちろん、西洋式が広く用いられる背景には、「力の関係」もあったでしょう。世界共通語が英語なのは、英語が決して世界で優れた言語だからではありません。

しかし、西洋が創造・発明した文明・文化には普遍性という点で優れたものが多いのもまた事実です。




2017.01.04 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 歴史・文化



あなたは寺院派?それとも神社派?




私は寺院派。

京都や奈良に行くと真っ先にお参りしたいのはお寺。お寺の方がお堂や仏像など見るものが多様で興味を惹かれます。宗派によって特徴も色々ですし。運が良ければお坊さんの読経や護摩焚きを見ることも出来ます。法話を聞けることもあります。本堂で薬師如来像の前に座り、手を合わせたり、日本庭園を眺めていると心も落ち着きます。その点、神社はあまり見るものが無いですもの。

初詣もお寺にお参りする方が多いです。一時期、毎年のように母や友人と年末年始は比叡山延暦寺や高野山の宿坊に泊まったものでした。当然、初詣はお寺になります。東京にいても、川崎大師とか深川や目黒のお不動様に参ります。行くのは混雑する元旦ではなく、4日あたりです。

もちろん、神社に初詣することもあります。
私の偏見かもしれませんが…神社神道=右翼、国家主義、復古主義、好戦的、というイメージがあり二の足を踏むのです。特に、安倍政権になってからはそのイメージが強くなりました。2016年の元旦、神社本庁の呼びかけで、多くの神社で憲法改正の為のブースが設けられ、その署名活動が行われました。「美しい日本の憲法を作る国民の会」とか「誇りある日本をめざして」なる旗も掲げられていたのです。櫻井よしこの顔入りポスターまで貼って。キモッ!

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私は、絵馬に「美しい日本の平和憲法を守り、誇りある日本を!」と書いて奉納してやろうかと思った。でも、「ご利益」は無さそうだし、こんな神社で500円の絵馬を買うのも勿体ないので止めた。

政教分離に反するとの批判もあるようですが、それは違うと思います。神社本庁は宗教法人ですので彼等には活動の自由があります。それくらいの認識は私にもあります。

しかし、多くの参拝者が来る初詣を狙って改憲の署名活動をする…この根性が嫌らしい。さらに、「美しい日本」だの「誇りある日本」というキャッチコピーのセンスの悪さ!誰がこんな神社に初詣するか!

もちろん、神社によっては、神主さんによってはこうした活動に反対もしくは批判的な例もあるようです。自民党の大西英男議員が北海道5区補選の応援に行って、世話をしてくれた若い巫女さんに公認候補の応援を頼んだところ、その巫女さんに「自民党はあまり好きじゃない」と断られ、「おい、巫女さんのクセになんだ!と思った」と発言し、問題になったのを思い出します。批判を受け、大西議員は発言を撤回したようですがもちろん反省などしていない。

日本人なら一度は伊勢神宮や出雲大社にお参りしたいと思っていますが。。。

神社の悪口ばかりでは不公平なので神社の良さやお寺の悪口も書こう。

寺院は飛鳥時代の輸入ものですが、神社神道は日本伝統の宗教であり文化です。街中に溶け込むのは神社でしょうね。また、習俗として初詣だけではなく、七五三、お宮参り、お祭り、結婚式は神道です。子供たちの成長に神道は欠かせません。神社の境内は概して自由でブランコもあればベンチもあり、子供たちの遊び場や老人の憩いの場にもなっています。この点、お寺の境内はやや堅苦しさや窮屈さを覚えます。

神社は宗教、というイメージがあまり無いのも良い。初詣にしても取り立てて信仰心からではなく、生活習慣としてお参りする人の方が多いでしょう。たかだか5円~100円ぽっちのセコイお賽銭で、「無病息災」「商売繁盛」が成就すると、そんなムシの良い話を本気で信じているわけでもあるまいに(^o^)

鎮守の森とは良く言ったもので、京都の下鴨神社や東京の明治神宮を散策するとどこか霊気みたいなものを感じることもあります。神社と自然の森は一心同体。はるか昔から山川草木に神の存在を見て来た日本人の心の故郷です。寺院にはそれを感じません。ただし、山上にあり俗化されていない延暦寺は例外です。

神社の境内は無料ですが、境内に入るだけで拝観料をふんだくるガメツイお寺がよくあるでしょう。こういうの腹が立ちます。例えば法隆寺は境内に入る際に1000円!もの拝観料を要求されます。国宝のある仏殿や資料館に入る時に有料にするならまだ分かりますけどもね。紅葉で有名になった京都の某寺院はごく小さくてこれといって見るべきものも無いのに、境内に入るのに500円もふんだくるのですから、悪質です。

京都市内でタクシーの運転手に聞くと、お寺のお坊さんたちに対し悪口を言う例が少なくありません。「アイツラ、強欲な坊主ばかりだよ。威張ってるし」とバッサリです。

私は禅寺によくある日本庭園・枯山水を見るのは好きですが、禅寺特有の「お高くとまっている」雰囲気は嫌いです。大徳寺や妙心寺には多くの塔頭がありますが、入口を竹矢来のように組んで塞いでいるのを良く見ます。ケッ!偉そうに!仏の教えはオープンに広くて、誰でもどこでも差別なく、じゃなかったのかい?と言いたくなります。

その点、神社神道は良い意味で日本的ファジーさがあります。取り立てて経典があるわけでもなく、神主さんや宮司が偉そうに説教を垂れるわけでもなし。

「改憲運動」は結構ですが、神道の良さはファジーさにもあるのですから、一定の方向に凝り固まらずにいて欲しいものです。さもないと、ますます氏子を失い、人気を失い、神社は立ち行かなくなるかもよ。パワースポット!とか言って一部の若者に人気のある神社もありますが、それは所詮は一時の流行に過ぎぬ。

そんなことよりも、地元に密着した活動をしらどうか?結婚式で聞かされる祝詞にしても、「かしこみ~、かしこみ~」は何だろう?と思う人は多いです。祝詞の実演と説明の会を開けば面白そうです。日本の文化を少し詳しく教える(もちろん無料で)場を設けたりするのも良いかも。宗派・政治を問わず、誰でも自由に気軽に参加できる場を。そうすれば、強要しなくても参加者はお金は寄付してくれますよ。固定人気も生まれる。


井上章一著「伊勢神宮と日本美」(講談社学術文庫)によると、「日本独自の文化としての伊勢神宮の建築物」の内宮の様式ですが、実は東南アジアに源流があるそうです。

「日本独自の文化」はその源流を辿ると、中国や東南アジアに行き着くことが少なくありません。私もそうだろうと思う。「日本独自の文化!」を声高に叫びたい人には面白くない話でしょうけど。日本独自の平仮名だって源流を辿れば、中国の漢字→片仮名→平仮名となっていったものですね。

昔から日本人は創造性には乏しくても、加工・改良・洗練化する能力は高かったわけだ。



2016.12.30 | | コメント(18) | トラックバック(0) | 歴史・文化



「真田丸」:「おんな城主 直虎」「花の乱」など:愚見を少々





●「真田丸」の最終回
なんか、あっけなかったです。率直に言って、「ああ、いいのもを見せてもらった」という感慨は湧きませんでした。まあ、これまでの流れや演出・脚本から鑑みて、こんなものなのでしょう。

家康は最後までバカ殿であり、幸村や淀殿や秀頼の自害のシーンは描かず、きりは千姫を家康のもとに連れて来た後は全く描かず、最後にはどういうわけだか信之と本田正信が偶然に出会い、正信から領国経営の心得を聞かされるというベタなシーンを描く。これはこれで一つの演出だと思います。過去に何回も描かれて来たお馴染みのシーンを省略するのはイマドキの演出でしょう。軽妙なコメディタッチの演出の中に悲劇的場面を重々しく演じては木に竹を接ぐような矛盾も生じましょうから、ここは淡々と描くのも悪くは無いかもしれません。私の好みとは違いますが。

何のかんの言いましても、決して退屈はさせませんでした。適度に笑いあり、涙あり、気の利いたセリフも随所にありで、それなりに楽しめたドラマだったと思います。堺雅人の幸村はややもすると草刈正雄の昌幸に主役を食われていた感もありましたが、大阪城に入ってからは俄然、存在感を増しました。堺雅人は器用で良い役者と思います。

●大河ドラマでは決して描かれない大阪夏の陣の実態。

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大坂夏の陣図屏風

黒田長政が絵師に描かせたという「大阪夏の陣図屏風」。武士が農民の女性を襲うシーンや命乞いする農民を襲うシーン。実に生々しいですし、胸が痛みます。まさに、歴史をひも解くと、そこには女性や弱者の悲鳴がこだましているのです。「大阪夏の陣図屏風」はNHKの歴史番組でも取り上げられ、「戦国ゲルニカ」として放映されたことがありますね。おそらく、戦国時代には普通にあった出来事なのでしょう。

黒田長政が何故このような絵を描かせたのか謎です。普通なら己の勇ましい戦闘シーンを描かせるであろうに。黒田如水の息子であっただけに、他の戦国武将とは何か違う感性を持っていたのでしょうね。

私が言いたかったのは、こうした戦争の真の残酷さを決してテレビドラマでは描かないものであり、また、視聴者も…たぶん…そのようなものは見たくないと思っているのでしょう。絵で見るのとドラマで演じるのとではどちらの方がインパクトがあるかは明瞭です。それゆえ、結果的に、戦争ドラマや戦国ドラマにおいて、戦闘シーンが主役の武将を美化する為の道具となってしまうのを少し残念に思うものであります。

そこには、私も含め人間の矛盾もありましょう。現実には戦争を憎むけど、ドラマや映画となりますと、戦争シーンを興奮しながら楽しんで見たいと思う…何と言う矛盾でしょうか。


●2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」の公式サイト
ここです

「花燃ゆ」の二の舞になるのではないかとの予感もします。吉田松陰の妹も、井伊直虎も、よほどマニアックな歴史好きでも無い限り、知られていない女性でしょう。私なんか、幕末の井伊直弼は知っていても、家康の重臣であった井伊直政を知らないくらいですから、直虎など全くイメージが湧きません。

主役の柴咲コウは私の好きな女優ですが、「花燃ゆ」の主役を演じた井上真央に比べると一般的には何か親しみにくいタイプの女優という感じがします。しかし、柴咲コウの持つ、ある意味、中性的な雰囲気は、男的役柄の直虎に合っているように思います。脚本と演出と役者が上手くフィットすれば楽しめるドラマになるかもしれません。


●1994年大河ドラマ「花の乱」:ウィキ
ここです

風邪気味の中、仕事で無理をしたために拗らせてしまいました。熱で何もする気分になれない時こそ、テレビドラマを見るには最適です。で、室町時代の8代将軍足利善政とその御台所日野富子を描いた大河ドラマ「花の乱」のDVDを借りて全体の半分近くまで見ました。これは傑作です。私の見た大河ドラマでは最高の部類に入ります。

日野富子:松たか子→三田佳子
足利義政:市川新之助→市川團十郎
山名宗全:萬屋錦之介
細川勝元:野村萬斎

錚々たるキャスト!迫力有り過ぎ!
主役の三田佳子は完全に圧倒され、萬屋錦之介や野村萬斎に主役の座を奪われちゃった感があります。少女時代の富子を演じた松たか子はこの時16才。実に初々しいです。

☆室町時代や応仁の乱は日本史のブラックボックス
どんな歴史好きも室町時代だけは敬遠するのではないでしょうか?
理由
①特に目立つような、ドラマになるようなヒーロー的存在がいない
②内部分裂・内部抗争の連鎖で人物名が錯綜して鬱陶しい

②ですが、天皇家は南北朝に分裂し、足利将軍家は鎌倉公方だの伊豆公方だの、足利義視と義尚だのと内部分裂し、管領の畠山家や斯波家も内部分裂し、もう、ワケが分かりません。ましてや応仁の乱など頭が混乱するばかり。おそらく誰もが学生時代には試験勉強や受験勉強で四苦八苦させられたでしょう。

こんなに良く出来たドラマが最低視聴率だったのも分かります。
例えば、応仁の乱の勃発を受け、ドラマの中でナレーターが、「大乗院門跡の尋尊は日記に『東西南北、静謐な国はない』と記しています」と説明しますが、テロップが流れないので、見ている人には言葉も内容もチンプンカンプンです。こうした分かり難さも視聴率低迷の原因になったのでしょう。

私はたまたま新刊本の「応仁の乱」:呉座勇一著・中公新書、これを読んでいたのでナレーターの言葉も分かりました。大乗院門跡の尋尊とは興福寺の僧侶であり、歴史学者は彼の日記を応仁の乱の資料として重宝していると知りました。

日本史を理解する肝は土地の所有形態を理解すること。すなわち、荘園制度です。これは私の高校時代に先輩が強調していたことです。室町時代は天皇家・公家・寺社の荘園と武家の領国との最後のせめぎ合いでした。分裂と内部抗争の背景にこうした土地問題がありました。このことがある程度理解されると室町時代もなかなか面白いです。日本史の峠は室町時代である、と主張する学者が少なくありません。

こうした室町時代の複雑な状況を、「花の乱」では上手くアレンジしています。日野富子は日本史上の悪女の一人とされて来ましたが、最近の研究では見直されているようです。

ただし、22年前のドラマだけに、演出に「古さ?」を感じる面もあります。特に、役者が役者だけに、セリフの言い回し、イントネーションが少々大げさで苦笑させられます。

例えば、「お待ちしております」は、「お~まぁ~ちィして~おります」と。歌舞伎じゃないんだから、そんなに抑揚をつけなくてもいいでしょうに。「真田丸」とは大変な違いです。




2016.12.23 | | コメント(27) | トラックバック(0) | 歴史・文化



お勧めのドラマ・NHKスペシャル:「東京裁判・全4話」・追記あり





NHKスペシャル:ドラマ「東京裁判・全4話」
サイトはここです

今日から4夜連続?でこのドラマが放映されることを知らず、途中から見ましたが期待出来そうです。

ご存知と思いますが、これまでNHKは「証言記録・兵士たちの戦争シリーズ」等、アジア・太平洋戦争に関する優れた特集番組を制作しています。

今回のはドラマ形式ですが、数年に及ぶ取材等、かなりの手間ヒマをかけて制作した力作のようです。

東京裁判は昭和史における戦前と戦後の境に位置する険しい峠だったと思います。

東京裁判の功罪については多くが語られて来ました。

「勝者による裁判、茶番劇だ」として否定的に評価する人や、「国民には秘匿されていた旧日本軍の負の実態を明らかにし、戦後における戦争犯罪の国際慣習法の確立や国際刑事裁判所の設立への道を開いた」と高く評価する人もいて、今も喧々諤々議論があります。前者は、いわゆる大東亜戦争肯定論や正当防衛論を唱える人に多く、後者は、旧日本軍や大日本帝国によるアジア・太平洋戦争を、「侵略戦争」として断罪する人に多く見られる見解です。

私は東京裁判には功罪両面があると思います。


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東京裁判に関する書籍はたくさんありますが、概要を知る為の一般向け良書として、

①日暮吉延著「東京裁判」(講談社現代新書)
②粟屋憲太郎著「東京裁判への道」(講談社学術文庫)

の2冊をお勧めします。

なお、東京裁判に関して、渡部昇一や小林よしのり等の右翼系論者の著作がありますが、こうした専門家ではない論者による著書から読み始めるのは、「百害あって一利なし」です。何故なら、彼等は専門家ではない故、資料から自分に都合の良い箇所を列記し、自分に都合よく解釈している可能性が高いからです。

☆参考資料となるお勧め図書。
東京裁判研究会編、「パル判決書(上下巻)」(講談社学術文庫)

判事による膨大な論文なので、さぞかし難解かと思いきや、私達でも普通に読めます。

ラダビノッド・パルはインドの判事。東京裁判では裁判自体の欺瞞性と無効を、そして、日本の指導者達の無罪を主張したとして、日本の右翼や保守政治家から称賛されている人です。

「パル判決書」をじっくり読みますと、実は、パルは大日本帝国の指導者や旧日本軍の行為自体については批判しているのであり、決して擁護などしていないことが分かります。主に右翼系・保守系論者によって多く引用される「パル判決書」ですが、それは得てして「我田引水」的に走る傾向があり、要注意です。

☆追記
第二話。判事達の議論や対立、実に見応えがあります。
パル判事の描き方が良いです。決して日本の指導者の戦争犯罪を擁護しているのではなく、あくまで「侵略の罪では法的に個人を裁くことは出来ない」としているのであり、これは正論ですね。
そうか、オランダの判事もパル判事と同じ意見に変わったのか。

まさか、「南京事件(南京大虐殺)」の問題をドラマに登場させるとは思いませんでした。扱い方?を誤るとウヨクからのクレームが入るかもしれないテーマですので、避けるだろうと思っていました。素晴らしい!

いよいよ第三話では東條英機が登場しますが、どんな描き方になるのか注目です。




2016.12.13 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 歴史・文化



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プロフィール

片割月

Author:片割月
和歌を愛し、音楽を愛し、花を愛し、フィギュアスケートが大好きで、歴史・社会・文学が大好きで、ジョン・レノン、八代亜紀、ちあきなおみが大好きで、クリント・イーストウッドと映画も好きで、皮肉とユーモアも好きな変わり者アラフォー熟女ですが、よろしくお願いします。
最近は体力をつける為に、休みの日はえっちらおっちらとミニハイキングに勤しんでいます。

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